中華人民共和国

中華人民共和国
中华人民共和国
中国の国旗 中華人民共和国の国章
国旗 国章
国の標語:为人民服务(簡体字中国語)
人民に奉仕する
国歌义勇军进行曲(簡体字中国語)
義勇軍進行曲
中国の位置
公用語 中国語普通話
首都 北京市
最大の都市 上海市(市区人口による)
重慶市(行政人口による)[注 1]
政府
中国共産党総書記[注 2]習近平
国家主席[注 3] 習近平
国務院総理[注 4] 李克強
軍事委員会主席[注 5]習近平
全人代常務委員長[注 6]栗戦書
全国政協主席汪 洋
国務院副総理韓 正
国家副主席王岐山[注 7]
最高人民法院院長[注 8]周強
面積
総計 9,479,198km24位
水面積率 2.8%
人口
総計(2020年 14億1177万8724[1][2]人(1位
人口密度 153.3[2][3]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年 102兆5916億6000万[4]人民元
GDP(MER
合計(2020年14兆8667億4100万[4]ドル(2位
1人あたり 1万511.335[4]ドル
GDP(PPP
合計(2020年24兆1913億100万[4]ドル(1位
1人あたり 1万7104.144[4]ドル
建国
中華人民共和国成立1949年10月1日
通貨 人民元CNY
時間帯 UTC+8 (DST:なし)
ISO 3166-1 CN / CHN
ccTLD .cn
国際電話番号 86
  1. ^ 中国における「行政区分としての市」(直轄市、または地級市)と「市区」の違いについては、中華人民共和国の都市を参照のこと。
  2. ^ 中国共産党が中華人民共和国を指導していくことが謳われているため、総書記は共産党と国家の最高指導者とされる。
  3. ^ 中華人民共和国の元首で、儀礼的な存在。
  4. ^ 中国政府の長で、首相的な存在。
  5. ^ 中国人民解放軍の最高指揮官。
  6. ^ 他国における国会議長に相当する職である。
  7. ^ ただし、共産党における王岐山の序列は韓正副首相に次ぐ第8位。詳細は中華人民共和国#政治を参照
  8. ^ 他国における最高裁判所長官に相当する職である。
註1: 人口、及び各種GDPの数値には、特別行政区(香港、マカオ)及び中華人民共和国が領有権を主張する地域(台湾、カシミール等)を含まない。
註2: 中華人民共和国と、面積順位第3位とされるがアメリカ合衆国の面積は非常に近く、それぞれの国土の定義によっては、順位が入れ替わることがある。
註3:中華民国(台湾)と中華人民共和国は本来互いに隷属していない。
中華人民共和国
中国語
繁体字 中華人民共和國
簡体字 中华人民共和国
発音記号
標準中国語
漢語拼音Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó
Pronunciation of Zhonghuarenmingongheguo.ogg 聞く
IPA/ʈʂʊŋ˥˥ xwa˧˥ ʐən˧˥ mɪn˧˥ kʊŋ˥˩ xɤ˧˥ kuɔ˧˥/
注音符号ㄓㄨㄥㄏㄨㄚˊ ㄖㄣˊㄇㄧㄣˊ ㄍㄨㄥˋㄏㄜˊㄍㄨㄛˊ
客家語
客家語拼音Chûng-fà Ngìn-mìn Khiung-fò-koet
粤語
粤拼Zung1Waa4 Jan4Man4 Gung6Wo4Gwok3
閩南語
閩南語白話字Tiong-hôa Jîn-bîn Kiōng-hô-kok
朝鮮語
ハングル중화인민공화국
ベトナム語
ベトナム語Cộng hòa Nhân dân Trung Hoa
英語
英語People's Republic of China
チベット語
チベット文字 ཀྲུང་ཧྭ་མི་དམངས་སྤྱི་མཐུན་རྒྱལ་ཁབ།
モンゴル語
モンゴル文字 ᠪᠦᠭᠦᠳᠡ
ᠨᠠᠶᠢᠷᠠᠮᠳᠠᠬᠤ
ᠬᠢᠲᠠᠳ
ᠠᠷᠠᠳ
ᠤᠯᠤᠰ
ウイグル語
ウイグル語
جۇڭخۇا خەلق جۇمھۇرىيىتى
チワン語
チワン語Cunghvaz Yinzminz Gunghozgoz
日本語
日本語中華人民共和国
日本語読み
ちゅうかじんみんきょうわこく
原音読み
ジョンフワ レンミン ゴンホーグオ

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、簡体字中国語: 中华人民共和国繁体字中国語: 中華人民共和國拼音: Zhōnghuá Rénmín GònghéguóPronunciation of Zhonghuarenmingongheguo.ogg 聞く)、通称中国(ちゅうごく、拼音: Zhōngguó)は、東アジアに位置する社会主義共和制国家首都北京市

概要

成立

中華ソビエト共和国としてはじまった中華人民共和国は、中華民国統治下の中国で1921年7月に結党された中国共産党ソビエト連邦の支援を受けながら、国共合作日中戦争[注 1]国共内戦を経て中華民国政府台湾へ放逐[注 2] し、1949年10月1日毛沢東中国共産党主席が北京市天安門広場建国宣言を行ったことで成立した。

体制

政治体制は1949年10月の建国以来中国共産党による事実上の一党独裁体制[注 3]エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は世界153位という後順位であり独裁政治体制に分類されている(2019年度)[5]。また、国境なき記者団による世界報道自由度ランキングは下から4番目の177位に位置付けられており、最も深刻な状況にある国の1つに分類されている(2020年度)[6][7]

中華人民共和国の人権状況についてヒューマン・ライツ・ウォッチは「中国は依然として一党独裁国家であり、基本的人権を体系的に抑圧している」「人権擁護の弁護士や活動家が恣意的に拘留され、起訴されている」「非政府組織、活動家、メディア、そしてインターネットに対する統制は強化されている」と報告している[8]2010年劉暁波ノーベル平和賞受賞問題[9]2016年に政府が香港などで批判者を拉致して強制的に失踪させた事件[8]2020年新型コロナ問題での人民の言論監視[10] などに見られたように近年は言論統制や弾圧が一段と強化されている傾向がある[9]チベット問題ウイグル問題など少数民族に対する人権侵害問題も深刻で国際社会から憂慮されている[8][11][12][13][14]。特にアメリカ合衆国政府カナダの下院オランダの議会イギリスの下院フランスの下院リトアニア共和国議会などは、ウイグル人強制収容所などについてジェノサイド(大量虐殺)政策と認定している[15][16][17][18][19][20]2019年以降は一国二制度下の香港への統制を強めている[21]。南沙諸島や中華民国への軍備増強や威嚇行為が年々激しさを増している。

経済

大清中華民国の時代では、分裂や暴動、他国との戦争での敗戦が続き、諸外国による間接的な支配が長年続いた。1978年以前までの中華人民共和国においても内乱と紛争、混乱が続いていため、経済や軍事が長期間低迷し、貧困が200年以上続いていた。

1978年12月における改革開放の導入以来、「社会主義市場経済」と称して「経済特区」や「沿岸開放都市」などの設置を行い、社会主義経済体制からの根本的な転換を行った。その結果外資流入の勢いが増し、20年以上に渡って年平均9%以上の実質GDP成長率を達成し、2010年にはGDP規模で日本を追い抜いてアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済力を有する国となった。中国共産党中央委員会総書記習近平は2012年に「中華民族の偉大なる復興」を発表した。

発展途上国に有利に出る購買力平価では世界第1位であり、世界最大の輸出国と製造国、第2位の輸入国である[22][23][24]。同国は経済・軍事技術外交ソフト・パワーの影響力において、世界の新興超大国とみなされている[25][26][27][28][29][30]

しかし、経済発展に伴い経済格差の拡大・環境問題など各種の社会問題も深刻化している[9]。エネルギー使用による二酸化炭素(CO2)排出量は世界最大[31]、条約で規制されているフロンも中華人民共和国では未だ大量放出されている[32]。大気汚染は深刻で特に首都北京は風次第でしばしばスモッグに覆われる[33]長江をはじめとする河川の水質汚染も深刻な状況にある(中国の水危機[34]

中華人民共和国の環境問題については中国の環境問題を参照。

外交

建国以来ソビエト連邦に並ぶ東側の大国として影響力を持ったが、ソ連でスターリン批判が起きるとスターリン主義の立場からソ連と仲違いし、中ソ対立が武力衝突にまで及ぶに至って1970年代以降はアメリカ合衆国や日本など西側諸国に接近し、日米と国交して中華民国と断交させた[35]1971年10月に国連総会で中国代表権を認められて国際連合に加盟し、追放された中華民国の後任として国際連合安全保障理事会常任理事国となった。1989年6月に六四天安門事件を起こして国際社会から強い非難を受けたが、1991年12月のソ連崩壊後も共産党独裁体制維持に成功し、「全方位外交」と称して1992年には米中・日中国交後も中華民国との関係を維持していたイスラエル韓国に接近して国交を樹立し、中華民国と断交させた[35]。その後も中華民国と国交を結ぶ国に対して様々な圧力をかけることで中華人民共和国との国交、中華民国との断交を促し、中華民国を孤立化させる外交を推進している[36][37][38]

現在の中華人民共和国は多数の公式及び非公式の多国間機構に加盟しており、WTOAPECBRICs上海協力機構BCIMG20がこれに該当する。中華人民共和国はアジアの地域大国であり、多数の解説者により潜在的な超大国として特徴付けられてきた[39][40]。しかし習近平体制になってから「戦狼外交」と呼ばれる好戦的で強硬な外交姿勢を強めており、国際社会との摩擦が目立ってきている[41][42]。また香港問題やウイグル問題などの人権問題をめぐる国際的批判が強まっている。

軍事

1964年10月に最初の核実験を実施しており、核拡散防止条約により核兵器の保有を認められた5つの公式核保有国の1つとなった[9]21世紀以降は急速な軍拡が行われ、アジアでは最大の、世界ではアメリカ合衆国に次ぐ軍事支出を行う軍事大国となっている[43]。その軍隊である中国人民解放軍の兵力は200万人を超えると見られており[44]世界最大人数の常備軍である。軍事大国としてアジア周辺諸国に対するプレゼンスも強めており、尖閣諸島をめぐって日本と、南沙群島をめぐってはフィリピンベトナムなどとの間に緊張関係を作り出している[9]南シナ海台湾海峡及び東シナ海を当面の目標にした海軍力増強、中華民国に対するミサイル体制強化など、中華人民共和国の軍事膨張に対する国際社会、とりわけアメリカ合衆国の警戒感は根強い[45]

民族と宗教

人口は世界最大の約14億人であり、うち92%以上を漢族が占める。他にモンゴル族チベット族ウイグル族朝鮮族満州族回族チワン族ミャオ族ヤオ族など55の少数民族が存在する[9][46]。言語は漢語が大部分を占め、北京語を元にした中国語の普通話が共通語であるが[9]、各地域では数多くの方言と少数民族の言語が併用されている[47]

宗教はイスラム教キリスト教チベット仏教などが少数存在するが、政府により制限が課されている[9]。特に近年では政府が「宗教の中国化」の方針を掲げ、あらゆる宗教への国家統制を強化している[48]

地理

公式には23の[注 4]、5つの自治区、4つの直轄市と2つの特別行政区から構成され、総面積は約960万平方キロメートルで世界第3位ロシア連邦と並び世界で最も隣国が多い国(14か国)である[49]。人口は約14億人で世界最多とされるが正確性は定かでなく、黒孩子の存在によって実際はより多いとする指摘、逆に出生数の水増しがされており過大報告であるとする指摘がある。また2020年代中にはインドの人口増加によって2位に後退するとされる。

計測方法によるが陸地面積では世界第2位とされ[50]総面積では世界第3位又は第4位である。同国の地形は、乾燥した北の森林ステップゴビ砂漠タクラマカン砂漠から、多湿な南の亜熱帯の森林まで広大かつ多様である。ヒマラヤ山脈カラコルム山脈パミール高原天山山脈により、同国は及び中央アジアから切り離されている。長さ世界第3位長江及び同世界第6位黄河は、チベット高原から人口密度の高い東の沿岸地域に流れ、古代には黄河文明長江文明を興してきた。同国の太平洋に沿った海岸線は1万4500キロメートルの長さで、渤海黄海東シナ海南シナ海に囲まれている。同国の国土は、22省級行政区、5自治区、北京市・天津市上海市重慶市の4直轄市、大部分が自治的な香港マカオの2特別行政区によって構成されている。なお2017年7月現在、中華人民共和国の世界遺産イタリアについで56件ある。国内には文化遺産が38件、自然遺産が14件、複合遺産が4件存在する。

国名

現在の公式国名は中華人民共和国 (簡体字中国語: 中华人民共和国; 拼音: Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó) Zh-Zhonghua renmin gongheguo.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]である。一般には中国 (簡体字中国語: 中国; 拼音: Zhōngguó) 、あるいは中華 (簡体字中国語: 中华; 拼音: Zhōnghuá) と呼称される。

「中国」という言葉は、紀元前6世紀書経詩経で既に記述されており、中華帝国以前の時代には華夏族四夷と区別するため、文化的概念として頻繁に用いられた。その後、中華帝国の変遷と共に様々な古文書で用いられる「中国」の意味も変化して行ったが、近代的な主権国家全体の名称として用いられるようになったは19世紀半ばからである(詳細は「中国」の項目参照のこと)。

中国と同義で用いられる支那は、帝国主義のイメージと結びついて中華人民共和国では侮蔑的な呼称と認識されているが、その原型が古くから印欧語族の諸国で用いられてきたために派生形が多く残っている。たとえば英名の"China"は、サンスクリット語Cīna (चीन) を由来とするペルシア語Chīn (چین)が由来と考えられる[51]。"China"という言葉は、ポルトガルの探検家Duarte Barbosaの日誌において1516年に初めて記録された[52]。1555年、同日誌はイングランドにおいて翻訳及び出版された[53]。17世紀にマルティノ・マルティニにより提唱された伝統的理論では、Cīnaにおいて中国最西の国である"Qin" () が由来である[54]。また、Cīnaマハーバーラタ (紀元前5世紀) 及びマヌ法典 (紀元前2世紀) を含む初期のヒンドゥー教の聖典において用いられていた[55][56]

「中国」の国名を巡っては、中華人民共和国の前に中国大陸を統治した中華民国との間で軋轢がある。1971年10月のアルバニア決議以降、中華人民共和国が「中国」の議席および関連する地位を獲得し、「中国」は徐々に国際社会において中華人民共和国を指すようになった[57] 。この他、「日中関係」「駐華大使」のように「」も「」も中華人民共和国の略称として用いられている現状がある。台湾海峡を挟んで「二つの中国」が分断する現況から、中華人民共和国は台湾地区に対応する場合は「中国大陸[注 5] と呼ばれることがある。中華人民共和国政府は台湾地区からは「大陸当局」「北京当局」、「北京」または「中共[注 6] とも呼ばれる。中華民国憲法では「大陸地区」とされる。

歴史

中国歴史
先史時代
古国時代
三皇五帝
黄河文明
長江文明
遼河文明
西周

東周
春秋時代
戦国時代
前漢
後漢

孫呉

蜀漢

曹魏
西晋
東晋 十六国
劉宋 北魏
南斉

(西魏)

(東魏)

(後梁)

(北周)

(北斉)
 
武周
 
五代十国 契丹

北宋

(西夏)

南宋

(北元)

南明
後金
 
 
中華民国 満洲
 
中華人民
共和国
中華
民国

台湾
  

中華民国からの連続

古代から続く中国の歴史は、中華人民共和国のあり方を文化面から規定している。このことは、中華人民共和国憲法前文でも言及されている。文化は生活を意味し、国民生活は経済的裏づけをもって成り立つ。憲法前文は「革命的伝統」も強調している。国共内戦もふくめ、革命は政治的断絶を意味する。中華民国からの連続は、経済を中心として理解される。

1840年1949年(清・中華民国時代)の中国では外資が中国の近代化を推進した。19世紀末には香港上海銀行イギリス)や露清銀行ロシア)、インドシナ銀行フランス)といった欧州資本が進出してきたが、20世紀に入ると門戸開放政策によってアメリカ資本も参入してきた。このアメリカ資本とは、例えば第一次世界大戦中に来中してきたJPモルガンのフランク・ヴァンダーリップ(Frank A. Vanderlip)であり、または世界大戦直後に中国人向けの保険を初めて販売したAAU(American Asiatic Underwriters、後のAIU保険)である。一方の中国側も、蔣介石政権が対米関係を重視して四大家族アメリカ政府へのロビー活動チャイナ・ロビー)を働きかけ、米中関係は政治・経済面でより親密なものとなっていった。このようなアメリカとの経済的な結びつきは、米中国交樹立(1979年[注 7] 後の改革開放政策で再び強まった。

国共内戦の結果にも触れておく。中華人民共和国が樹立された時点で、蔣介石率いる中華民国政府は未だ中国大陸華南三省と西南部三省の多数の地域を統治していた。だが、中国人民解放軍の攻勢によって1949年12月に国民党進駐中であった台湾に逃れ、人民解放軍は翌1950年5月までに福建省浙江省[注 8] の一部島嶼を除く中国大陸と海南島を制圧した。ただし、台湾に政府機能を移転した中華民国政府は1950年以降も台湾国民政府として存続し、台湾とその他島嶼からなる地域(台湾地区)は2021年現在に至るまで中華民国政府の実効支配下にある。中華人民共和国とは政治が独立している。

毛沢東の時代

ファイル:Mao proclaiming the establishment of the PRC in 1949.jpg
1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東

毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。中華人民共和国の建国後、毛沢東は毛沢東思想に基づき、中国共産党を軸にした世界革命路線を推進した。ソビエト連邦と中華民国間で締結された中ソ友好同盟条約(1945年8月)によって、ソ連が中華民国から租借していた旅順港大連港南満州鉄道について、1950年中ソ友好同盟相互援助条約と同日締結した協定により中華人民共和国へ編入。1952年には朝鮮戦争に参戦し、韓国軍とアメリカ軍を主体とする国連軍を阻止した。1954年9月の第1期全国人民代表大会において、ソ連のスターリン憲法を範とする「中華人民共和国憲法」(略称:54年憲法)を採択し、それまでの人民民主統一戦線体制の「共同綱領」ではなく一党独裁制へ移行した。このような力は必ずしも政治だけのものではなかった。三反五反運動が体制を浄化することに成功したことも忘れてはならない。中華人民共和国は、毛沢東の指導の下で大躍進政策核開発を行った。1959年のチベット蜂起を鎮圧し、1962年にはインドと武力衝突した(中印国境紛争)。

1949年の中華人民共和国成立後、「向ソ一辺倒」の下で中ソ両国は友好関係を保っていたが、1956年フルシチョフ第一書記によるスターリン批判後、西側諸国との平和共存路線を図るソ連と自由主義世界との妥協を拒否する中華人民共和国との間で中ソ対立が生じ、中国を支持したエンヴェル・ホッジャが指導するアルバニアと共にソ連から世界の共産主義運動の主導権を奪おうとし、1969年には両国の国境地帯に位置した珍宝島/ダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争が勃発した。また、内政では大躍進政策の失敗によって失脚していた毛沢東が、1966年より経済の立て直しを巡る対立からプロレタリア文化大革命(文革)を発動し、官僚化した中国共産党を打倒しようと呼びかけた毛沢東の訴えに紅衛兵が呼応したため、「造反有理」、「革命無罪」の呼号の下、宗教関係者などの「反革命」派と目された人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。内モンゴルの先住民族に対しては内モンゴル人民革命党粛清事件などの粛清を行った[58]

外交では1971年の第26回国際連合総会にて採択されたアルバニア決議の結果、それまで国際連合常任理事国だった中華民国に代わって国連安全保障理事会常任理事国となった。また、ソ連との関係では中ソ対立が継続していたため、1972年2月21日リチャード・ニクソン大統領訪中を契機にソビエトと対立するアメリカ合衆国との関係が緩和され、同年9月29日には日本田中角栄首相と日中国交正常化を果たし、ソ連の影響から離れて資本主義諸国との関係を改善した。以後、西側諸国から経済支援を受け、国際社会に強い影響力を持つことに成功した。1974年には南シナ海に侵攻し、当時の南ベトナム支配下の西沙諸島を占領した(西沙諸島の戦い)。文化大革命は1976年の毛沢東の死と共に終結した。その後、「二つのすべて」を掲げた華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月の第11期3中全会鄧小平が実権を掌握した。

鄧小平の時代

1978年より始まる鄧小平時代以降の中華人民共和国は、鄧小平理論に基づいて政治体制は中国共産党による一党体制を堅持しつつも、市場経済導入などの改革開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた(中国特色社会主義)。中ソ対立の文脈の中で、1978年12月にカンボジア・ベトナム戦争によってカンプチア救国民族統一戦線ベトナム人民軍民主カンプチアに侵攻し、1979年1月に中国が支援するカンボジアポル・ポト政権を打倒すると、1979年2月には親中派の民主カンプチアを打倒した親ソ派のベトナムに侵攻した(中越戦争)。その後もソ連派のベトナムとの関係は悪く、1984年には再びベトナムと中越国境紛争を戦い、1988年にベトナム支配下のジョンソン南礁を制圧した(南沙諸島海戦)。

1980年代以来の経済の改革開放の進展により、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢を取り続けている。1989年六四天安門事件での対応などはその一例である。当時のソビエト連邦(ソ連)ではミハイル・ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカにより、経済の自由化のみならず、政治の自由化まで推し進められようとされていたが、鄧小平の自由化は、経済に限定されていた。1985年にゴルバチョフが北京を訪れた際、世界はゴルバチョフを賞賛するとともに、鄧小平の改革開放路線を中途半端なものとして批判した。この空気は、国内にもくすぶり、共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がるほどであったが、その延長線上で民主化要求の大規模な政治運動である六四天安門事件が起こる。なお、フランス留学歴のある鄧小平は、包玉剛を通じて香港上海銀行と関係していた。

江沢民の時代

天安門事件から江沢民が台頭した。1992年、それまで「従業員と企業が保険料を社会統括基金に全額上納していた」年金制度を改め、上納先に個人口座が加えられた[59]。1998年に投資信託制度が開始された[60]。2001年に国内の資産運用会社は社会保障基金の運用管理業務を認められた[60]。2002年、中国は適格海外機関投資家に対して上海・深圳市場でのA株売買を認めた。

2003年3月頃から中華人民共和国広東省を起点する重症急性呼吸器症候群SARSコロナウイルス)の大流行の兆しを見せ始めた。

2005年、資産運用会社は企業年金の運用管理業を認められた[60]。2006年、適格海外機関投資家の国内証券市場投資がルール化された。

胡錦濤の時代

2007-8年、資産運用会社は投信運用管理業務と一般法人投資顧問業を認められた[60]。2009年、適格海外機関投資家のトップ10は、首位からUBSシティグループフォルティスグループクレディ・スイス日興アセットマネジメントドイツ銀行モルガン・スタンレーHSBC野村證券INGグループである[61]。全部で85機関が認定されており(同年7月現在)、アビバのような保険会社もふくまれている。中国の人口、すなわち年金市場は、国家支配を脱却したまでは良かったが、適格海外機関投資家をふくむ資産運用会社が大衆貯蓄をシャドー・バンキング・システムに振り向ける構造へ変わった。人口の高齢化は企業の抱える年金債務を増やしたので、官民挙げて一人っ子政策を緩和し保険料収入の増加に努めている。

習近平の時代

2012年11月15日習近平中国共産党中央委員会総書記中央軍事委員会主席に選ばれた。このとき中国は大きな不正会計事件で世界の注目を浴びていた。1月に破綻したチャイナ・メディカル・テクノロジーズ(China Medical Technologies)は、2004年にケイマン諸島で発足するも中国を拠点として、先端技術により体外診断用医療機器を開発・製造・販売する企業であり、会社とCEOは株主から集団訴訟を提起された。会長の決まった11月、清算人が香港警察とFBIに不服を申し立て、会社の発行した株と社債で募集された4億ドルが行方不明になっており、また、CEOの妻が相当な額をカジノへ費やしたことを主張した。

2013年、日本人の関心は東南アジアから中国の沿岸地域で発生するPM2.5に向けられていた。もっとも、専門家はシャドー・バンキング・システムの急激な伸張を観測していた。先の不正会計事件は世界金融危機時の状況までさかのぼって調べられた。2014年、シャドー・バンキング・システムに頼らないで済むよう、地方自治体が債券を発行できるようになった。

2017年9月、中国科学院傘下のレジェンド・コンツェルン(Legend Holdings)は、ルクセンブルクのBIL銀行を買収した。老舗銀行の売主はカタール王族らの投資機関プレシジョン・キャピタルであった。11月10日、中国当局は、外国企業が国内の証券会社と資産運用会社の過半数株式を保有することを認めると発表した。外資の出資比率の上限を現在の49%から51%に引き上げ、3年後に上限を撤廃する予定だ。商業銀行に対する外資出資比率も上限を廃止する。2018年3月30日のロイター報道によると、KPMGがチャイナ・メディカル・テクノロジーズの不正会計事件をめぐり香港高裁で苦戦している。9月4日の国内メディア報道によると、政府は地方債を銀行が全額購入できるよう規制を緩和した。シャドー・バンキングを封じるための地方債は、結局レポ取引で活用されることになったのである。

2019年に新型コロナウイルス武漢市で発生し、世界中で流行する事になった。中国国内ではコロナウイルスの蔓延を徹底的に防止したが2022年には再び国内でコロナウイルスが蔓延した。そのため上海などの経済都市に対して政府はロックダウンの措置をとった[62]

地理

国土の外観

中国の地形を示す合成衛星画像

中華人民共和国はアジア大陸の東部、太平洋の西海岸に位置し、国土は9,634,057km²とロシアカナダに次ぐ面積であり、世界第3の大きさである[注 9]。領土は北は漠河以北の黒竜江(アムール川)の中軸線から、南は南沙諸島の一部まで。東は黒竜江とウスリー川の合流する地点から、西はパミール高原まで広がっている。主要河川として黄河長江があり、それぞれ黄河文明長江文明を育んだ自然の恵みでもある。陸地の国境線は2万2800キロで、東は朝鮮民主主義人民共和国、北はモンゴル、北東はロシア、北西はカザフスタンキルギスタンタジキスタン、西と南西はアフガニスタンパキスタンインドネパールブータン、南はミャンマーラオスベトナムと接している。なお、インドとの間ではアルナーチャル・プラデーシュ州アクサイチンの領有権をめぐって、国境が確定していない。

東部と東南部は韓国日本フィリピンブルネイマレーシアインドネシアと海を挟んで接している。海岸線は約1万8000キロで、中国大陸の東部は渤海黄海東シナ海に、南部は南シナ海に臨んでいる。海域には5,400の島が点在する。これらの島嶼では南沙諸島西沙諸島台湾地区尖閣諸島の領有権を主張しており、その一部は既に実効支配している。

交通機関

中国における交通機関は運河海路を長大な歴史にわたり活用し発展してきた。中国は現代史の一定期間だけ自転車天国だったかもしれないが、中国全体の交通事情をそのように想像するのは大きな誤解となる。中華人民共和国の鉄道の一部は列強による中国分割の途中に敷設されたものがある。国有化されても影響は残るものである。それはロシアの鉄道にフランス資本が注入されたケースに共通する。中国にもフランス資本は直接・間接に導入された。自動車道も鉄道沿線に網を張った。中国の国道は経済格差を反映し東部で密に整備されている。中華人民共和国の高速道路は外資がなだれこんだ2003年から整備が進んだ。

中国地理大区

中国地理大区

中国では、政府の行政区分地理に基づいて大別した中国地理大区中国語版が用いられており、現行の地理大区は中国全土を東北華北華東中南西南西北の6つに区分している。

中華民国時代には、中国本土華北華中華南に区分し、熱河省以外の南満州を「東北」、内蒙古外蒙古、熱河省を「塞北」、チベットアムドカムウー・ツァン全域)と新疆(東トルキスタン)を「西部」に区分していた。しかし、中華人民共和国になって地域の区分が変わり、華中・華南が地理大区としては用いられなくなった。

国土の形はその形からニワトリの形と例えられている。

チベット自治区・青海省その他のチベット東部

民国期(1912年-1949年)のチベットは、アムド地方(=青海省,甘粛省の西南部など )を抑える馬一族回族政権、カム地方の東部(=西康省を抑える劉文輝政権、中央チベット(=西蔵,ウー・ツアン地方とカム地方西部)を抑えるガンデンポタンなどが割拠する状況であった。馬歩芳は人民解放軍に逐われて1949年8月に地盤の甘粛青海を放棄し、重慶香港経由でサウジアラビアに亡命、劉文輝は、「建国」後の1949年12月に中華人民共和国に投降した。

1950年に中国政府は人民解放軍を中央チベットに向けて派兵、チャムド戦役を経て同年中にカム地方西部を制圧、翌1951年、残るウーツァン地方も制圧、ガンデンポタンとの間にいわゆる「十七ヶ条協定」を締結(「西蔵和平解放」)、この協定のもと、ガンデンポタンは「西蔵地方政府」と位置付けられた。

この協定では、「西蔵には改革を強制しない」と規定されていたが、「西蔵」の外部(=ガンデンポタンの管轄外)に設置された青海省甘粛省甘南州四川省ガパ州(=アムド地方)、四川省のカンゼ州・雲南省のデチェン州(=カム地方の東部)などでは「民主改革」とよばれる土地制度をはじめとする各種の社会制度改革が1955年より開始された。世襲の領主制、一部名望家による大規模な土地所有、牧畜群所有などに対する改革は民衆の歓迎をうけたが、寺院財産に手が付けられるに及び中国統治への反感は一挙にたかまり、1956年より、アムド地方・カム地方における一斉蜂起がはじまった。この蜂起により、中国の統治機構は一時的に青海省その他のチベット東部地方各地から一掃されたが、中国人民解放軍による反撃がただちに開始され、チベット東部地方の旧指導層や民衆は、難民となって、ガンデンポタンのもとでまだ平穏をたもっていた「西蔵」に逃げ込んだ。

1959年に「農奴制革」に反発したチベット人貴族・僧侶「農奴制革」が蜂起(=「チベット動乱」)した。しかし中国軍の強力な反撃により弾圧され、ダライ・ラマ14世は多数の元貴族と共にインドへ脱出して、亡命政府を樹立した。現在ダライ・ラマ率いるチベット亡命政府が中国共産党に対してチベットの独立を要求している。

2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶を含む多数の一般市民の抗議行動が激化し、中心部の商店街から出火、武装警察(中国人民武装警察部隊)などが鎮圧に当たり多数の死傷者が出た。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表され[63]、同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた[64]

アメリカのバラク・オバマ大統領は、チベット仏教の最高指導者の一つであるダライ・ラマ14世と4回にわたって会談を行っており、2016年6月15日には中国外務省がチベットの分離独立を後押しするダライ・ラマ14世の主張に正統性を与えかねないとしてアメリカ政府を厳しく批判した[65]。6月26日には、レディー・ガガがダライ・ラマ14世と意見交換をし、中国政府は不快感を表明した[66]

新疆ウイグル自治区 

画像外部リンク
新疆ウイグル自治区ロプ県の強制労働施設に収容されている少数民族ウイグル族の男性達

新疆ウイグル自治区東トルキスタン)の分離・独立を目指す組織勢力が国内外に多数存在しており、アメリカ東トルキスタン亡命政府を樹立するなど活動を行っている。2009年ウイグル騒乱では、約200人の住民(新華社によると主に漢族)が殺害された[67][68]。ウイグル独立団体の主張によると、2014年7月に発生した暴動でもウイグル人が大量に殺害されている[69] 当局は情報統制を敷いており事件の真相は不明だが、当局側は59人の射殺を認めている[68][70]。2015年12月1日には、政府系メディアなどが対ウイグル人政策で批判的記事を書いた外国人記者に対して個人攻撃をおこなったことについて、中国外国人記者会が深い懸念を表明した[71]。12月26日には、この外国人記者が国外退去処分となった[72]

2015年7月9日、 タイ政府が中国からの保護を求めて2014年3月に入国した300人以上のウイグル人のうち約100人を中国に強制送還したことが国際問題となった。保護を求めたウイグル人は、タイやマレーシアなどを経由してトルコへ渡ることを目指しており、国連はタイ政府の対応を非難[73]亡命したウイグル人が多く暮らすトルコでは、イスタンブールで抗議デモが発生した。また、アメリカ政府は中国に対して「国際的な人権基準に基づいて適切に対応するよう求める」と牽制した[74]。また、エジプトでもウイグル人の中国への強制送還が相次いでることも問題となっている[75]

2016年末から「職業訓練」と称してウイグル人の強制収容所を設置するようになり、衛星写真で確認できる限りでは年々収容所の規模が大きくなっている。2018年時に収容者数は89万人以上という内部データもある。2021年1月にアメリカ政府は中国のウイグル政策についてジェノサイド(大量虐殺)政策と認定した[15]。これに続いて、カナダの下院オランダの議会がそれぞれ、2021年2月に中国のウイグル政策をジェノサイドと認める非拘束性の動議を可決した[16][17]。2021年4月にイギリスの下院はジェノサイドと認定する決議を可決した[18]。2021年5月、リトアニア共和国議会もジェノサイドと認定する決議を可決した[19]。2022年1月20日にはフランスの国民議会(下院)もジェノサイドと認定し、拘束性はないがフランス政府にウイグル族の救出のための行動を求める決議を出した[20]

政治

中華人民共和国は憲法前文で、孫文が指揮する辛亥革命中華民国創立の意義は認めつつ、中華民国が帝国主義封建主義に反対する任務を達成できなかった為に、中国の諸民族人民を率いる中国共産党が新民主主義革命によって官僚資本主義の支配(蔣介石政権)を覆し、同国を建国したとしている。そのため同国は、中国旧来の政治的実体である中華民国が1955年大陳島撤退)以降も引き続き残存している台湾[注 10]台湾島澎湖諸島金門島馬祖島及びその他島々[76])も「中華人民共和国の神聖な領土の一部」とみなし、台湾を実効支配下に置くこと(祖国統一)を「台湾の同胞を含む全中国人民の神聖な責務」であると憲法前文で規定している。

国家の統治体制

全国人民代表大会議事堂である北京市の人民大会堂

憲法より上位の存在である中国共産党と憲法を拠り所とするその衛星政党(「民主党派」)以外の政党は認められておらず、国民には結党の自由がない。

立法機関として全国人民代表大会が置かれ、行政機関として、国務院が、司法機関として、最高人民法院最高人民検察院が存在する。法律上は全国人民代表大会に権限が集中する。この他に衛星政党や各団体、各界の代表なども参加する中国人民政治協商会議が存在するが、「国政助言機関」[77] であって法律の制定権などは持っていない。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。

実際には国政を動かすのは中国共産党であり、共産党の最高指導集団である中央政治局常務委員会が権力を掌握する構造となっている、実権は中国共産党中央委員会総書記が握っていた、中華人民共和国主席(国家主席)の権限は儀礼的・名誉的なもので、彼らの権力の源泉は支配政党である共産党の総書記職であった。最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。

習近平総書記と李克強総理

2022年10月現在の最高指導グループである第20期中国共産党中央政治局常務委員は以下の通り。

  1. 習近平 - 序列第1位 中国共産党総書記国家主席中央軍事委員会主席
  2. 李強 - 序列第2位 国務院総理(首相)
  3. 趙楽際 - 序列第3位 全人代常務委員長(国会議長)
  4. 王滬寧- 序列第4位 政協全国委員会主席
  5. 蔡奇- 序列第5位 中国共産党中央書記処書記
  6. 丁薛祥- 序列第6位 国務院副総理(副首相)
  7. 李希 - 序列第7位 中国共産党中央規律検査委員会書記

一国二制度

1997年イギリス統治から返還された香港1999年ポルトガル統治から返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。香港基本法により、高度な自治、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能。

地方行政区分

2017年現在、中華人民共和国の行政区分は22の省、5つの自治区、4つの直轄市、及び2つの特別行政区から成る。中国政府は地方政府独自の旗を禁止しており特別行政区の香港、マカオを除き独自の旗を持っていない[78]

自治区

直轄市

特別行政区

新疆ウイグル自治区チベット自治区青海省甘粛省四川省雲南省寧夏回族自治区内モンゴル自治区陝西省重慶市貴州省広西チワン族自治区山西省河南省湖北省湖南省広東省海南省河北省黒竜江省吉林省遼寧省北京市天津市山東省江蘇省安徽省上海市浙江省江西省福建省香港特別行政区マカオ特別行政区台湾省 (中華人民共和国)
中華人民共和国の各行政区分の位置(クリックでリンク先に移動) / 表示 

治安

中国の治安状況は全体としては安定しており、過去に比べると大きな変化を見せている。中国政府の統計によると2019年の各種刑事事件の立件数は、合計約486.2万件で、前年比で約4%減少している。

だがその一方、詐欺事件の立件数は約143.4万件で、前年比約24%増と大幅に増加していて振り込め詐欺も多発している。窃盗事件の立件数は約225.8万件となっていて、前年比で約19%減少しているものの、日本人が旅券・貴重品の窃盗・盗難等の被害に遭うケースが報告されている実状がある。他には金融被害(偽札、カードのスキミング等)の報告も確認されている[79]

治安と軍事

警察

毛沢東の肖像画が掲げられた天安門における中国人民武装警察部隊員
公安部
武装警察部隊
その他

情報機関

国家安全部
中国人民解放軍
中国人民解放軍
公安部
網絡警察
共産党
国務院

副主席: 張又侠

中華人民共和国憲法によれば、形式的には、国家中央軍事委員会中国人民解放軍(現役部隊、予備役部隊)、中国人民武装警察部隊中国民兵など全国の武力を指導するとある。しかし現実は、中国共産党党中央軍事委員会がほぼ国家中央軍事委員会のメンバーを兼ねており、実質的には中国共産党の指導の下、軍・警察を支配しており「中国共産党傘下の軍隊」となっている。

軍隊近代化のため、兵力20万人削減を、2015年9月3日の「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」で習近平党総書記が表明し、総兵力は約150万人となった。

中華人民共和国には兵役制度が存在するが志願者で賄っている[80]。青年らは何らかの形で武装警察、あるいは現役の正規軍に任務につき、任務後は民兵の任務に就くことが可能である。こうした準軍事組織は150万人の武装警察、600万人の民兵があり、削減された解放軍兵士の受け皿にもなっている。

また、中華人民共和国は核兵器を保有している。

軍事費

ストックホルム国際平和研究所の統計によると、2020年の中華人民共和国の軍事費は為替レートベースで2520億ドル で、アメリカ合衆国に次いで世界で2位(世界シェア12.7%)であり、2011年比で76%増加した[81]

中華人民共和国の軍事費の増加をアメリカ合衆国が非難をしており、中華人民共和国は「中国の国防は防御的なものであるし、今までの歴史に他国を侵略したこともない」と覇権目的ではないと反論している[82]

中華人民共和国は湾岸戦争アフガニスタン戦争イラク戦争などで、アメリカ合衆国軍の軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新による軍事的成果に影響されて、軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新に力を入れている。

軍備近代化を印象付ける出来事として2007年1月18日、中華人民共和国が過去に打ち上げ廃棄処分となっていた人工衛星弾道ミサイルによって破壊する実験を行い成功した。この実験に対しアメリカ航空宇宙局は、宇宙開発への危険性は無いものの、スペースデブリが発生するこの手の実験に関する懸念を表明した。2007年2月21日には、国際連合の宇宙空間平和利用委員会で、宇宙空間での人工衛星破壊を禁止する法案が採択された。

核先制不使用

2011年までの中国国防白書には「中国は、いつ、いかなる状況下であっても、核兵器を先制的に使用しない」と核保有国で唯一核の先制不使用を表明していたが、2013年から記述が削除された[83]

なお2022年、核保有5ヶ国の共同声明では「核戦争に勝者はいない。核戦争を絶対に始めてはならない」と発表、新華社通信で馬朝旭外務次官は「中国は先制不使用を掲げている」と答えている[84]

国際関係

中華人民共和国の外交関係一覧図。緑色で塗られた諸国は中華人民共和国と国交を有し、赤色で塗られた諸国とは国交を有してない。黄土色で塗られた地域は係争地。

概要

中華人民共和国の国際関係において特筆すべきことは、同国政府が中華民国政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であると主張している点である。

中華人民共和国は、冷戦構造の下、建国当初は完全に東側陣営に組み込まれていた(向ソ一辺倒)。しかし、1956年スターリン批判後の中ソ対立で決裂した。1968年プラハの春におけるソ連の軍事介入を「社会帝国主義」と批判し、同じく共産圏でソ連と距離を取るルーマニアユーゴスラビア北朝鮮アルバニアなどとの関係を深めた。このころの中華人民共和国は、アジア・アフリカ会議非同盟運動に関わるなど第三世界と連携しており、人民戦争理論など第三世界の左派に与えた影響は大きい。

東側諸国や第三世界の支持も集めた国際連合総会に於けるアルバニア決議によって国連安保理の常任理事国となって中華民国を国連から追放させることに成功し、さらにアルバニア決議に反対した日米にも接近して1972年ニクソン大統領の中国訪問日中共同声明採択によってアメリカ合衆国と日本を始めとする西側諸国との関係の回復を果たした。

また、3つの世界論を掲げて冷戦下における西側諸国と東側諸国との微妙なバランスをとりつつ、「中国を代表する正当な政府は中華民国ではなく、中華人民共和国である」とする一つの中国政策を東側だけでなく、西側諸国の多くに確認させることも成功を収めた。

1978年から始まる改革開放路線以降、経済面での資本主義諸国との関係も強め、2001年には世界貿易機関(WTO)にも加盟した。冷戦終結後は北大西洋条約機構に対抗してロシア中央アジア諸国と連携を強化し(上海協力機構、SCO)、また、東南アジア諸国ともASEAN自由貿易地域FTAを締結、かつては戦火を交えた大韓民国やさらには中華民国ともFTAを締結するなど、経済活動を絡めた積極的な地域外交を展開している。韓国とともに同じASEAN+3でもある日本に対しては胡錦涛政権は、対日新思考を打ち出した。

区分としては開発途上国に含まれるため、国際会議等で「開発途上国の代表」と表現されることはあるも、G77では中華人民共和国はG77の支持国を自任してるため[85]、公式声明や国連の決議文書などでGroup 77 and China(G77プラス中国)を使用してきた[86]。また、開発途上国であることを理由に、日本などの先進国から長年に渡り膨大な開発援助を受けているが、一方で他のさらに貧しい国に対して、国際的影響力を確保することを目的として開発援助を行っている。例えば、アフリカ連合本部は中国政府の全額負担で建設された。

急速な経済成長を遂げ、中国人民解放軍の軍備拡張を続ける中華人民共和国に対して、周辺諸国やアメリカは警戒感を持ち(中国脅威論)、また、人権問題・両岸問題・国境問題など、中華人民共和国の国際関係は緊張をはらむ。

中国に対するグローバルな認識

2020年 ピュー・リサーチ・センターの国際世論調査
中国に対する印象[87]
調査対象国 肯定 否定 どちらでもない 肯定-否定
日本の旗 日本
9%
86%
5 -77
スウェーデンの旗 スウェーデン
14%
85%
1 -71
オーストラリアの旗 オーストラリア
15%
81%
4 -66
デンマークの旗 デンマーク
22%
75%
3 -53
イギリスの旗 イギリス
22%
74%
4 -52
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
22%
73%
5 -51
大韓民国の旗 韓国
24%
75%
1 -51
カナダの旗 カナダ
23%
73%
4 -50
オランダの旗 オランダ
25%
73%
2 -48
ベルギーの旗 ベルギー
24%
71%
5 -47
ドイツの旗 ドイツ
25%
71%
4 -46
フランスの旗 フランス
26%
70%
4 -44
スペインの旗 スペイン
36%
63%
1 -27
イタリアの旗 イタリア
38%
62%
0 -24
2017年 BBCワールドサービスの国際世論調査
調査対象国別の対中国観[88]
調査対象国 肯定 否定 肯定-否定
スペインの旗 スペイン
15%
68%
–53
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
22%
70%
–48
インドの旗 インド
19%
60%
–41
トルコの旗 トルコ
29%
54%
–25
フランスの旗 フランス
35%
60%
–25
インドネシアの旗 インドネシア
28%
50%
–22
イギリスの旗 イギリス
37%
58%
–21
ドイツの旗 ドイツ
20%
35%
–15
カナダの旗 カナダ
37%
51%
–14
オーストラリアの旗 オーストラリア
46%
47%
–1
ブラジルの旗 ブラジル
45%
38%
7
ギリシャの旗 ギリシャ
37%
25%
12
ペルーの旗 ペルー
49%
34%
15
ロシアの旗 ロシア
44%
23%
21
メキシコの旗 メキシコ
55%
26%
29
ケニアの旗 ケニア
63%
27%
36
パキスタンの旗 パキスタン
63%
12%
51
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
83%
9%
74
中華人民共和国の旗 中国
88%
10%
78
2017年 ユーロバロメーター英語版の国際世論調査
調査対象国別の対中国観[89]
調査対象国 肯定 否定 肯定-否定
チェコの旗 チェコ
25%
69%
–44
フランスの旗 フランス
21%
63%
–42
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
24%
61%
–37
ドイツの旗 ドイツ
26%
61%
–35
スウェーデンの旗 スウェーデン
31%
64%
–33
イタリアの旗 イタリア
29%
60%
–31
スペインの旗 スペイン
29%
59%
–30
オランダの旗 オランダ
32%
60%
–28
デンマークの旗 デンマーク
32%
59%
–27
ベルギーの旗 ベルギー
34%
61%
–27
オーストリアの旗 オーストリア
34%
57%
–23
フィンランドの旗 フィンランド
36%
55%
–19
マルタの旗 マルタ
30%
47%
–17
スロベニアの旗 スロベニア
41%
53%
–12
ポーランドの旗 ポーランド
37%
48%
–11
ハンガリーの旗 ハンガリー
40%
50%
–10
ポルトガルの旗 ポルトガル
36%
45%
–9
スロバキアの旗 スロバキア
36%
44%
–8
アイルランドの旗 アイルランド
39%
47%
–8
ギリシャの旗 ギリシャ
45%
49%
–4
イギリスの旗 イギリス
39%
41%
–2
エストニアの旗 エストニア
43%
35%
8
リトアニアの旗 リトアニア
49%
36%
13
クロアチアの旗 クロアチア
54%
39%
15
ブルガリアの旗 ブルガリア
47%
31%
16
ルーマニアの旗 ルーマニア
56%
34%
22
ラトビアの旗 ラトビア
51%
29%
22
キプロスの旗 キプロス
58%
27%
31

BBCワールドサービスピュー・リサーチ・センターユーロバロメーター英語版が定期的に実施している世界各国を対象とした対他国感情に関する調査によれば、調査対象国における対中・対中国人感情は否定的な回答を示しており、中国は、世界に対して悪影響を与えていると評価されている。なかでも人権意識が強い欧米諸国は、チベット問題ウイグル問題香港問題の影響から、中国に対する悪感情が形成されており、中国を否定的にとらえる回答が多い傾向にある。さらに、2020年パンデミックとなった新型コロナウイルス感染症が主要因となり、中華人民共和国国家安全部シンクタンクである現代国際関係研究院英語版は、反中感情天安門事件以来の高まりとなっていると結論づけており[90]アメリカ合衆国カナダオーストラリア欧州連合などの欧米諸国に限らず、係争地域で死者の出る衝突が起きたインド韓国日本南シナ海問題を抱える東南アジア諸国連合関係国などのアジア諸国を含む国際社会での反中感情は過去最悪[91]

2020年シンガポールシンクタンクであるISEASユソフ・イサーク研究所英語版ASEAN諸国の政府高官、学者、専門家など1300人を対象に実施した調査によると、ASEAN諸国では中国の政治・経済的影響力への警戒感が広がっており、中国に不信感があるという割合は、2019年の52%弱から2020年には60%強に上昇し、また40%近くが「中国は現状の秩序を打ち壊そうとする勢力で、東南アジアを自らの影響圏に入れようとしている」との認識を示した[92]ISEASユソフ・イサーク研究所英語版は、「中国の著しい影響力に対する地域懸念は、強大なパワーの使い方に不透明感があるからだ」とし、中国の台頭が平和的ではないとの懸念を高めていると指摘しており、特に中国に対する不信感は、南シナ海問題で中国と争っているベトナムフィリピンで際立っている[92]

2021年5月習近平総書記最高指導者)は「自信を示すだけでなく謙虚で、信頼され、愛され、尊敬される中国のイメージづくりに努力しなければいけない」と語り、外国から「愛される中国のイメージづくり」を指示し、中国共産党が組織的に取り組み、予算を増やし、「知中的、親中的な国際世論の拡大」を実現するよう対外情報発信の強化を図るよう訴えた[93]。これは近年の中国外交は批判に対して攻撃的に反論する戦狼外交を展開してきたが、戦狼外交は中国内では支持を得ているが、国際社会では反中感情を高めており、高圧的な対外発信で中国の好感度が下がっていることへの反省があるとみられる[93]

アメリカ合衆国

中国はアメリカ合衆国を最大の諜報活動の対象としているとみられ、国家安全省の他に中国共産党中国人民解放軍、国有企業もその活動に加わることがある。アメリカ合衆国政府の国家情報会議のジョエル・ブレナー(Joel F. Brenner)専門官は「米国を標的として活動する140カ国ほどの諜報機関でも、中国が最も活発」と述べた。また中国のスパイ活動研究の権威として知られるデービッド・ワイズは、軍事面でも超大国を目指す中国は、アメリカ合衆国を追い越すために、軍事機密を標的にしていると指摘し、近年ではF-35戦闘機の機密や核弾頭の軽量化技術を奪取したと述べた[94]。また、2005年7月、中国人民解放軍の朱成虎少将は「米国が台湾海峡での武力紛争に介入し中国を攻撃した場合、中国は対米核攻撃に踏み切る用意がある」と発言した[95]

2015年5月、中国が南沙諸島で建設中の人工島を米偵察機が偵察した。この事件をめぐって、両国は2001年4月に米中両軍機が南シナ海上空で衝突して以来の緊張状態となった。アメリカ合衆国政府は、スプラトリー諸島(南沙諸島)の12海里以内に米軍機を進入させる可能性を表明しており、中国外務省は「言動を慎むよう求める。私たちは関係地域に対する監視を密にし、必要に応じて適切な措置を取る」と反発した[96]。なお、7月末にマレーシア航空370便墜落事故の残骸の一部が発見された。

以前はパナマは台湾と外交関係があり中国とは国交がなかったが、中国は、アメリカ合衆国の「裏庭」ともいわれるカリブ海に出ることを念頭に国交を樹立し、パナマ最大のマルゲリータ島港を99年租借する契約を交わした[97]

トランプ政権後期頃から米中関係が本格的に悪化しはじめ、アメリカの対中姿勢の硬化は後任のバイデン政権にも引き継がれ、2021年3月にバイデン大統領は米中関係を「21世紀における民主主義と専制主義の闘い」と定義づけた[98]

台湾(中華民国)

「両岸」とは台湾海峡を挟んだ中国本土台湾の海岸を指しており、そこから「両岸関係」は台湾を実効支配する中華民国と中華人民共和国との関係を指す言葉となっている(二つの中国)。

1946年から激化した国共内戦に勝利した中国共産党1949年に中華人民共和国を中国に建国、同年中に国民政府は、日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に移った。それ以来、中華人民共和国は中華民国と「中国における正統政府」の座を巡って対立し、両国共に互いの統治する地域の支配権を主張して譲らなかった(台湾問題)。

国共内戦の延長で1954年に「台湾解放宣言」[99] を出し、第一次台湾海峡危機(1954年 - 1955年)と金門砲戦1958年 - 1979年)を起こしたが武力による台湾占領には至らなかった。

中華人民共和国政府は国際連合における「中国」代表権を求めて諸外国に外交的に働きかけた他、「中華民国政府が実効統治している台湾を中華人民共和国の領土」と見なして領有権を主張し、「台湾解放」の名の元に金門島への砲撃を度々行った。その後、冷戦下におけるアメリカとソ連の間の対立や、ソ連と中華人民共和国の対立の激化などの政治バランスの変化に伴い、中華民国が国連の「中国」代表権を喪失して国際的に孤立し、中華人民共和国も改革・開放を推進するようになると、中華人民共和国政府は「一国二制度」といった統一の枠組みの提案や「三通政策」といった穏健的な統一政策を通じて両岸関係の改善を図った。1992年には両国政府関係者が「一国共識、各自表述(「一つの中国」を共通認識とするが、解釈はそれぞれが行う)」の統一原則を確認するまでに至った。

だが、1990年代に入ると、中華民国では李登輝中華民国総統による政治体制の民主化が進められ、それに伴い中華民国では、中華民国とは別個の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動(台独運動)が活発化し始めた。このような動きに対し、中華人民共和国は総統選挙1996年から実施)における台独派(泛緑連盟)候補者の当選阻止を目指して軍事演習で威嚇するなど強硬姿勢をとった。しかし、いずれの選挙においても阻止するには至らなかった。

このことを教訓としてか、2005年3月14日には中華人民共和国で反国家分裂法が成立した。この法律は中華人民共和国による中華民国の武力併合に法的根拠を与えることを名目とする。こうした経緯で、今日の中華民国と中華人民共和国の関係は、台湾問題として東アジア地域の不安定要素と見る見方も一部で存在する。中華民国にも「台独」に反対する「中国派」の人々(泛藍連盟)が存在している。こうした動きにおいては、中国国民党が有力な存在である。国民党党首・連戦は、2005年4月26日5月3日にかけて中華人民共和国を訪問、共産党党首・胡錦濤と60年ぶりの国共首脳会談を実施した。

2010年に台湾との間で両岸経済協力枠組協議(ECFA)が締結されたが、サービス貿易協定は4年後批准を拒まれた(ひまわり学生運動)。

2010年代に入ると一つの中国による台湾問題の解決を「(自国の)核心的利益の一つ」と規定するようになり、基本的には九二共識の合意に基づいた平和的な中国統一を目指しているが、一方で中国人民解放軍の武力による台湾制圧の可能性も指摘されている[100]

中華民国海軍の元軍艦長で軍事評論家の呂礼詩は、中華人民共和国の習近平総書記最高指導者)は自身のレガシーのためにも台湾統一にこだわると分析している[101]

日本

日中関係史は古代からのものであるが、現在の日本国と中華人民共和国の外交は1972年9月29日の日中共同声明に始まる。その後両国は1978年8月12日、日中平和友好条約を締結した。日本国と中華人民共和国はサンフランシスコ平和条約に署名していないため日中平和友好条約が両国にとってのはじめての条約締結となる。

両岸関係がシーレーンの安否に関わる。中国産食品の安全性は輸入量と後述の環境汚染と関係して問題となる。

領土問題

中華人民共和国及び近隣諸国間の領土問題を示した地図

インドブータンを除く12カ国(ロシアなど)とは陸上国境の画定が完了しているものの[102]、島嶼部を巡っては中国の海洋進出に伴い、領土問題を複数抱えている。

経済

IMFのデータに基づく、2012年時点での
主要経済大国の名目GDP比較図 (単位:10億米ドル)[103]

世界銀行の統計によると、2018年時点での中国のGDPは13兆8948.2億ドル[104] であり、アメリカに次ぐ世界第2位である[105]。なお、当時世界第2位だった日本のGDPを中国が抜いたのは2010年のことである。2014年はIMF・世銀・CIAによると、購買力平価換算でアメリカを超えて世界最大のGDPとなり[106][107][108]、2015年には購買力平価で欧州連合を超えて世界初の20兆ドル以上のGDPに達した国となった。ミリオネアは1億人[109]、中流層は約4億人とどちらも世界最多だが[110]世界銀行によって発展途上国に分類されている[111]。1日2ドル以下の絶対貧困人口は改善されており2019年は551万人と6年間で10分の1以下になった[112]

人民元改革のとき証券化で生じた過剰流動性が、中国版シャドー・バンキング・システムと呼べるような金融系統を発達させた。そして実際の資金運用が、不動産や株式といった金融資産の市場価格を乱高下させたり、財源を中央政府に独占された自治体をして償還の目途が立たない地方債を発行させたり、福祉制度の破綻を救わずに宇宙産業や通信産業を振興したりしている。これら市場の混乱、地方債リスク、傾斜した産業構造といった社会問題は、預金を国外へ流出させたり、あるいは国外証券を買わせたりしており、国際経済に影響を出している[113]

人民間の経済格差は深刻であり、CEICによると2019年時点でのジニ係数は0.465となっており[114]アメリカ日本などを大きく上回っている。

改革開放政策の成果

1990年から2013年までの一人当りの購買力平価GDPによる中国及び主要新興国。中国 (青) の急速な経済成長が顕著である[115]

国家成立後、1970年代中半までの経済は大躍進政策の失敗や文化大革命によって立ち遅れていた。農業を志向した社会主義経済の非効率性も経済発展の障害となっていた。このため、鄧小平の主導によって1978年に「改革開放」政策が採用され、社会主義市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、人民公社の廃止と生産責任制の実施、外資導入など、経済政策の方針を、市場経済原理による資本主義体制を大幅に取り入れたものに転換した。その結果、1980年代以降の経済は経済特区を中心として長年にわたり成長を持続している。特に香港へ人材が流出し、また経済格差も広がった。これを象徴するのがハチソン・ワンポアの隆盛であった。それまで中国人民銀行によるモノバンク体制であった中国は、1984年に四大商業銀行体制(中国銀行中国建設銀行中国農業銀行中国工商銀行)を形式上整備した。依然として国有銀行だったので、融資は中国共産党の計算で行われ、不良債権を積み上げた。これを公債市場の開放につなげるため、中央と地方の税収を分けた(中国1994年分税制改革, 2018年3月から再統合開始)。すると歳入に占める中央政府と全自治体の割合がほぼ半々になった。この比率は現在まで維持されている。そしてこの改革以降は自治体が歳出の8割以上を負担している[116]。地方債は公認の有無に関係なく発行された。現在もそれは変わらない[117]。闇での発行はシャドー・バンキングによっていた。21世紀に入ると、他に経済成長の著しいブラジル、ロシア、インド南アフリカとともに、ゴールドマン・サックスからBRICSと呼ばれた[118]2010年のGDP成長率は3年ぶりに2桁増の10.3%[119] となり、「世界第2位の経済大国」となった[120]。それまで極東の債券市場が日米欧金融機関の結集により整備されてきたが、2015年アジアインフラ投資銀行発足につながった。

証券化のはじまり

建国以来、中国の金融機関は中国人民銀行だけであって、仕事も間接金融が主流であった。その本店が支店に対して強制的な指標を提示して、地方ごとに、また業界ごとに貸出額・貸出先・預金等をコントロールしていた[121]

1965-1971年に、中国はモーリタニアイエメンカナダ赤道ギニアイタリアエチオピアチリナイジ