Wikipedia‐ノート:自分自身の記事

突然ですが、この文書を、ガイドラインとして採用するべきだと思いますので、ご協力よろしくお願いいたします。まず現行の英語版から翻訳し直しました。以前の版は2004年4月ごろの英語版からの翻訳でしたが、この2年間で英語版の文書は、かなりわかりやすく、また必要な内容をカバーした、ほとんどそのまま日本語版にも適用できるものになっていると思います。また「独自の調査」の公式方針化が進まない中で、この文書がガイドラインとして採用されれば、一定の効果があると考えます。以上のことから、基本的には英語版の翻訳である現在の版に必要ならば微修正を加えてリリースできればベストだと考えますが、どうでしょうか。ご意見どうぞよろしくお願いいたします。--Aotake 2006年11月28日 (火) 16:14 (UTC)[返信]

ロゼさん自身の動画でインタビューしたものですが、URLなどが必要でしょうか?--240F:CF:32C0:1:8D9E:4DEF:3BB4:A89A 2023年12月17日 (日) 14:11 (UTC)[返信]

ガイドライン化へ向けての手順[編集]

ガイドライン化へ向けては、次のような手順を予定しています。この予定自体についても異論がありましたらご意見よろしくお願いいたします。

  • まずは1ヶ月ほどご意見を募ります。
  • その間にガイドライン化への反対が生じず、内容についても大きな議論がなければ、再度ガイドライン化する旨の告知を行い、2週間の猶予期間を経てガイドラインであることを示すテンプレートに張り替えます。
  • 意見がまったくつかない場合は、意見募集期間を2週間ほどに短縮するかもしれません。
  • ガイドライン化への反対意見が議論参加者の一定の割合を占めた場合は投票を検討します。内容をめぐる議論が収束しない場合、議論が収束するまでガイドライン化する旨の告知は行いません。

--Aotake 2006年11月28日 (火) 16:14 (UTC)[返信]

ご意見が寄せられていませんので、意見募集期間を短縮して、約2週間後の12月26日にガイドラインのテンプレートに貼り替える予定とします。--Aotake 2006年12月11日 (月) 14:32 (UTC)[返信]

ガイドラインとしました。--Aotake 2006年12月26日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

タイトルについて[編集]

(見出し追加)--わかみん 2006年12月18日 (月) 01:12 (UTC)[返信]

  • (おおむね賛成)ガイドライン化、および現在の文面についてはおおむね(追記:わかみん 2006年12月12日 (火) 15:51 (UTC))賛成します。ただし、自分自身の記事を作らないという名前について、若干の違和感を覚えます。このガイドラインの趣旨はあくまで、中立性、検証可能性の確保および独自研究の排除にあると考えますから、とすれば、自分自身の記事を作ることそのものを禁じているわけではないし、その必要もないでしょう。(事実、内容を読めばそのような趣旨であることは明らかであると思います。)英語版でもAutobiographyになっていますし、自分自身の記事ぐらいでいいような気もするのですが…。(もっと他にいい案があればそれがいいのですけれど。)--わかみん 2006年12月12日 (火) 15:47 (UTC)[返信]
    • 中立性、検証可能性の確保および独自研究の排除を前面に押し出して、そのために自分自身の記事を作ることは控える、という構成の方がよいかという気はします。--わかみん 2006年12月12日 (火) 15:51 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。日本語版のタイトルは、ひょっとすると英語版がもともと"Don't create articles about yourself"というタイトルであったことに影響されているのかもしれませんが、確かに「自分自身の記事について」くらいにした方がよいかもしれません。もう何人かご意見がほしいところですね。本文の構成については、もしよろしければ、案を出していただくか、直接編集していただければと思います。お願いします。--Aotake 2006年12月12日 (火) 16:20 (UTC)[返信]
タイトルの変更に賛成です。
日本語版の記事は英語版がそのタイトルだった頃に翻訳されていたと記憶しています。Aotakeさんの推測どおりではないでしょうか。
「自分の記事をつくらない」はやや強すぎて、一切の編集を断っているようにも聞こえるおそれがあると感じます。また強い表現は感情的な反発を無意識にでも招くおそれがあり、中立的な表現のほうが望ましいと思います。
英語版をはじめ「自己宣伝を謹んでもらう」ことはNPOVから演繹される当然の方針ですが、「自分についての記事を一切編集しない」という風になっているところはないと理解しています。その意味で、現在のやや強すぎるタイトルよりは、中立な響きのある「自分自身の記事(について)」がよろしいのではないでしょうか。--Aphaia 2006年12月12日 (火) 16:29 (UTC)[返信]
本文構成について、利用者:わかみん/自分自身の記事についてに案を載せてみました。--わかみん 2006年12月13日 (水) 07:09 (UTC)[返信]
わかみんさん、さっそくの文案ありがとうございました。どれも妥当で、私はそのまま記事本文をいじっていただいてかまわない改変だと思います。ただ1ヶ所だけ「もしあなたがウィキペディアのガイドラインに照らして「百科事典的でない」時には」は日本語として違和感があるので、「あなたが書こうとしている内容が」などに直してはどうでしょうか。こうしてしまうと、意味範囲がぐっと広がってはしまいますが、かえってそのほうがいいのではないかと、私は思うのですが、どうでしょう?--Aotake 2006年12月13日 (水) 09:42 (UTC)[返信]

(インデント戻します)そうですね。Aotakeさんのおっしゃる通り、たしかに日本語として不自然ですね。ただ、「あなたが書こうとしている内容」にしてしまうと範囲が広がりすぎ、後続の文との接続関係がよくわからなくなるような気がします。文案を「あなたについての」に変更してみましたので、もう一度確認をお願いいたします。それでよろしいようであれば、記事本文を変更したいと思います。--わかみん 2006年12月13日 (水) 13:09 (UTC)[返信]

わたしはいいと思います。本文変更よろしくお願いします。改名はどうしましょうか。「について」がついていると文書の名前として座りが悪いでしょうか。--Aotake 2006年12月13日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
本文変更しました。タイトルについては「自分自身の記事に関する注意」や「自分自身の記事は控えめに」などというのはどうでしょうか?(「自分自身の記事について」だとやや座りが悪い気もしますし、「自分自身の記事」だと内容が一目で把握できないかなと思いました。)--わかみん 2006年12月13日 (水) 15:23 (UTC)[返信]
横から失礼します。タイトルの変更について賛成させて頂きます。記事のタイトルについては「自分が絡む記事の執筆」のようなものはいかがでしょうか。自分自身の「自身」の限定がちょっと強すぎる(自分周辺を含むはず)という点と、執筆に関するルールだが完全禁止ではない、という点、の二つが頭にあります。題名案の細かい部分にこだわるつもりはありませんが、上記2点について踏まえた名称にできれば良いのではないかと思っています。--磯多申紋 2006年12月15日 (金) 22:07 (UTC)[返信]
いろいろな案ありがとうございます。文書のタイトルは難しいですねえ。「自身」の限定が強すぎるというのは私も薄々感じてはいたのですが、文書の題はそれでもいいかなと思っていました。例えば示していただいた「自分が絡む記事」は文書を知っていれば意味がわかりますが、まっさらな状態で聞くと、「絡む」の意味がつかみ辛く、記事の編集に関わることを指しているという解釈も容易に生まれる気がしませんか。ですが、「自分、家族、自作、自社などについての記事」なんてやりだすと、直感に訴えないタイトルになってしまいますよね。そのようなことを踏まえて、私の意見としては、「『自身』の限定」については、文書の内容で適用範囲が示されているので、タイトルは「自分自身」であってもかまわないかな、と思ったりもします。でもそれを抜きにしたとしても難しいです。「あなたについての記事」「自伝記事」「自叙は控えめに」「記事主題本人の執筆」などいろいろバリエーションは思いつきますが、どれもこれこそ!というものではないですよね… ひきつづき、多くの方のご意見を伺えればと思います。よろしくお願いいたします。--Aotake 2006年12月16日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
Aotakeさん、ご意見ありがとうございます。「自分が絡む」が「自分が執筆した」と取られる可能性がある、とのご指摘はごもっともな部分があるかと思います。この点は言葉をまとめるのが、なかなか難しいですね。あえて提案すれば「自分自身等の記事~」ですが、だんだん技巧的になっているのは自分でも否定できませんので、単に議論推進目的での提案とお考え頂ければ幸いです。--磯多申紋 2006年12月18日 (月) 15:20 (UTC)[返信]

(インデント戻す)しばらく放置してしまいすみません。考えたのですが、「自分が絡む事柄についての記事」「自身が深く関わる事柄についての記事」くらいまで砕いて言えば磯多申紋さんの指摘を汲むこともできるかなと思います。どうでしょう、くどすぎますか?--Aotake 2006年12月22日 (金) 14:03 (UTC)[返信]

いえいえ、コメントありがとうございます。Aotakeさんが示して下さった「自身が深く関わる事柄についての記事」というのは、内容と照らして正確な表現で適切だと思いました。まさにご指摘のとおり、長いかどうかが気になりますが、私個人としては、問題ない範囲だと思います。長すぎる、という感触がもしあれば、「について」を省いた「自身が深く関わる事柄の記事」というタイトルが、少し短いけれど、その分、少し分かりにくいか、という補助的な案になるかと思います。--磯多申紋 2006年12月22日 (金) 20:15 (UTC)[返信]
さっそくのコメントありがとうございました。個人的には「について」が入っているほうが日本語としてはわかりやすくおさまりがいいように思います。どうでしょうか?他の利用者の方々のコメントもぜひ聞きたいところです。--Aotake 2006年12月23日 (土) 01:37 (UTC)[返信]

タイトル変更について議論中ですが、ガイドライン化への反対はありませんでしたので、ガイドラインとしました。タイトルについて、現在提出されている案をまとめてみます。賛否などのコメントを各案直下にお寄せいただけると助かります。--Aotake 2006年12月26日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

しばらく放置してしまいすみません。Aotakeさん、ガイドライン化ありがとうございます。以下、各案へコメントさせていただきます。--わかみん/ 2007年1月7日 (日) 08:25 (UTC)[返信]
自分自身の記事を作らない(現行)
自分自身の記事に関する注意
自分自身の記事は控えめに
自身が深く関わる事柄についての記事
自身が深く関わる事柄の記事

再度、タイトルに関して[編集]

この節内にある各氏による案の表記を、従前の節とそろえました。--ChibaRagi 2007年12月24日 (月) 13:46 (UTC)[返信]

タイトルについて、こちらでも議論になっているようですが時間がたっているので改めて節を作ります。やはり現行のものではインパクトが強すぎるきらいがあるようです(日本語って難しいですね)。Wikiscanner関連の報道でもちらとみたのですが(自分が誤解しているかもしれませんが)「ウィキペディアは自分自身の記事に関しては編集しないように呼びかけている」って堂々と言われているんですよね。実際には「自分自身の記事をつくらない」と断言しているわけではなく「作る時には十分注意してね」あるいは「控えてね」と言う主旨の文章なので、現行のものからはタイトル変更をした方がいいと思うのですがいかがでしょうか。上記で言えば「自分自身の記事は控えめに」に票を入れますが、もし今から案を出してもいいのであれば

自らの記事に関わる際には十分に注意してください
自らの記事を編集する時には

というのはどうでしょう(自分自身と自らの違いってなんだろうか…)。Tekune 2007年9月16日 (日) 08:22 (UTC)[返信]

自身が深く関わる項目には細心の注意を
自身or自分項目or記事 に選択の余地あり) - Dark Eyes 氏の提案に賛同し修正--ChibaRagi 2007年12月23日 (日) 14:49 (UTC) - さらに修正の必要性を感じたので、ここでは一旦取り消しまして、仕切り直して別途提案します。--ChibaRagi 2007年12月30日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
    • 関与する項目の編集を禁止するわけではないが、他者からの誤解など様々なリスクを背負うということを理解していただくために「細心の注意」という文言を盛り込みました。よろしくご検討ください。--ChibaRagi 2007年12月23日 (日) 11:30 (UTC)--署名失念により補完--ChibaRagi 2007年12月23日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
恥ずかしながら、「自分自身の記事は編集しない」って意味だと思ってた。で、「でもガイドラインだから絶対禁止ってわけじゃない」くらいのニュアンスかと。
やはり誤解されやすいので変えるべきですね。でも「基本的には控えなさい」というニュアンスは残して欲しいので、前節で挙がった案はどれも賛成できない。「細心の注意を」はいいですね。前半がちょっとわかり難いけど、難しいですね。は、「自分が関わる記事には」くらいの方がわかりやすいかな。--Dark Eyes 2007年12月23日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
文意を変えず名称を短くできるという観点から、Dark Eyes 氏のご提案を取り入れて私案を修正しました。(編集競合のようですが、そのままコメントいたします。)--ChibaRagi 2007年12月23日 (日) 14:49 (UTC)[返信]
自分に関わる記事を編集しない
とかどうでしょうか。現状のページ名では作ることしか書いてませんが、実際には編集することも好ましくないわけですから。ところで(今回の件とは関係ないですが)、記述すること自体は場合によっては禁止ではありませんが所属する会社などの組織に関することなら、内部の機密事項を漏らす行為は完全に犯罪になります。 --Mzm5zbC3 2007年12月23日 (日) 17:37 (UTC)[返信]
先の議論では、検証可能性 の担保や独自研究の排除 が主目的であり、作成や編集そのものを強く禁止する目的ではないとの指摘もあります。例えば客観的に明白な誤記や中傷の類の修正など、編集を許容すべき点も念頭に置かれ、さらに検討を続けてくださると幸いです。--ChibaRagi 2007年12月24日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
「編集しない」は絶対反対。それじゃ、逆方向。ここで提起されているのは、「自分自身のかかわる記事を書く際は、中立性、検証可能性などの注意をしてください」という意味です。もっといっておくと
  • 英語版のタイトルは「Wikipedia:Autobiography」つまり、「自叙伝に付いて」でしかない。今のタイトルは誤訳といっても差し支えないくらい。
  • 利害関係者を本来特定できない。会社のマシンとはいえ、当該者とは断言できない。自宅から書くなどの行為が入れば、もっと特定できない。
  • そもそも、「自分に関わる記事を編集しない」ということ自体が百科事典的に無意味。むしろ推奨したいくらいなのに。日本人日本の項目を書かないなんて、本末転倒。
これは、あくまでガイドラインであって、誰かに何かの行為を禁じるのが目的ではありませんし、そういうルールを設けること自体も絶対に反対。--ゆきち 2007年12月25日 (火) 16:54 (UTC)[返信]
ご意見は尊重しますが(何がどっちに逆方向なのかよくわからないものの)、英語版のガイドラインのタイトルだけに飛びついて日本語版の内容を誤訳と指摘しないでいただきたい(別に私の訳じゃないから擁護する必要もないけど)。英語版の要約には "Avoid writing or editing an article about yourself, other than to correct unambiguous errors of fact." と明記されています。また冒頭部にも "Writing autobiographies is discouraged because it is difficult to write a neutral, verifiable autobiography and there are many pitfalls." 「自分自身のかかわる記事を書く際は、中立性、検証可能性」を維持することが困難だから非推奨、と明記されており「注意をしてください」という内容ではありません。ガイドライン全体はむしろ日本語版よりも厳しい内容で、日本語版のタイトルはこの内容と基本的に一致しています。--Aotake 2007年12月25日 (火) 17:14 (UTC)[返信]
ここでの提案は、「まるで一律禁止かのような誤解をあたえるタイトルを変更したい」というのが目的であって、「編集しない」というタイトルの提案は、その逆を行っています。また、「自分自身がかかわる」という定義も実はあいまいで、それ自体を定義できるかのようないい方も本当は意味がありません。いつも企業や官公庁ばかり話題になるけど、例えば、自分のかかわる学問分野とかどうするつもり? そして、今の日本語版でそれを厳格に適用するのはあまり利益があるとは思えません。--ゆきち 2007年12月25日 (火) 18:44 (UTC)[返信]

さまざまな意見ありがとうございます。私は、例えて言えばある企業の項目に単純な間違いがあって、それをその企業の広報担当者が見て、直そうとしたけど方針文章をいろいろ読んでいくうちに「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」に行き当たり、困惑する、というケースが発生するんじゃないかなと思って、今回の提案をさせていただきました(例は企業ですが、もちろん著名人とか項目が作成されている研究者とかにもあてはめることができます)。どうにも、否定的な文言を混ぜた単語はその否定的な要素の方に注意がいってしまうんじゃないのかな、と考えるときもあります(日本語の特徴かなんかでしょうか)。方針の中身や方向性を変えるわけではないけれども、まずは自分にかかわりのある項目を自分で編集して直すことは一切合財禁じているわけではないというのを提示していきたいです。

その意味で上記案の中ではChibaRagiさんのものが私のより良さそうに思いましたがいかがでしょうか。Tekune 2007年12月30日 (日) 12:06 (UTC)[返信]

自分が深く関わる項目の編集には細心の注意を
議論が進展しつつあるところ恐縮なのですが、重要なことを見落としていました。最初に私がお示しした案の記述だと「自分の関わる項目は常に注視しなさい」と別の意味に誤読される懸念を強く感じました。よって下線部を加えた上記の案を改めて提示します(当初の提案には取消線を付しました)。度々の修正で申し訳ありません。--ChibaRagi 2007年12月30日 (日) 15:35 (UTC)[返信]


英語版では冒頭に

Writing an autobiography on Wikipedia is strongly discouraged, unless your writing has been approved by other editors in the community.

とあり、自分について書くことは強い自制を求められています。原則禁止ということです。細心の注意があれば良いという意味合いはありません。上記の企業の例では、広報担当者は本文を編集せず、ノートに書き込むべきです。記事名としては、単に「自分についての記事」ではどうでしょうか。なお、ゆきちさんが言う「自分に関わる記事を編集しない」は誤解で、自分の専門分野の記事を編集するのは推奨されます。「自分に関する」ではなく「自分について」です。 - TAKASUGI Shinji 2008年1月2日 (水) 16:17 (UTC)[返信]

内容からすると、「つくる」のほうに「編集する」よりも強い自制が求められており、「編集する」も、非推奨で、非推奨なことを理解した上で編集するなら、中立性に高い配慮を、という内容であると私は理解します。また、この非推奨の度合いは、「個人的な関わりの高さ」と比例するものであり、一律に同じ程度で非推奨というわけではないでしょう。ですから、「日本」とか「地球」についての推奨されない度合いは、自社や自分自身に対するものよりもはるかに低いはずです。逆に、まさしく自分自身の場合は、禁止に近い非推奨であると。そのうえで、このガイドラインが求めているように「人に任す」が、ウィキペディアの参加者のなかで調達できない場合は、あえて執筆することがむしろ求められるでしょう。(たとえば例に挙げた「日本」や「地球」など。)また、すでにいわれているとおり、「自分自身が関わる」というのは、趣旨から言って「自分自身が特定の利害関心や帰属意識を持つ立場にある」ということです。その分野に詳しい、というのは含まれません。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 03:03 (UTC)[返信]
なお、タイトルについては、編集に関してはかならずしも禁止とはいっていない。(作成についてはほぼ禁止に近い)という点の誤解を招かないようにするには、というところですが、「自分自身の記事の編集は控える」はどうでしょうか。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 03:08 (UTC)[返信]
なお、上記の企業の例では、このガイドラインの現行の内容にしたがえば、やはり直接本文を編集すべきではありません。検証可能性を満たすためにホームページ等の記述を示した上で、ノートで訂正を求めるべきです。また、私は「自分自身に関わる」ことについて述べましたが、本文は、「自分自身が関わる」ことについては概略的に触れているだけで、直接、非推奨であると述べているのは「自分自身の」ことです。ですから、「自分自身の」ことをこえて、「自身が帰属するもの」について、このガイドラインでどこまで踏み込んでいるかは微妙な所だと思います。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 03:20 (UTC)[返信]
私も「細心の注意を」は、ガイドラインの内容と齟齬があるので賛成できません。「控える」は悪くないと思いますし、曖昧にはなりますが、「自分自身についての記事」くらいに留めておけば、ガイドラインの内容が変わっていっても改名しなくていいかな、などとも思います。その内容についてですが、英語版にすべて追随すべきだとは思いませんが、この問題に関しては経験のより多い英語版がたどりついている「基本的に編集しない」という方針は妥当だと思います。ゆきちさんの「今の日本語版でそれを厳格に適用するのは」というご発言は「日本語版は記事をもっと増やす段階にある」というご認識に基づくものと拝察しますが、私はむしろ宣伝記事の抑制に対策をとらなければならない段階だと思います。脱線してしまうかもしれませんが、これに関しては「自分自身が特定の利害関心をもつ」ことについて解説するen:Wikipedia:Conflict of interestを移入した方がいいのかなあとずっと思っていますが、皆さまはいかがおかんがえですか。--Aotake 2008年1月3日 (木) 06:35 (UTC)[返信]
自分自身についての記事に改名しましょうか。 - TAKASUGI Shinji 2008年1月9日 (水) 07:49 (UTC)[返信]
なお、Wikipedia:井戸端/subj/記事「ウィキペディア」でウィキペディア自体の利害の衝突(COI)が議論にちょうどなっています。またWP:JPOVを最近私は大幅に改稿を提案しました。まだまだどちらも異論の少なくない状態ですので、COIが受け入れられるかは難しいところだという感触ですが、移入を提案されることには賛成です。まずは、翻訳から、ということでしたら、いくらかは分担できるかと。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 07:06 (UTC)[返信]

ガイドラインのジレンマ[編集]

本文には明示されていませんが、一連の議論を読む限りでは、このガイドラインは、会社、政党などに所属する利用者が、IPユーザーとして書き込む行為を念頭に置いて運用されているように思われます。この場合には、以下に挙げるような問題は恐らく起こりません。ところが、個人がアカウントを取得して記事を執筆した場合に、その人物の実名や、それに準ずる個人情報を指摘してこのガイドラインを提示した場合、状況によってはプライバシーの侵害となる可能性があります。典型的には、ある個人がWikipediaに自伝を執筆した場合が挙げられます。(争点が拡散するだけなので、Wikipedia:特筆性Wikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:独自研究は載せないなどに觝触する可能性は排除します。著名な人物を想定して下さい)

本人が利用者ページで公言している場合を除き、アカウントを取得している利用者に対して、「貴方は○○(実名)さんですよね? 自分自身に関する記事を作成することはお控え下さい」と警告することは、それこそ糺弾すべき行為として第三者に受け止められるかもしれません。ご存知の通り、Wikipediaはプライバシーの侵害に対して非常に厳格なサイトです。場合によっては、不正を摘発した人物が、逆に非難の対象となるおそれがあります。このガイドラインは、利用者が自発的に自戒の書として読む限りでは有益だが、他人がメンテナンスの一環として援用すると途端に危険物になるというジレンマを抱えています。

我々は、あるアカウントに対して記事に書かれた事物との関連性を指摘する行為が、プライバシーの侵害に該当しないか、詳しく検討する必要があると思われます。「Wikipediaの規則を破ったのだから不利益を受けても自業自得だ」という見解もあるでしょう。しかし、例えば実名の暴露が現実の訴訟にまで発展した場合に、裁判所が同様の判断を下すと誰が保障するのでしょうか。管理者や理事の力で事態を収拾できますか? 訴訟が起こされる可能性の高低は断言できませんが、例えば利用者の投稿記録にTemplate:性的が含まれる記事が多量に存在していた場合、本人が何らかの法的な措置を講じても不思議ではないかもしれません。投稿者がサブカルチャーの分野で著名な人ならばともかく、法曹や学者であった場合には何が起こるでしょうか。

本件の議論の推移によっては、ガイドラインの本文中に、「Wikipedia:自分自身の記事をつくらないを特定の利用者に示す際には、当人のプライバシーに配慮することを忘れないで下さい」という一文を追加すべきという議論に派生させることになるかもしれません。ひとまず、皆様のご高見をお待ちします。--白文鳥 2008年8月24日 (日) 20:19 (UTC)[返信]

教育機関の具体的明記について[編集]

現在、このルールの範囲は「このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがらについての記事について適用されます。」となっていますが、これに学校も追記したいと考えております。具体的には「このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたの在学しているか過去に卒業した学校、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがらについての記事について適用されます。」とすることを提案します。すでに内包されていることではありますが、教育機関に関する記事の現状を考慮するとここまできちんと明記しておく必要があるのではないかと感じています。皆様のご意見をお願い致します。--秋の虹 2008年10月8日 (水) 08:23 (UTC)[返信]

20日以上待ちましたが特に反対がありませんでしたので本文へ反映致します。--秋の虹 2008年10月29日 (水) 07:52 (UTC)[返信]
日本語がいまいちこなれていなかったので直さしてもらいます。微調整レベル。--Nekosuki600 2008年10月29日 (水) 18:01 (UTC)[返信]
在学生と卒業生という分け方での文章提案でしたので1文字だけ修正しました。--秋の虹 2008年10月31日 (金) 01:10 (UTC)[返信]

自分自身の記事を編集している場合に発動する編集フィルターの提案[編集]

Wikipedia:編集フィルター/提案#記事主題の利害関係者による編集の抑制に、本ガイドラインに違反していそうな編集に対する編集フィルターの新設提案があります。--青子守歌会話/履歴 2018年2月10日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

なうちま[編集]

アイプチの人 なうちま会話2019年3月4日 (月) 08:41 (UTC)[返信]

改名提案 20200712[編集]

このガイドラインの文書のページ名を「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」から「Wikipedia:自分自身の記事」に改名することを提案します。2006年(#タイトルについて)と2007年(#再度、タイトルに関して)の議論では改名の合意が得られなかったようなので、あらためて改名を提案することにしました。

このガイドラインには、自分自身の記事を新たに作成する場合についての注意点と、すでに存在している自分自身の記事を編集する場合についての注意点、その2つが書かれていると思います。現在のページ名では、前者のみに焦点が当たっています。そのため、新規参加者は特に、このガイドラインが後者についても書かれている文書だという点を見過ごしがちです。

実際、この文書が提示される場面というのは、自分自身の記事を新たに作成した利用者に注意喚起するケースと、すでに存在している自分自身の記事を編集した利用者に注意喚起するケースが、半分ずつくらいの割合であるだろうと思います。いずれの場合においても、その注意を受ける側は新規参加者であることが少なくありません。ページ名を見て、この文書は前者だけについて書かれているものだと判断してしまう方もいます。できることなら、そのような誤解を生まないページ名にしたほうがよいと思います。

また、日本語版ウィキペディアでページ名が「○○する」または「○○しない」で終わる形になっている方針やガイドラインは、多くの場合、英語版ウィキペディアのページ名も同じ形("Do ..." または "No ..." で始まる)になっています。以下に例を挙げます。

その反対に、日本語版ウィキペディアでページ名が名詞で終わる形になっている方針やガイドラインは、多くの場合、英語版ウィキペディアのページ名も同じ形("Do ..." または "No ..." で始まらない)になっています。以下に例を挙げます。

この文書の英語版ウィキペディアでのページ名はen:Wikipedia:Autobiographyとなっています。日本語版ウィキペディアでのページ名も、これに合わせて、「をつくらない」を削り、「Wikipedia:自分自身の記事」にしたほうがよいと思います。

なお、「Wikipedia:自分自身についての記事」または「Wikipedia:自分自身に関する記事」などのほうが適切だというご意見がありましたら、私自身は反対しません。とにかく、現在のページ名から「をつくらない」を削ることが目下の最優先事項である、と考えています。「をつくらない」を削るという点で合意できるなら、まずは「Wikipedia:自分自身の記事」に改名して、別途、「Wikipedia:自分自身についての記事」なり「Wikipedia:自分自身に関する記事」なりへの改名を提案する、という手順でもよいかもしれないと思います。--153.226.200.195 2020年7月12日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

現在、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないは無期限の半保護となっているようです。どなたか、お手数ですが{{改名提案}}を貼っていただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。--153.226.200.195 2020年7月12日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

提案 コメント依頼から来ました。多言語版も拝見し、「Wikipedia:自分自身に関する記事」への改名に賛成します。ただ、「Autobiography」は「自叙伝」と訳されるかと思いますが、どうでしょうか。--SpaceMeteor会話2020年7月24日 (金) 11:59 (UTC)[返信]

構成員となっている団体や、民間資格に関する記事・記述について[編集]

このガイドラインページでの議論が適切かどうか、わかりませんが、適切なページがあれば誘導願います。自分自身が加入している団体や、所持している民間資格について記述するのは自分自身についての記述と同様に考えるべきかと思うのですがどうでしょうか?加入していると思われる団体の記事について、不都合なことを書かれた者が記事の取り消しをするなどといったことがあります。--びんぼっちゃま会話2021年5月6日 (木) 01:56 (UTC)[返信]

この文書は「もろもろのあなたが利害関係を有する事柄」に適用される、と書いてあるのですから、自分自身が加入している団体云々についても適用される、と考えるのが普通だと思います。ただ、他の編集者が「この編集者は利害関係者ではないのか」などと考える必要はないと思います。適切な文献に基づいて書かれた、あるべき記述が消されたのなら、単に戻せばよいだけです。--西村崇会話2021年5月6日 (木) 23:22 (UTC)[返信]

西園寺ロゼ[編集]

沖縄県出身のシンガーソングライター。清潔感を意識しており、少しナルシストであるが楽曲では失恋ソングを主に手がけている。

楽曲の中でも「労基」は彼の一番の持曲であるが彼は一発屋になることを恐れてかライブで頼まれてしかやらないか、ネタ切れの時にしかやらないとインタビューで答えている。 楽曲「次の春までどれくらい待っていてもきっと花は咲かないだろう。」は本人が本気で失恋して作った曲で当初は歌うのが恥ずかしかったが今は振り切っているとインタビューで答えている。 楽曲「City Of Love」は前作の失恋ソングの歌詞があまりにも安直だったため街=(自分たちの)恋愛 という隠喩表現で誤魔化したとインタビューで答えている。--240F:CF:32C0:1:8D9E:4DEF:3BB4:A89A 2023年12月17日 (日) 13:57 (UTC)[返信]