金子鷹之助

金子 鷹之助 (かねこ たかのすけ、1892年11月7日 - 1951年5月7日)は、日本歴史学者東京商科大学(現一橋大学)教授を務めたが、日本の降伏後、教職追放令により免官された。

人物・経歴[編集]

京都市出身[1][2]。京都府立第二中学校(のちの京都府立鳥羽高等学校)卒業後[1]、1915年東京高等商業学校(のちの一橋大学)本科卒業。1917年同専攻部貿易科を総代で卒業し[3][4]、同校講師に就任[1]上田貞次郎門下[5]。1919年同校教授[6]

1920年東京商科大学附属商学専門部教授[7]。同年から1923年までイギリスフランスドイツに留学[1][8]。のち、東京商科大学教授兼附属商学部教授となり[9][10]、1938年に全国高商文化聯合会が設立されると会長に就任[11]

1947年に教職追放令により米谷隆三常盤敏太江沢譲爾とともに免官された[12][13]。1951年に公職追放指定が解除されたが[14]、同年死去した[2]。ゼミナールの指導学生に経済史家の小原敬士[15]文芸評論家瀬沼茂樹など[16]

著作[編集]

  • 『イエスとパウロ : 基督教社會思想史の一節』同文館 1928年
  • 『社会哲学史研究』巌松堂書店 1929年
  • 『近世社会経済学説大系 : 高島秋帆.佐久間象山集』誠文堂新光社 1936年
  • 『甦生仏印の全貌』愛国新聞社出版部 1941年
  • 『熊沢蕃山と佐久間象山』日本放送出版協会 1941年
  • 『日本精神と日本産業』科学主義工業社 1941年
  • 『世界動乱と新経済史観』厚生閣 1941年
  • 『資源と経済』厚生閣 1941年
  • 『甦生仏領印度支那の全貌』愛国新聞社出版部 1941年
  • 『大東亜経済と青年』潮文閣 1942年
  • 『大東亜戦争と経済建設』万里閣 1942年
  • 『南方資源と日本経済』東京講演会出版部 1942年
  • 『佐久間象山の人と思想』今日の問題社 1943年
  • 『オーストラリアニュージーランドの経済資源』(清川正二と共著)日本経国社 1943年
  • 『世界経済史研究』紀元社 1944年
  • 『大東亜経済の推進』青葉書房 1945年
  • 『基督教社会思想史』黎明書房 1948年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 熊沢蕃山と佐久間象山 (ラジオ新書 ; 48)
  2. ^ a b 金子 鷹之助(読み)カネコ タカノスケ20世紀日本人名事典
  3. ^ 官報 1917年05月16日
  4. ^ 東京商科大学一覧 自大正11年至12年
  5. ^ 金子鷹之助, 増田四郎「上田貞次郎先生を憶ふ」『社會經濟史學』第10巻第5号、社会経済史学会、1940年8月、509-514頁、CRID 1570854176857396096ISSN 00380113 
  6. ^ 官報 1919年02月20日
  7. ^ 官報 1920年04月02日
  8. ^ 官報 1919年10月23日
  9. ^ 東京商科大学一覧 昭和6年度
  10. ^ 日本紳士録 36版
  11. ^ 斉藤毅憲「Y専(横浜市立横浜商業専門学校)の歴史」横浜市立大学論叢社会科学系列 2018年度:Vol.70 No.2
  12. ^ 平子友長「新制大学と社会学部創立の経緯 : 2つの「社会科学の総合大学化」構想」『一橋大学ホーム・カミング・デイ講演会,国立,2006年6月3日,一橋大学』2006年、hdl:10086/45834 
  13. ^ 官報 1947年03月14日
  14. ^ 官報 1951年08月15日
  15. ^ 岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近代編 2]』 原書房 2013年 251ページ
  16. ^ 一橋と昭和戦前・戦後の文学 文芸評論家桶谷秀昭 如水会