名古屋市電東築地線

東築地線
概要
現況 廃止
起終点 起点:熱田伝馬町電停
終点:南陽館前電停
駅数 7駅
運営
開業 1910年7月15日
市営化 1922年8月1日
部分廃止・
熱田線編入
1940年5月28日
所有者 熱田電気軌道
名古屋電気鉄道
名古屋市電気局
   (名古屋市電
路線諸元
路線総延長 3.4 km (2.1 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
路線概略図 
 内田橋以南廃止時(1940年5月)

1 2
1: 熱田線
2: 鉄道省東海道本線
HUBq
築港線
左:熱田駅前電停/右:熱田駅
HUBq
左:名鉄本社前電停/右:神宮前駅
uHST STR+l KRZu ABZlr
名鉄常滑線豊橋線
左:神宮東門電停
STRl STRq
鉄道省:東海道本線→
左:秋葉前電停/右:秋葉前駅 -1919
uBHF+GRZq STRl STR+r
0.0 熱田伝馬町電停
uSTR HST
傳馬町駅
uhKRZWae WASSERq hKRZWae
新堀川
uBHF STRl STRq
0.5 内田橋電停 名鉄:常滑線→
uxABZgl uSTRq uSTR+r
大江線
uexBHF uSTR
0.9 明治新田電停
uexSTR uHST
南陽町二丁目電停
uexBHF uSTR
1.7 氷室新田電停
uexSTR uHST
南陽町四丁目電停
uexBHF uSTR
2.3 開東橋電停
uexHST uSTR
2.7 運河電停 -1921
uexBHF uSTR
3.1 竜宮町電停
uexSTR uKHSTe
南陽町八丁目電停
uexKBHFe
3.4 南陽館前電停

東築地線(ひがしつきじせん)は、かつて愛知県名古屋市に存在した、名古屋市電路線路面電車)の一つである。熱田区にあった熱田伝馬町停留場から港区東築地町にあった南陽館前停留場までの3.4キロメートルを結んでいた。

おおむね堀川沿いを南北に結んでいた路線である。熱田電気軌道により1910年に開業、名古屋電気鉄道を経て1922年名古屋市電気局(後の交通局)に買収されて名古屋市電の一路線となった、という経緯をもつ。1940年大江線新設により大部分が廃止され、残余は熱田線に編入された。

路線概況[編集]

全長は1937年3月末時点で3.36km。全線にわたり複線併用軌道であった[1]。停留場は起点終点含めて7か所設置されていた。路線の存在した1937年時点の地図[2]によれば、経路は以下のようなものである。

起点の熱田伝馬町停留場は、現在では名古屋市営地下鉄名城線熱田神宮伝馬町駅が地下にある、国道1号の伝馬町交差点付近に存在した。東築地線はここから、愛知県道225号上を南へ進んだ。次の内田橋停留場は新堀川を渡った先の内田橋交差点付近にあり、ここから先線路は県道225号から西へそれ、今度は名古屋市道東築地町第1号線[3]へと進路を変える。明治新田停留場付近で堀川東岸へと出ると、以降終点南陽館前停留場まで堀川沿いを進んだ。

氷室新田停留場から開東橋停留場を経て竜宮町停留場に至る区間は、東側に貯木池が広がっていた(現存せず)。竜宮町停留場は国道23号との交差地点あたりにあたる。終点南陽館前停留場は、現・名古屋市立東築地小学校の手前あたり。停留場名にある「南陽館」は、小学校の場所にあった観光施設のことである。近くにはこのほか、大同製鋼(現・大同特殊鋼)築地工場があった。道路をさらに先に進み山崎川を渡った先は、三菱重工業などの工場が並ぶ大江町(六号地)で、名古屋鉄道(名鉄)東名古屋港駅があった。

歴史[編集]

東築地線は元々、熱田電気軌道という私鉄が運営していた路線である。まず1910年7月15日に熱田神戸橋東(後の内田橋)から東築地(後の南陽館前)の間が開業、続いて1912年9月1日に熱田神戸橋東から熱田伝馬町まで延伸した。1919年4月16日、名古屋市内で路面電車線を多数保有していた名古屋電気鉄道に熱田電気軌道は合併され、名古屋電気鉄道の路線の一つとなった[4][5]

1922年8月1日、名古屋電気鉄道の路面電車線は名古屋市に買収されて名古屋市電が運転を開始した。この時点では、東築地線は熱田線の栄町・熱田伝馬町間とまとめて「熱田線」(栄町・東築地間 計9.1km)とされていた[6]

1940年5月28日大江線の内田橋・南陽通八丁目間が開通すると、それに代って東築地線の内田橋・南陽館前間は廃止された。残った熱田伝馬町・内田橋間(1942年3月末時点で0.43km[7])はその後熱田線に編入され、市電全廃直前の1974年2月16日に廃止されるまで存続していた[4]

停留場[編集]

設置されていた停留場は以下の7か所である。括弧内の数字は起点からの距離を示す[4]

熱田伝馬町(あつたてんまちょう)(0.0km) - 内田橋(うちだばし)(0.5km) - 明治新田(めいじしんでん)(0.9km) - 氷室新田(ひむろしんでん)(1.7km) - 開東橋(かいとうばし)(2.3km) - 竜宮町(りゅうぐうちょう)(3.1km) - 南陽館前(なんようかんまえ)(3.4km)

停留場の変遷[編集]

開業時(熱田電気軌道時代)[4]
熱田神戸橋東 - 明治新田 - 紀北橋 - 缶詰会社 - 運河 - 遊園地 - 東築地
  • 1912年9月1日、熱田伝馬町まで延伸[4]
  • 大正初期、熱田神戸橋東を内田橋に、東築地を南陽館前に改称[4]
  • 1921年ごろ、紀北橋を氷室新田に、缶詰会社を開東橋に、遊園地を竜宮町に、南陽館前を東築地に改称。運河を廃止[4]
  • 1928年1月6日、東築地を南陽館前に改称[4]

接続路線[編集]

市電の他路線と繋がっていたのは起点の熱田伝馬町停留場のみ。ここで熱田線と繋がっていた。

終点の南陽館前停留場からは、路線バスが接続していた。いかだ(桴)を扱う労働者の輸送を目的とした株式会社名古屋桴扱所の兼営バスで、1928年に七号地(昭和町)との間で運転を開始、1934年に八号地(船見町)まで延長された。名古屋市による市内交通機関統合の一環として1937年3月1日に市に買収され、それ以降は名古屋市営バスの路線となっていた[8]

脚注[編集]

  1. ^ 『成績調書』昭和12年度、pp63-68
  2. ^ 『名古屋市街全図』
  3. ^ 名古屋市道路認定図」による。2012年6月6日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h 『旅行地図帳』7号、p56
  5. ^ 『五十年史』、p583,584,587
  6. ^ 『電気軌道事業買収顛末』、p62
  7. ^ 『成績調書』昭和16年度、pp57-62
  8. ^ 『五十年史』、p139,142

参考文献[編集]

  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 六楽会『名古屋市街全図』六楽会、1937年。 愛知県図書館蔵)
  • 名古屋市交通局 編『市営五十年史』名古屋市交通局、1972年。 
  • 名古屋市電気局(編)『電気軌道事業成績調書』 各年度版、名古屋市電気局。 
  • 名古屋市電気局(編)『電気軌道事業買収顛末』。 
  • 『公営交通事業沿革史』3 戦前篇、クレス出版、1990年に収録。