房州 (中国)

房州(ぼうしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から初にかけて、現在の湖北省十堰市一帯に設置された。

概要[編集]

北周により設置された遷州を前身とする。

606年大業2年)、隋により遷州は房州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、房州は房陵郡と改称された[1]

618年武徳元年)、により竹山県に房州が置かれた。房州は竹山・上庸武陵の3県を管轄した。636年貞観10年)、遷州が廃止されると、房州に統合され、竹山県から光遷県に州治を移したが、光遷県は房陵県と改称された。742年天宝元年)、房州は房陵郡と改称された。758年乾元元年)、房陵郡は房州の称にもどされた。房州は山南東道に属し、房陵・永清・竹山・上庸の4県を管轄した[2]

のとき、房州は京西南路に属し、房陵・竹山の2県を管轄した[3]

のとき、房州は襄陽路に属し、房陵・竹山の2県を管轄した[4]

1377年洪武10年)、明により房州は房県に降格した[5]

脚注[編集]

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志二
  3. ^ 宋史』地理志一
  4. ^ 元史』地理志二
  5. ^ 明史』地理志五