遊佐克美

遊佐 克美
名前
愛称 ユサ、かっちゃん
カタカナ ユサ カツミ
ラテン文字 YUSA Katsumi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-08-02) 1988年8月2日(35歳)
出身地 福島県福島市
身長 168cm
体重 63kg
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 右足
ユース
ジェイム福島FC (信陵中)
2004-2006 サンフレッチェ広島ユース (吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2009 日本の旗 サンフレッチェ広島 1 (0)
2009 日本の旗 ツエーゲン金沢 (loan) 8 (0)
2009 日本の旗 FC岐阜SECOND
2010 パラグアイの旗 サン・ロレンソ英語版
2011-2013 インドの旗 ONGC FC 25 (6)
2013-2017 インドの旗 モフン・バガンAC 78 (17)
2016 インドの旗 ノースイースト・ユナイテッド (loan) 14 (1)
2017-2018 インドの旗 イースト・ベンガル 22 (7)
2018-2019 インドの旗 ネロカFC 17 (6)
2019-2020 インドの旗 チェンナイ・シティFC
2021-2022 日本の旗 福島ユナイテッドFC 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

遊佐 克美(ゆさ かつみ、1988年8月2日 - )は、福島県福島市出身のサッカー選手。ポジションはMFDF

来歴[編集]

兄弟の影響でサッカーを始める[1]。小さいころはトップ下の選手、2000年に全日本少年フットサル大会出場し大会優秀選手に選ばれる[2]。中学時代は一年のときは陸上部に所属していた。

中学3年の時にサンフレッチェ広島東京ヴェルディ1969ベガルタ仙台に誘われていた。本人は塩釜FCも選択肢に入れていた。その中から2004年、広島ユースに入団。同級生に平繁龍一野田明弘金山隼樹藤澤典隆ら。ボランチにコンバートされると、持ち前の激しい運動量をベースに頭角を現し、高校2年生でボランチや左SBとしてレギュラーをつかんだ。高校3年時はキャプテンを務め、Jユースカップ優勝に貢献した。[3]

2007年にサンフレッチェ広島のトップ昇格、同期入団は平繁。主にボランチや左アウトサイドで起用された[3]。同年5月ナビスコカップでプロデビュー、同年12月にリーグ戦デビューした。しかしその後は負傷やチーム内の競争に苦しみ、満足な出場機会は得られなかった。

2009年3月に、ツエーゲン金沢期限付き移籍。しかし金沢でも出場機会には恵まれず、同年8月には広島・金沢双方との契約を解除し、FC岐阜SECONDへ完全移籍し、主力として活躍。

2010年1月からパラグアイに渡りパラグアイ2部のクラブの入団テストを受け[4]、同年3月にパラグアイ2部のスポルティボ・サン・ロレンソ英語版と契約している[1]

2011年からインドIリーグのONGC FCに所属。ただ同2010-11シーズン、主力として活躍したもののチームは2部に降格してしまった[1]。しばらくフリーだったが2012年1月再びONGCと契約し[5]、2部決勝リーグでは3得点を上げ1部昇格に貢献する。翌2012-13シーズン10番を背負い中心選手として活躍[1]、1部残留に貢献したものの同チームはシーズン末に活動休止となった。

2013年、同リーグのモフン・バガンACに所属する[6]。翌2014-15シーズン、ウイングとしてソニー・ノルデピエール・ボヤらと攻撃陣を形成、7得点を上げ得点ランク7位に入り、チームとしてはIリーグ初優勝に貢献した[7]

2016年、インド・スーパーリーグ(ISL)のノースイースト・ユナイテッドFCへレンタル移籍。日本人選手としては和泉新以来2人目、日本国籍の日本人選手としては初のISL所属となった。ノースイーストとしては初めてのアジア人外国人選手になる[8][9]

2017年Iリーグイースト・ベンガルFCに移籍。

2018年、同リーグのネロカFCに移籍。

一時帰国した際には結婚式場でのアルバイトも経験したが、次第にインドでのプレーが評価され、2020年シーズンの年俸は2000万円まで跳ね上がった。しかし新型コロナウイルス感染症拡大の影響でチームは活動を停止、給料は未払いになり帰国。日本国内で移籍先探しを始めた[10]

2021年1月19日、福島ユナイテッドFCへの加入が発表された[11]

2022年11月15日、福島ユナイテッドFCから契約期間の満了と来季に向けた更新を行わないことを発表された[12]。2023年2月14日、福島ユナイテッドFCサッカースクールのスクールマスターへの就任が発表[13]。同年3月14日、J3リーグ第3節のハーフタイム中に退団セレモニーが行われた[14]

人物[編集]

元々は動きの激しさ、豊富な運動量、ガッツあふれるボランチ[3]ジェンナーロ・ガットゥーゾに例えられた[15]。アウトサイドでも起用されていた[3]

インド時代は主に攻撃的なミッドフィルダーとしてプレーしていた[1]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 広島 23 J1 1 0 2 0 0 0 3 0
2008 J2 0 0 - 0 0 0 0
2009 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2021 福島 7 J3 1 0 -
2022
通算 日本 J1 1 0 2 0 0 0 3 0
日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
日本 J3 1 0 -
総通算 2 0 2 0 0 0 4 0

出場歴・タイトル[編集]

クラブチーム[編集]

ユース経歴
  • 日本クラブユースサッカー選手権U-18(2004年優勝、2006年ベスト8)
  • 高円宮杯全日本ユースU-18(2004年優勝、2005年ベスト4、2006年ベスト8)
  • Jユースカップ(2004年準優勝、2005年ベスト8、2006年優勝)
  • 国民体育大会広島県代表(2005年)
プロ経歴
  • 初ベンチ入り:2007年4月10日ナビスコカップ第4節対ヴィッセル神戸戦(ホームズスタジアム神戸)
  • 公式戦初出場:2007年5月9日ナビスコカップ第5節対ガンバ大阪戦(万博)
  • Jリーグ初出場:2007年12月1日J1第34節対ガンバ大阪戦(広島ビッグアーチ)
  • 公式戦初得点:

代表[編集]

  • U-19日本代表 2006年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Katsumi Yusa - ONGC's Japanese Midfield General”. Fever Pitch .in (2012年9月25日). 2013年5月17日閲覧。
  2. ^ 過去の大会記録一覧”. FC JAPAN (2002年1月). 2013年5月16日閲覧。
  3. ^ a b c d 夢つかめ<下> DF遊佐克美(18)”. 中国新聞(Internet Archive) (2007年1月26日). 2013年5月16日閲覧。
  4. ^ 元J1広島の遊佐がパラグアイでプロ挑戦”. 福島民友 (2010年1月18日). 2010年2月6日閲覧。
  5. ^ 契約。出発!!”. 遊佐克美オフィシャルブログ (2012年1月27日). 2013年5月16日閲覧。
  6. ^ 今シーズン終了!!”. 遊佐克美オフィシャルブログ (2013年5月12日). 2013年5月16日閲覧。
  7. ^ Five reasons why Mohun Bagan deserve to win the I-League”. GOAL.com (2015年5月29日). 2015年6月2日閲覧。
  8. ^ NorthEast United sign Bagan's Katsumi Yusa”. ESPN (2016年5月30日). 2016年6月25日閲覧。
  9. ^ 日本人初のインドスーパーリーガーが誕生!”. サッカーキング (2016年6月3日). 2016年6月25日閲覧。
  10. ^ インドサッカー 遊佐克美、スター生活から一転、コロナ禍で崖っぷちに...それでも「サッカー選手でいたい」理由とは”. テレビ東京スポーツ (2020年7月11日). 2022年12月10日閲覧。
  11. ^ 【選手情報】遊佐克美選手 新加入のお知らせ』(プレスリリース)福島ユナイテッドFC、2021年1月19日https://fufc.jp/news/10531/2021年1月19日閲覧 
  12. ^ DF新井とMF遊佐が契約満了【福島】”. Jリーグ (2022年11月15日). 2022年12月1日閲覧。
  13. ^ 遊佐克美氏 スクールマスター就任のお知らせ”. 福島ユナイテッドFC (2023年2月14日). 2023年3月18日閲覧。
  14. ^ 遊佐克美氏 退団セレモニー実施のお知らせ”. 福島ユナイテッドFC (2023年3月14日). 2023年3月18日閲覧。
  15. ^ 6月26日のゲストは、遊佐克美選手が生出演!”. サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ “GOA〜L” (2007年6月26日). 2013年5月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]