J-POP

J-POP
様式的起源
文化的起源 1980年代 - 1990年代初頭
日本の旗 日本
サブジャンル
融合ジャンル
地域的なスタイル
関連項目
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J-POP(ジェイ-ポップ、: Japanese Popの略で、和製英語である)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。つまりJ-POP以前と以後の違いは、BPMの速さや洋楽の影響を受けたメロディコード進行リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、歌詞の構造が解体された代わりにグルーヴが洗練された作品は増加した。なお、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」という言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、発生した音楽ジャンルではない。

歴史[編集]

前史[編集]

歌謡曲、演歌、和製ポップス、フォークソング、グループ・サウンズ時代[編集]

1960年代、1970年代は歌謡曲演歌和製ポップスフォークソンググループ・サウンズ(GS)といった音楽ジャンルが日本国内のポップス音楽の主流であった。また1970年代にははっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンド等のバンドも活動し日本のロック音楽も流行り始める。1980年代・1990年代初頭は昭和のフォークソングや浜田省吾長渕剛などのフォークロックがヒットしていた。

アイドル歌謡曲、歌謡ロック[編集]

1970年代・1980年代には歌謡曲に当時流行していたロック音楽の一種AOR要素が加わったアイドル歌謡曲が大流行する。また、後に歌謡ロックとも呼ばれる1979年クリスタルキング大都会」、1983年安全地帯ワインレッドの心」、1984年アン・ルイス六本木心中」等もヒットする。

ニューミュージック[編集]

1970年代・1980年代には歌謡曲や、アイドル歌謡曲やフォークソングに加えニューミュージックと呼ばれる音楽のヒットがあった。1973年井上陽水夢の中へ」、1975年中島みゆき時代」、1978年杏里オリビアを聴きながら」、1979年チューリップ虹とスニーカーの頃」、1979年オフコースさよなら」、1982年あみん待つわ」等である。

1980年代後半には1986年渡辺美里My Revolution」、1987年岡村孝子夢をあきらめないで」、1988年松任谷由実リフレインが叫んでる」等J-POPの源流となるポップスが発表される。

テクノポップ[編集]

1978年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が1stアルバムを発表。詳細はテクノポップ項目を参照。

シティ・ポップ[編集]

1980年代には前述のニューミュージックとロック音楽の一種AORにルーツがあるとされる後にシティ・ポップと呼ばれる楽曲群が発表された。

バンドブーム[編集]

1980年代には浜田麻里小比類巻かほるレベッカなどのロック歌手が増え、ロック・バンドが次々結成される。

1980年代終盤から1990年代前半にはバンドブームと呼ばれるロックバンドの大流行が起き、後にJ-ROCKデジタルロックビートロックヴィジュアル系等と呼ばれるジャンルを形成しチャートを賑わす事になる。詳細は日本のロック及びバンドブームの記事を参照。

ユーロビートの流行[編集]

1980年代後半、ヨーロッパ発のユーロビートの流行があり、その影響は日本にも及んでいた。日本では東京都港区六本木等のディスコのダンス用の曲として流行し、ポップス音楽のアイドルではWink荻野目洋子等がユーロビートのカバー曲や和製ユーロビート曲を発表していた。

躍動感や音の密度を上げるため、BPM130を超える作品も現れた。1980年代末TM NETWORKSelf Control」を筆頭に16ビートの「早口な歌」が現れた。

J-POP誕生[編集]

1986年に、アルバム『J.BOY』を発表した浜田省吾

1988年10月に開局したばかりの東京FMラジオJ-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な街・六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった[1]。しかし1988年の年の暮れ[2]、同社常務・斎藤日出夫(2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうという企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーション・アルバムを出す」などと言った目論見もあったという[3]

この際に「日本ポップス」をどう呼称するのかが検討され(斎藤日出夫によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないという点があった[4])、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティ・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字Jだ。そしてここは、J-WAVEだ」という意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリスト烏賀陽弘道によれば、当時1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業=JTになった時代であり、1986年に浜田省吾アルバムJ.BOY』を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、日本を表す「J」という文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている[5]。いずれにせよこれが「J-POP」という語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった[6]。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである[6][7]

このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラムロックパンク・ロックグランジオルタナティヴ・ロックヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる[8]。斎藤日出夫によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌クラシック音楽はだめ、サザンオールスターズ松任谷由実はOK、アリスCHAGE and ASKAは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたという[9]。そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される[9]

1990年代[編集]

CDとデジタル音楽制作技術の導入[編集]

1980年代末、デジタル技術の進歩に伴い、実用的な音色を満載し、普及価格帯のPCM音源のトレンドを決定付けたKORG M1

1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である。機材のコモディティ化が進み、PCM音源やサンプラーが安価になったことで、制作者が多彩な音色を扱えるようになった。また、打ち込みが当たり前に使われるようになったことで、音の厚みとBPMが急速に増加し、楽曲の展開も複雑になった。打ち込みの普及は楽曲の量産やボーカルの加工に繋がり、商業音楽の工業生産が可能となった。ソフトロック・テクノ・ハウス・トランス・R&B等、世界的に評価された洋楽の表現手法が大々的に導入され始め、「まるで洋楽のよう」な新時代の邦楽として高く評価されるようになった。従って、機材の進化による音質向上は当然のことながら、邦楽全体としても、洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり、表現はよりポピュラーになって、コード進行、リズム、テンポ自体もJ-POP化された音楽が次々に登場した。

1982年に登場したコンパクトディスク (CD)およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった[10]。またシンセサイザーミュージックシーケンサーMIDI楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった[11]MIDI音源として低価格で高性能な製品が発売され、DTMブームも起きた。

そしてコストダウンと作業の迅速化により、工業製品の如く楽曲の量産が可能となった[12]。この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで[13]、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている[13][14]。またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも10数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである[15]。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、「CDラジカセ」が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている[16]。CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万台が出荷[17]。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ・CDラジカセ・携帯型と言った安価なものである[18]。ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている[17]。1985年春、オーディオメーカー・パイオニア常務は朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである」と語っている[19]。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる[20]。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった[21]。その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく[22]

しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオ・ミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた[23]。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある[24]ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている[25]

またパソコン通信を経てインターネットが普及し、CDに頼らずとも作品を提供する事が可能になっていく。当時は回線速度が低いため在野のミュージシャンによるMIDIが中心であったが、こうして後にインディーズ音楽家が登場する土壌が生まれた。

バブル景気とデステクノ[編集]

1986年12月から1991年2月までの51か月間続いたバブル景気により新宿、原宿、六本木、青山などでは空前のディスコブームが起きていた。1984年麻布十番マハラジャが開店。1991年3月から1993年10月にバブル崩壊と呼ばれる急激な信用収縮、不動産相場の急落が起きるが、ディスコブームの流行は冷めやらず、芝浦ジュリアナ東京などではイタロ・ハウスや更に過激に進化したハードコアテクノと呼ばれる激しいダンス・ミュージックが流された。ジョン・ロビンソンの「TOKYO GO!」等が有名である。この頃のダンス音楽流行は日本のポップス市場にも影響し、1993年にデビューしたTRFは1994年から1995年にかけて発売したシングル5作連続でミリオンセラーを記録。しかし、バブル崩壊後の不況の深刻化と警察の取り締まり強化等により急速に熱狂は終息し、六本木ヴェルファーレや渋谷のユーロビートパラパラ流行に移っていく事になる。

カラオケとトレンディドラマ主題歌、CMソングの流行[編集]

90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとしてKDDというものがある[26]カラオケ(K)・ドラマ(D)・大幸システム(D・後述)の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。この頃の都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代テレビドラマが「トレンディドラマ」と呼ばれており、1991年、小田和正・「ラブ・ストーリーは突然に」、CHAGE and ASKASAY YES」、1995年DREAMS COME TRUELOVE LOVE LOVE」等がある。

この時期のスキーブームを受けて、1988年にJR東海「ホームタウン・エクスプレス X'mas編(現・クリスマス・エクスプレス)」CMに使用された山下達郎クリスマス・イブ」、1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』で使用された松任谷由実恋人がサンタクロース」等と並ぶ冬の定番曲が多く生まれた。JR東日本のスキー旅行キャンペーンJR SKISKICMソングのZOOChoo Choo TRAIN」、アルペンCMソング広瀬香美ロマンスの神様」などである。他にもCMソングで、日本航空夏の沖縄旅行キャンペーンの米米CLUB浪漫飛行」が1990年に大ヒットしている。

不況と応援ソング[編集]

バブル崩壊で社会に停滞感が漂うようになると応援ソングが流行していった[27][28]。また、歌詞に「夜」「夢」「心」「今」等のワードが増えた[29]

バブル期のサラリーマンソングであったKAN愛は勝つ」に始まり、槇原敬之どんなときも。」、大事MANブラザーズバンドそれが大事」、ZARD負けないで」、岡本真夜TOMORROW」等、ミリオンセラーが次々に誕生。「愛は勝つ」など、1990年代初頭のヒット曲の多くは「カノン進行」「がんばろう系カノン」と呼ばれるコード進行を用いていると指摘される[30]

ビーイングブーム[編集]

B'zZARDをデビューさせたビーイングによって高速な打ち込みハードロックの融合[31]が行われるようになった。特に長戸大幸の考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社ビーイング所属歌手が売上1位・2位・4位・5位を占めた[注 1]ビーイングブーム)。

ミリオンセラーの続発[編集]

そして1992年ごろから「ミリオンセラー」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムの合算数。以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した[32]。なおミリオンセラーが続出するようになった1992年ごろは大手コンビニ各社が店頭で音楽CDを売り始めた時期であり、音楽評論家の能地祐子は、この頃からレコード店に縁のなかった層がCDを買い始めたことで音楽の変質が始まったと推測している[33]。また、トップ10のアーティストだけで年間売上シェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。

渋谷系[編集]

雑誌『ELLE』1993年11月21日号では「ジャパニーズポップ」と呼ばれる言葉でコーネリアスピチカート・ファイヴといった、いわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている[34]

ダンスミュージック、黒人系音楽の流行[編集]

宇多田ヒカル1998年にデビュー)

1991年ZOOの「Choo Choo TRAIN」がヒットする。ブラック・コンテンポラリーR&Bジャンルが日本にも浸透し始める。TRFの「EZ DO DANCE」、電気グルーヴの「」、安室奈美恵の「TRY ME 〜私を信じて〜」と言ったエレクトロニック・ダンス・ミュージック系統のJ-POPが本格化した。1994年、EAST END×YURIの「DA.YO.NE」など、ヒップホップも本格的に流行しはじめる。詳細は日本のヒップホップを参照。

1991年CHARA「Heaven」、1996年UA情熱」・久保田利伸withナオミ・キャンベルLA・LA・LA LOVE SONG」、1998年MISIAつつみ込むように…」、1999年bird「SOULS」等、和製R&Bと呼ばれる曲調も流行し、1999年3月に、宇多田ヒカルが1stアルバム『First Love』を発売、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く。

1990年代前半はハードロックやハードコアテクノやユーロダンス、1990年代後半はR&Bやレゲエの流行に移り変わり、その後は趣味嗜好の多様化により画一的な構図では音楽の流行を説明できなくなった。

小室ブームと音楽プロデューサー業[編集]

小室哲哉TM NETWORKの活動休止期間であった1992年に音楽プロデューサーとしての活動を本格化する。数々のミリオンセラー、ヒット曲を打ち立て、「小室サウンド」等と呼ばれる流行を創り出した。

小室哲哉のプロデュースを受けた安室奈美恵は、ミリオンヒット作を次々と世に送り出し、1997年に10代の歌手として日本の音楽史上初となるシングル・アルバム総売上2000万枚突破を記録した[35]

1990年代中後半は大不況の中でも音楽業界は好調な売上が持続し、テレビCMやテレビ番組等、テレビを中心としてキャッチーなヒットソングが生まれた。CMソングでは奥田民生プロデュースPUFFYアジアの純真」や、日本テレビウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた中西圭三小西貴雄作曲によるブラックビスケッツTiming」等である。この頃のJ-POPは香港や台湾などアジア各地でもヒットした。

小室と並んでシンセサイザー等の技術にいち早く注目したつんく♂[36]テレビ東京ASAYAN』発のモーニング娘。をプロデュース。1990年代後半から2000年代初頭を席巻した。

映画主題歌を主に手掛けたプロデューサーでは岩井俊二監督映画『スワロウテイル』(1996年公開)・『リリイ・シュシュのすべて』(2001年公開)のサウンドトラックを担当、自身もMy Little Loverの一員であった小林武史が挙げられる。

J-POPの定着[編集]

J-POPという言葉は1990年代から一般の雑誌などでも見かけるようになり、1993年7月には『ザ・テレビジョン』でロックバンド「J★POP」が紹介された[37]オリコンチャートや、TV音楽番組等での人気ランキング発表を「J-POPヒットチャート」等と呼ぶようになり、「J-POP」という単語は、そういった意味の楽曲の人気順位を視覚的に表示したヒットチャートを指す場合にはジャンル名では無く、日本のポップス音楽の流行の傾向を指すようになる。

一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは1993年から1995年頃とされる(例外的にタワーレコード心斎橋店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている)[38]。雑誌『マルコポーロ』は1994年7月号において「パクりが多い」、「ヒット曲のほとんどが盗作」、という見出しを用い、「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している[34]

1993年は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPという語の普及にとって無視できない要素である[39]。「Jリーグ」は同年の「新語・流行語大賞」に選ばれている。Jリーグの開幕もあり、おおよそ1995年までにはJ-POPという言葉は定着したとみられる[34]。1995年春には「J-ROCKマガジン」が創刊され、雑誌と連動したテレビ番組「J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50」が人気となり、マスメディアでポップスロックを区別する形でも使われるようになった。

呼称の定着までに時間がかかった一因としては、「J-POP」という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる。一例としてJFN系キー局であるエフエム東京や、その傘下の出版社では1990年代中頃までは極力使わず、本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である「J-POPS」という名称を多用した。音楽番組「デイブレイク J-POPS」や「アフタヌーン・ブリーズ」のジャパニーズ・ポップス・リフレインなどがそうである。

なお烏賀陽によれば、J-POPは従来あった歌謡曲フォーク・ロック・ニューミュージックなどのジャンル・サブジャンルを全て殺し、それに成り代わってしまったという。すなわちJ-POPの普及後はそれぞれが、烏賀陽の言葉を借りれば、従来のジャンルはJ-POPというマンションに入居し、歌謡曲系J-POP、フォーク系J-POP、ロック系J-POP、などといった構造に再構築され収まっているという[40]

CD売上は右肩上がりを続けて1991年に初の4000億円台を記録すると、1998年の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた[41]。生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する[42]など成長を続ける中で、個人としても1977年阿久悠作詞家として記録した1172万9000枚の作家別の年間売上記録を、1993年に「負けないで」の作曲などで知られる織田哲郎作曲家として1240万5000枚を記録し16年ぶりに更新した(1976年以後の記録)[43]

なお1998年に日本のレコード(CD)生産金額は過去最高を記録する[44]。1988年に3429億4700万円だった生産金額は、98年には6074億9400万円と、ほぼ倍増している[44]

2000年代[編集]

トランスの流行[編集]

2000年代前半には、1998年から続いていた日本国内におけるR&Bや2ステップのブームが終焉を迎える。

海外のクラブ・ミュージックではトランスが流行していたが、日本でもその曲調を取り入れた浜崎あゆみが人気となる。2001年初冬、宇多田ヒカルが2ndアルバム『Distance』のリリース予定を3月28日に公表した後に、浜崎あゆみのベスト・アルバム『A BEST』が同じ発売日に設定したことから、テレビのワイドショースポーツ新聞などから「歌姫対決」と煽られる。最終的に双方とも売上400万枚を超えるヒットとなった。

季節ソング、桜ソングの流行[編集]

音楽ジャンルの融合が進み、ヒップホップ、三木道三湘南乃風に代表されるジャパニーズレゲエミクスチャー・ロックスカコア青春パンクなども人気となる一方で2000年代は季節を歌う曲もヒットし、特に春、桜の季節には、福山雅治桜坂」、森山直太朗さくら」、ケツメイシさくら」などがヒットし、「桜ソング」と呼ばれ人気となった。

桜ソングに並行して、歌謡曲、フォークソング時代から引き続き、春夏秋冬、季節を歌詞に織り込んだ曲が人気となった。

ミリオンセラーの減少[編集]

2000年代に入るとシングルの売上が減少を始め、2003年3月5日に発売されたSMAP世界に一つだけの花」を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤が2012年まで現れなくなった[45][46]。2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラー・シングルが存在しない[47][48])。

テクノポップ再興[編集]

2000代後半、海外では欧州等でフィルターハウスの流行がありその流れを取り入れた中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により、2007年から日本国内で2回目のテクノポップ・ムーブメントが起きたことで、アコースティック感を持たない、極めて抽象的なシンセサイザー音(「ピコピコ」音)が主体の音楽が多数作られるようになって行った。

同時に、PC上のデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)による打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行したことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。

音楽配信が開始[編集]

その一方で、音楽配信(デジタル・ダウンロード)の売上が増加するという事象が発生する。日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始した2005年から2008年まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け[49]2006年にはシングルCDの生産実績を上回った[50]。ただし、2009年の売上は前年とほぼ横ばいで[51]2010年には前年を割っている[52]。音楽配信による代表的なヒット曲として、青山テルマ feat. SoulJaの「そばにいるね」やGReeeeNの「キセキ」がある。「そばにいるね」は、2008年に「日本で最も売れたダウンロード・シングル」としてギネス世界記録に認定されたが、翌年の2009年に「キセキ」が記録を更新した[53]。累計400万ダウンロード以上の売上を記録しており、レコチョクが2019年に発表した「平成で最もダウンロードされた楽曲」にも選ばれている[54][55]

2000年代における音楽ソフト(パッケージ)売上の減少は、「CD」や「レコード」という「音源記録媒体」を購入する時代から「音源そのもの」だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化が生んだ現象である。日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた[56]が、2008年には前年をやや下回った[49]。インターネットが個人で利用しやすくなったことにより、ファイル共有ソフト (P2P等)やウェブサイト上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信の影響も受けていると考えられる[57]

動画共有サービスの普及、ボカロブーム[編集]

インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合と新しい音楽表現が生まれた。日本発の音楽としてはアニメソングファイル共有ソフト初期の時代から好まれた[58]

2000年代も末になると、ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった。2000年代後半、YouTubeニコニコ動画といった動画共有サービスや、VOCALOIDソング等の発表が流行し、後に前山田健一をはじめとしてネット発の音楽家も多数登場することになる。ニコニコ動画においては、J-POPの典型コード進行として王道進行の存在が発見された。

その他[編集]

2010年代[編集]

アイドル流行とアイドル戦国時代[編集]

2005年より東京・秋葉原を拠点に活動していたAKB48のブームに続けと2010年代には各種グループアイドルが乱立、「地下アイドル」と呼ばれるライブ活動を中心に活動するアイドルが多数現れた。過当競争は「アイドル戦国時代」と呼ばれる状況を生み出した[59]

CD不況[編集]

2010年代になるとシングル盤だけでなくアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなり、「CD不況」と呼ばれる状況となった(2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ[60])。さらに、2010年のオリコン年間シングルランキングはAKB48の2組のみでTOP10を独占するなど特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した。

一方で、日本レコード協会が発表した2010年の着うたフル年間チャート[61]では、AKB48の楽曲は「ヘビーローテーション」の12位が最高であり、着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である。着うたフルを配信しなかったジャニーズ作品(SMAP、嵐、関ジャニ∞KAT-TUNHey! Say! JUMP等)が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲を占めたほか、桑田佳祐Mr.ChildrenBUMP OF CHICKENなど、着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなった。一般にAKB商法K-POP商法と呼ばれる、メンバーとの握手券などの特典を付けることにより、熱心なファンが同じ商品を複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられる。岡崎体育のJ-POPあるある、タニザワトモフミの「くたばれJ-POP」などJ-POPの陳腐化も指摘された[62][63]

2013年のJOYSOUND年間カラオケランキングの上位3曲は「女々しくて」、「残酷な天使のテーゼ」、「千本桜」であり、アニメソングボーカロイド曲など、セールスでは測れない人気曲の多様化が顕著となった[64]

音楽配信サービスの多様化、違法ダウンロード問題[編集]

Appleはメジャーレコード会社と提携し2005年に日本国内でiTunes Storeを開始しており、日本の音楽配信サービスである着うたフルと競合するようになった。CD売上の減少とともに着うた配信、ダウンロードによる音楽配信が主流になりつつも、日本の音楽市場全体でみるとCD市場の減少分をカバーするには至らなかった。アイドルの特典商法の隆盛により2012年にはCD市場が一時的に盛り返したものの、それ以降は減少傾向にある[65][66]

YouTube違法ダウンロードの蔓延が売上減少の最大の原因だとして、2012年9月10日 日本レコード協会(RIAJ)、日本音楽事業者協会(音事協=JAME)、日本音楽制作者連盟(音制連=FMPJ)など音楽芸術関係7団体は、「私的違法ダウンロードの罰則化」に関する啓発活動を目的に「STOP!違法ダウンロード広報委員会」を設立した[67]

ストリーミング市場の拡大[編集]

あいみょんは、日本のアーティストで初めてストリーミングからブレイクした[68]

2015年頃からSpotifyApple Musicをはじめとしたサブスクリプション型のストリーミングによる売上が増加をたどり、2018年にはダウンロードによる売上を越え、2019年時点でストリーミング単体では465億円の売上となった[69]。ストリーミングはアーティストへの収益分配が十分でないという批判が大きく、当初は大物アーティストの提供取りやめが相次いだ。しかしながらストリーミングの占める売上が年々高まるにつれ多くのアーティストが提供するようになってきている[70]

音楽は所有するものからアクセスするものとなりつつあり、音楽の聴かれ方が変化する中、2010年代終盤から2020年代にかけてボカロにゆかりのある米津玄師、ブラックミュージックをベースとした星野源、フォークソングをベースにしたあいみょん、オルタナティヴ・ロックを基軸としたKing Gnu、ピアノロック系のOfficial髭男dismなどが人気を集めている。あいみょんの「マリーゴールド」、King Gnuの「白日」、菅田将暉の「まちがいさがし」、Official髭男dismの「Pretender」などがいずれも1億回以上のストリーミング回数を記録しており、「売れた枚数」から「聴かれた回数」へと、楽曲のヒット基準が変化している[71][72]

2010年代末ではYouTubeTikTokを中心に流行した楽曲が、のちにテレビなどを通じて広まることも起きている。YouTuberとして活動する音楽家も一般的となった。

一方、欧米や韓国の音楽が世界を席巻する中で、日本の音楽の世界進出が未だに進んでいないことが課題となっている。ネットメディアの活用が遅れていることや、著作権使用料の支払い処理が複雑であることが主な要因とされる[73]

2010年代はCDセールス、着うたフル、iTunes等による配信ダウンロードとそれぞれにチャートが存在したため、ヒットした楽曲を客観的に判定することが難しい側面もあった。オリコンは長らくCDセールスを重視してきたが、2017年に「デジタルシングル(単曲)ランキング」、2018年に「ストリーミングランキング」とCD、デジタル・ダウンロード、ストリーミングを合算した「合算ランキング」の発表を開始した[74]

シティ・ポップの海外でのヒットとネオ・シティ・ポップ流行[編集]

2010年代後半頃、日本の約40年前の過去の流行音楽であるシティ・ポップが海外で注目され始めた。2020年10月には海外YouTuberがカバー曲の歌唱動画を発表した事が切掛で松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなった[75][76][77]。その流れを受け日本でシティポップの新曲が発表された。また、日本の若手のアーティスト達の間ではネオ・シティ・ポップと呼ばれる流行が静かに起きている[78]

2020年代[編集]

新型コロナウイルスパンデミックの影響[編集]

日本の音楽ライブ市場推移

日本における2020年初冬以降の新型コロナウイルス感染拡大の影響によりソーシャルディスタンスを確保する必要が生じると、2000年代以降成長を続けてきた音楽ライブの市場規模は大幅な減少となった。ぴあ総研によると、2020年のオンラインライブを除いた音楽ライブ市場は2019年の4237億円から対前年比86.1%減の589億円、音楽フェス市場は2019年の330億円から対前年比98%減の6.9億円に激減した[79][80]。多くの音楽家にとって、楽曲の公開で作品の配信やオンラインライブ以外の方法が取りにくくなった。

そのような状況の中、ボカロに縁がありYouTube動画で楽曲を発表していた、ずっと真夜中でいいのに。YOASOBIヨルシカの3組のバンドは「夜好性」と呼ばれ人気となった[81]。一般人女性のひらめが制作してTikTokに投稿した「ポケットからきゅんです!」がバズを引き起こすなど、数多くのインディーズミュージシャンの楽曲がTikTokを起点として拡散する傾向が高まった。

過去には芸能プロダクション、音楽事務所が売り出す方法に頼らざるを得なかったが、TuneCoreなどの音楽配信委託サービスを通して、誰でも世界中に自分の楽曲を配信することが可能となったことで、瑛人yamaなどSNS経由でのインディーズミュージシャンのブレイクが増加している[82]

2020年には、CD未リリースながらストリーミングやYouTubeの動画再生回数で好成績を収めたYOASOBIの「夜に駆ける」が音楽チャート「Billboard Japan Hot 100」の年間1位を獲得しNHK紅白歌合戦に出場、2021年はBillboard Japan各指標ダウンロード、ストリーミング、カラオケの三冠で年間1位の優里ドライフラワー」など、フィジカルセールスからストリーミングへの流れがさらに拡大している。

新型コロナ禍でのロックフェスの再開[編集]

2022年に入り、新型コロナのパンデミックは未だ終息は見えないものの、マスク着用、ソーシャルディスタンス、声援禁止等の感染防止対策ガイドラインの規制を維持した上で日本各地でロック・フェスティバルの開催が再開された[83]。それぞれ約3年ぶりの開催とあって待ち望んでいたファンの盛況となった。5月開催のMETROCK2022のヘッドライナーを務め楽曲「新宝島」を演奏したサカナクション山口一郎はNHKのインタビューで「不安な時代を音楽で“乗りこなす”」意義を強調した[84]。また7月開催の京都大作戦2022主催ロックバンド10-FEETは楽曲「その向こうへ」「RIVER (10-FEETの曲)」等を演奏、開催出来た感謝の言葉を述べた[85]。茨城県での「LuckyFM Green Festival」、WANIMA主催「1CHANCE FESTIVAL」の様に新規のフェスも開催された[86]

アニメソング、ゲームミュージックの世界的人気[編集]

アニメソングは海外で最も聴かれた日本のポップス音楽ジャンルに成長し、日本を代表するポップス音楽ジャンルとなっていたのだが、そのことは国内であまり認識されていなかった[87]。日本で「おたく文化」と見なされてきた諸分野は、国内では一般の大衆文化よりもさらに劣るとみなされてきたが、日本が本場となり、海外へ輸出し得ている数少ない現代文化であった[88]

2020年にLiSAの「」が第62回日本レコード大賞大賞を受賞した[89]。LiSAの「紅蓮華」は、2020年12月4日発表のSpotify・「海外で最も再生された国内アーティストの楽曲」の1位[90]であり、2021年8月8日『東京五輪閉会式』に用いられた。この他、ゲームミュージックも海外に知られた日本発の音楽となっており、2021年7月23日『東京五輪開会式』での選手入場行進曲に用いられた[91]

Spotify・海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲(2021年)[92]
1位 Eve「廻廻奇譚」
2位 LiSA「紅蓮華」
3位 YOASOBI「夜に駆ける」
4位 TK from 凛として時雨「unravel」
5位 Linked Horizon「心臓を捧げよ!」
6位 TERIYAKI BOYZ「Tokyo Drift」
7位 ビッケブランカ「Black Catcher」
8位 KANA-BOON「シルエット」
9位 いきものがかり「ブルーバード」
10位 YOASOBI「怪物」
太字の楽曲はアニメ主題歌。

2022年に入ってもアニメソングは人気であり上半期はAimer残響散歌」がBillboard JAPAN HOT100上半期1位[93]SiMThe Rumbling」がアメリカ・Billboard HOT HARD ROCK SONG CHART100で1位獲得[94]、中田ヤスタカがプロデュースのシンセウェイヴエレクトロ・ポップ要素等のあるAdo新時代」は日本楽曲初、世界で最も再生された曲のデイリーチャートApple Musicトップ100:グローバルチャートで1位となった。その他フランス、ギリシャ等[95]他国Spotify・カラオケ等、国内外のヒットチャートで1位を獲得、85冠(9月7日時点)[96]・70冠(8月12日時点)達成[97]。アメリカビルボードのGlobal Excl. U.S.チャートでも8位に浮上、関連7曲が同時ランクインした[98]

ボカロ人気再燃[編集]

2020年頃からYouTubeでボカロが人気になっている。2007年8月31日、VOCALOID・初音ミクが発売された際の一次流行から時を経て、人間が歌唱して人気が再燃している[99]。前述のSpotify・海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲(2021年)の1位EveボカロPである。詳細はボカロ参照。

J-POPリバイバル[編集]

2022年3月3日第14回CDショップ大賞2022は、大賞・赤にOfficial髭男dism『Editorial』、大賞・青にWurtS『ワンス・アポン・ア・リバイバル』が選ばれた[100]音楽プロデューサーTOMCは、Official髭男dismのアルバムについて「1990年代のASKA槇原敬之〜『幻想の摩天楼』の頃のスティーリー・ダンを思わせる渦巻くようなコード展開+重厚なアレンジ。それでいて一切音楽マニア向けでない現行の青春賛歌。"足し算型"の歌モノでこれに敵うものはそう無い気がする」とコメントした[101]。他、シンガーソングライターのにしな等が1990年代J-POPに似た雰囲気を持った曲を発表している。

同義語[編集]

J-ROCK(ジェイロック)という表記が登場するきっかけとなっている。「日本の」という意味でJ-RAP、J-SOULなどにも「J-」を付ける使い方も一時期流行した。これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、「J-POP」がこれらのジャンルの楽曲も内包する言葉であるともいえる。なお、海外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music(J-music)が一般的である。

方言としてZ-POP(ズィー・ポップ)がある。JFL系列のラジオ局ZIP-FM(愛知)とJFN系列のエフエム熊本(FMK)が用いる言葉で、日本を表す"Zipangu"(ジパング)の頭文字であること、局限定であること(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違いなどがあるものの、J-POPとほぼ同意義である。

参考文献[編集]

  • 烏賀陽弘道『Jポップの心象風景』(文春新書、2005年3月)、
  • 烏賀陽, 弘道 (2005), Jポップとは何か, 岩波新書 
  • 田家秀樹『読むJ-POP 1945-2004』(朝日新聞社、2004年11月)
  • 田家秀樹『ジャパニーズポップスの巨人たち―21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(TOKYO FM出版、2002年8月)
  • 田家秀樹『J・pops―CDで聴く名盤・名曲716』(日本文芸社、1995年3月)
  • 中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書、1999年9月)
  • 横沢千秋・他『日本流行歌史(1960-1994)』(社会思想社、1995年5月)

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ それぞれ前述のZARD,やWANDS, B'z, T-BOLAN

出典[編集]

  1. ^ 烏賀陽 2005, p. 5-6.
  2. ^ 烏賀陽 2005, p. 3.
  3. ^ 烏賀陽 2005, p. 6.
  4. ^ 烏賀陽 2005, p. 15.
  5. ^ 烏賀陽 2005, p. 19.
  6. ^ a b 烏賀陽 2005, p. 7.
  7. ^ 東京新聞「J-WAVE開局20周年…若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから」(2008年9月30日)
  8. ^ 烏賀陽 2005, p. 15-16.
  9. ^ a b 烏賀陽 2005, p. 8.
  10. ^ 烏賀陽 2005, p. 46-51.
  11. ^ 烏賀陽 2005, p. 51.
  12. ^ 烏賀陽 2005, p. 57-59.
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  15. ^ 烏賀陽 2005, p. 37-38.
  16. ^ 烏賀陽 2005, p. 38.
  17. ^ a b 烏賀陽 2005, p. 39.
  18. ^ 烏賀陽 2005, p. 41.
  19. ^ 烏賀陽 2005, p. 39-40.
  20. ^ 烏賀陽 2005, p. 41-43.
  21. ^ 烏賀陽 2005, p. 44-45.
  22. ^ 烏賀陽 2005, p. 45.
  23. ^ 烏賀陽 2005, p. 55.
  24. ^ 『Jポップとは何か』- P.60より
  25. ^ 烏賀陽 2005, p. 61.
  26. ^ 『日本流行歌史』(社会思想社)p.91より
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外部リンク[編集]