福岡大同青果

福岡大同青果株式会社
Fukuoka Dydo seika Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 福岡大同
本社所在地 日本の旗 日本
813-0019
福岡市東区みなと香椎3丁目1番1-204号
設立 1960年2月20日
業種 卸売業
法人番号 3290001016138 ウィキデータを編集
事業内容 青果物、きのこ、鶏卵、漬物類、農産加工品の卸売ならびに、輸入青果物の加工および卸売
代表者 代表取締役会長 大野憲俊
代表取締役社長 丸小野光正
資本金 2億円
純利益 4億9760万6000円
(2023年3月期)[1]
純資産 65億8298万3000円
(2023年3月期)[1]
総資産 110億8292万3000円
(2023年3月期)[1]
従業員数 167名(平成27年4月1日現在)
外部リンク http://www.fdydo.co.jp
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福岡大同青果(ふくおかだいどうせいか)は、福岡県福岡市東区に本社を置く青果卸売会社である。略称は福岡大同、もしくは福果

概要[編集]

福岡大同青果は、福岡市中央卸売市場で唯一の青果卸売会社として、福岡都市圏での高いシェアを維持している。

年間の取り扱い数量は野菜・果実を中心に約30万トンで、全国でも屈指の流通量を誇り。県下だけでなく全国各地域との連携、環太平洋地区を中心とした輸入事業も手がけている[2]

沿革[編集]

  • 1918年(大正7年)10月 - 福岡市内の青果物卸問屋が集約され「九州青物市場株式会社」が成立。
  • 1926年(大正15年) - 春吉に「福岡青物市場株式会社」が創立。
  • 1959年(昭和34年)2月 - 既設8市場の一括買い上げを市と市議会に陳情。
    • 同年3月 - 福岡市と既設8市場の買収に関し覚書を交換
    • 同年5月 - 発起人会を開催、木立喜三郎を発起人会代表に、山内健右を事務局代表に選任
  • 1960年(昭和35年) - 福岡大同青果株式会社を設立。農林大臣より卸売人として認可を受け長浜市場で営業開始
  • 1961年(昭和36年) - 福果商事㈱を設立。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 糸島市場が開場し営業開始。
    • 同年7月 - 志免営業所が分離独立して粕屋青果(株)が発足。
  • 1968年(昭和43年)2月 - 福岡大同冷蔵㈱、及び福岡大同貿易㈱を設立。
    • 同年8月 - 長浜、高宮、雑餉隈各市場閉鎖
    • 同年10月 - 五十川市場営業開始。
  • 1973年(昭和48年) - 福果商事(株)の解散決定。
  • 1974年(昭和49年) - 西部市場営業開始、姪浜市場は閉鎖。
  • 1982年(昭和57年) - 東部市場業務開始、千代、香椎市場閉鎖。
  • 1987年(昭和62年) - 糸島市場閉場。糸島市場と統合した、新西部市場業務開始。
  • 1988年(昭和63年) - 福岡大同貿易(株)を(株)福果食品と社名変更。
  • 1989年(平成元年) - 筑紫青果(株)と合併。
  • 2007年(平成19年)1月 - 筑紫市場閉場。
    • 同年2月 - 卸5社での資本提携。
    • 同年12月 - ㈱福果食品解散。
  • 2008年(平成20年) - 台北農産運鎖股份有限公司と輸出入取引契約調印式
  • 2011年(平成23年)9月 - 福果物流㈱を設立。
  • 2013年(平成25年)10月 - 香港向けCAコンテナ海上輸送開始
  • 2014年(平成26年)- アイランドシティ新青果市場起工式
    • 同年9月 - シンガポール向けCAコンテナ海上輸送開始
  • 2016年 - アイランドシティ新青果市場(愛称: 「ベジフルスタジアム」)営業開始。福岡市中央卸売市場青果市場、東部市場、西部市場の3場を統合移転[3]

取扱高[編集]

  • 数量 291,205t  金額589億3千万円(平成22年度)

ギャラリー[編集]

関連会社[編集]

  • 福岡大同冷蔵株式会社
  • 福果物流株式会社
  • 九州市場ネットワーク株式会社
  • 福岡青果物流センター協同組合

不祥事[編集]

課長代理による架空取引[編集]

同社の30歳代の男性の課長代理が、2010年1月から2018年2月にかけ、福岡県内の企業から野菜を仕入れたとする架空取引を100回以上に亘り繰り返し、同社が支払った代金を業者から回収することで2億5,000万円を着服し同社に損害を与えていたことが、2018年5月に判明。同社はこの課長代理を懲戒解雇し、刑事告訴も検討しており、福岡市は同社に対し業務改善命令を出す方針である[4]

脚注[編集]

外部リンク[編集]