慶陽府

甘粛省の慶陽府の位置(1820年)

慶陽府(けいようふ)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の甘粛省慶陽市一帯に設置された。

概要[編集]

1125年宣和7年)、北宋により慶州が慶陽府に昇格した。慶陽府は永興軍路に属し、安化合水彭原の3県を管轄した[1]

のとき、慶陽府は慶原路に属し、安化・彭原・合水の3県と白豹・大順の2城と茘原堡と安疆・華池・柔遠の3寨と董志・赤城・金櫃・懐安・業楽・五交・景山の7鎮を管轄した[2]

のとき、慶陽府は陝西等処行中書省に属し、合水県を管轄した[3]

のとき、慶陽府は陝西省に属し、安化・合水・真寧の4県と寧州を管轄した[4]

のとき、慶陽府は甘粛省に属し、安化・合水・環・正寧の4県と寧州を管轄した[5]

1913年中華民国により慶陽府は廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 宋史』地理志三
  2. ^ 金史』地理志下
  3. ^ 元史』地理志三
  4. ^ 明史』地理志三
  5. ^ 清史稿』地理志十一