レス・ソントン

レス・ソントン
レス・ソントンの画像
プロフィール
リングネーム レス・ソントン
アンリ・ピエルロ
マスクド・チェックメイト
本名 レス・ソントン
ニックネーム 小型爆撃機
身長 175cm - 180cm
体重 98kg - 105kg
誕生日 (1934-04-09) 1934年4月9日
死亡日 (2019-02-01) 2019年2月1日(84歳没)[1]
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
グレーター・マンチェスター州マンチェスター
スポーツ歴 レスリング
デビュー 1957年
引退 1991年
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レス・ソントンLes Thornton1934年4月9日[2] -2019年2月1日[1])は、イギリスマンチェスター出身のプロレスラー

欧州のマット界を経て1970年代より北米に活動の拠点を移し、1980年代前半はNWA世界ジュニアヘビー級王者として活躍した。

来歴[編集]

英国海軍を除隊後、スネーク・ピットの異名で知られるビリー・ライレー・ジムに入門して、1957年にデビュー[3]アンリ・ピエルロHenri Pierlot)や覆面レスラーチェックメイトCheckmate)などのリングネームを用い、英国を中心にヨーロッパ各地をサーキットした[3]

1970年11月に国際プロレスに初来日した際、同時期に日本プロレスに来日していたジン・キニスキーと邂逅、キニスキーの紹介でカナダバンクーバー地区に進出[3]。以降はカナダを主戦場に、スチュ・ハートが主宰するカルガリースタンピード・レスリングにも参戦、1971年4月23日にアブドーラ・ザ・ブッチャー1974年12月6日にビッグ・ジョン・クインを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルである北米ヘビー級王座を2回に渡って獲得した[4]。この間、1974年2月には新日本プロレスに初参加[2]アンドレ・ザ・ジャイアントエリック・ジ・アニマルジョニー・ロンドスなどが同時参加したシリーズにおいて、時折メインイベントにも出場した[5]

1970年代半ばからはアメリカ合衆国NWA圏にも進出、1975年5月16日にロサンゼルス地区でドン・ムラコからアメリカス・ヘビー級王座を奪取している[6]南部ではウェールズ出身のトニー・チャールズとの英国人コンビで活躍、1975年12月にジム・バーネットジョージア・チャンピオンシップ・レスリングジェリー・ブリスコ&ボブ・バックランドを破りジョージア・タッグ王座を、1976年にはテキサス州ダラス地区でロッキー・ジョンソン&ホセ・ロザリオを下しテキサス・タッグ王座をそれぞれ獲得した[7][8]太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト地区ではムーンドッグ・メインとの異色コンビで1977年6月4日にジェシー・ベンチュラ&バディ・ローズから同地区認定のタッグ王座を奪取している[9]1978年にはイギリス連邦ニュージーランドにて、大英帝国ヘビー級王座を獲得した[10]

1980年3月、レロイ・マクガーク英語版がプロモートするオクラホマ地区にてNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得[11]。当時、マクガークは同王座の運営権を占有するなどして、NWAの反主流派と呼ばれていたプロモーター達(ビンス・マクマホンエディ・グラハム、マイク・ラベール、新間寿ら)と反目していた。そこで反主流派は、前王者ネルソン・ロイヤルの引退に伴い、スティーブ・カーンを新王者に認定(1979年12月10日、ロサンゼルスでの王座決定戦でチャボ・ゲレロを破ったとされる)[11]。ところが、これに異を唱えたマクガークも1980年2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行(新王者は決勝でソントンを破ったロン・スター)、一時期は2つのNWA世界ジュニアヘビー級王座が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められた(反主流派が新設したタイトルは「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」と改称され、日本に定着)[11]

以後は世界ジュニア王者としての防衛サーキットを開始。1980年7月20日にはジョージア州アトランタオムニ・コロシアムにて、インターナショナル版の王者だったスティーブ・カーンの挑戦を受けている[12]。その後もケビン・サリバンリッキー・モートンスタン・レーンジム・ガービンスコット・マギーホセ・エストラーダなどを相手に各地で防衛を続け[13]、11月には全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦に、ビル・ロビンソンとのヨーロッパ代表チームとして参加した[14]。翌1981年は、1月にアラバマジェリー・スタッブス、6月にバージニアテリー・テイラーに敗れ王座を明け渡したものの、いずれも数日で奪還している[11]。同年はフロリダにて元王者ヒロ・マツダの挑戦も退けた[15]

1981年7月、全日本から矛先を変えて新日本プロレスに久々に登場[16]WWFジュニアヘビー級王者である藤波辰巳との「NWAWWF」のチャンピオン対決が注目され、東京と大阪で藤波の王座に連続挑戦した[17][18]。帰国後の9月13日、フロリダでジェリー・ブリスコにタイトルを奪われるも、1か月後の10月16日に返り咲いている[11]1982年4月、王者として再び新日本に参戦[19]。沖縄で星野勘太郎の挑戦を退けたが、5月25日の静岡大会にてタイガーマスクに敗れ王座から陥落[20]。以降、同王座は新日本プロレスに定着することとなった[11]。新日本には同年10月にも参戦しており、これが最後の来日となっている[21]

1983年11月、フィリピンマニラで行われたとされる架空のトーナメントに優勝したと称して、ジョージア地区で再びNWA世界ジュニアヘビー級王者を名乗ったが、1984年7月のブラック・サタデーに起因するWWF移籍に伴いタイトルを返上(以後、ヘクター・ゲレロなどが王者となり、同王座の防衛戦が行われた)[11]。WWFではヒールのポジションでジョバーを務め、1987年まで出場[22]。若手時代のミック・フォーリー(当時ジャック・フォーリー)と組んでブリティッシュ・ブルドッグスWWF世界タッグ王座に挑戦したこともある[23][24]。WWFと並行して古巣のスタンピード・レスリングにも出場しており、1986年9月18日に同じく英国出身のジョニー・スミスから英連邦ミッドヘビー級王座を奪取した[25]

1991年の引退後は居住地のカルガリーにおいて、ジムを運営して若手選手の指導・育成に携わっていた[3]2019年2月1日、84歳で死去[26][1]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

ナショナル・レスリング・アライアンス
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回 [6]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・チャールズ) [8]
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
NWAオールスター・プロレスリング
スタンピード・レスリング

脚注[編集]

  1. ^ a b c Les Thornton passes away”. PW Insider.com (2019年2月3日). 2019年2月5日閲覧。
  2. ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P33(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c d Les Thornton: A life on the road”. SLAM! Sports (February 23, 2005). 2010年2月18日閲覧。
  4. ^ a b Stampede Wrestling North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月18日閲覧。
  5. ^ NJPW 1974 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2019年2月13日閲覧。
  6. ^ a b NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  7. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  8. ^ a b NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  9. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  10. ^ a b British Empire Heavyweight Title [New Zealand]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h NWA World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月18日閲覧。
  12. ^ The GCW matches fought by Les Thornton in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年10月19日閲覧。
  13. ^ Les Thornton: 1974-1982”. Cagematch.net. 2014年10月19日閲覧。
  14. ^ AJPW 1980 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年7月17日閲覧。
  15. ^ The CWF matches fought by Les Thornton in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年7月17日閲覧。
  16. ^ NJPW 1981 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2019年9月30日閲覧。
  17. ^ NJPW Summer Fight Series 1981 - Tag 1”. Cagematch.net. 2015年7月17日閲覧。
  18. ^ NJPW Summer Fight Series 1981 - Tag 25”. Cagematch.net. 2015年7月17日閲覧。
  19. ^ The NJPW matches fought by Les Thornton in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年7月17日閲覧。
  20. ^ NJPW 1982 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2019年9月30日閲覧。
  21. ^ NJPW 1982 Toukon Series”. Puroresu.com. 2019年9月30日閲覧。
  22. ^ Les Thornton: 1985-1991”. Cagematch.net. 2015年7月17日閲覧。
  23. ^ Mick Foley "Have a Nice Day: A Tale of Blood and Sweatsocks" P82–85(2000年、Regan Books)ISBN 0061031011
  24. ^ WWF Superstars #2”. Cagematch.net. 2015年7月17日閲覧。
  25. ^ a b Stampede Wrestling British Commonwealth Mid-Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月15日閲覧。
  26. ^ 元NWA世界ジュニアヘビー級王者レス・ソントンさん死去”. 東スポweb (2019年2月5日). 2021年1月19日閲覧。
  27. ^ Stampede Wrestling International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月27日閲覧。

外部リンク[編集]