ジェリー・ブリスコ

ジェリー・ブリスコ
ジェリー・ブリスコの画像
レッスルマニア・アクセスにて
(2014年)
プロフィール
リングネーム ジェリー・ブリスコ
ジェラルド・ブリスコ
本名 フロイド・ジェラルド・ブリスコ
身長 183cm - 185cm
体重 95kg - 105kg
誕生日 (1946-09-19) 1946年9月19日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オクラホマ州の旗 オクラホマ州
オクラホマ郡オクラホマシティ
所属 WWE
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ジャック・ブリスコ
デビュー 1967年
テンプレートを表示

ジェリー・ブリスコJerry Brisco、本名:Floyd Gerald Brisco1946年9月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーWWEプロデューサー。オクラホマ州オクラホマシティ出身。

NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコの実弟であり、彼と同じくアメリカン・インディアンの血を受け継いでいる[1]2008年には、兄と共にWWE殿堂に迎えられた。

息子のウェスリー・ブリスコもプロレスラーであり、WWEの傘下団体FCWでウェス・ブリスコと名乗って活動していた。

来歴[編集]

NWA時代[編集]

ジャック・ブリスコと同様に学生時代はレスリングで活動し、1967年2月にAAU大会のオクラホマ州チャンピオンとなる[2]。同年3月、オクラホマ州立大学を中退してプロデビュー[2]1969年7月には日本プロレスに初来日している[3]。日本では「中西部の若駒」なる異名が付けられていた[4]

1970年代は主にジャックのタッグパートナーとして、フロリダCWFジョージアGCWなどNWA南部テリトリーを中心に活動。CWFでは1971年2月16日、ジャックとのブリスコ・ブラザーズThe Brisco Brothers)でジ・インフェルノス(フランキー・ケイン&ロッキー・スミス)からNWAフロリダ・タッグ王座を奪取。以降、同年4月13日にザ・ファンクス1972年11月16日にスプートニク・モンロー&ノーベル・オースチン1977年1月10日にボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア、同年6月3日にスーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー1978年1月25日にミスター・サイトー&イワン・コロフ、同年6月13日にはサイトー&ミスター・サトなど、数々のチームを破り同王座を再三獲得した[5][6]

特に、ファンクスとはオーキー(オクラホマ人)対テキサン(テキサス人)、インディアンカウボーイという図式のもと1980年代初頭まで南部各地で抗争を展開しており(ポジションはブリスコ兄弟がベビーフェイス、ファンク兄弟がヒール)、GCWでは1978年から1979年にかけてNWAジョージア・タッグ王座を争った[7]。同王座は1975年にも1月にロッキー・ジョンソンと組んでバディ・コルト&ロジャー・カービーから、10月にボブ・バックランドと組んでトール・タナカ&ミスター・フジから奪取しており、ジャックとのコンビでは1979年11月30日にもマスクド・スーパースター&オースチン・アイドルを破って獲得している[7]

シングルでは1974年5月21日、GCWにてジョージア版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座をボビー・ダンカンから奪取[8]。CWFでは同年8月にパク・ソン1975年11月にハーリー・レイス1978年7月にディック・スレーターを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルであるNWA南部ヘビー級王座を通算3回獲得した[9]。抗争相手ファンクスの本拠地アマリロでは、1976年4月16日にスコット・ケーシーからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取している[10]。この間、日本には1974年1月、1975年7月、1976年7月に全日本プロレスに参戦した。

1980年代に入ってからもフロリダのCWFを主戦場に、エディ・グラハムダスティ・ローデスの懐刀となってブッカー業務も担当。選手としてはジュニアヘビー級戦線で活動し、1981年5月にトーナメントの決勝でヒロ・マツダを破り、NWAフロリダ・ジュニアヘビー級王座を獲得[11]。同年9月16日にはレス・ソントンからNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、兄と合わせての「NWA2階級制覇」を果たした[12]

1983年からはノースカロライナNWAミッドアトランティック地区にもジャックとの兄弟コンビで参戦、同地区ではヒールのポジションに回り、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドワフー・マクダニエル&マーク・ヤングブラッドなどの人気チームとNWA世界タッグ王座を争っている[13]

WWF / WWE時代[編集]

長年に渡ってNWAで活動してきたブリスコ兄弟だが、オーナーのジム・バーネットを失脚させてGCWの主宰者となったオレイ・アンダーソンとの確執もあり、1984年4月9日、保有していたGCWの株式をバーネットらと共にWWFビンス・マクマホンに売却[14]。同年7月14日からはWTBSで放送されていたNWAジョージア地区のプロレス中継がWWFのプログラムに取って代わり、ブラック・サタデーと呼ばれる事件となる[15]。これにより、ブリスコ兄弟はNWAを離れ、当時全米侵攻を推進させていたWWFに参画することとなった[14]

当初はベビーフェイスのベテラン・タッグチームのポジションでディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションなどと対戦していたが、やがてジャックはプロレス界から身を引き、ジェリーも現役を引退してWWFのロード・エージェントに就任[14]。以後、パット・パターソントニー・ガレアジャック・ランザらと共に、WWEの重鎮としてバックステージを取り仕切った。

1990年代末から2000年代初頭にかけてのWWFアティテュード路線の最盛期には、"悪のオーナー" ミスター・マクマホンの側近役をパターソンと共に演じ、自らも『Raw is War』のレギュラーキャストとして番組に出演。マクマホン率いる権力ヒールユニット「コーポレーションThe Corporation)」の一員となり[16]ストーン・コールド・スティーブ・オースチンミック・フォーリーらを陥れるべく姦計をめぐらすなど、マクマホンに媚びへつらう悪の幹部として観客のブーイングを煽った。

女装姿の "ポカホンタス" ブリスコ(キング・オブ・ザ・リング2000

選手として本格的にリングに復帰することはなかったものの、2000年6月6日にクラッシュ・ホーリーからWWFハードコア王座を奪取[17]。WWFマットにおける初戴冠を果たしたが、タイトルに欲を出したパターソンの裏切りに遭い王座から陥落。同年6月25日のキング・オブ・ザ・リングでは、マクマホンの命によりパターソンとの女装でのイブニング・ガウン・マッチによるハードコア王座戦が組まれた(インディアンの血を引いていることから、コメンテータージェリー・ローラーはブリスコを見て「ポカホンタス!」などと叫んでいた)。

WCWとの視聴率戦争の終結と同時期にアングル上からは姿を消し、以降はプロデュース業務に専念している。2008年3月29日にはプロレス界における功績を称え、兄ジャック・ブリスコと共にWWE殿堂に迎えられた(インダクターはジョン・レイフィールド)。近年は、WWEのタレント・スカウト部門を担当していた[18]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

2008年WWE殿堂入り
(左は兄のジャック・ブリスコ
ナショナル・レスリング・アライアンス
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):3回[9]
  • NWAフロリダTV王座:1回[19]
  • NWAフロリダ・ジュニアヘビー級王座:1回[11]
  • NWAフロリダ・タッグ王座:8回(w / ジャック・ブリスコ[5][6]
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):5回(w / ジャック・ブリスコ)
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):2回(w / ジャック・ブリスコ)
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回[10]
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • ESAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ジャック・ブリスコ)
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米タッグ王座:1回(w / ジャック・ブリスコ)
  • WWC世界ジュニアヘビー級王座:1回
ワールド・レスリング・エンターテインメント

脚注[編集]

  1. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P38(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.55』P84(2020年、辰巳出版ISBN 4777825302
  3. ^ JWA 1969 Summer Series 1”. Puroresu.com. 2020年4月2日閲覧。
  4. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P247(1996年、日本スポーツ出版社)
  5. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月8日閲覧。
  6. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestlingdata.com. 2014年11月26日閲覧。
  7. ^ a b c NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月8日閲覧。
  8. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月26日閲覧。
  9. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月8日閲覧。
  10. ^ a b NWA Western States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  11. ^ a b NWA Florida Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月3日閲覧。
  12. ^ a b NWA World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月8日閲覧。
  13. ^ a b NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月8日閲覧。
  14. ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.55』P90-91(2020年、辰巳出版、ISBN 4777825302
  15. ^ ショーン・アセール、マイク・ムーニハム著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P64-67(2004年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583037880
  16. ^ Faction Profiles: The Corporation”. Online World of Wrestling. 2010年2月8日閲覧。
  17. ^ a b History of the Hardcore Championship”. WWE.com. 2010年5月1日閲覧。
  18. ^ Gerry Brisco Scouting Amateur Talent For WWE”. Wrestling News World. 2014年8月13日閲覧。
  19. ^ NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年8月13日閲覧。
  20. ^ NWA Atlantic Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。

外部リンク[編集]