ヨーガ

庭園に坐すヨーギー

ヨーガ: योग (Yoga_pronunciation.ogg 聞く), yoga)は、古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身、感覚器官を鍛錬によって制御し、精神を統一し、心の働きを止滅させ(不動心)、古代インドの人生究極の目標である輪廻からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである[1][2][3]ヨガとも表記される。漢訳は相合成就精勤修行など、音訳は瑜伽(ゆが)[4]仏教ヒンドゥー教の修行法の源流であり、インドでは宗教・宗派の違いを超え、インドの諸宗教と深く結びつき、バラモン教ヒンドゥー教仏教ジャイナ教等の修行法として行われ、多様な展開を見た[5][6]。ヨーガは、インド的・仏教的な伝統において、悟りに至るための精神集中や心の統一を伴う行法自体と、その世界をトータルに表す言葉である[7][5][6]

静的な瞑想であるヨーガの流れとは別に、密教ではタントラ的ヨーガが行われた。仏教がヨーガを重視することでヒンドゥー教のヨーガとの融合が進み[8]、10-13世紀には、活動的・身体的変容論を含む、タントラ的で動的なヨーガであるハタ・ヨーガがある程度完成をみている[9][10][11]

また、智慧のヨーガ、神への信愛のヨーガ、行為のヨーガといった宗教実践の道の意味でも用いられる。

1990年代後半から世界的に流行している、身体的ポーズ(アーサナ)を中心にしたフィットネスのような「現代のヨーガ」は、宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているが、宗教的実践である「本来のヨーガ」とは別の潮流である[6]

概説[編集]

森林に入り樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは紀元前に遡る古い時代から行われていたと言われている[12]。古ウパニシャッドの『カタ・ウパニシャッド』では、感覚器官(インドリヤ、感官)の堅固な総持(制御)がヨーガであるとされており[13]、インドの宗教・仏教の研究者奈良康明は、ヨーガを簡潔に説明すると、呼吸を調整しながら、あるものを思念瞑想し、ついには恍惚状態となってその対象と合体する技法であるとしている[14]。インド哲学研究者の島岩は、基本的に意識を一点に集中する瞑想の技法であり、心の働きを止滅させることを目的とすると説明している[3]。インド思想研究者の保坂俊司は、インド的・仏教的な伝統においては、悟りに至るための精神集中や心の統一を伴う行法自体と、その世界をトータルに表す言葉として「ヨーガ」があり、密教の手法を含めた瞑想法、念仏唱題座禅[† 1]など 仏教の行のすべてはヨーガの範疇に入るとしている[7]

ヨーガは元々、肉体の訓練と精神の修練が固く結びついた宗教的救済技術であり、解脱や宗教的至福を目的とする[16]。身心の諸訓練と健康の保持を目的とする実際的な「技術」という性格が強いが、当初は健康を目的とはしていなかった[17][18]

梵我一如を達成し再度の死(輪廻)を脱する解脱は、伝統的に特定のバラモンのみが行える祭式の力によって可能になるとされていたが、誰でも実践できる修行、苦行によって、のちにヨーガ(静的なヨーガ)によって達成できると考えられるようになった[19]。ヨーガの伝統は紀元前7 - 6世紀頃に萌芽がみられるが、ヨーガという言葉及び思想は、インドの長い歴史においては比較的新しいものである[20][21]

ヨーガはインドの諸宗教で行われており、仏教各派でもそれぞれ独自の修行法が発展した[5]。紀元前4 - 6世紀には、仏教の開祖であるブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦)、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大雄)が、当時はまだ未発達だったヨーガの伝統に沿って瞑想修行を行っており、ジャイナ教でもヨーガの修行は必須となっている[2][22]。 仏教でいう禅定止観、またはマンダラを用いた瞑想法なども広義のヨーガといえ、ヨーガの行法は中国・日本にも伝えられた[23]

初期仏教 - 大乗仏教におけるヨーガ

個体の精神的至福を追求するヨーガの行法は、初期仏教において重視された[24]。仏教が誕生し衰退するまでの5・6世紀 - 10・13世紀には、インドのヨーガにおいて仏教のヨーガが主流もしくは大動脈の一つであった[25]。古ウパニシャッド時代の初期には、正統バラモン階級は解脱の可能性は祭式によって生じるものだと考えており、個人がヨーガの実践を通して智慧を得て解脱する道は、仏教のような(正統バラモン階級から見て)異端の集団でまず重視されるようになった[26]。保坂俊司によると、ブッダはヨーガを万人に解放された智慧による解脱の道として重視して再構成し、大転換をもたらした[27]

ヒンドゥー教(バラモン教)の古典ヨーガの発展に先行し、3 - 5世紀のインドの大乗仏教では、ヨーガの実修を好む瑜伽師(ゆがし、ヨーガ行者)によって、般若の思想と修行者のヨーガの最中の体験をベースに、徹底した主観的観念論の哲学体系を構築した瑜伽行唯識派(瑜伽行派、ヨーガチャーラ)が生まれた[28][29][22]。彼らはヨーガの実修を通じ、人間が日常的に経験する事象はすべて心が作り出したイメージでしかなく、心そのものは存在せず、根源的な心識のみが唯一の実在である(唯識)と説き、この唯識観を理解し己のものとし最終的に悟りの境地に到達するには、ヨーガによる段階的な実践があってはじめて可能になるとした[30]

日本には仏教の修行法としてヨーガが伝わり、長い伝統を持つが、日本人の伝統精神がインドのヨーガに通じていると認識している日本人はほとんどいない[25]

バラモン教(ヒンドゥー教)の古典ヨーガ

勢いが衰えていたヴェーダの宗教が仏教や土着の信仰を取り入れて生じたバラモン教ヒンドゥー教)もまた、個体の精神的至福の追及を重視するようになった[24]。正統バラモン教のヨーガ(古典ヨーガ)は、4-6世紀頃に体系化されたと考えられている[31]。古典ヨーガによる解脱を目指すヨーガ学派(瑜伽派)の教典『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』が現在に残されているが、ヨーガの萌芽がみられた紀元前6-7世紀から1000年以上後に成立している[20]。ヨーガの発祥からかなりの時間が経過しており、ヨーガ学派の伝統の中には様々な瞑想体系が取り入りこまれ、仏教の影響がうかがえる[20][24]。仏教の理論がバラモン教のヨーガの体系付けに取り入れられたと考えられており、バラモン教と仏教は相互の影響が強く、不可分の関係であるといえる[32]。しかし、『ヨーガ・スートラ』が仏教の影響を受けていることは、インドのヨーガ関係者の間ではあまり重視されていない[33]

『ヨーガ・スートラ』前後に成立した後期の古ウパニシャッドは、ヨーガの実践を説くことが大きな特徴の一つであり、正統バラモン教ではヨーガ学派に限られずヨーガが行われた[34][† 2]ウパニシャッド梵我一如思想の流れをくむ解脱への道ジュニャーナ・マールガ(智道、知識の道)では、感覚器官を抑制し、輪廻の根源となる行為、さらにその根源である欲望を断つ必要があったため、感覚器官と心の動きを抑制するヨーガは解脱への手段として重視された[14][† 3]。とはいえ、ヨーガ学派はヨーガ自体を解脱への方法と見做したが、ヒンドゥー教全般で見ると、ヨーガは解脱への道の一種の補助的な手段に過ぎない[14]

中世のタントラ的ヨーガ

ヒンドゥー教の修行者は苦行を行ったが、苦行は苦行者だけでなく、祭祀においても浄め等のために行われたので、祭祀を通じて一般化し、ヨーガも影響を受け、後代では苦行が採用されるようになった[35]

ヒンドゥー教での救いへの道は上位カーストの男子に限られ、中世には、下層民にも救済の道を開こうと、人格神への熱狂的信愛であるバクティ、現世を肯定し欲望を解脱のエネルギーに変換しようという民衆のタントラの宗教的潮流が生じた[36]。タントラ化した仏教である密教では象徴を用いて仏と合一(ヨーガ)することが目指されたが、8世紀になると、ヒンドゥー教シャークタ派シャクティ(性力)信仰から影響を受けたとされる男性原理と女性原理の合一を目指すタントラ仏教(後期密教)が登場し、性ヨーガも実践された。

タントラの潮流の中で、ヒンドゥー教ヨーガもタントラ化し、性的・動的な要素を持つヨーガとなった。肉体的・生理的な鍛錬(苦行)を重視し、気の流れを論じ、肉体の能力の限界に挑み、大宇宙の絶対者ブラフマンとの合一を目指すハタ・ヨーガ[2]とそのヴァリエーションである[37]。「ハタ」は「力、暴力、頑固」などを意味する[37]。ハタ・ヨーガの教義的意味は、シヴァとシャクティ、太陽と月、個体と宇宙などの二元を速成なる統合を行う「速成の」ヨーガである[38]。ハタ・ヨーガはヨーガの密教版ともいうべきもので、11-12世紀のシヴァ教ナータ派英語版(ナート派)のゴーラクシャナータ英語版(ヒンディー語でゴーラクナート)を祖とし[37]、ナータ派は半仏教徒的な、半シヴァ派的な両者の混じり合った形態だった。ムドラー(印相)や、プラーナーヤーマ(調息、呼吸法)、シャットカルマ(浄化法)などの身体的修練を重視し、肉体こそ解脱を現証すべき聖地であり、肉体の鍛錬が唯一の儀礼であると説いて、正統派ヒンドゥー教の神像の礼拝儀礼や聖地巡礼を形骸化した形式主義と批判した[39]

ハタ・ヨーガの主張はヒンドゥー教のシヴァ派やタントラ仏教(後期密教)の聖典群(タントラ)、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者の書)』の説と共通点が多く、プラーナ(生命の風、)、ナーディー英語版(脈管)、チャクラ(ナーディーの叢)が重要な概念となっている[2]。ハタ・ヨーガとチャクラの理論が密接に結びついているのに対し、古典ヨーガとチャクラの理論に直接の関係はない[40][41]。仏教もタントラを取り入れ密教(仏教タントラ)が生じたが、ヒンドゥー教のタントラより密教の様々な教派が先行して発展おり[42]、ハタ・ヨーガの身心観は、密教のヨーガにもみられる。性的観念を用いる密教の性ヨーガは、インド密教からチベット密教に受け継がれた。

現代のヨーガ

今日ヨーガと呼ばれるものの多く動的なヨーガだが、伝統的なハタ・ヨーガの流れとは別である。1990年代後半から、身体的ポーズ(アーサナ)に重点を置いたヨーガがアメリカ、イギリスなどの英語圏を中心に世界的に流行している[43]。現代では、一般に“ヨーガ(ヨガ)”または“ハタ・ヨーガ“と呼ばれるものの多くは、このヨーガを指している。この近現代のヨーガは、日本においてもアメリカなどの影響により、今世紀に入って爆発的な広がりを見せている。その特徴は「アーサナ(ポーズ)」の実践にある。宗教学者のエリザベス・ド・ミシェリスはこうしたヨーガを「現代体操ヨーガ(Modern Postural Yoga)」と呼んでいる[44]。この現代の「ヨーガ教室」等で教えられているヨーガは、20世紀前半のインドで西洋の体操やボディビルディングなどの外来の身体鍛錬英語版を取り入れてインド人のための国産エクササイズを作ろうとする動きから生まれた「創られた伝統」を直接的な起源としており、マーク・シングルトン英語版は、現代のヨーガと元来のヨーガにおける「yoga」とは似て非なる「同音異義語」であると評している[45]

このヨーガは、アメリカで「スピリチュアルな実践」とも解釈されている[43]。多くの現代人はヨーガに「インド古来の、何か難しいポーズをとる、健康に良いらしいもの」というイメージを持っており、現代ヨーガは流派によって練習内容が異なりはしても、「古代インドの修行法」「アーサナ(ポーズ)・呼吸(プラーナーヤーマ=調息)・瞑想」」、「科学的に検証された健康に良い効果」という3点から構成され、この神話的要素ともいえる3つの絡み合いが魅力になり、人気を博していると思われる[46]。しかし、現代ヨーガのチャクラ理論は、西洋人オカルティストによってハタ・ヨーガの身心論をもとに20世紀にアレンジされたものであり、古代インドの概念ではない[47]。ヨーガの歴史は、古来より続く、時代を超越した一つの伝統的な修行法というロマンティックな物語として、一般に(特にマーケティング戦略として)かなり広まっているが、こうした物語は西洋人のロマンティックなオリエンタリズムや東洋学の影響を受けている[48]。もともと宗教的実践であったヨーガは対価を払って習うような「商品」ではなかったが、広くブームになっている現代のヨーガは、専門スタジオやフィットネス・クラブにおいて有料で提供される「商品」となっている[49]

近現代のヨーガの歴史に関する研究は、エリザベス・ド・ミシェリス、ジョセフ・アルター英語版、マーク・シングルトンなどの学者によって、この20年の間に着実に発展してきた[48]。主にインドのイギリス植民地時代の最盛期からの発展と変容に焦点を当て、18世紀から21世紀までの実践と思想の流れを探求し、今日一般的にみられるヨーガがどのように徐々に形成されたのか解明されてきた[48]。こうした研究により、ヘンリー・トーマス・コールブルックのような東洋学者、ヴィヴェーカーナンダといったインドの著名人、そして神智学協会、ヨーロッパのボディビル体操のグループまで、多様な団体の影響が明らかになってきている[48]

健康への効果と危険性

現代ヨーガは、健康法として多くの効果が喧伝される一方、心身に対する様々な危険性も指摘されている[50][51]

現代ヨーガの利便性と危険性

また現代では、様々な文献が翻訳・執筆され容易に入手できるので、書籍や映像により独習されることも少なくない。ヨーガを取り入れていたオウム真理教の教祖麻原彰晃は、正規のグルにつかず文献を基に独学で修行している。しかし、このことがのちに様々な問題を生ぜしめた要因の一つであるとも言われている[52][53]。その一方、アヌサラ・ヨーガ英語版ビクラム・ヨーガといった巨大ヨーガ教室のトップがセクハラ、パワハラ、性犯罪で告発されるなどの権力の乱用もあり、商業化された現代のヨーガで、指導者に帰依することは妥当かどうか疑問も持たれている[54]

欧米・日本における女性化

ヨーガはインドでは伝統的におおむね男性のものであり、現在もインドでは指導者の大部分が男性であるといわれるが、欧米では指導者も実践者も主に女性で、女性的な実践として受容されている[55][56]。日本では、オウム真理教事件後にイメージを一新しようとフィットネス的ヨーガを若い女性にターゲット広め、流行したため、この傾向がさらに顕著であり、都市部より地方で極端に女性実践者が多い[56]。現代日本のヨーガでは、「美」の観念が強調され、マタニティ・ヨーガや親子ヨーガなど妊娠・出産という生殖を中心とした女性身体への意味づけをめぐる実践が活況である[56]。また、ヨーガは伝統的に性とのつながりが強く、欧米ではヨーガの実践でセックスが向上するという考えはよく見られ、それを目的にヨーガを行う人も少なくないが、日本では生殖に直結する文脈を除き、性的な要素はほぼ完全に排除されている[56]

「ヨーガ」という言葉[編集]

サンスクリット語のヨーガ (योग) は、「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」という意味の動詞 根√yuj(ユジュ)から派生した名詞で、「結びつける」という意味もある[12]。つまり語源的に見ると、牛馬を御するように心身を制御するということを示唆しており、「軛(くびき)」を意味する英語yokeと同根である。『リグ・ヴェーダ』では、精神統一や瞑想を意味する yoga の用法はほとんど見られない[57]。バラモン階級を中心に伝承されたのは祭式(祭儀)や呪術を中心とする信仰であり、アーリア人が祭祀に行うことで目指したのは yoga-kṣema(労働と休息、獲得と所有)であり、一般的に言うと「幸せ」「快適」であったといえる[57]。この場合の yoga は、幸せを獲得することであった[57]。「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」から派生し、乗り物、実施、適用、手段、方策、策略、魔術、合一、接触、結合、集中、努力、心の統一、瞑想、静慮(じょうりょ)という意味がある[4]。最初は具体的にものを結び付けるという意味で使われ、次いで抽象的なものの結びつきについて使われるようになり、さらに心と対象との結びつきを意味するようになったと考えられる[4]

ヨーガが発展し体系化していった初期には、心を三昧に結び付けるというように「結合」「合一」を意味しており、『ヨーガ・スートラ』は「ヨーガとは心の作用のニローダである」(第1章2節)と定義している[16][58](ニローダは静止、制御の意[59])。森本達雄によると、それは、実践者がすすんで森林樹下の閑静な場所に座し、牛馬に軛をかけて奔放な動きをコントロールするように、自らの感覚器官を制御し、瞑想によって精神を集中する(結びつける)ことを通じて「(日常的な)心の作用を止滅する」ことを意味する[12]

ヨーギニー女神の像、10世紀

日本では一般に「ヨガ」という名で知られているが、サンスクリットでは「यो」(ヨー)の字は常に長母音なので「ヨーガ」と発音される[† 4]。漢訳は相合成就精勤修行など、音訳は瑜伽(ゆが)[4]。中国で瑜伽は瑜伽行唯識派の呼称でもあったため、区別のためか、修行法としてのヨーガを指す言葉としてはあまり使われていない[60]

古典ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)やハタ・ヨーガという時のヨーガが指しているのは、行法でありその体系であった。古典ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』よりも古いヨーガを伝える『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典でもあるが、ここでのヨーガの用法は『ヨーガ・スートラ』より広く、宗教実践の道や方法、修行全般をも意味すると解釈できる[61][16]。仏教ではヨーガという言葉は、修行の正しいあり方といった意味でも使われていた[62]

ヨーガの行者は日本では一般にヨーギーまたはヨギと呼ばれるが、ヨーガ行者を指すサンスクリットの名詞語幹は男性名詞としてはヨーギン (योगिन्、瑜祇)、女性名詞としてはヨーギニー (योगिनी、瑜伽女) であり、ヨーギーはヨーギンの単数主格形(日本語にすると「一人の男性行者は」)に当たる[63]。インド研究家の伊藤武によると、サンスクリット語のヨーギニーに「ヨーガをする女性」の意味はない[64]。現代日本ではヨーガを行う女性を俗にヨギーニと呼ぶことがあるが、前述のようにサンスクリットでは「ヨー」は常に長母音なので、女性名詞はヨーギニー (yoginī) であってヨギーニではない[65]。ヨギーニは英語読みに由来する発音だと説明する本もあるが[66]、英語の発音は /'joʊgəni/ (ヨウギニ)または /'joʊgəniː/ (ヨウギニー)である。ヨギーニという日本固有の新しい呼称には、ヨーガに付いたオウム真理教のイメージを払拭しようというヨーガ関係者の意図があるようである[49]

修行者は男性であった[† 5]タントリズムの性的ヨーガにおいて、男性行者の性行為の相手をする女性がヨーギニーと呼ばれていた[† 6]。南インドで、親が娘を神殿や神(デーヴァ)に嫁がせる宗教上の風習デーヴァダーシー(神の召使い)の対象となった女性もヨーギニーと呼ばれた[75]。彼女たちは伝統舞踊を伝承する巫女であり[76]神聖娼婦、上位カーストのための娼婦であった[75][77](1988年まで合法であった[75])。

インドの歴史[編集]

ヨーガ以前[編集]

紀元前2500-1500年頃の彫像

ヨーガの起源には不明な点が多く、その成立時期を確定することは難しい。ヨーガの起源を最も古くに見るものは、紀元前2500年-1800年のインダス文明に、その遠い起源を持つとするもので、これは20世紀初頭の考古学者達によって考え出されたものである[78]。1921年にモヘンジョ・ダロハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらは、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈した[78]。そこから宗教学者エリアーデも、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした[78]。近代に至るヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている[78]。日本で出版されているヨーガに関する書物でも、インダス文明にヨーガの起源をみるとする立場を取るものも多い。

しかし、佐保田鶴治も指摘するように、このような解釈は、あくまで推論の域を出ないものであるという[79]。インダス文明には、文字らしきものはあっても解読には至っておらず、文字によって文献的に証明することのできない、物言わぬ考古学的な史料であり、全ては「推測」以上に進むことはできない、と佐保田は述べている[79]。また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている[80]。近年、このようなインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており[81]、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。

インダス文明は、アーリア人のインド侵入とともに衰退したともいわれる。アーリア人が紀元前12世紀頃に編纂した『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダの時代には、「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としてのヨーガを指す用例はない[82]。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている[83]。その後、先住民(ドラヴィダ人)の土着信仰がアーリア人の正統バラモン思想圏に取り入れられる中で、瞑想や修行を基礎とする宗教的な行為としてのヨーガの思想実践が発展していったと思われる[16]

広義のヴェーダ文献の最後に当たるのが、ウパニシャッド(奥義書)であり、バラモン教の一群の聖典を指す言葉である[84]。ウパニシャッドの基本思想は、多様多彩で変化し続けるこの現象世界には、唯一不変の実体(ブラフマン、梵)がその本質として存在し、人間の個体の本質(アートマン、我)はブラフマンと同一であるという梵我一如の思想である[84]。個人の本体は大宇宙の本体と同一であり、何らかけたところのない自身の本体を把握する者は、大宇宙の本体を我が物とできると考えられた[84]。こうした実感は、ウパニシャッドの哲人たちにより詩のような形で断片的に語られていたが、徐々に論理的に整理されていった[84]

ウパニシャッドの時代では、単語としての「ヨーガ」が見出される最も古い書物は、紀元前500年-紀元前400年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[85]。この書では、ヨーガという語は「ヨーガ・アートマー」という複合語として記述されているが、そのヨーガの意味は「不明」であるという[85]。紀元前6世紀から4世紀に成立したと考えられる『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの実践はまだ明確に定義されていない[86]

紀元前5世紀には、ガンジス川平地で政治的経済的な発展があり、小さな国の首領だったものクシャトリア(王族・武士)階級は、新たに生まれた都市の支配者層になり、ヴァイシャ(商人)階級は、経済発展に伴って富を蓄積し力を得た[87]。世襲の祭祀階級であったバラモンは、諸神崇拝の祭祀・呪術を担っていたが、その祭祀主義は形式化し、それまでの権威を失っていた[87]。クシャトリアとヴァイシャは、バラモン階級の人々と同様またはそれ以上の社会的地位を彼らに与える新しい宗教に関心を持った[87]。世俗を離れて出家しさまざまな新しい思想を展開する宗教者たちが現れ、彼らは沙門(サマナ、励む人の意味)と呼ばれた[87]。このような中生まれたのが、仏教ジャイナ教であり、開祖のブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦。紀元前5世紀頃)とマハーヴィーラはともにクシャトリヤ出身で、紀元前5世紀頃の人物である[87]。仏教とジャイナ教は、ともに正統バラモン教からは異端とされている。

仏教[編集]

ブッダの像

ブッダは当時禅定の第一人者と言われていた二人のバラモンから、無所有処定(心を静めて何らこだわるところがないという禅定(精神集中のヨーガの瞑想))と、非想非非想処定(何かを心の中に思っているのではなく、また思っていないのでもないという禅定)に学び、すぐに師と同じレベルに達した[88]。しかし、この種の精神集中のヨーガ、集中による無念無想の無思考は、心理的な心の鍛錬ではあり、瞑想の間だけは無欲望になるが、それ自体は盲目的であり、瞑想中にあたかも「不動の境地を得た(悟り)」または「不動の真理に合一した」と感じても、瞑想が終われば再び心は動揺してしまう[89][90]。一時的なものであり、ブッダはこのやり方では安らぎの境地(涅槃)、世界存在の根本を貫く真実である悟りに達することはできないと感じ、師の元を離れた[88][89]

続いて6年の間、禅定と並ぶ実践修行であった苦行(タパス)を行った[88]。呼吸の抑制法、断食などの苦行と共に瞑想も行い、これまで以上に精神統一を行ったが、満足できる境地に至ることはできなかった[91]。青年時代に父と主に農耕の祭りに外出した際に、樹の下に坐して初禅(身心一致し安定した状態)に達したことを思い出し、体を癒し、菩提樹の木の下で瞑想し、悟りに至った[88]

心の働きを止滅させるヨーガの瞑想を「(サマタ)」と呼ぶが[22]、ブッダはこの行法により、人間の「苦」の根本原因が「無明」であることを自覚し、「十二因縁」を順逆に観想する「(ヴィパッサナー)」によって「無明」を脱したとされる[22]。経蔵中部の『聖求経』に説かれるところによると、ブッダが悟りに至るまでの段階は、尋(省察作用)・伺(考察作用)・喜(喜び)・安楽(安らぎ)のある瞑想から、不苦・不楽・自然清浄に至るまでの4段階の四禅と、無変な虚空を思い念ずる境地(虚空無辺処)、認識作用の無辺さを思い念ずる境地(識無辺処)、無所有を思い念ずる境地(無所有処)、非想非非想処定、思いや感覚の働きが止滅し、智慧によって観じ煩悩が完全に滅した境地(想受滅)までの9段階に整理されるであろうと考えられる[92]。ブッダの悟りの内容には複数の伝承があるが、要するに、智慧慈悲心を獲得し、解脱に至ったとされている[88]

仏教は、ヴェーダの祭祀思想を個人化、内面化した先に成立した[93]。当時の修行者の多くは、呪力の獲得、天界への再生、無限の至福の獲得といった現実的で個人的な目的をもって修業を始めたが、ブッダは「善」という抽象的かつ普遍的なものを求めて出家し、そこには個人的救済観を超えた普遍性があった[94]。これは、彼が王子であったことが大きく影響していると思われる[94]。ブッダの意識の中に倫理性を問題としない現世利益や来世利益を追求する呪術的なヨーガはなかったと思われ[95]、仏教はバラモン教のような祭祀を認めず、祭祀文献は一切受け継がなかった(ただし、のちにタントラを取り入れた密教は祭祀を行うようになった)[93]

呪術性が強く、集中の行であったヨーガは、ブッダによって、徹底観察・考察を目指す、智慧の獲得のための行というパラダイムの転換がなされた[89][91]。仏教の瑜伽行(ヨーガ)は、ブッダが悟った「止」と「観」が同時に行われる止観である[22]。ヨーガ観法(瞑想法)を取り入れて、この祈りと瞑想の技術が多様に発展したことが、仏教の特徴であるといえる[96]。また、バラモン教に先行して、哲学的思索を深め教理体系(論蔵=アビダルマ)を作り上げている[93]

仏教で出家者は、日常生活において従うべき実践的規律「(シーラ)」を守り身心を拘束することで欲望の制御を学び、瞑想すなわちヨーガ観法「(サマーディ。静慮、禅那、禅定、思惟修とも)」を実践するという2つの「修行」の過程を経、仏教哲学の理論「」(パンニャー、般若)を学ぶ[97]。この「三学」によって悟りを得ることを目指す[97][96]。仏教では、悟りに導く智慧(聞思修、洞察)を修行の段階によって分類しており、他人から教えを聞いて了解する智慧(聞所成慧)、道理を考察して生ずる智慧(思所成慧)、瞑想の実践によって体得する正しい智慧(修所成慧、観想)の3つがある[98]。悟りは思考で到達できるものではなく、瞑想の実践によって生じる智慧によって到達できると考えられているため、修所成慧が最も重視されている[98]

瑜伽行唯識派の開祖といわれるマイトレーヤナータ(弥勒)

西暦前3世紀半ばからの約550年間、根本分裂の後に生まれた部派仏教の繁栄と、大乗仏教の発展がみられた。3 - 5世紀のインドの大乗仏教では、ヨーガの実修を好む瑜伽師(ゆがし、ヨーガ行者)によって、般若の思想と、修行者のヨーガ行の最中の体験、外界の存在や心象が消えうせ根源的な心識のみが唯一の実在として残る(唯識)体験を教義のベースとした思想体系が生まれた[22]。この学派は瑜伽行唯識派(瑜伽行派、ヨーガチャーラ)と呼ばれ(ヨーガ学派と呼ばれることもあるが、バラモン教のヨーガ学派とは別である[32])、中観派と並び大乗仏教思想の中核の一であった(中観派では観行という行法が行われた)。瑜伽行唯識派の基本的論書として『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ(瑜伽師地論)』がある[28]。『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ』では「信・欲・精進方便」がヨーガであるとされ、正行(悟りを得るために実践しなければならない正しい修行)の要件がすべて含まれるとされる[62]

瑜伽行唯識派は、外界の対象の存在を否定し、人間が日常的に経験する事象はすべて心が作り出したイメージ(相)にすぎず、心そのものは存在せず、全てはイメージを作るものと作られるものの仕組みに還元されるという徹底した主観的観念論の哲学体系を作り、諸事象を現象せしめる原動力としてアーラヤ識(阿頼耶識、根本蔵識)を創案した[29][22][28]。瑜伽行者の止観行の深まりのプロセスとして、「資糧位」・「加行位」・「通達位」・「修習位」・「究竟位」の「五位」が説かれた[99]

瑜伽行唯識派は、中国の玄奘を通じ、日本の法相宗の伝統に連なる[29][22]

7世紀の法相宗の僧である円測(玄奘の門下)は『解深密経疏』で、一切乗(上座部仏教と大乗仏教)の境(対象)・行(方法)・果(結果)のすべてが広義の瑜伽に含まれ、狭義には止観であるとしている[62]

ジャイナ教[編集]

古典ヨーガ以前[編集]

ヨーガを本格的に扱うウパニシャッドは、仏教の影響を受けて成立しており、ブッダ以後に成立した「中期ウパニシャッド」では、ヨーガの技法と初期ウパニシャッド以来の形而上学が合わさり、ウパニシャッドで初めて禅定三昧などの行法が記載された[100][101]紀元前350年-紀元前300年頃に成立したのではないかとされる「中期ウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド(カータカ・ウパニシャッド)』には、ヨーガの最古の説明が見い出すことができる[102]。ヨーガが初めて内面的修養法をはっきりと指すようになり、知覚器官、マナス、ブッディが徹底的に統御された状態がヨーガであり、それが最上最高の境地であり[20]、自己認識がヨーガの崇高なる目的であるとされている[86]。『その原因が、サーンキヤとヨーガによって到達されるべきものである神と知って、一切の束縛から解放される。』という記述があり、サーンキヤとヨーガが解脱へ導く方法の一つであると考えられていたと推察される[103]。その後、後期ウパニシャッドの 『Cvetacvatara-Upanisad』において、呼吸の統御について書かれ、コントロールが困難な馬を繋いだ車を御するようにマナスを抑制し、呼吸を統御し、整えながら、鼻から息を吐くという方法が示された[20]

紀元前後の『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典でもあるが、ヨーガ行者は一人で修業すべきであり、節度ある生活をし、ヨーガ修行が進んで心が統一されると、理想的な寂静に至ると説かれている[104]。仏教と同じく苦行は否定されており、ウパニシャッドよりもさらに中庸である[104]。『バガヴァッド・ギーター』では、カルマ・ヨーガ(行為の道)、ジュニヤーナ・ヨーガ(知の道)、バクティ・ヨーガ(信の道)が説かれ、これらは独立した道として説かれていると思われがちだが、3つのヨーガの総合が理想として提示されている[105]

しかし、ヨーガの目的が崇高なものであるとされるにもかかわらず、宗教学者のエリック・デントンによると、ほとんどの初期のサンスクリット文学では、ヨーガによって超自然力(シッディ英語版、超能力)を備えたヨーギーたちは、悪役として描かれている[86]。ヨーガを通して「アートマンとブラフマンが同一である」と悟る前に、かなりの超自然力が身につくと考えられており、ヨーギーが持つ力として、人間や動物の体や死体に入り込んでコントロールする力がよく知られていた[86]。他に、飛ぶ、心を読む、透明になる、過去の命を呼び覚ますといった能力を持つヨーギーが描かれているが、超自然的な力はほぼ悪用されて描かれていた[86]。17世紀までヨーギーは、おおむね黒魔術師や魔法使いとして描かれており、恐れられていたことが伺える[86]

古典ヨーガ[編集]

パタンジャリの典型的な像

ウパニシャッド聖典において(カルマ)と解脱の思想が確立してからは、それにさまざまに哲学的解釈が試みられ、紀元前後にはヴェーダの権威をある程度認めるブラフマンたちによって、古典ヨーガを体系化し実践したヨーガ学派、ヨーガ学派の兄弟学派といわれるサーンキヤ学派など、いくつかの学派(宗派)が成立した[106][106]。(これらは正統バラモン教とも呼ばれるが、ヴェーダ聖典の権威と明確に対立していない学派に対するおおざっぱなくくりであり、名目的な分類に過ぎない[106]。ヨーガ学派は、現代ではダルシャナ(インド哲学)のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに位置づけられている。六派哲学という言葉は古いが、もともと取り上げられる六派は一定しておらず、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ミーマーンサー学派、バイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派、ヴェーダーンダ学派を六派哲学と呼ぶことは、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラー木村泰賢に始まると思われる[107]。)

記録に残るヨーガの最初の体系は、『マイトリー・ウパニシャッド』に記されている六支の体系であると考えられる[20]。六支はプラーナーヤーマ(調気法)、プラティヤーハーラ(制感)、ディヤーナ(静慮)、ダーラナー(凝念)、サマーディ(三昧)の5つがのちの『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』の八支と共通で、ヤマ(禁戒)、ニヤーマ(抑制)、アーサナ(座法)は存在せず、代わりにタルカ(思慮)が含まれる[108]。つまり、元々ヨーガ行者が生活において守るべき節制や瞑想を行う際の外的な条件はなく、後から付け加えられたということである[108]

紀元後4-5世紀頃には、『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』が編纂された[109][110]。同書はヨーガ学派の教典である。瞑想を主な命題とし、簡潔な短文で構成されており、4章から成る。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという[109]。『ヨーガ・スートラ』の編纂者はパタンジャリとされているが、彼のことはよくわかっていない。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーガの萌芽がみられた紀元前6-7世紀から1000年以上後に成立しており、ヨーガ学派のヨーガには様々な瞑想体系が取り入りこまれている[20]。内容は様々な素材や群小教典をまとめたものと考えられ、主に心の形而上学的問題を扱う第4章は、仏教、特に大乗仏教瑜伽行唯識派(瑜伽行派、ヨーガチャーラ)への反論がなされているため、ほかの3章より後にできたという意見もある[111]

サーンキヤ学派の世界観。プルシャの観照を契機にプラクリティから現象世界(物質世界)が展開している。ヨーガ学派は、ヨーガによりプルシャとプラクリティの関係を断ち独存の状態に戻すことを目指す。

ヨーガ学派のヨーガの目的は、ヨーガにより輪廻から解脱することである。ヨーガ学派の世界観・形而上学は、大部分をサーンキヤ学派に依拠しており、プルシャ(純粋精神、神我)とプラクリティ(根本物質、自性)の二元論である。ヨーガ学派では最高神イーシュヴァラの存在を認める点が、サーンキヤ学派と異なっている[2]。『ヨーガ・スートラ』と同時期と思われる4-5世紀に編纂されたサーンキヤ学派の『サーンキヤ・カーリカー』が残されており、これが現存するサーンキヤ学派の最古の原典である[112]。ヨーガ学派には、仏教、ジャイナ教、サーンキヤ学派の影響がみられ、さらに最高神イーシュヴァラへの祈念であるイーシュヴァラ・プラニダーナ英語版に念神思想が認められ、非常に複雑な成り立ちであることが分かる[113][111]。『ヨーガ・スートラ』の思想は、仏教思想からも多大な影響や刺激を受けており[114][115]、仏教の理論はヨーガの体系の構築に用いられた[32]。石橋丈史はヨーガ学派と瑜伽行唯識派の文献を分析し、両者に親密な交流があった可能性を指摘している[116]

『ヨーガ・スートラ』は、現代のヨーガへの理解に多大な影響を与えており、国内外のヨーガ研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがある。マーク・シングルトンは、『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないと指摘し、『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」とする理解に注意を促している[117]。佐保田鶴治は、サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』であると述べている[118]雲井昭善は、ヨーガ学派の設立には、ヴィヤーサ(Vyasa、5 - 6世紀)の註釈書『ヨーガ・バーシャ』(バーシヤ、Yoga-bhashya)の影響も大きく、同書は『ヨーガ・シャーストラ』と呼ばれ『ヨーガ・スートラ』と同じくらい重んじられたと述べている[119]。『ヨーガ・バーシャ』や、これに対するヴァーチャスパティ・ミシュラ英語版(10世紀頃)の復注である『タットヴァ・ヴァイシャーラディー』には、仏教、ジャイナ教と共にサーンキヤ学派の影響が濃くみられる[120]。ヨーガ学派は、『ヨーガ・スートラ』とこれらを含めた数多の注釈類を含めて言うのが一般的である[120]

『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。

ヨーガとは心の作用を止滅することである (『ヨーガ・スートラ』1-2)
その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)[121]

心の作用を止滅することは、古典ヨーガのオリジナルの教えではなく、インドにおいては早くからウパニシャッドに見られ、仏教やサーンキヤ学派(数論派)など、伝統ある多くの教えで重要な課題として取り組まれてきた[122]。心の働きを止滅させると、感覚器官(五官)によって認識される外界の対象、物理的現実、身体が消え去り