翼州

翼州(よくしゅう)は、中国にかつて存在した

隋唐の翼州[編集]

本節では、現在の四川省茂県北西部および黒水県東部にまたがった地域に設置された翼州について述べる。

北周のとき、翼州が置かれた。州治は広年県に置かれた。

601年仁寿元年)、により広年県は左封県と改称された。607年大業3年)に翼州は廃止された[1]

618年武徳元年)、により会州を分割して再び翼州が置かれた。623年(武徳6年)、州治が左封県から翼針県に移された。742年天宝元年)、翼州は臨翼郡と改称された。翼針県は衛山県と改称された。758年乾元元年)、臨翼郡は翼州と改称された。翼州は剣南道に属し、衛山・翼水・峨和の3県を管轄した[2]763年広徳元年)、吐蕃に占領された。

金代の翼州[編集]

本節では、現在の山西省臨汾市南東部および運城市東部にまたがった地域に設置された翼州について述べる。

1220年興定4年)、により晋安府翼城県が翼州に昇格した。翼州は河東南路に属し、翼城・垣曲の3県を管轄した[3]

初に翼州は翼城県に降格し、絳州に属した[4]

脚注[編集]

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志四および『新唐書』地理志六
  3. ^ 金史』地理志下
  4. ^ 元史』地理志一