1985年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第37回大会である。
前年度タイトル防衛を果たせなかったホンダのフレディ・スペンサーが500ccと250ccのダブルエントリーに挑戦し、両クラスで7勝ずつを挙げ史上初めて両クラスでのダブルタイトルを獲得するという圧倒的なパフォーマンスを発揮したシーズンであった。前年度の革新的に過ぎた84年型から一転し、オーソドックスな構成にまとめられた85年型のNSR500はスペンサーの要望を全面的に反映させた事実上の専用機となり、250ccにおいても彼に与えられたRS250RWがライバルに対して圧倒的な性能差を有していたこともあって、500ccクラスでは完走したレースの全てで2位以上を獲得、250ccでもシーズン途中で6連勝を果たすなど、まさに手の付けられないほどの強さを発揮した。現在のMotoGPにおいては、異なるクラスへのダブルエントリーが禁止されているため、レギュレーションの変更がなされない限りスペンサーが事実上最後のダブルタイトルホルダーとなっている。
一方、前年のチャンピオンであるエディ・ローソンは開幕戦こそスペンサーとの直接対決を制したが、以降はスペンサーの圧倒的な速さの前に屈し3勝をあげたもののランキング2位に終わった。その他では前年度250ccでタイトルを獲得しステップアップしてきたヤマハのクリスチャン・サロンが第3戦西ドイツGPで500cc初勝利を挙げランキング3位となり、シーズンを大いに盛り上げた。更にこの年からフル参戦を開始したオーストラリア人のワイン・ガードナーが、NSR500やYZR500に比べ戦闘力の劣る3気筒NS500でありながら5回の表彰台を獲得する健闘を見せランキング4位に入り、その後の活躍を予感させた。また、77年の350ccクラスでチャンピオンとなった片山敬済がフランスGPを最後に引退を表明した。
長年チャンピオンを独占してきたアンヘル・ニエトが80ccクラスに移ったことによりチャンピオン不在となった125ccクラスのタイトルは、彼のガレリでのチームメイトであったファウスト・グレシーニがしっかりと引継ぎ、このイタリアン・チームに4年連続のタイトルをもたらした。スイス人のステファン・ドルフリンガーは80ccクラスで連続4回目のタイトルを獲得した。アンヘル・ニエトはフランスGPの80ccクラスで彼のグランプリ最後の勝利となる通算90勝目を挙げたが、これはジャコモ・アゴスチーニに次ぐ歴代2位の記録であった(1985年当時。2009年現在ではアゴスチーニ、バレンティーノ・ロッシに次ぐ歴代3位)。
| 色 | 結果 | 金色 | 優勝 | 銀色 | 2位 | 銅色 | 3位 | 緑 | ポイント圏内完走 | 青灰色 | ポイント圏外完走 | 周回数不足 (NC) | 紫 | リタイヤ (Ret) | 赤 | 予選不通過 (DNQ) | 予備予選不通過 (DNPQ) | 黒 | 失格 (DSQ) | 白 | スタートせず (DNS) | エントリーせず (WD) | レースキャンセル (C) | 空欄 | 欠場 | 出場停止処分 (EX) | 太字:ポールポジション 斜体:ファステストラップ |