東勇路

あずま ゆうじ
東 勇路
東 勇路
1925年の写真。
本名 中島 勇(なかじま いさむ)
別名義 東 勇治
東 勇二
生年月日 (1902-03-15) 1902年3月15日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)
職業 俳優
ジャンル 劇映画現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1925年 - 1943年
主な作品
水兵の母
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東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7]。本名中島 勇(なかじま いさむ)[1][3]、芸名を東 勇治東 勇二とクレジットされた時期もあった[3][4][5][6]小笠原明峰率いる小笠原プロダクション創立時のスター俳優であり[1]日活に移籍後は、現代劇のバイプレイヤーとして知られた[3]

人物・来歴[編集]

1902年明治35年)3月15日福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)に生まれる[1][3]

旧制・福岡県立八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)を卒業し、旧制・西南学院高等学部(現在の西南学院大学)に進学するが、中途退学し、1923年(大正12年)の小笠原プロダクションの設立に参加した[2]。学歴については、『世界のキネマスター』(報知新聞社)には、明治大学を卒業した旨の記述がみられる[1]。1925年(大正14年)3月5日に公開された『水兵の母』(監督小笠原明峰)に主演し、人気を得る[1][3][4][5]。1926年(大正15年)6月、同じく京都にある日活大将軍撮影所現代劇部に移籍した[2][3][4][5]。1928年(昭和3年)には、『イノック・アーデン英語版』を山本嘉次郎が脚本に翻案した『思ひ出の水夫』(監督田坂具隆)に主演、同作は同年10月5日に公開された[4][5][8]。前年に新設され、時代劇部が先に移転した日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に、現代劇部も同年4月に移転しており、東も同様に異動した[4][5]

1935年(昭和10年)には、前年に買収した日本映画の撮影所を改称した日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に現代劇部が移転しており、東も同様に異動した[4][5]。満38歳となった1940年(昭和15年)9月5日に公開された『米若の妻』(監督春原政久)を最後に、以降の出演記録が見当たらない[4][5][6]。『映画旬報』昭和16年1月21日号によれば、1941年(昭和16年)1月をもって同社俳優部から企画部へ転向したという旨が記されている[9]。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合による大映の設立以降も継続入社、大映東京第二撮影所(のちの大映東京撮影所、現在の角川大映撮影所)に所属して、企画係を務めた[10]。しかし、第二次世界大戦終結後の消息は伝えられていない[1][3]没年不詳

フィルモグラフィ[編集]

クレジットはすべて「出演」である[4][5]。公開日の右側には役名[4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[7][11]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

小笠原プロダクション[編集]

すべて製作・配給は「小笠原プロダクション」、すべてサイレント映画である[4][5][6]

日活大将軍撮影所[編集]

すべて製作は「日活大将軍撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[4][5][6]

日活太秦撮影所[編集]

すべて製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[4][5][6]

日活多摩川撮影所[編集]

すべて製作は「日活多摩川撮影所」、配給は「日活」、特筆以外はすべてトーキーである[4][5][6]

  • 乃木将軍』 : 監督池田富保、1935年1月31日公開 - 白井中佐
  • 三つの真珠』 : 監督重宗務、サイレント映画、1935年2月14日公開 - 父
  • 召集令』 : 監督渡辺邦男、部分発声版、1935年3月14日公開 - 大迫参謀、73分尺で現存(NFC所蔵[12]
  • 深夜の太陽』 : 監督倉田文人、サウンド版、1935年9月5日公開 - 小田善一郎
  • 魂を投げろ』 : 監督田口哲、サウンド版、1935年9月26日公開 - 伊澤の父、現存(新潮45DVD[13]
  • 少年靴屋』 : 監督伊賀山正徳、製作・配給日活、サイレント映画、1935年製作・公開 - お医者さん、38分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 爆音』 : 監督田坂具隆、1939年2月15日公開 - 美智子の父、84分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • 空襲』 : 監督田坂具隆・森永健次郎、1939年3月1日公開 - 分団長
  • 女性の力』 : 監督伊賀山正徳、1939年6月15日公開 - 山本探偵、19分尺で現存(NFC所蔵[7]
  • キャラコさん』 : 監督渡邊恒次郎、1939年9月28日公開 - 宮田氏
  • 土と兵隊』 : 監督田坂具隆、1939年10月15日公開 - 荒川部隊長、119分尺で現存(NFC所蔵[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 報知[1925], p.320.
  2. ^ a b c 映画世界社[1930], p.127.
  3. ^ a b c d e f g h 東勇路jlogos.com, エア、2013年3月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東勇路日本映画データベース、2013年3月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東勇路東勇治東勇二、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 東勇路東勇二日活データベース、2013年3月15日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 東勇路東勇治東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月15日閲覧。
  8. ^ 思ひ出の水夫、日活データベース、2013年3月15日閲覧。
  9. ^ 『映画旬報』昭和16年1月21日号、映画出版社、32頁。
  10. ^ 『映画年鑑 昭和18年』日本映画雑誌協会、3頁。
  11. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年3月15日閲覧。
  12. ^ シリーズ・日本の撮影監督 1、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月15日閲覧。
  13. ^ 新潮45 2011年5月号新潮社、2013年3月15日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]