府州

府州(ふしゅう)は、中国にかつて存在した五代十国時代からモンゴル帝国時代にかけて、現在の陝西省府谷県一帯に設置された。

概要[編集]

910年天祐7年)、晋王李存勗により府谷鎮が府谷県に昇格した。翌年、府谷県に府州が設置され、折従阮が府州刺史となった[1]

後晋により府州に永安軍が置かれた。後漢は永安軍を廃止したが、後周が再び永安軍を置かれた[2]

1102年崇寧元年)、北宋により府州の軍額は永安軍から靖康軍節度と改められた。1115年政和5年)、栄河郡の郡名を受けた。府州は河東路に属し、府谷県と寧川堡・寧辺寨・寧疆堡・震威城を管轄した[3]1139年紹興9年)、西夏が府州を占領した[4]

1269年至元6年)、モンゴル帝国により府州は廃止され、府谷県は葭州に移管された[5]

脚注[編集]

  1. ^ 資治通鑑』巻284開運元年六月丙午の条の胡注
  2. ^ 新五代史』職方考
  3. ^ 宋史』地理志二
  4. ^ 『宋史』高宗紀六
  5. ^ 元史』地理志三