サラスヴァティー

サラスヴァティー
芸術・学問・知恵の女神
サラスヴァティー
ラヴィ・ヴァルマ1896年の絵画『サラスヴァティー』
デーヴァナーガリー सरस्वती
サンスクリット Sarasvatī
位置づけ デーヴィートリデーヴィー
住処 ブラフマロカ英語版
シンボル 数珠ヴェーダヴィーナ
配偶神 ブラフマー
ブラフマー
子供 マヌ
ヴァーハナ 白鳥またはクジャク
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サラスヴァティー, サラスワティーサンスクリット語: सरस्वती, IAST: Sarasvatī)は、芸術学問などの知を司るヒンドゥー教女神である。

日本では七福神の一柱、弁才天(弁財天)として親しまれており、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝えられた。

容姿[編集]

肌は白く、額には三日月の印を付け[1]、白い衣をまとい[2]、4本の腕を持ち、2本の腕には数珠ヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは白い蓮華の上に座る姿[2]として描かれる。白鳥・クジャクはサラスヴァティーの乗り物である。

神性[編集]

サラスヴァティーは水辺に描かれる。サンスクリットでサラスヴァティーとは「水(湖)を持つもの」の意であり、水と豊穣の女神であるともされている。インドの最も古い聖典『リグ・ヴェーダ』において、初めは聖なる川、サラスヴァティー川(その実体については諸説ある)の化身であった。流れる川が転じて、流れるもの全て(言葉・弁舌や知識、音楽など)の女神となった。言葉の神、ヴァーチと同一視され、サンスクリットとそれを書き記すためのデーヴァナーガリー文字を創造したとされる。後には、韻律・讃歌の女神ガーヤトリーと同一視されることになった。

神話[編集]

ヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻(配偶神)である。そもそもはブラフマーが自らの体からサラスヴァティーを造り出したが、そのあまりの美しさのため妻に娶ろうとした。逃れるサラスヴァティーを常に見ようとしたブラフマーは自らの前後左右の四方に顔を作りだした。さらにその上に5つ目の顔(後にシヴァに切り落とされる)ができた時、その求婚から逃れられないと観念したサラスヴァティーは、ブラフマーと結婚し、その間に人類の始祖マヌが誕生した。

また、元々はラクシュミーガンガーと共にヴィシュヌの妃であったが、三人の仲が悪く、後にブラフマーの妻になったという異説もある。

その他異説には、ブラフマーとガーヤトリーとの結婚譚が聖典『パドマ・プラーナ英語版』に出てきており、サラスヴァティーはプライドが高く、高慢な性格の持ち主だったとされる。ブラフマーが神々を集めて祭儀をプシュカルで行なった際、定刻になってもサラスヴァティーは出席しなかった。ブラフマーは使者を派遣してサラスヴァティーを呼んだが、サラスヴァティーは化粧中なので、「もう少し待って欲しい」と返事した。それに怒ったブラフマーは、神々にもう別の妃と一緒に祭儀を執り行いたいと申し出る。すると神々はブラフマーにグジャール族英語版の少女ガーヤトリーを紹介し、ブラフマーはガーヤトリーを妃に迎えて祭儀を執り行った。その後、祭儀の場に到着するサラスヴァティー。サラスヴァティーはこの事態に激怒し「ブラフマーの祭儀は1年に1度しかできない、プシュカルでしかブラフマーは崇拝されない」という呪いをかけたという。

信仰[編集]

サラスヴァティーはゾロアスター教アナーヒターと同起源と推定される。アナーヒターには、ハラフワティー・アルドウィー・スーラー(Harahvatī Arədvī Sūrā)という別名があり、ハラフワティーは言語学的にはサラスヴァティーのペルシア語読みとされるためである。これは偶然の一致ではなく、インド・イラン共通時代から信仰されていた女神が民族の分裂とともに2つに分かれたものではないかとされている。

サラスヴァティーを扱った画像[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 蔡丈夫『インド曼陀羅大陸 神々/魔族/半神/精霊』新紀元社、1991年、91頁。
  2. ^ a b 中村元『東書選書〈3〉仏教語源散策』東京書籍、1977年、123頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]