アナータピンディカ教誡経

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アナータピンディカ教誡経[1](アナータピンディカきょうかいきょう、: Anāthapiṇḍikovāda-sutta, アナータピンディコーヴァーダ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第143経。『教給孤独経』(きょうきゅうこどくきょう)[2]とも。

類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第28経「教化病経」がある。

サーリプッタ舎利弗)が、死の床にあるアナータピンディカ給孤独)に、仏法を説く。

構成[編集]

登場人物[編集]

  • アナータピンディカ給孤独、ぎっこどく) --- 仏教の在家信徒であるコーサラ国の大臣も務めた長者。本名はスダッタ(須達(多))だが、身寄りの無い者たちに食事の施しをしていたことから、尊敬を込めてアナータピンディカ(給孤独)と呼ばれる。ジェータ王子の林、すなわちジェータ(祇陀)林を僧伽に寄進したため、そこに建てられた精舎は「祇樹給孤独園」の精舎、略して「祇園」精舎と呼ばれる。
  • サーリプッタ舎利弗
  • 釈迦
  • アーナンダ

場面設定[編集]

ある時、釈迦はサーヴァッティー舎衛城)のアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。

その頃、死の床にあったアナータピンディカ(給孤独)は、釈迦の元に人を送り、サーリプッタ(舎利弗)に見舞いに来てもらうよう頼む。

話を聞いたサーリプッタは、アーナンダを伴い、アナータピンディカの家へと赴き、六処に関する仏法を説く。

するとアナータピンディカは兜率天に生まれ変わって天子となり、夜を明るくしながら祇園精舎の釈迦の元へ行き、讃仏偈を唱える。

夜が明けてから釈迦がこのことを比丘たちに話すと、帰って来ていたアーナンダがアナータピンディカの家で起きたことを話す。

釈迦は例の天子はアナータピンディカに違いないと話し、アーナンダは歓喜する。

日本語訳[編集]

  • 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典4』(第11巻下) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)後分五十経篇II』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『パーリ仏典』片山
  2. ^ 『南伝大蔵経』、『原始仏典』中村

関連項目[編集]

外部リンク[編集]