虹と雪のバラード

虹と雪のバラード」(にじとゆきのバラード)は、1972年2月に開催された1972年札幌オリンピックテーマソングである。

概要[編集]

経緯[編集]

みんなのうた
虹と雪のバラード
歌手 トワ・エ・モワ
作詞者 河邨文一郎
作曲者 村井邦彦
編曲者 川越守
映像 実写
初放送月 1971年2月 - 3月
その他 2012年3月15日の『発掘スペシャル』内で再放送。
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本曲は作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦

五輪開幕2年前の1970年NHKは河邨に作詞を依頼する際に、

  1. イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。
  2. オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。
  3. 重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。

の3つを要望した[1]

依頼を受けた当初はなかなか構想がまとまらず、河邨は2週間ペンが進まなかったという[1][2]。河村はNHKからの依頼を「ポピュラー音楽専門の作詞家を避けて、本格的な芸術性を芯に据えた作詞を狙いとしたのだろう」と解釈し、北海道と北欧・シベリア・アラスカ・カナダといった北方圏住民の連帯感を生み出す思いを込めた内容とし、曲名は純白の天地に七色の虹を掲げて国々を繋ぐイメージで庶民の俗謡(バラード)とする狙いを込めた[3]

1971年2月から3月までNHKみんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流された[4]1964年東京オリンピックのテーマ曲である「東京五輪音頭」や日本万国博覧会のテーマ曲である「世界の国からこんにちは」の例に倣い、この曲も複数歌手による競作となり、トワ・エ・モワ黛ジュン菅原洋一ピンキーとキラーズ佐良直美、トワ・エ・モワと同一の芸能事務所に所属していたジャッキー吉川とブルー・コメッツスクールメイツなどが歌唱したが、最終的にトワ・エ・モワ版が定着し[1]この年の『第22回NHK紅白歌合戦』でもトワ・エ・モワがこの曲を歌った。

五輪後[編集]

大倉山ジャンプ競技場にある詩碑

1986年以後、日本の高校の音楽教科書に何度か掲載された[5]

2003年、河邨が初代教授を務めた札幌医科大学整形外科のパーティで、トワ・エ・モワが「虹と雪のバラードの詩碑はどこにあるのですか?」と質問したのをきっかけに詩碑建立計画が始まり[1]揮毫は河邨と交流が深かった書家の中野北溟、デザインは札幌市立高専教授で彫刻家の國松明日香に依頼した[1][6]2005年9月11日、札幌オリンピック ノルディックスキージャンプ競技の舞台となった大倉山ジャンプ競技場に詩碑が設置され、除幕式にはトワ・エ・モワの2人も参加してこの歌を熱唱した。なお、河邨は2004年3月30日に他界しており、詩碑の完成を見ることはできなかった。

2011年から始まった「みんなのうた発掘プロジェクト」により、映像が提供され、2012年3月15日深夜(3月16日未明)放送の『みんなのうた発掘スペシャル』で、実に41年ぶりの再放送となった。なお同番組では当時の映像のほか、当時の曲名・歌詞などのテロップがそのまま放送された。

札幌オリンピック当時は多くの学校で唱歌として採用された。そのため1番2番の歌詞を知っている人が多い歌でもある。今でも学校唱歌として、時々使用されている。また人が集まるイメージと、町ができあがるイメージなどを盛り込んだ歌としてオリンピック後も人々に親しまれ、時々CMソングとしても流れる事がある。札幌を代表する歌のひとつとしてさっぽろ雪まつりの会場内でも頻繁に流されている。

2019年2月4日から札幌市営地下鉄東西線南北線、同月6日から東豊線到着メロディとして曲のサビ部分をアレンジした音楽を使用している[7]2030年冬季オリンピックの札幌招致の機運を高めることが狙いとされており、全49駅のうち26駅で流されていたが、2023年末での招致活動の停止に伴い[8]2024年3月14日~16日にメロディの廃止が予定されている[9]

トワ・エ・モワ版[編集]

虹と雪のバラード
トワ・エ・モワシングル
初出アルバム『ユートピア』
B面 トワ・エ・モワの子守唄
リリース
ジャンル フォーク
レーベル 東芝音楽工業/LIBERTY
作詞・作曲
チャート最高順位
  • 7位(オリコン
  • 1972年度年間57位(オリコン)
トワ・エ・モワ シングル 年表
愛の泉
(1971年)
虹と雪のバラード
(1971年)
友だちならば
(1972年)
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虹と雪のバラード ('98 Version)
トワ・エ・モワシングル
初出アルバム『HARVEST-はじめに愛があった-』
B面 地球は回るよ ('98 Version)
リリース
ジャンル フォーク
レーベル ファンハウス
作詞・作曲
トワ・エ・モワ シングル 年表
或る日突然
(1993年)
虹と雪のバラード ('98 Version)
(1998年)
はじめに愛があった ('98 Version)
(1972年)
ミュージックビデオ
「虹と雪のバラード ('98) - YouTube
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トワ・エ・モワ版『虹と雪のバラード』は1971年8月25日 に発売され、オリンピックの開催に合わせたように徐々に売上を伸ばし、オリコン・チャートの7位まで上昇した。売上は累計で60万枚に達した[10]

トワ・エ・モワの白鳥英美子は「河邨さんは“詩人”なんだなぁ、そしてこれは札幌に住んでいる方でないと書けない“深いところまで見据えた言葉遣い”をされているなぁと感じました。それまでのトワ・エ・モワの曲とは少し異なる行進曲風の曲調で、何度もなじむまで歌いました。」と、初めて歌詞を読んだ当時を回想している[1]

このトワ・エ・モワ版であるが、小谷充(シングルバージョン)、川越守[注 1](『みんなのうたバージョン)と編曲(アレンジ)担当者が異なっている。川越のアレンジによるみんなのうたバージョンはホルンのファンファーレで始まるのが特徴である。また、レコードバージョンとみんなのうたバージョンでは若干歌い方が違う。

トワ・エ・モワは1973年に解散していたが、1998年長野オリンピックに先立ち再結成した。芥川澄夫は、札幌オリンピックの日の丸飛行隊の3人にこの曲を生で聞かせるよう求められた[注 2]と話している[12]

収録曲[編集]

オリジナル盤[編集]

EP
全編曲: 小谷充
#タイトル作詞作曲時間
1.虹と雪のバラード(The Ballad Of Rainbow & Snow)河邨文一郎村井邦彦
2.トワ・エ・モワの子守唄(Lullaby of Toi et Moi)芥川澄夫山室英美子
合計時間:

虹と雪のバラード ('98 Version)[編集]

8cmCD[13]
#タイトル作詞作曲編曲時間
1.虹と雪のバラード ('98 Version)河邨文一郎村井邦彦清水信之
2.地球は回るよ ('98 Version)山上路夫東海林修重実徹
3.「虹と雪のバラード ('98 Version)」(オリジナル カラオケ)   
4.「地球は回るよ ('98 Version)」(オリジナル カラオケ)   
合計時間:

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ版[編集]

虹と雪のバラード
ジャッキー吉川とブルー・コメッツシングル
初出アルバム『ジャッキー吉川とブルー・コメッツ ゴールデン☆ベスト
B面 愛の子守歌
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 作詞:河邨文一郎
作曲:村井邦彦
編曲:川口真
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ シングル 年表
生きるよろこびを
1971年
虹と雪のバラード
1971年
希望にみちた二人のために
1972年
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前作「生きるよろこびを」の発売から2週間後の1971年9月10日に発売された。多くのグループとの競作となったが、レコードはトワ・エ・モワが多くを売り上げたため、ブルー・コメッツ版のこの曲が表に出ることはあまり無かった。

レコードジャケットには「札幌オリンピック組織委員会選定/札幌オリンピックの歌」と記されている。また、ジャケットに写るメンバーの写真は「海辺の石段」のB面・「冬の嵐」のジャケットで使われた写真がそのまま流用されている。

B面は「愛の子守歌」。ブルー・コメッツのベーシスト・高橋健二が作曲した歌謡曲風の曲。1970年12月10日に発売されたブルー・コメッツのアルバム「ベスト・オブ・ブルー・コメッツVol.2」に収録されたのが、この曲の初出である。

収録曲[編集]

  1. 虹と雪のバラード
    作詞:河邨文一郎/作曲:村井邦彦/編曲:川口真
  2. 愛の子守歌
    作詞:橋本淳/作曲:高橋健二/編曲:筒美京平

その他のカバー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 川越守は当時、北海道大学交響楽団常任指揮者を務めていた人物である。
  2. ^ 1997年のNHK総合『第29回思い出のメロディー』にて、ゲストとして「日の丸飛行隊」笠谷幸生金野昭次青地清二の3人が登場し、トワ・エ・モワは『虹と雪のバラード』を歌唱している[11]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 「虹と雪のバラード」詩碑建立期成会事務局. “楽曲誕生のエピソード”. 2010年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月22日閲覧。
  2. ^ 国土交通省北海道開発局札幌開発建設部. “石狩川流域紙”. 2013年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月22日閲覧。
  3. ^ 虹と雪のバラード評判記 北方圏構想と関連して - 河邨文一郎「エッセイ集人間の星座」(北海道新聞社 1984年)183-189頁
  4. ^ みんなのうた「虹と雪のバラード」”. 日本放送協会 (1973年). 2019年1月31日閲覧。
  5. ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、199頁、735頁。ISBN 978-4816922916
  6. ^ “札幌五輪の名曲、詩碑に 「虹と雪のバラード」”. 共同通信. (2004年6月28日). http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004062801000470.html 
  7. ^ “地下鉄駅に「虹と雪のバラード」 電車到着時にメロディー 札幌市、4日から”. 北海道新聞. (2019年1月31日). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/271923/ 2019年1月31日閲覧。 
  8. ^ 札幌市営地下鉄の駅メロ「虹と雪のバラード」3月末までに終了…オリンピック招致活動停止で”. 読売新聞 (yomiuri.co.jp). 読売新聞社 (2024年2月15日). 2024年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月14日閲覧。
  9. ^ 放送続けて…札幌五輪テーマ曲「虹と雪のバラード」 招致活動停止で取りやめ 札幌市営地下鉄”. STV札幌テレビ (stv.jp). 札幌テレビ放送 (2024年3月13日). 2024年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月14日閲覧。
  10. ^ “五輪あれこれ:バンクーバー五輪 札幌五輪・詩碑 /北海道”. 毎日新聞地方版. (2010年2月25日). http://mainichi.jp/hokkaido/sports/news/20100225ddlk01070034000c.html 
  11. ^ 第29回思い出のメロディー NHKクロニクル
  12. ^ うたの旅人「虹と雪のバラード」”. BS朝日 (2010年2月5日). 2019年1月31日閲覧。
  13. ^ 虹と雪のバラード (’98 Version)”. タワーレコード. 2021年11月4日閲覧。