鬱林州

鬱林州(うつりんしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から民国初年にかけて、現在の広西チワン族自治区玉林市一帯に設置された。

概要[編集]

665年麟徳2年)、唐により貴州石南興徳鬱平の3県を分割して鬱州が置かれた。666年乾封元年)、鬱州は鬱林州と改称された[1]742年天宝元年)、鬱林州は鬱林郡と改称された。758年乾元元年)、鬱林郡は鬱林州の称にもどされた。鬱林州は嶺南道の桂管十五州に属し、石南・鬱林興業・興徳・潭栗の5県を管轄した[2]

のとき、鬱林州は広南西路に属し、南流・興業の2県を管轄した[3]

のとき、鬱林州は湖広等処行中書省に属し、南流・博白・興業の3県を管轄した[4]

のとき、鬱林州は梧州府に属し、博白・北流陸川・興業の4県を管轄した[5]

1725年雍正3年)、により鬱林州は梧州府から離脱し、直隷州となった。鬱林直隷州は博白・北流・陸川・興業の4県を管轄した[6]

1912年中華民国により鬱林州は廃止され、鬱林府と改められた。1913年、鬱林府は廃止され、鬱林県とされた。

脚注[編集]

  1. ^ 新唐書』地理志七上による。『旧唐書』地理志四は貞観年間に鬱林郡石南県の地に鬱林州が置かれたとする。
  2. ^ 『旧唐書』地理志四
  3. ^ 宋史』地理志六
  4. ^ 元史』地理志六
  5. ^ 明史』地理志六
  6. ^ 清史稿』地理志二十