宝慶府

湖南省の宝慶府の位置(1820年)

宝慶府(寶慶府、ほうけいふ)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の湖南省邵陽市一帯に設置された。

概要[編集]

621年武徳4年)、により長沙郡邵陽県に南梁州が置かれた。636年貞観10年)、南梁州は邵州と改称された。742年天宝元年)、邵州は邵陽郡と改称された。758年乾元元年)、邵陽郡は邵州の称にもどされた。邵州は江南西道に属し、邵陽・武岡の2県を管轄した[1]

1225年宝慶元年)、南宋により邵州が宝慶府に昇格した。宝慶府は荊湖南路に属し、邵陽・新化の2県を管轄した[2]

1275年至元12年)、により宝慶府は宝慶安撫司と改められた。1277年(至元14年)、宝慶安撫司は宝慶路総管府と改称された。宝慶路は湖広等処行中書省に属し、録事司と邵陽・新化の2県を管轄した[3]

1368年洪武元年)、により宝慶路は宝慶府と改められた。宝慶府は湖広省に属し、直属の邵陽・新化・城歩の3県と武岡州に属する新寧県、合わせて1州4県を管轄した[4]

のとき、宝慶府は湖南省に属し、邵陽・新化・城歩・新寧・武岡州の1州4県を管轄した[5]

1913年中華民国により宝慶府は廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 旧唐書』地理志三
  2. ^ 宋史』地理志四
  3. ^ 元史』地理志六
  4. ^ 明史』地理志五
  5. ^ 清史稿』地理志十五