長崎電気軌道2000形電車

長崎電気軌道2000形電車
2001号(空調更新後)
基本情報
運用者 長崎電気軌道
製造所 川崎重工業アルナ工機[1]
製造年 1980年[1]
製造数 2両[1]
運用開始 1980年8月9日
引退 2014年3月
廃車 2014年(2001号)[2]
主要諸元
軌間 1,435 mm(標準軌
電気方式 直流600 V[1]
車両定員 66人(座席22人)[1]
車両重量 17.0 t[1]
最大寸法
(長・幅・高)
11,700 × 2,250 × 3,830 mm[1]
車体 全金属製[1]
台車 住友金属工業
FS-82/FS-82T[1]
主電動機 直流直巻電動機[3] 三菱電機製 MB-3263-A[1]
主電動機出力 120 kW(一時間定格)[3]
搭載数 1基 / 両 [3]
駆動方式 直角カルダン式[4]
歯車比 51:8[1]
制御方式 電機子チョッパ制御方式[3]
第21回(1981年
ローレル賞受賞車両
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長崎電気軌道2000形電車(ながさきでんききどう2000かたでんしゃ)は、1980年(昭和55年)から2014年(平成26年)まで在籍した長崎電気軌道路面電車車両である。

概要[編集]

日本船舶振興会(現在の通称は日本財団)の資金援助の下で日本鉄道技術協会が開発した、「軽快電車」と呼ばれる新型路面電車の実証試験車となった広島電鉄3500形に続く初の量産車として川崎重工業兵庫工場で製造され、3500形に先駆けて1980年8月9日より就役した。

大出力直流複巻式電動機直角カルダン駆動によるモノモーター方式駆動システム・インサイドフレーム空気ばね台車電機子チョッパ制御等、従来の路面電車には無い斬新な機構を多数採用した。

この画期的な設計が評価され、1981年には、鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

長崎電気軌道にとって1962年370形以来19年ぶりの完全新車であり、また同社初の冷暖房完備の車両でもあった。

車体[編集]

開発に参加したアルナ工機(現・アルナ車両)が先行して1977年より製作した、東京都交通局7000形更新車のデザインの流れを汲む、スクエアな造形の全金属製車体である。

窓配置はD3D3の左右非対称形で、下段上昇・上段下降式のユニット式アルミサッシ窓を採用し、中央扉は2枚折り戸を2組用いた1,400 mm幅の両開き式、左扉は通常の2枚折り戸となっている。

座席は1人掛けクロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシート式で、空調装置として屋根上に冷凍能力25,000 kcal/hの冷房機を搭載する。

塗装[編集]

この車両は標準塗装もそれまでの車両とは異なっている。同社では1952年から上半分クリームと下半分ダークグリーンの塗装を用いていたが、本形式からはクリーム色にワインレッドのラインが入る形に改められた。1990年代までの車両はこの塗装で導入された。なお2000形以前の車両も一部この塗装に置き換えられたが、短期間で従来の塗装に戻されている。

方向幕[編集]

この車両は、長崎電気軌道初の大型カラー方向幕を採用した。2000形以前に導入された車両は、ワンマン化の際し白地の方向幕に始発地と終着地をまとめて書いたものとし(ツーマン時代は異なる)、系統は車両前方下部に掲げた系統板で表していた。2000形では系統板を廃止し、系統色地の方向幕に行先と系統番号を表記したものに変更した。導入当初はローマ字なしであったが、現在はローマ字入りになっている。これは後に導入された車両にも採用されたほか、2000形以前の車両も順次方向幕の自動巻き取り化の際にカラー方向幕に置き換えられていった。

主要機器[編集]

電装品[編集]

床下に搭載された三菱電機製CMC161-6サイリスタチョッパ制御器により、同じく三菱電機製のMB-3263-A直流複巻式電動機(端子電圧600 V時、1時間定格出力120 kW / 1,800 rpm[3] 1基を制御する[5]。このMB-3262-Aは寸法的な制約が特に厳しいことから円筒形ではなく、最大寸法を抑え易い八面構成のヨークを採用しており、外観上も八角柱状のハウジングを用いた、特徴的な形状を呈している[5]

主電動機出力は開発が先行した広島電鉄3500形と同一であるが、本形式は車体が軽いために加速度が3.0 km/h/sと設定[注釈 1]されており、交差点通過時のダッシュに威力を発揮する。

運転台マスコン(主幹制御器)は広島電鉄3500形と共通設計の1軸両手式のワンハンドルマスコンが採用され、力行4ノッチ・制動8ノッチ(非常ブレーキ1ノッチを含む)の操作が統合されている。また、これにより両ハンドル間に常用される計器やスイッチ類を集中搭載することが可能となっており、実際にも主幹制御器にこれらの主要スイッチ類が内蔵されてコンパクト化が実現している。

駆動装置[編集]

駆動システムとしては、直角カルダン駆動によるモノモーター2軸駆動方式を採用する。モノモーター方式の直角カルダン駆動は、ハイポイドギア(曲がり歯笠歯車)などの笠歯車を使用する必要があり、製造・保守コストが平歯車を使用する他の駆動システムと比較して高くなる傾向がある。その反面、駆動音が非常に静粛となり、また例えば60 kW級電動機を2基搭載する場合に比べて制御器の回路構成が圧倒的に簡略化されるため、当時の技術では難しかったチョッパ制御器の小型化が容易、しかも2軸同時駆動となるために空転しにくい、というメリットがあった[注釈 2]。なお、カルダン式のカルダン式たるゆえんである可撓継手は東洋電機製造製ゴムブッシュ付き平行リンク型中空軸カルダン継手が採用されており、これによって電動台車の各車軸とハイポイドギア軸(出力側)とを結合している。

台車[編集]

主電動機のレイアウトをモノモーター方式とすることにより、台車も側枠を主電動機支持のためにインサイドフレーム[注釈 3]とする必要が生じ、また主電動機の装架の都合上、揺れ枕も取り付けられなくなったため、必然的にダイアフラム形空気ばねによるダイレクトマウント方式台車となった。

こうして、緩衝ゴム式軸箱支持+防音車輪[注釈 4]採用で乗り心地の改善と静音化を実現した住友金属工業FS82・82T[注釈 5]が新規設計された。

集電装置[編集]

パンタグラフは新設計のZ形パンタグラフで、これは東洋電機製造が設計製作を担当し、以後各地の路面電車や下津井電鉄モハ2001形「メリーベル」などの小型電車に多用されるようになった一連の同社製新世代Z形パンタグラフシリーズの始祖となった機種である。これは本来は回生ブレーキ常用を目的として開発され、離線が発生しないよう架線への追従性が高められているのが特徴であるが、本形式では床下スペースとコストの問題から、回生ブレーキが省略されているため、その架線への良好な追従性は、静止型インバータによる補助電源の停止による冷房の機能停止を防止する目的にのみ役立てられている。

ブレーキ[編集]

ブレーキは一般的な電気指令式であるが、コンパクト化と加速性能に見合った制動能力の強化、それに空気管内の結露による錆の発生への対策が必要になったために、空気圧指令を空油変換弁で変換する、油圧キャリパー方式のディスクブレーキが採用されており、これにより常用3.5km/h/s、非常4.5km/h/sという高減速度を実現した。

運用[編集]

2002号。上掲画像の2001と比較すると冷房装置などが落成当初の原形仕様のままである点が異なる。

開発が先行した広島電鉄3500形が製造途中での編成変更[注釈 6]で重量が増えて相対的な出力不足に陥り、十分な性能が得られずトラブルが続出した[注釈 7]のに対し、本形式は計画通り性能に余裕が与えられていたことから、就役開始後に新開発の機構部について特に大きな不具合も発生することなく、そのまま受け入れられている。

もっとも、当初はさらに3両の増備で5両体制とすることが計画されていたが、開発の遅れと製造コストの高騰などから大量導入は時期尚早と判断され、本形式は2両で製造打ち切りとなった[注釈 8]。そのため、その後は同形車体の機器流用車(1200形 - 1800形)の増備に移行し、完全新車は3000形まで導入されなかった。

なお、本形式の新造後ほどなく長崎大水害が発生したが、たまたま2両とも工場で車体をジャッキアップしており、台車や主電動機は冠水したものの、チョッパ制御器等床下機器への被害は免れている。

それでも車両構造が他の在籍車両とは全く別物であったがゆえに、メンテナンスが難しいという欠点があったため、2010年3月30日をもって在籍2両のうち2002号車の運用を終了した。残る2001号車も同様の理由で2014年3月にさよなら運転を行い引退した[6]


リニューアル[編集]

2001号は2008年(平成20年)に2001のリニューアル工事が実施されている。

2000形では1人掛けクロスシート8席と7人掛けロングシート2席を組み合わせたセミクロスシート式を採用したが、このために着席定員が22人と、1200形以後の28人に比べてやや少なくなり、以前の車両及び後に導入された車両に比べて収容力がやや劣る形となっていた。そのため、座席は従来車と同じ7人掛けロングシート4席に改められている。同時にシートモケットもオレンジからワインレッドに変更された。

その他、屋根上の冷房装置も従来車同様三菱電機製のものに交換されている。 2002はリニューアル工事を行われず、引退時までセミクロスシート、デビュー時の空調装置のままであった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ これが軽快電車開発時の本来のスペックである。広島向けは当初2車体連接車として計画されたものに中間車体を挿入したため、特に加速性能が大幅に低下している。
  2. ^ それゆえ、この方式は本形式を含む「軽快電車」2形式や、それらと同様に新技術のテストベッド的な意味合いが強く、主電動機数を減らして主回路構成を簡略化することが求められた熊本市交通局8200形に採用されている。
  3. ^ 車輪が露出し、軸受が車輪間の車軸に取り付けられる構造。
  4. ^ 通常の一体圧延車輪のリム部内側に防音リングが圧入されている。つまり、いわゆる弾性車輪ではない。また、この車輪は車軸がばね下重量軽減を目的に中空軸とされている。
  5. ^ 82Tは付随台車用。なお、ホイルベース寸法(82:1,800 mm、82T:1,400 mm)やボルスタ周辺の構造(82:大径ボールレース式心皿、82T:通常型心皿)は双方で異なっている。
  6. ^ 当初2車体連接車として計画され、搭載機器もその仕様を前提に開発が進められていた。ところが、試験実施先である広島電鉄の要望で中間車体を挿入し、3車体連接車とすることとなったものの、機器は開発スケジュール等の制約から2車体連接車時のままとされたため、相対的に性能が低下することとなった。なお、試験そのものは実測値を2車体時のスペックに換算して取り扱えば問題ないとされたという。
  7. ^ このため早い時期に予備車となっている。
  8. ^ 当初計画では1981年に2両、1982年に1両の増備を予定していた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 世界の鉄道83, p. 164-165.
  2. ^ 100年史, p. 150.
  3. ^ a b c d e 中村1981, p. 22.
  4. ^ 中村1981, p. 20.
  5. ^ a b 三菱電機『三菱電機技報』1981年4月「路面電車用高性能な主電動機と制御装置 (PDF) 」pp.19 - 22。
  6. ^ 2001号さよなら運行のお知らせ”. 長崎電気軌道. 2014年3月5日閲覧。

参考文献・資料[編集]

書籍[編集]

  • 『世界の鉄道 1983年版』朝日新聞社、1982年10月。 
  • 『長崎の路面電車』長崎出版文化協会、1987年。 
  • 『長崎のチンチン電車』(葦書房・田栗優一、宮川浩一) ISBN 4751207644
  • 『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング、2005年。ISBN 4533059872 
  • 『長崎電気軌道100年史』2016年。 

雑誌記事[編集]

  • 交友社『鉄道ファン』1980年10月号 Vol.20 No.234
    • 小山柾「新車ガイド2 さわやかにデビュー 広島・長崎に軽快電車」
  • 『鉄道ピクトリアル』1981年1月号 通巻385号、鉄道図書刊行会、1981年。
    • 中村利夫、1981、「長崎電気軌道2000形軽快電車」 pp. 20-24
  • 『鉄道ピクトリアル』1994年7月号臨時増刊 通巻593号「<特集>路面電車」鉄道図書刊行会、1994年。
    • 梨森武志、1994、「長崎電気軌道」 pp. 204-208
  • 『鉄道ピクトリアル』2000年7月臨時増刊号 通巻688号「<特集>路面電車~LRT」鉄道図書刊行会、2000年。
    • 梨森武志、2000、「長崎電気軌道」 pp. 240-244
  • 交友社『鉄道ファン』1980年5月号 Vol.20 No.229
    • 西尾源太郎「ことしのビッグニュース これがうわさの軽快電車」
  • 交友社『鉄道ファン』2014年10月号 Vol.54 No.642 「さようなら長崎の軽快電車」
  • イカロスMOOK『路面電車EX』Vol.06 イカロス出版、2015年。
    • 堀切邦生、2015、「特集 長崎電気軌道100周年」、2015年10月 pp. 12-68

外部リンク[編集]