岩田公雄

いわた きみお
岩田 公雄
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 北海道旭川市
生年月日 (1949-06-03) 1949年6月3日(74歳)
最終学歴 学習院大学法学部卒業
職歴 学習院大学特別客員教授
読売テレビアナウンサー
報道局解説委員長など
活動期間 1974年 -
ジャンル 報道番組・情報番組
出演番組・活動
出演中ウェークアップ
情報ライブ ミヤネ屋
報道ライブ インサイドOUT
出演経歴ウェークアップ!
ザ・ワイド
ズームイン!!SUPER
かんさい情報ネットten!』など

岩田 公雄(いわた きみお、1949年6月3日 - )は、日本ジャーナリスト学校法人学習院 フェロー、BS11報道ライブ インサイドOUT」メインキャスター。

かつては讀賣テレビ放送報道局特別解説委員(元解説委員長)、元同局アナウンサー大阪大学人間科学部、立命館大学産業社会学部非常勤講師21世紀臨調運営委員(民間政治)、学習院大学法学部特別客員教授を務めた。

経歴[編集]

北海道旭川市生まれ。1974年学習院大学法学部卒業後、読売テレビにアナウンサーとして入社。学習院大学法学部の1期後輩にはフジテレビ報道局解説委員の和田圭がいる。アナウンサーから報道記者に転身後、グリコ・森永事件日本航空123便墜落事故など国内の数々の重要事件・事故を担当。その後1986年10月タイ航空機爆発事件取材でマニラに派遣され、その後三井物産マニラ支店長誘拐事件を取材、それがきっかけで1987年NNNマニラ初代支局長となる。1989年6月中国天安門事件の現場を取材。帰国後、北朝鮮平壌からの3日連続生中継(「ズームイン!!朝!」内にて)を初めて実現させるなど、様々な事件現場で記者として活動する。1992年からは桂文珍司会の土曜の同社制作情報番組「ウェークアップ!」に解説委員としてレギュラー出演。

情報ライブ ミヤネ屋」や、かつての部下である辛坊治郎(元讀賣テレビ報道局解説委員長)を起用しリニューアルされた「ウェークアップ」の解説・コメンテーターとして出演し、東京・大阪往復の日々を送っていた。また、辛坊の休暇および海外取材等での不在時の代理として「ズームイン!!SUPER」にも出演することもあった。2007年9月までは、日本テレビとの共同制作番組「ザ・ワイド」にも出演していた。定年(60歳)を迎えた翌月の2009年7月以降も解説委員を務める(2009年10月より特別解説委員)。2015年3月末に退職し、2015年4月より学習院大学法学部の特別客員教授に就任。

2018年4月2日、リニューアルされたBS11報道ライブ インサイドOUT」にサブキャスターの川口満里奈と共に、メインキャスターに着任。月曜日〜木曜日担当。

2019年4月、学校法人学習院フェローに転籍。客員教授時代からの500名の大教室での授業は引き続き担当。

現在は、一般社団法人青年海外協力隊・プラザ大阪名誉会員、一般社団法人協力隊を育てる会理事。

人物・エピソード[編集]

父親が北海道警察の署長で転勤が多く、美深町本別町美幌町森町で暮らしたこともある。北海道美幌高等学校に在籍していたが、高3の8月になって森町に転居して転校する羽目になったという。大学時代にはフェンシングをしていた。

1985年に発生した日本航空123便墜落事故での現場取材経験をとある宴席上で映画監督の原田眞人に語ったことがきっかけで、同事故を採り上げた原田の監督映画『クライマーズ・ハイ』(2008年7月5日公開)の出演者にも同様に語ることとなったことから、同映画では「取材協力」として岩田の名がクレジットされた。

NNNマニラ支局長時代に、はじめて青年海外協力隊員を大使館にて紹介される。その折、駐フィリピン公使マニラ総領事として着任していたのが青木盛久で、青木は帰国後国際協力事業団青年海外協力隊事務局長となる。その後、特に途上国での取材の折には、青年海外協力隊の活動現場も積極的に視察。

ペルー日本大使公邸人質事件では2度現地へ飛び、解放後最初の青木盛久の単独インタビューを行った。

2008年2月17日東京マラソンに「ウェークアップ!ぷらす」の企画として参加し(しかも自身初のフルマラソン)、6時間26分44秒で完走した。

座右の銘は「生涯一記者」。

出演番組[編集]

  • 情報ライブ ミヤネ屋 (2008年 - 、読売テレビ) 火曜日のみ出演。かつて金曜日にも出演していた。
  • 報道ライブ インサイドOUT(2018年4月2日 - 、BS11) - メインキャスター(月曜日 - 木曜日)
  • ウェークアップ (読売テレビ) かつてはレギュラーだったが、読売テレビ退職後は交替で出演している。

著書[編集]

外部リンク[編集]