伊藤哲也

伊藤 哲也
名前
愛称 テツ[1][2]
カタカナ イトウ テツヤ
ラテン文字 ITO Tetsuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-10-01) 1970年10月1日(53歳)
出身地 千葉県千葉市
身長 180cm[3]
体重 72kg[3]
選手情報
ポジション DF[3]
ユース
1987-1982
1983-1985
1986-1988
1989-1992
千葉市立千城台旭小学校
八千代松蔭中学校
八千代松陰高校
法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993 NKK 13 (1)
1994-1996 横浜マリノス 14 (0)
1997-2000 サンフレッチェ広島 100 (6)
2001-2003 FC東京 46 (2)
2004 大分トリニータ 0 (0)
2005-2007 FC岐阜 13 (3)
監督歴
2009-2012 FC岐阜SECOND
1. 国内リーグ戦に限る。2008年2月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、千葉県千葉市出身(北海道札幌市生まれ)のサッカー指導者、元サッカー選手現役時代のポジションディフェンダー(DF)

来歴[編集]

小学校4年生の時にサッカーを始め[4]八千代松陰中学校・高等学校から法政大学を経て、1993年NKKサッカー部に加入。しかし、この年限りで廃部となったため、1994年より横浜マリノスに移籍。井原正巳小村徳男らDFにタレントを揃える横浜Mでは出場機会に恵まれなかった。

1997年サンフレッチェ広島期限付き移籍(翌年完全移籍)。上村健一トニー・ポポヴィッチらと堅守を築き[5]、冷静な判断力を武器とする頭脳派DFとして活躍した[1]

2001年、NKK在籍時に指導を受けた倉又寿雄がヘッドコーチを務めるFC東京へ移籍[6][7]CBSBで堅実なプレーを見せ[1]、守備陣を統率する[8] リーダーシップを発揮した[1]2002年には、的確なカバーリングと駆け引きで新加入のDFジャーンをサポートしていたが[2]、シーズン終盤にかけてコンディションを崩し[2]茂庭照幸の台頭を許した。2003年は足首の負傷もあって[9][10] 出場機会を得られなかったが、伊藤の努力を絶やさない姿勢はチームの財産となった[11]

2004年大分トリニータに移籍するも[9][12]、負傷が重なりリハビリや別メニュー調整が続いた[13] ことから同年限りでの現役引退を表明[14]

2005年7月、広島在籍時のチームメートである森山泰行らから請われ、FC岐阜でアマチュアとして現役復帰[15]。岐阜市内の企業、ヒマラヤに勤務していた[15]日本フットボールリーグ及びJ2昇格に貢献し、2007年をもって現役引退[4]2008年にはコーチ専任となり、2009年からはアマチュアチームのFC岐阜SECOND監督を務めた。2012年には岐阜SECOND設立時からの目標である地元開催の国体に臨んだが、京都府代表の佐川印刷SCに敗れ、ベスト8に終わった(京都が優勝)[16]。同年限りで監督を退任[17]

後に地元千葉でサッカースクールのコーチを務めている[4]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 NKK 2 旧JFL2部 13 1 - 1 0 14 1
1994 横浜M - J 6 0 1 0 0 0 7 0
1995 7 0 - 0 0 7 0
1996 1 0 0 0 0 0 1 0
1997 広島 5 26 0 5 0 2 0 33 0
1998 24 3 0 0 2 0 26 3
1999 J1 22 2 2 0 3 0 27 2
2000 28 1 2 0 1 0 31 1
2001 FC東京 15 23 1 3 0 0 0 26 1
2002 23 1 6 0 0 0 29 1
2003 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 大分 4 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 岐阜 34 東海2部 3 1 - - 3 1
2006 5 東海1部 8 1 - 1 0 9 1
2007 JFL 2 1 - 1 0 3 1
通算 日本 J1 160 8 19 0 8 0 187 8
日本 旧JFL2部 13 1 - 1 0 14 1
日本 JFL 2 1 - 1 0 3 1
日本 東海1部 8 1 - 1 0 9 1
日本 東海2部 3 1 - 0 0 3 1
総通算 186 12 19 0 11 0 216 12

指導歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2002』毎日新聞社、2002年、26頁。 
  2. ^ a b c 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、28-29頁。 
  3. ^ a b c FC岐阜【JFL】日本フットボールリーグ
  4. ^ a b c 元Jリーガーが授業 長生・高根小で「夢の教室」 千葉日報 (2013年7月13日)
  5. ^ 広島が起こすセンターバック革命 躍進を支える“超攻撃的3バック” スポーツナビ (2009年7月10日)
  6. ^ 伊藤 哲也選手の移籍について”. 2001年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 サンフレッチェ広島F.C (2000年12月27日)
  7. ^ 伊藤哲也選手 加入のお知らせ”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 FC東京 (2000年12月26日)
  8. ^ 堅守復活へDF陣意識統一だ”. 2001年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 東京中日スポーツ (2001年7月19日)
  9. ^ a b 伊藤哲也選手加入のお知らせ”. 2004年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 大分トリニータ (2004年1月19日)
  10. ^ 伊藤哲也選手の検査結果について”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 FC東京 (2003年4月24日)
  11. ^ FC東京の実体 (2/3) スポーツナビ (2005年6月2日)
  12. ^ 伊藤哲也選手 大分トリニータへ移籍決定のお知らせ”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 FC東京 (2004年1月19日)
  13. ^ 伊藤哲也選手のケガについて”. 2004年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 大分トリニータ (2004年6月21日)
  14. ^ 伊藤哲也選手今季限りで現役引退のお知らせ”. 2004年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 大分トリニータ (2004年12月4日)
  15. ^ a b 伊藤 哲也 選手の加入について”. 2005年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。 FC岐阜 (2005年7月22日)
  16. ^ ぎふ清流国体 最終結果 種目別総合優勝 (天皇杯獲得) 岐阜県サッカー協会
  17. ^ a b c 契約満了スタッフのお知らせ FC岐阜 (2013年1月12日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前の監督
辛島啓珠
FC岐阜SECOND 監督
2009年-2012年
次の監督
辛島啓珠