桂文珍

かつら 文珍ぶんちん
桂(かつら) 文珍(ぶんちん)
第25回彦八まつりで、実行委員長として[1] 開会宣言を行う(2015年9月5日)
本名 西田 勤(にしだ つとむ)[2]
生年月日 (1948-12-10) 1948年12月10日(75歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県丹波篠山市
師匠 五代目桂文枝
弟子 桂楽珍
桂珍念
桂文五郎 
出囃子 圓馬囃子
活動期間 1969年 -
活動内容 上方落語
所属 吉本興業
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
咲くやこの花賞
芸術選奨文部科学大臣賞
紫綬褒章
備考
上方落語協会理事(? - 2018年)
上方落語協会顧問(2018年 - )

桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年昭和23年〉12月10日[3] - )は、日本落語家タレント司会者出囃子は『圓馬囃子』[4][5]

兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)福井出身[2]血液型A型。2人兄妹の長男(妹1人)。吉本興業所属。大芋小学校、東雲中学校(現:篠山東中学校)[6]篠山鳳鳴高校を経て、大阪産業大学[7]。「桂珍幻彩」の名で高座に上がることもある[8][9][注釈 1]

香港を訪問した後、ラジオ番組などで「桂文珍」の漢字広東語で読んだ「クワイマンツアン」と自己紹介していたこともある。

来歴[編集]

結三柏は、桂文枝一門の定紋である。

入門まで[編集]

実家は農家。幼い頃はパイロット[要曖昧さ回避]に憧れていたが、大学に入学してすぐに父が病気で倒れ、仕送りがストップし、ガソリンスタンドでの住み込みのアルバイトを余儀なくされる。[要出典]

大阪産業大学入学後にうめだ花月で初めて落語を聴き、大学に落語研究会を創設する[11]美憂亭 さろん(ビューティーサロン)と名乗る[12]。「上方落語学生連盟」を作って他大学の研究会と交流を持ち、大学落語研究会の全国大会にも出場した(「崇徳院」を口演)[11]。プロの落語会にも何度も足を運び、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に惹かれる[13]

1969年10月に3代目桂小文枝に入門[11][12]。入門の経緯については、1993年の著書で

テレビに出演した際に共演した桂三枝(現・6代桂文枝)の勧めがあった[12]

としていたが、戸田学の著書や小佐田定雄による2013年の聞き書きでは

MBSラジオの「ヤングゴーゴー」で三枝が担当していた日のリスナー参加コーナー「フレッシュ寄席」に出演したことがきっかけで、三枝の紹介で小文枝に会った[11][13][注釈 2]

となっている。

当時、三枝はすでに人気を得ていたが依然として小文枝の家に住み込みだったため、自分が独り立ちできるよう弟弟子を探していたという[13]

当初三枝から「君は僕の次(2番弟子)やで」と言われていたが、桂きん枝(現・4代桂小文枝)が先に入門したため、3番弟子となった[12]。1993年の著書ではきん枝の弟子入りは自分の「3日前」としているが [12]、戸田学の著書や小佐田定雄の聞き書きではきん枝の入門は3か月前である[14][15]。 年齢はきん枝より上で、この入門時の経緯から、文珍はきん枝のことを「きん枝兄さん」ではなく「きん枝君」と呼んでいた[要出典]

高座名の「文珍」は習字の「文鎮」に由来する。それが決まった経緯について、文珍は1993年の著書で、

3代目小文枝が物を書いていた時に、風で紙が飛ばされそうになったため、近くにいた西田に「おい、押さえとけ」と言った。言われるまま紙を押さえたところ、小文枝がその様子を見て、文鎮にかけた「文珍」と命名した[12]

と説明していた。しかし、2013年の聞き書きにおいては、この内容を「後付け」と述べ、当初「新文枝」(しんぶんし)を小文枝から示されたが断り、次に示された「はん枝」にも「いやぁ……ちょっと」という反応を見せたところ、「『はん枝』があかんやったら『文鎮』はどや? けど金偏の『鎮』にするとちょっと重たすぎるなぁ。『珍』の字でどうや」となったのが真相であるとしている[14]

入門後[編集]

兄弟子の三枝とは異なり、きん枝も含めて近くのアパートに住む「通い弟子」となる[14]。隣室は林家染二(現・4代目林家染丸)だった[14]。初舞台は本人の記憶では、入門から約一年後の京都花月だったが、全く受けず「客というものは、きびしいんや」とショックを受けた[16]。落語のことは4代目林家小染によく相談したという[16]。若手の頃は落語だけでは食べていけず、キャバレーの司会のアルバイトを3年ほど務めていた[17]。また、ミナミの料亭の主人に勧められた「上手に人にかわいがってもらう勉強」として幇間の練習をしたこともあった[18]

1971年11月に朝日放送が開催した「1080分落語会」では、「親子酒」を演じている[19]

1974年に、『ヤングおー!おー!』のユニット「ザ・パンダ」(月亭八方・きん枝・林家小染)に参加。

この時期は高座で「芸名桂文珍、本名瀧廉太郎でございます」と名乗ったり、郷里の篠山[20] をネタにするなどしていた。

1981年3月、兄弟子の三枝が「創作落語の会 落語現在派宣言!」を開始するにあたり、文珍の提案によって会場は梅田のライブハウスとなった[21]。この落語会では、はめものにシンセサイザーを用いるなどの機軸が取り入れられ、文珍も新作「ザ・フェイム」を口演した[21]

この時期から「ニューウェーブ落語」と称したパフォーマンスを取り入れた高座を開き、一躍新時代の落語家として注目を浴びる[22]

1982年より毎年8月8日を「88文珍デー」と題して独演会を開催し、演目を増やした[23][24]。文珍は、吉本興業では「落語はアウェー」という意識があり、「落語の発表できる場所」としてこの催しを始めたという[25]。1983年の回でも、途中でシンセサイザーによる音楽を流したりレーザー光線やスモークを用いた演出をおこなった[25]。こうした試みについては後年「まだネタとしてはお客さんよりも先へ行き過ぎていた感じもあったね。鉛筆の芯が尖りすぎていた」とも述べている[25]。文珍の独演会は古典中心に変わっていったが[25]、文珍自身は、2代目桂枝雀と兄弟子の三枝の存在によって、自分の方向性を「新作と古典の共生」にしたとしている[25]

文藝評論家谷沢永一との縁から、1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(2003年まで)[26]、「文化人」としても認められるようになり、関西大学の講義録をまとめた著書がある。俳優としてはテレビドラマ『家族ジャングル』で一ノ瀬清役、『風のハルカ』で四方山一行役、『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』で天沼夕源役を演じている。

バラエティ番組の司会の仕事が増え、兄弟子の三枝と同様に軽快な司会ぶりが受け、一時期は17本のレギュラーを持つなど、小文枝一門では三枝についでテレビ出演が多いタレント活動を行った。しかし、雑誌で藤山寛美と対談した際[27]、寛美から「レギュラー17本はしんどいですな。これからはそんなんがなくなっていくから気を付けなはれ」と言われ、原点の落語に重点を移し始める[28]

1995年1月17日の未明に大阪ミナミの繁華街を歩いていたところ阪神淡路大震災に遭遇した。この震災で神戸の自宅が半壊した。ガレージに家族が住み本人は震災のトラウマでコンテナ暮らしをした[29]

2004年より年に1回、3代目桂南光米朝事務所)、笑福亭鶴瓶松竹芸能)と所属事務所の垣根を越えて落語会『夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板』を開催、落語会としては破格の6,000円を超える料金が話題となる[30]。このユニットでテレビ番組の特番に出演するなど、従来の枠を超えた活動が続いている。

2005年3月、総合司会を務める報道番組『ウェークアップ!』が、『ウェークアップ!ぷらす』にリニューアルすることに伴って、文珍が降板することになったことを機に、テレビのレギュラー出演をなくし、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明する。

2007年10月から「桂文珍独演会」25周年に合わせて全国52カ所を巡る独演会ツアー[31] を翌年4月4日まで開催し、六人の会のメンバーの他に3代目桂春団治3代目笑福亭仁鶴、桂三枝、桂南光らが高座に上がった。その後、NGKで10日間の独演会に今いくよ・くるよ中田カウス・ボタン他、吉本の漫才師がゲスト出演した。以降、毎年独演会ツアーを開催中。なお、2009年からは所属一門、事務所の枠を超えた落語会「京橋精選落語会」を京橋花月でおこなった。

2010年には、国立劇場大劇場で10日間の「東京独演会」を開催した[32]

かつて多数のレギュラーを持っていたテレビ出演については、スポットもしくはゲスト出演程度にとどめており、基本的には落語の高座を主体とした活動を続けている。

2020年2月28日から3月24日にかけて、国立劇場大劇場で前期と後期10日ずつに分けて「芸歴50周年 桂文珍 国立劇場20日間独演会」を東西落語家豪華ゲストを迎えての開催が予定されていたが[33]、スタート直前の2月25日に「新型コロナウイルス感染症の感染拡大の抑制に向けた緊急声明」が発せられ、イベント自粛が求められる中での開催となった。そのため、全20公演のうち3公演が振替・6公演が中止(うち1公演は振替後に中止決定) [34]。翌年も2021年4月29日から5月1日まで国立劇場小劇場で「桂文珍 大東京独演会Vol.13」の開催が予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が公演直前に発令され、全6公演が中止となった[35][36]

得意ネタ[編集]

新作落語古典落語の両方演じ、古典では3代目桂米朝から多くのネタの稽古を付けられた。主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」などハイテクを題材にしたもの[37]、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「不動坊」「天狗裁き」「地獄八景亡者戯」「はてなの茶碗」「らくだ」等。

人物[編集]

飛行機の操縦資格を持ち、1990年8月に自家用操縦士の技能証明、1994年4月には計器飛行証明を取得している。自身がオーナーの飛行機(ジャイロフルーク スピード・カナード SC01B-160、日本で2機存在)を操縦、公演先まで遠方飛行するなど「飛行機を飛ばす芸能人」としても全国的に有名である[38]。2003年の能登空港開港の際に第一号到着機になった。2021年5月には多発限定変更の試験にも合格している。

一方で、爬虫類全般が大の苦手。「スター爆笑Q&A」で司会をした時、スタジオに登場したヘビやイグアナを見る度に逃げ出し、セットの上に上がろうとするなど大騒動となった。これが大ウケした為番組でも爬虫類を出す回数が増え、最終回近くにはそのシーンだけをまとめた特集も放送された。

交友関係[編集]

数年前から[いつから?]明石家さんまを落語家に復帰させようとしているが、さんまには「あんたがやりなはれ!」と言い返されている。島田紳助とは番組共演中にトラブルを起こしたため不仲であり[39]、紳助の引退まで関係が修復されなかった。

西川のりおとは、KINCHO「どんと」のCMで一時期共演、せりふの「ちゃっぷい ちゃっぷい どんとぽっちぃ」は流行語にもなった。のりおは「自分だけ残りよって、ええかげんにせえよ!」と文珍に食って掛かっていたが、これはあくまでものりおのCM出演の契約が切れた降板であり、文珍・のりお双方がネタにしていた。

桂ざこばともテレビ番組出演中の出来事でいざこざがあったが、その後和解し、桂米團治襲名口上や、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)でも共演を果たしている。

甲斐よしひろからは「好きな落語家の一人」として挙げられており、かなり親交が深い。

大学時代のエピソードで、友人達と野球をやるために歩いていたら、学生運動をしている学生達に遭遇し「野球なんかして遊んでる場合か」と絡まれたが、文珍が「俺は野球がやりたいんじゃ!」と凄い剣幕で言い返して運動家達を唖然とさせた事がある[7]

2024年5月に開催の「さっぽろ落語まつり(第5回)」(テレビ北海道北海道新聞社ほか主催、協力:オフィスまめかな)では、イベントを立ち上げた三遊亭圓楽(6代目)の死去に伴い、出演者のプロデュースを引き継いだ[40]

弟子[編集]

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

落語[編集]

バラエティ[編集]

報道・情報番組[編集]

クイズ[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

映画[編集]

ラジオ[編集]

ゲーム[編集]

CM[編集]

受賞ならびに受章[編集]

出版物[編集]

CD・DVD[編集]

主なCD
  • 桂文珍 1?20(1998年-2008年、全20巻、ソニー・ミュージック・エンタテインメント)
    • 朝日名人会で録音した巻のみ『「朝日名人会」ライヴシリーズ』と書かれている。
    • 以下のボックス・セットも発売された。
      • 桂文珍 落語全集(10枚組、2007年)
      • 精選落語 桂文珍(4枚組、2007年)
      • 精選落語 桂文珍II(4枚組、2008年)
主なDVD
  • 桂文珍 10夜連続独演会 第1夜?第10夜 (2008年、全10巻)
    • 10枚組のボックス・セットも同時発売された。
  • 桂文珍 大東京独演会 一日目?十日目 (2010年、全10巻)
    • 10枚組のボックス・セットも同時発売された。
  • 桂三枝落語現在派宣言(2000年1月)
    • (1) 桂文珍「スペース・ウォーズ」、(2) 桂三枝「新世界」[61]

書籍と雑誌[編集]

著書[編集]

ゲームブック
  • 三原治 著、スタジオハード 編『さんまの名探偵 桂文珍殺人事件』双葉文庫/冒険ゲームブックシリーズ、1987年。 
関西大学の講義録
  • 桂文珍『落語的学問のすすめ』潮出版社、1989年。ISBN 4267012032 
『落語的学問のすすめ』新潮社<新潮文庫>、1993年[注釈 6]『新落語的学問のすすめ』改題
講談社+α文庫 『落語的学問のすゝめ』講談社、2006年7月。ISBN 4062810379 『落語的学問のすすめ』 (新潮社、1993年) の増訂
  • 『落語的学問のすすめ part 2』潮出版社、1990年12月。ISBN 4267012512 
新潮文庫 『落語的学問のすすめ part 2』新潮社、1993年9月。ISBN 4101189129 
講談社+α文庫 『文珍の学問のすゝめ』講談社、2006年9月。ISBN 4062810484  『落語的学問のすすめ part2』 (潮出版1989年刊) の増訂
その他
  • 『日本の大学 : この国の若者は、こんなんでっせ!』PHP研究所、1990年9月。ISBN 456952849X 
PHP文庫 『日本の大学 : この国の若者は、こんなんでっせ!』PHP研究所、1992年。ISBN 4569564658 
  • 『新落語的学問のすすめ』潮出版社、1990年。ISBN 4267015503 
新潮文庫 『落語的笑いのすすめ』新潮社、2006年3月。ISBN 4101189137  『新落語的学問のすすめ』(潮出版1990年刊)の改題
  • 『浪花友あれ : 対談集』毎日新聞社、1990年12月。ISBN 4620307688 
  • 『日本のサラリーマン : 幸せな明日は、こんなんでっせ!』PHP研究所、1991年。ISBN 456953502X 
PHP文庫『日本のサラリーマン : 幸せな明日は、こんなんでっせ!』PHP研究所、1993年11月。ISBN 4569565921 
  • 『科学する十二の扉 : 対談集』潮出版社、1992年。ISBN 4267012229 
  • 『文珍の日本史人物高座 : 笑てるうちに歴史がわかる』PHP研究所、1992年12月。ISBN 4569538088 
PHP文庫『文珍の日本史人物高座 : フムフムなるほど人間がわかる』PHP研究所、1994年。ISBN 4569566782 『文珍の日本史人物高座』 (1992年刊) の改題
  • 『世界万華鏡はいかが?』潮出版社、1993年6月。ISBN 4267013152 
  • 桂文珍 [述]、日本放送協会『文珍流・落語への招待』日本放送出版協会、2000年1月。ISBN 4141890294  2000年1月-3月期の「人間講座」テキスト(木曜日放送)
『文珍流・落語への招待』日本放送出版協会〈NHKライブラリー 122〉、2000年10月。ISBN 4140841222 
  • 『文珍でえっせー』潮出版社、2000年10月。ISBN 4267015597 
PHP文庫 『窓際のウィンドウズ』PHP研究所、2003年1月。ISBN 4569578683 
  • 『痛快!歴史人物 : 彼らは天使か、悪魔か』PHP研究所、2001年5月。ISBN 4569614906 
PHP文庫 『文珍の歴史人物おもしろ噺 : ご教訓付』PHP研究所、2006年12月。ISBN 4569667082  「痛快!歴史人物」 (2001年刊) の増訂
  • 『落語的ニッポンのすすめ』新潮社、2007年9月。ISBN 9784103053712 

共著[編集]

雑誌記事[編集]

  • 野末陳平「野末陳平のおカネ対談 (70) 夢はマンション・オーナー 落語家 桂文珍」『週刊文春』第27巻16 (1334)、文芸春秋、1985年4月、134-138頁。 
  • 「もう一つの秘めた東北人気質」(江森陽弘、ジェイアール東日本企画JR局企画部 編『「超」東北の発見 : あなたのニッポン観が変わる』ジェイアール東日本企画JR局〈非売品〉、1995年。 
  • 桂文珍「桂文珍 (落語家) 笑いで救われ癒される時代」『Voice』第291巻、2002年3月、76-80頁、ISSN 03873552 
  • 桂文珍「私の写真館?アルバムの中に (157) 落語家 桂文珍」『正論』第432巻、産経新聞社、2008年3月、17-23頁。 
  • 桂文珍、鈴木亮「編集長インタビュー 桂文珍 落語家 株は今 買いでしょう」『日経マネー』第316巻、2009年3月、90-92頁、ISSN 09119361 
  • 林真理子、桂文珍「マリコのゲストコレクション (504) 桂文珍 落語家」『週刊朝日』第115巻7 (4993)、2010年2月19日、54-58頁。 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「若いときにできなかった噺に今、あらためて手を出し、もし失敗しても自分(文珍)ではない『珍幻彩』が演じたならお客も許しやすい」と考えた[10]
  2. ^ 小文枝に会った経緯については、戸田(2014)では三枝から「うちが(弟子の数が)少ないからうちに来い」と誘われて紹介されたとなっている[11] のに対し、小佐田定雄の聞き書きでは「ヤングタウン」のプロデューサーに「君はプロにはならんのか」と言われて文珍が応じたところ、三枝が紹介したとしている[13]
  3. ^ 112スタジオ(『初笑い東西寄席2015』より番組の本部となっている。それ以前は本部がなかった)には2017年より西暦奇数年に出演。笑福亭仁鶴の当番組勇退後、吉本の落語家の出演は文珍のみである。
  4. ^ 文珍が演じるのは「うどん屋の主人(大将)」。1回限りの出演で登場する場面はごく短いながら、あさの義理の兄・惣兵衛が和歌山で新しい生活を始めるため、旅立つ前にあさの夫・新次郎と語り合う重要な場面で心遣いを示す役まわり[51]
  5. ^ キャッチコピーは「まん丸眼鏡に刈り上げ頭、働く農協青年」。
  6. ^ 慶應義塾大学の講義録や、笑いの国際文化論、健康学、古典芸能論を織り込んだ哲学的落語論。

出典[編集]

  1. ^ アンドロイドの桂米朝さん、彦八まつり“出演”へ
  2. ^ a b 桂文珍さん 「ふるさと納税」で篠山市に100万円, 2009年01月24日, 丹波新聞
  3. ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、54頁。NDLJP:12276264/28 
  4. ^ 内海英華 (女道楽 ). “内海英華でございます?上方落語家の出囃子”. 2016年12月24日閲覧。
  5. ^ 小口けい; 田中ふゆ; 古今亭志ん丸; 柳家三之助 (2009-12-09). 決定盤!寄席囃子100 (CD). 鈴々舎わか馬 他. ソニー・ミュージックダイレクト. ASIN B002QI8LC8 
  6. ^ 朝日新聞 2015年10月6日付掲載「わたしの半生 落語家・桂文珍:2 66歳」
  7. ^ a b 朝日新聞 2015年10月7日付掲載「わたしの半生 落語家・桂文珍:3 66歳」
  8. ^ 今年の独演会は桂珍幻彩です”. 日刊スポーツ (2013年7月10日). 2016年12月24日閲覧。
  9. ^ 桂文珍?パワハラからギリシャ危機まで 解決のヒントは落語”. 毎日新聞 (2015年8月6日). 2016年12月24日閲覧。
  10. ^ よしもとニュースセンター : 「吉例 第34回 88 桂文珍独演会 ?人工知能は伝統芸能に勝てるか?」” (2016年8月9日). 2016年12月24日閲覧。
  11. ^ a b c d e 戸田、2014年、pp.334 - 335
  12. ^ a b c d e f 桂文珍 (1993), pp. 18–22
  13. ^ a b c d 小佐田(編)、2013年、pp.118 - 120
  14. ^ a b c d 小佐田(編)、2013年、pp.120 - 121
  15. ^ 戸田、2014年、p.333
  16. ^ a b 小佐田(編)、2013年、p.133
  17. ^ 小佐田(編)、2013年、pp.134 - 135
  18. ^ 小佐田(編)、2013年、pp.141 - 142
  19. ^ 戸田、2014年、p.363
  20. ^ 桂文珍「ふるさと讃歌」『週刊文春』第33巻42 (1659)、文芸春秋、1991年11月、67頁。 
  21. ^ a b 戸田、2014年、pp.437 - 438
  22. ^ 酒井啓輔「パンコンを操リ、シンセイザーを奏でる桂文珍の知的落語」『サンデー毎日』第61巻(3) 3340、毎日新聞社、1982年1月、160-116頁、ISSN 00395234 
  23. ^ 桂文珍「芸と料理の共通点とは」『プレジデント President』第37巻第9号、プレジデント社、1999年10月、121-125頁、ISSN 00327751 
  24. ^ 「第九回桂文珍の「新作落語」大賞原稿募集要項」『潮』第502巻、潮出版社、2000年12月、288-288頁。 
  25. ^ a b c d e 戸田、2014年、pp.456 - 457
  26. ^ 関西大学通信?新入生のためのキャンパス早分かりMAP”. 関西大学広報委員会. p. 7 (2012年3月30日). 2016年12月24日閲覧。「国文学史特殊講義」(1988?1989)「国文学特殊講義」(1989?1997)は本名の「西田勤」で、「日本伝統芸能史」(1998?2001)は芸名で講義。
  27. ^ 桂文珍「文珍の美女美男丸かじりVS.藤山寛美」『サンデー毎日』第69巻2 (3787)、毎日新聞社、1990年1月、144-147頁、ISSN 00395234 
  28. ^ 桂文珍「随想 おあとによろしいようで…。」『ちょうせい Chosei (総理府公害等調整委員会広報誌)』第16巻、総務省公害等調整委員会事務局、1999年2月、16-17頁。 
  29. ^ 「時代の証言者 桂文珍(20)震災 芸道の転機に」2014年1月6日読売新聞朝刊10面
  30. ^ 小佐田(編)、2013年、p.111
  31. ^ NGK10夜連続独演会の案内”. 2007年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月23日閲覧。「桂文珍独演会」25周年に合わせて行う初の全国ツアーを告知。
  32. ^ 小佐田(編)、2013年、p.112
  33. ^ 祝芸歴50周年の桂文珍が豪華ゲストを迎え20日間の独演会に挑む!インタビュー”. エンタメ特化型情報メディア SPICE. イープラス (2020年2月12日). 2020年2月12日閲覧。
  34. ^ 芸歴50周年記念 桂文珍 国立劇場20日間独演会”. サンライズプロモーション東京. 2020年6月16日閲覧。
  35. ^ 「桂文珍 大東京独演会 vol.13」【中止】”. サンライズプロモーション東京. 2021年5月3日閲覧。
  36. ^ そもそも「芸歴50周年」という表現は間違い。「周年」は何かのスタートがあってこその言い方。「芸歴50年」か、せめて「芸歴開始50周年」とかではないでしょうか。
  37. ^ 桂文珍「ハイテク落語のシンクタンクほか」『現代』第21巻第10号、講談社、1987年10月、60頁。 
  38. ^ 桂文珍(著)、日本航空協会編集広報室(編)「関西国際空港」『航空と文化 Air forum』新春第53号、日本航空協会、1996年2月、24頁、ISSN 03892484 
  39. ^ 「芸能界を二分する大喧嘩の勝者はどっちだ「やられたらやり返せ!」?上沼恵美子VS.古舘伊知郎 神田うのVS.野村沙知代 和田アキ子VS.松田聖子 飯島直子VS.飯島愛 桂文珍VS.島田紳助」『週刊現代』第38巻(43) (1911) <4071081>、講談社、1996年11月、178-181頁。 
  40. ^ 第五回さっぽろ落語まつり”. 道新プレイガイド. 2024年2月1日閲覧。
  41. ^ 『文珍流・落語への招待』日本放送出版協会〈NHKライブラリー 122〉、2000年10月。ISBN 4140841222 
  42. ^ 『風のハルカ 感謝祭スペシャル! ?あの感動をもう一度?』にも出演。放送は2006年5月27日16:00 - 17:59(地上波)、6月3日13:30 - 15:29(BS2)、7月8日16:00 - 17:59(BS-hi)だった。
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参考文献[編集]

外部リンク[編集]