名古屋市電築地線

築地線・築地線支線
概要
現況 廃止
起終点 起点:築地口電停(築地線)
        稲永町電停(築地線支線)
終点:下之一色電停(築地線)
        西稲永電停(築地線支線)
駅数 13駅(築地線)
3駅(築地線支線)
(1969年2月現在)
運営
開業 1917年6月16日(築地線)
1941年12月30日(築地線支線)
市営化 1937年3月1日 (築地線)
廃止 1971年12月1日
所有者 築地電軌
名古屋市交通局
   (名古屋市電
路線諸元
路線総延長 7.3km (築地線)
0.7km (築地線支線)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
路線概略図 
uexBHF
路線廃止時の電停
uexHST
それ以前に廃止された電停

tSTRq
名城線 築地口駅
uexSTRq
uexSTRq
築港線
野立築地口線
0.0 築地口電停
uexHST
(0.2) 築地学校前電停 -1944
STRq uxmKRZo KBSTxeq exSTRq
国鉄名古屋港線
名古屋港駅
WASSERq uexhKRZWae WASSERq WASSERq
中川運河
uexBHF
0.9 築三町電停
uexHST
(1.2) 築三町二丁目電停 -1949
uexBHF
1.5 大手橋電停
WASSERq uexhKRZWae WASSERq WASSERq
荒子川
uexHST
(1.7) 荒子川電停 -1944
uexBHF(L)f
STRq
STRq
国鉄:西名古屋港線
uexBHF(R)g
2.1 一州町電停
uexHST
(2.5) 稲永町電停 (I) -1956
uexBHF
2.7
*0.0
稲永町電停 (II)
uexABZg2 uexSTRc3
築地線支線
uexSTR+c1 uexBHF2+4 uexSTRc3
*0.4 港西小学校前電停
uexSTR uexSTRc1 uexKBHF4
*0.7 西稲永電停
uexBHF
3.1 大宮司電停
uexBHF
3.7 西ノ割電停
uexBHF
4.2 多加良浦電停
uexBHF
4.7 弁天裏電停
uexBHF
5.2 惟信高校前電停
uexBHF
6.0 明徳橋電停
uexBHF
6.3 東起町五丁目電停
uexHST
(6.5) 東起電停 -1954
uexBHF
7.3 下之一色電停
uexSTRq uexABZqr uexDSTq uexENDEeq
下之一色電車運輸事務所
下之一色線

築地線(つきじせん)は、かつて名古屋市交通局が運営していた、名古屋市電の路線の一つ。名古屋市港区にあった築地口停留場と、同市中川区にあった下之一色停留場を結んでいた。本項では、稲永町停留場から分岐して西稲永停留場に至る築地線支線(つきじせんしせん)についても記述する。

路線データ[編集]

1962年3月当時

  • 区間:
    • 築地線:築地口停留場 - 下之一色停留場間 (7.3 km)
    • 築地線支線:稲永町停留場 - 西稲永停留場間 (0.7km)
  • 複線区間:築地口停留場 - 稲永町停留場 - 西稲永停留場間 (2.5 + 0.7km)
  • 単線区間:稲永町停留場 - 下之一色停留場間 (4.8 km)
  • 併用軌道区間:1.9 + 0.7km
  • 新設軌道区間:5.4 km
  • 電化区間・方式:全線・架空電車線方式直流 600 V
  • 停留場数:13 + 2か所(起点・終点を含む)

概要[編集]

築地線は、名古屋市が築地電軌の軌道線を1937年昭和12年)に買収したことによって成立した。築地電軌は1916年大正5年)に設立された企業で、1917年(大正6年)に築地(後の築地口) - 稲永(後の西稲永→稲永町)間に軌道を敷設、1926年(大正15年)までに後に築地線となる築地 - 下之一色間を開業させていた。また、西稲永から分岐して稲永新田に至る築地支線が買収後の1941年(昭和16年)12月30日に開通したが、沿線の工場閉鎖による利用客激減に伴って1947年(昭和22年)8月5日に一旦休止された後、築地線支線として1956年(昭和31年)9月15日に再開業した。再開業時に起終点の停留場名を改めている(西稲永→稲永町、稲永新田→西稲永)。

路線の状況は築地口 - 稲永町 - 西稲永間と稲永町 - 下之一色間とで異なっていた。築地口 - 西稲永間は工業地帯を通る路線であり、戦時中に路線延伸と複線化が実施された。築地口 - 築三町間にあった国鉄名古屋港線を跨ぐ跨線橋と、大手橋 - 一州町間にあった荒子川を渡るを除き、名古屋市道金城埠頭線上に敷設された併用軌道であった。また、一州町付近には国鉄西名古屋港線との平面交差が存在していた。一方、稲永町から西の稲永町 - 下之一色間は田園地帯を通り抜ける単線・新設軌道(専用軌道)の路線で、下之一色線に直通し築地口と尾頭橋を結ぶワンマンカーが運行されていた。沿線には釣り堀があり、線路脇から釣り糸をたらす人の姿が見られた。

ワンマンカーの運行が開始されたのは1954年(昭和29年)で、日本の路面電車で初めての試みであった。当初は尾頭橋と築地口を結ぶ70号系統のみであったが、1966年(昭和41年)からは桜山町や大津橋と西稲永を結ぶ51号・52号系統でもワンマン運転が開始された。

1959年(昭和34年)に東海地方を襲った伊勢湾台風によって、道床が流出するなど築地線・築地線支線は全線にわたって甚大な損害を被り、廃止も検討された。結局復旧されることになったが、道路の復旧が優先されたため復旧が遅れ、全線の運行が再開されたのは2年後の1961年(昭和36年)のことである。しかし、このころにはすでに名古屋市電の斜陽化が始まっており、1963年(昭和38年)から市電の撤去が本格化する。その流れに沿って1969年(昭和44年)に稲永町 - 下之一色間が廃止され、残った築地口 - 稲永町 - 西稲永間も1971年(昭和46年)に廃止されて築地線および築地線支線は消滅した。両線全廃から3年たった1974年(昭和49年)に、名古屋市電は全廃されている。

年表[編集]

  • 1917年(大正6年)6月16日 : 築地電軌により、築地(後の築地口) - 稲永新田(初代、後の稲永町)間 (2.5 km) が開業。
  • 1925年(大正14年)7月1日 : 稲永新田 - 明徳橋間 (3.6 km) が開業。
  • 1926年(大正15年)5月31日 : 明徳橋 - 下之一色間 (1.2 km) が開業し、築地 - 下之一色間が全通。
  • 1937年(昭和12年)3月1日 : 名古屋市が築地電軌線を買収し、名古屋市電築地線とする。
  • 1938年(昭和13年)6月1日 : 下之一色線との連絡線(下之一色連絡線)が開業し、電車の直通が可能に。
  • 1941年(昭和16年)12月30日 : 築地支線西稲永 - 稲永新田間 (0.7km) が開業。
  • 1947年(昭和22年)8月5日 : 築地支線休止。
  • 1954年(昭和29年)2月28日 : 全線でワンマン運転を開始。
  • 1956年(昭和31年)9月15日 : 築地線支線稲永町 - 西稲永間 (0.7km) が開業(築地支線の復活)。
  • 1959年(昭和34年)9月27日 : 伊勢湾台風来襲、全線運休。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 : 築地口 - 弁天裏・稲永町 - 西稲永間復旧・運転再開。この区間の復旧で、名古屋市電の伊勢湾台風被災区間はすべて復旧した。
  • 1962年(昭和37年)12月11日 : 大宮司 - 西ノ割間に名四国道を跨ぐ鉄道橋を新設。
  • 1966年(昭和41年)2月26日 : 全系統でワンマン運転を開始。
  • 1969年(昭和44年)2月20日 : 稲永町 - 下之一色間廃止。
  • 1971年(昭和46年)12月1日 : 築地口 - 稲永町 - 西稲永間廃止により、築地線・築地線支線全線廃止。

停留場一覧[編集]

1937年(昭和12年)8月現在
築地口 - 築地学校前 - 中川堤防 - 中川 - 荒子川東 - 荒子川 - 車庫前 - 稲永 - 大宮司 - 西ノ割 - 多加良浦 - 弁天裏 - 中学前 - 明徳橋 - 東起 - 下ノ一色
1961年(昭和36年)12月現在
築地線: 築地口 - 築三町 - 大手橋 - 一州町 - 稲永町 - 大宮司 - 西ノ割 - 多賀良浦 - 弁天裏 - 西川町二丁目 - 明徳橋 - 東起町五丁目 - 下之一色
築地線支線: 稲永町 - 港西小学校前 - 西稲永
※単線区間(稲永町 - 下之一色間)で電車の交換が可能な停留場は、稲永町・西ノ割・弁天裏・明徳橋・下之一色の5か所。

接続路線[編集]

参考文献[編集]

  • 名古屋市編 『市営十五年』 名古屋市、1937年
  • 名古屋市交通局編 『交通事業成績調書 昭和36年度』 名古屋市交通局、1962年
  • 名古屋市交通局(編)『市営五十年史』 名古屋市交通局、1972年
  • 名古屋市交通局編 『名古屋を走って77年 市電写真集』 名古屋市交通局、1974年
  • 徳田耕一編著 『名古屋市電が走った街 今昔』 JTB、1999年