過去に存在した長崎屋の店舗
過去に存在した長崎屋の店舗(かこにそんざいしたながさきやのてんぽ)は、かつて長崎屋として営業していた店舗の情報を掲載している。
ドン・キホーテ及びMEGAドン・キホーテに転換した店舗[編集]
下記は、かつて「長﨑屋」として営業していた店舗で、現在は「ドン・キホーテ」、または「MEGAドン・キホーテ」として営業している店舗を示している。
北海道[編集]
- 函館店(函館市美東1-7-14[1]、1980年(昭和55年)8月29日開店[1] - 2009年(平成21年)9月6日閉店[2])
- 敷地面積約20,093m2[1]、鉄筋コンクリート造地下2階地上2階建て塔屋2階[1]、延べ床面積約49,232m2[1]、店舗面積約15,399m2[1](当社店舗面積約10,540m2[1])、駐車台数約2,000台[1]。
- →2009年(平成21年)10月にMEGAドン・キホーテ函館店に業態転換[3][4] 北海道函館市美原1-7-1[5]
- 北海道函館市郊外の赤川通地区に1980年(昭和55年)8月に開業した店舗で[6]、1992年に直営売場面積約12,014 m2でテナントの専門店街が売場面積約7,429 m2へ増床した[5]。
- 既存の専門店などのテナント約75店はほぼ変わらず営業を続け、直営部分を業態転換すると共に地下の直営の食料品売り場のうち約1,300 m2に約10組の生鮮販売を手掛ける起業家に格安で売場を提供する「熱血商店街」の全国第1号店を開設した[2]。
- ラパーク旭川店→2008年(平成20年)11月7日にMEGAドン・キホーテ旭川店に業態転換[7][8][9]
- 西帯広店(1997年(平成9年)3月14日開店[12])
- (2代目)苫小牧店(1998年(平成10年)3月6日開店[14]→2010年(平成22年)7月2日にMEGAドン・キホーテ苫小牧店に業態転換[15][16]
- 室蘭中島店(室蘭市中島町1-19[20]、1978年(昭和53年)4月13日開店[20])
- 敷地面積約8,694m2[20]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[20]、延べ床面積約18,119m2[20]、店舗面積約11,335m2[20](当社店舗面積約7,013m2[20])、駐車台数約500台[20]。
- セブン(本社室蘭市)所有のボウリング場後に建設したビルの核店舗として出店[21]。開業時には食料品部門はサンドール北海道であった[21]。
- 3階の約2,600m2にドン・キホーテ室蘭中島店を導入し[22]、2010年(平成22年)11月5日に新装開店した[23]。ドン・キホーテによる買収後では初めて長崎屋としての店舗を存続しながらドン・キホーテを一部フロアに導入した店舗である[24]。
- 2013年(平成25年)1月18日から室蘭同中央店が2012年(平成24年)8月に閉店したことに伴い、同店を利用していた客が当店に買い物に来るのを支援するため、蘭西地区の住民を対象とした配送無料などのサービスを開始した[25]。
- 2020年4月22日、23日は改装工事のため長崎屋とドン・キホーテの売り場のみ休業し4月24日、MEGAドン・キホーテ室蘭中島店としてオープン。長崎屋としての営業は終了した。[26]
東北[編集]
秋田県[編集]
- (2代目)秋田店(秋田市旭北錦町4-58[27]、1986年(昭和61年)11月1日開店[28]、中交ホリディスクエア内[28])
宮城県[編集]
福島県[編集]
関東[編集]
茨城県[編集]
栃木県[編集]
- ラパーク黒磯店(1992年(平成4年)10月16日開店[39]、黒磯市材木町3番5号[39]、店舗面積約8,612m2[39])
- ラパーク宇都宮店(2代目)(宇都宮市馬場通り2丁目[42]、2003年(平成15年)11月21日開店[43])
群馬県[編集]
- 桐生店(2代目)(桐生市永楽町4-1188-1[47]、1982年(昭和57年)3月20日開店[47])
- 敷地面積約11,414m2[47]、延べ床面積約37,089m2[47]、店舗面積約13,592m2[47](直営店舗面積約12,100m2[47])、駐車台数約750台[47]。
- 桐生市本町6丁目にあった初代桐生店を移転する形で現在地で開業し[48]、地上4階地下1階の建物のうち駐車場となっている4階を除いた各階に直営売り場面積約8,997m2と約50店のテナント部分の売り場面積約6,123m2を持ち[49]、桐生市末広町商店街の集客の核として機能している店舗である[49]。
- テナント部分はほぼ既存のまま残しながら直営売場を改装し[49]、直営部分は2010年(平成22年)6月16日にMEGAドン・キホーテ桐生店に業態転換した[16]。
- おりひめバスのバス停名は、「MEGAドン・キホーテ」に改称後もしばらくは「長崎屋」のままになっていた。2015年(平成27年)4月1日より「MEGAドン・キホーテ」に改称した[広報 1]。
埼玉県[編集]
- 浦和店(浦和市常盤10丁目20−29[50]、1984年(昭和59年)9月23日開店[51])
- 敷地面積約7,785m2[50]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て塔屋1階[50]、延べ床面積約32,612m2[50]、店舗面積約19,205m2[50](直営店舗面積約7,467m2[50])、駐車台数約700台[50]。
- →2010年(平成22年)5月1日にドン・キホーテ浦和原山店に業態転換[52][53]→2011年(平成23年)2月にMEGAドン・キホーテ浦和原山店に業態転換[54]
- ドン・キホーテ業態転換の際に食品売場を与野フードセンターから直営に切替え、2階に夏に冬物、冬に夏物を売るディスカウントストアあべこべ屋を導入した[52]。ドン・キホーテに業態転換したことで売上高は長崎屋時代の約5倍へ増加した[54]。
- 2011年(平成23年)2月にMEGAドン・キホーテに再度業態転換を行い、2階を雑貨類などを大量に陳列するドン・キホーテ方式の売場とし、1階の衣料品売り場も中高年向けから子供服や若者向け主体に切替えて30代前半を中心顧客とする店舗へ転換し、2011年(平成23年)に長崎屋時代の約6倍でドン・キホーテ時代と比較しても約1.2倍の売上を上げた[54]。
- 北鴻巣店(1985年(昭和60年)11月[40] 3日開店)
千葉県[編集]
- 柏店(柏市柏1-3-1[65]、1967年(昭和42年)3月17日開店[66])
- 本八幡店(市川市南八幡4-9-1[72][73]、1970年(昭和45年)10月29日開店[72])
- ラパーク成東店(1997年(平成9年)11月20日開店[76][77])
- 四街道店(千葉県四街道市[79]、1999年(平成11年)3月2日開店[79])
東京都[編集]
- (2代目)小金井店(小金井市本町5-178[81]、1971年(昭和46年)10月29日開店[81][84])
- 敷地面積約2,626.039m2[84]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋3階[84]、延べ床面積約15,633m2[84]、店舗面積約11,633m2[84](当社店舗面積約9,805m2[84])、駐車台数約56台[84]。
- 2013年(平成25年)5月31日にMEGAドン・キホーテ武蔵小金井駅前店に業態転換[要出典]
- 武蔵小金井駅南側などに大型商業施設が開業した影響で店舗のある北口側の賑わいが失われたことから、店舗とその周辺地区を合わせた再開発を進めるため、2015年(平成27年)に「武蔵小金井駅北口駅前地区市街地再開発準備組合」が設立された[85]。
- 現店舗は2代目店舗。初代店舗は本町5-18-20に1963年(昭和38年)3月27日に開業[86]。
- 7階は使用していない。2011年のMEGAドン・キホーテ町田店閉店後、都内に再びMEGAドンキ業態が復活した。なおこの店舗は、都内最後の長崎屋ブランド店舗であったが、MEGAドン・キホーテ転換に伴い都内から長崎屋ブランドの店舗が完全に消滅した。[独自研究?]
- 地下1階食品売場のテナントに東急ストア(開店当時の店名は東光ストア)を入居させていた[75]。
- 現在もくまざわ書店(地下1階元東急ストアフロア)やヤマダ電機(ベスト電器からの転換)などがテナントとして入居している。[独自研究?]
神奈川県[編集]
- 二俣川店(1996年(平成8年)4月18日開店[87])
- 溝の口店(川崎市溝ノ口414[89]、1970年(昭和45年)10月31日開店[89])
- (2代目)小田原店(小田原市栄町2-18[89]、1971年(昭和46年)11月23日開店[89])
中部[編集]
新潟県[編集]
- 柏崎店(1988年(昭和63年)11月3日開店[91])
- 店舗面積約4,775m2[40]。
- →2001年(平成13年)6月にラパーク柏崎店に改称・改装[92][93]→2008年(平成20年)10月24日にMEGAドン・キホーテ柏崎店に業態転換[94]
- 柏崎市東長浜町字東江149にある[95] 藤村が経営するショッピングセンター「アイリータウン柏崎店」の核店舗として[92] 1988年(昭和63年)11月3日に開業した店舗で[95]、売り場面積約9,200m2(うち直営売り場面積約7,300m2)[94]。
- 2000年(平成12年)1月にアイリータウン柏崎店の経営母体だった藤村が破産したため、営業存続のために長崎屋が2000年(平成12年)2月に自社が会社更生法適用申請をしたにも拘らずショッピングセンターの建物などを落札して取得し、2001年(平成13年)6月に全館改装してラパーク柏崎店に改称し、新装開業した[92]。
- 2008年(平成20年)9月15日で長崎屋柏崎店として直営していた売場を一旦閉店し[92]、2008年(平成20年)10月24日にMEGAドン・キホーテ柏崎店に業態転換して新装開店した[94]。
石川県[編集]
長野県[編集]
静岡県[編集]
近畿[編集]
大阪府[編集]
屋号を継続しながらドン・キホーテを導入した店舗[編集]
北海道[編集]
- 小樽店(小樽市稲穂2-20-1[110]、1975年(昭和50年)4月3日開店[111])
- 敷地面積約5,148m2[110]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋2階[110]、延べ床面積約26,829m2[110]、店舗面積約9,008m2[110](当社店舗面積約6,210m2[110])、駐車台数約124台[110]。
- →2011年(平成23年)にドン・キホーテ小樽店を導入[112]
- 北海道小樽市の小樽駅前地区市街地再開発事業の中核施設であるショッピングセンター・サンポートの核店舗として地下1階から地上3階までを使った店舗面積約12,066m2の店舗で1975年(昭和50年)4月に開店した[113]。
- また、隣には立体駐車場があり、その2階に長崎屋北海道本部も併設していた。
- 室蘭中島店(1978年(昭和53年)4月13日開店[21])
- 2010年に長崎屋とドン・キホーテの併設店となったのち、2020年に店舗全体がMEGAドン・キホーテに転換された。詳細は前述。
青森県[編集]
茨城県[編集]
ドン・キホーテおよびMEGAドン・キホーテに転換した後、閉店した店舗[編集]
店舗面積約7,689m2[40]。
- (2代目)町田店(町田市原町田6-13-21[123](旧・原町田1121[124])、1962年(昭和37年)10月開店[124]→2009年(平成21年)2月27日にMEGAドン・キホーテ町田店に業態転換[125]→2011年(平成23年)1月20日閉店[125]
過去に存在した店舗[編集]
北海道[編集]
- (初代)札幌店(札幌市中央区南2条西1丁目3[127]、1967年(昭和42年)10月1日開店[128] - 1972年(昭和47年)閉店)
- (2代目)札幌店 → Big-Off札幌店(札幌市中央区南1条西1丁目[129]、1972年(昭和47年)1月27日開店[130]-(2002年(平成14年)2月11日閉店[131])
- 1987年(昭和62年)10月10日にディスカウント店のBig-Off札幌店へ業態転換した[132]。2000年(平成12年)11月23日には約1億円を投じて総菜売り場を約1.5倍に拡張するなど食品売り場を強化する大規模な改装を行ったが[133]、2002年(平成14年)2月11日に閉店となった[131]。
- 店舗面積約5,181m2[129] → 約6,972m2[40]。
- 2002年(平成14年)11月8日に丸井今井札幌本店南館となり[134]、2008年(平成20年)12月にジュンク堂書店が出店[135][136]。その後、2018年8月26日をもって丸井今井は同建物から撤退している(ジュンク堂書店などは引き続き入居)[137]。
- ラパーク篠路店(札幌市北区大平12の1[138]、1991年(平成3年)3月29日開店[138]⇒2001年(平成13年)1月閉店[139][140])
- 跡地には「カウボーイ篠路店」が2001年(平成13年)11月に開店し[141]、のちにカウボーイのトライアルカンパニー傘下入りにより「スーパーセンタートライアル篠路店」と改称したものの、移転のため2018年(平成30年)8月26日に閉店した[142]。跡地にはMEGAドン・キホーテ篠路店が2019年(平成31年)3月22日に開店した(同店舗の運営は長崎屋ではなく(株)ドン・キホーテが行っている)[143]。
- 釧路店(釧路市幸町14-1[129]、1976年(昭和51年)4月4日開店[144] - 2002年(平成14年)2月11日閉店[144][145])
- 店舗面積約5,643m2[129] → 約9,207m2[40]。
- 店舗跡には建物を所有する地元企業の武田商事が運営する形で[146]、2003年(平成15年)9月6日にアベニュー946が開業した[144][147]。
- 長崎屋も衣料のみ1テナントとして再出店したが2008年(平成20年)8月再撤退。店舗跡には同年10月16日に「ショウエーアベニュー・クシロ店」が開店[148]。しかしアベニュー946自体も2016年(平成28年)8月31日に閉店した[149]。建物が解体されたのち、跡地にはパチンコ店のベガスベガスが出店を表明[150]、2018年(平成30年)12月28日に「ベガスベガス釧路店」として開店した[広報 3]。
- 倶知安店(2002年(平成14年)2月11日閉店[131])
- 小樽奥沢店(小樽市奥沢2-27-4[155]、1982年(昭和57年)3月5日開店[156] - 2002年(平成14年)2月11日閉店[131])
- 留萌店(留萌市花園町1-40[159]、1981年(昭和56年)6月24日開店[159] - 2001年(平成13年)1月閉店[139][140])
- 敷地面積約4,807m2[159]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[159]、延べ床面積約4,290m2[159]、店舗面積約2,505m2[159](当社店舗面積約1,075m2[159])、駐車台数約300台[159]。
- サンドール北海道(約680m2)と共に核店舗として出店していた[159]。
- 大型ショッピングセンターとの競争で売上が減少したため、開業から約17年で閉店となった[160]。
- 店舗跡は売却対象となり[161]、同所ではホッカイドウ競馬のミニ場外馬券場を開設する招致活動が行われ[162]、2004年10月19日に「Aiba留萌」の名称で開業した[広報 5]。しかしこれも2008年12月29日をもって閉鎖された[163]。
- 音更店(河東郡音更町木野大通東10丁目1-4[164]、1979年(昭和54年)9月27日開店[165] -1998年(平成10年)5月閉店
- (初代)帯広店(帯広市西2条南9丁目7[129]、1970年(昭和45年)9月23日開店[167]-1990年(平成2年)閉店)
- 西2条南9丁目の夷石チェーンのキネマ館や帯広大映などの跡地に建設された地下1階・地上7階のいせきビルに出店していたが[168]、1990年(平成2年)11月に西4南12丁目の2代目帯広店の開店[169] に伴い閉店となった。売り場面積5,240m2[170]。
- 店舗面積約4,042.5m2[129]。
- 店舗跡はポポロ帯広(売り場面積4,973m2)として営業していたが[171]、中心商店街の集客力の低下による売り上げ低迷で2002年(平成14年)9月29日に鈴丹が撤退して1階の大半が空き店舗となるなど空洞化が進み[172]、2003年(平成15年)11月末まででビルを所有するいせきグループが同ビル内で経営していたキネマ館も閉館になって[173] 解体され[174]、サルのいる映画館として知られたキネマ館を記念したサルのモニュメントのある駐車場になった[175]。
- (2代目)帯広店(帯広市西4条南12丁目3[176]、1990年(平成2年)11月22日開店[176] - 2023年7月31日閉店[177])
- 2011年(平成23年)11月5日に食品売り場を、直営から地元スーパーマーケットの「フクハラ」の店舗に変更した[178]。
- 地上5階建て・塔屋2階[179]。敷地面積25,500m2[176]、延べ床面積80,615.5m2[179]、売場面積12,830m2[176](直営8,980m2[176]、テナント3,850m2[176])。駐車台数約1,600台[176]。
- 1階と5階が駐車場となった建物で、2階から4階の一部には関連会社のサンファンタジーが運営する屋内遊園地「ファンタジードームおびひろ」が併設されて同時に開業した[180]。
- 2023年(令和5年)6月14日に店舗の土地・建物を地元企業の「登寿ホールディングス」が取得した[181]。
- 2023年(令和5年)9月30日、売り上げが低迷していた食品スーパー「フクハラ」が閉店[182]。
- 長崎屋直営売り場が閉店後に営業継続するテナントも2024年(令和6年)3月末をもって閉店する方針が示されている[177]。
- 名寄店(1980年(昭和55年)10月開店[40] - 2001年(平成13年)1月閉店[139][140])
- 店舗面積約1,749m2[40]。
- 伊達店(伊達市末永町42-1[183]、1978年(昭和53年)3月開店[183] - 2001年(平成13年)1月閉店[183])
- 伏古店(札幌市東区[184]、)
- 北都店(札幌市白石区[184]、)
- もみじ台店(札幌市厚別区もみじ台北5-1[186]、1975年(昭和50年)7月6日開店[187] - 閉店時期不明)
- (初代)旭川店(旭川市1条通7-47[188][189]、1970年(昭和45年)5月28日開店[188][190] - 1992年(平成4年)閉店[10][11])
- 敷地面積約1,320m2[188]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て[188][189]、延べ床面積約12,457.5m2[188]、店舗面積約6,342.6m2[188](直営店舗面積約4,290m2[188] → 約7,600m2[10])。
- 旭川駅前の[11]平和通買物公園の一角にあった店舗で[10]、建物は地上7階・地下1階建てだった[191]。1974年(昭和49年)5月には仲通り側に約6932m2増築された[192]。1992年(平成4年)11月1日に北部郊外に「ラパーク旭川」が開業したことに伴いスクラップアンドビルドで閉店となった[10]。店舗面積は約6,930m2[193]。
- 店舗跡は1993年(平成5年)から丸井マルサによるファッションビル「旭川マルサ」を経て、2002年(平成14年)9月に約60店舗が入居したテナントビル「!EXC(エクス)」となったが、売上の低迷や老朽化に伴う改修費を賄えないとして2014年(平成26年)3月末に閉店した[194][195]。
- 老朽化による耐震性の問題から1階部分のみ利用することになり、同年7月末に「ツルハドラッグ旭川買物公園通店」(売場面積約830m2)[194]、「ラオックス旭川駅前通り店」(売場面積約550m2)が[194] 同年9月19日に出店した[196]。しかし「ツルハ」も2020年(令和2年)5月末に閉店。地元の地権者5者と大和ハウス工業が売買契約を結び、同年9月から解体開始。跡地には2023年(令和5年)末に25階建て複合高層マンションが建設される予定である[192]。
- (初代)苫小牧店(苫小牧市木場町18[129]、1973年(昭和48年)10月27日開店[197] - 1998年(平成10年)1月15日閉店[198])
- 岩倉組の木材工場跡地に出店した、地下1階地上2階建て、延べ床面積25,500m2[199]、売り場面積9,900m2の店舗であった。1998年(平成10年)に、閉鎖された屋内遊園地ファンタジードーム跡に店舗を移転し、同年2月から閉鎖された[200]。
- 閉店後、施設は「九段エステート」に売却され、当初2000年(平成12年)10月2日に「トマ・モール」としてオープンする予定となった[200]。しかし出店予定だった中核テナントの撤退、出店手続きの変更に伴い、全館オープンは2001年(平成13年)10月以降となった[200][201]。しかし駅前の空洞化などにより徐々に空き店舗が増え、最後まで残ったパチンコ店も2015年(平成27年)11月に閉店した[広報 6]。その後建物と土地はマルハンが取得し[202]、2017年(平成29年)1月から解体工事を開始[199]。しかし、アスベスト飛散防止対策の不備により、工事は2019年(令和元年)11月18日に再開するまで2年間中断した[203]。2020年(令和2年)3月ごろに解体が完了し、跡地には「マルハンパチンコ」が建設された[204]。
- 室蘭中央店 (室蘭市中央町[205]、1981年(昭和56年)4月15日開店[21] - 2012年(平成24年)8月31日閉店[206])
- 室蘭中島店と同じ地元のセブンが道南バス本社跡に建設したビルへ出店する形で開業した[21]。
- 室蘭ファミリーデパート桐屋や丸井今井室蘭支店と同日に、同じ売り場面積7,000m2で開業した[21]。
- 地域の人口減の影響など年々減少していた売上を地道な店舗改革で回復させて2009年(平成21年)には売り上げの伸び率が、長﨑屋全店のトップになり、2011年(平成23年)現在黒字経営を続けていた[205]。
- 店舗の土地と建物を所有するキョウデンエリアネット[207] と老朽化した店舗の修繕費などの支払いに関して民事訴訟に発展して[208] 収拾のめどがつかないことを理由に2012年(平成24年)1月31日で閉店すると親会社のドン・キホーテが正式に発表した[205]
- 地元住民側の強い存続要請もあり2011年(平成23年)11月22日に2012年(平成24年)5月末閉店となり[208]、2012年(平成24年)4月13日には8月末となる[207] など閉店予定日を2度延期された。
- 店舗跡の土地と建物は2013年(平成25年)12月にスーパー大手アークスグループのラルズが取得[209]。
- 2014年(平成26年)7月25日に1階にラルズがスーパーの「スーパーアークス室蘭中央店」が先行して開業し[210]、同年10月4日には2階に「スイートデコレーション室蘭店」が開業した[211]。
東北[編集]
青森県[編集]
- (初代)八戸店(八戸市八日町44[189][65]、1970年(昭和45年)11月6日開店[212] - 1990年(平成2年)x月閉店(後に同年11月に八戸ラピアの核テナントとして郊外移転)、その後パチンコ店「オメガ」とゲームセンター「ギガパレス」(いずれも「ユニコム」運営)が入居したが、2006年(平成18年)3月末で営業許可を返上し閉店。以降空店舗状態が続きビルは不動産会社が所得し売却。)
- 敷地面積約1,898m2[189] → 約1,650m2[213]、鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て[189]、延べ床面積約13,395m2[189]、店舗面積約9,138m2[189](直営店舗面積約5,491.2m2[65])。
- 開業時の地下の食品売り場は地元のスーパーの「中央スーパー」が運営していた[214]。
- 店舗跡は2006年(平成18年)春から空きビルとなり[213]、2012年(平成24年)1月27日付で地元八戸市に本拠を置く建設業の田名部組が取得し[213]、2013年(平成25年)春にも解体工事に着手して2015年(平成27年)中の開業を目指して[215] 自社の本社を含む事務所[213] や商業施設と賃貸マンションなどで構成される16階建ての複合施設を建設する計画が進められている[215]。
- 跡地には2020年(令和2年)に地上13階建てのマンションと商業・オフィス(1階部分)の複合施設として「DEVELD八日町」が竣工した[216]。
- 三沢店(三沢市大町二丁目6-2[217]、1981年(昭和56年)10月29日開店[218] [40] - 2001年(平成13年)1月21日閉店[217])
秋田県[編集]
- (初代)秋田店(秋田市中通1-4-5[65]、1969年(昭和44年)開店[219]-1981年(昭和56年)9月末閉店[220])
- 店舗面積約2,844.6m2[65]。
- 秋田市中通の古沢ビル内に存在していた[219]。
- 2代目秋田店(現在のドン.キホーテ秋田店)は、1986年(昭和61年)11月1日開店[28]。
山形県[編集]
- 山形中央店(山形市七日町1-2-34[65]、1967年(昭和42年)6月25日開店[221]-1980年(昭和55年)閉店[222]、天童へ店舗移転に伴い閉店[222])
- 天童店(1980年(昭和55年)4月開店[40] - 2002年(平成14年)2月閉店[226]、天童市鎌田1丁目[227])
- 店舗面積約8,718m2[40]。
- 開業当時は競合する大型店がなかったため村山市や東根市などの買い物客も集めて[226]、1989年(平成元年)には売上高約43億円を上げ[222]、充実した遊戯施設もあったことから子ども連れ家族から支持された[226]。
- しかし、その後は郊外に開業した大型店との競合で売上が減少して2002年(平成14年)2月に閉店となった[226]。
- 店舗跡は閉店後約6年間空きビルとなっていたが[222]、2006年(平成18年)10月に土地と建物を所有していた不動産賃貸業の千恵企画が破産し[227]、2008年(平成20年)2月末に同社の債権者から小野建設が取得して建物を解体し[222]、約6,600m2の跡地は宅地として分譲されることになった[222]。
宮城県[編集]
- 宮城三本木店(1996年(平成8年)6月28日開店[228] - 閉店)
- 宮城多賀城店(1987年(昭和62年)6月開店[40] - 2002年(平成14年)9月30日閉店[230])
- 仙台店 → 仙台シャル店(仙台市青葉区東一番町4-4-30[65]、1963年(昭和38年)4月25日開店[232] - 2002年(平成14年)9月末閉店[233][234])
- 店舗面積3,534m2[232] → 3,534.3m2[65] → 2,976m2[235]。
- 長崎屋の東北地方1号店[234]。仙台市中心部の一番町にある「三協商事ビル」地上階に核店舗として「長崎屋仙台店」が開店[234]。当初は仙台市中心部唯一の大型スーパーであったが[234]、1970年代にダイエー仙台店(現:イオン仙台店)、ジャスコ仙台店(現:仙台フォーラス)などが進出し競争が激化したため[234]、1983年10月にファッションビル「長崎屋仙台シャル」に業態転換[234]。2000年2月に長崎屋が会社更生法を適用したことに伴い、2002年9月に撤退[234]。
- なお、同ビルの地下1階にはオーケー一番町店が出店していたが、ビルの老朽化により2020年(令和2年)5月28日(当初は5月31日閉店予定)をもって閉店した[234][広報 7][236][237][238]。
- 仙台南店 → 仙台バイパス店(仙台市若林区)[239](1974年(昭和49年)4月26日開店[240] - 2009年(平成21年)3月8日閉店)
福島県[編集]
- 会津若松店(会津若松市栄町2-14[247]、1971年(昭和46年)4月22日開店[248] - 2002年(平成14年)2月11日閉店[249]。)
- 敷地面積約1,320m2[247] → 1,105m2[250]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て[247]、延べ床面積約8,689m2[247]、店舗面積約4,864m2[247] → 5,310m2[250]。
- 会津若松市のメインストリートにあたる神明通りに出店していた[170]。同じ神明通りには、会津中合(後の中合会津店)、ニチイダイゼン(後の会津サティ)[注釈 1]、ライオン堂若松店(後のリオン・ドール神明通り店)[注釈 2]が出店しており、神明通りの中心的な大型店だった。最盛期にあたる1991年(平成3年)度には42億円の売り上げがあったが、2000年(平成12年)度には12億円の売り上げにまで減り、初の赤字に転落。また、市郊外には大型駐車場を完備した商業施設が出店し、さらに長崎屋本体が会社更生法申請を受けて店舗整理されるのを機に閉店が決定[251]、2002年2月11日に閉店された[注釈 3][249]。
- 土地と建物は、地元で映画館などを経営していた不動産業「栄楽座」が所有していたが、リオン・ドールによりビルが買収された[250]。閉店後の2002年(平成14年)6月29日に、複合商業施設「レオクラブガーデンスクエア」が開業[252]。TSUTAYA神明通り店[注釈 4][注釈 5]、ドトールコーヒー、ダイソー、4階には「リオン・ドールカルチャーセンター」が、上階にはコミュニティーFM局・エフエム会津が入居。[要出典]2020年9月には、リオン・ドール神明通り店から管理本部をビル内へ移転した[253]。ビル名称も「リオン・ドールガーデン」に変わった。[要出典]
関東[編集]
茨城県[編集]
- 生活衣料サンバード新治店(新治郡新治村(現:土浦市)、2003年 (平成15年)3月1日開店[257] - ?)
- エコスが買収してスーパーマーケットを出店した当社旧新治店にテナントとして500坪タイプの新業態で出店した[257]。
栃木県[編集]
- (初代)宇都宮店(宇都宮市睦町5-5[259]、1986年(昭和61年)11月23日開店[259] - 2002年(平成14年)1月閉店[42])
- 小山店(小山市中央町3-3-22[65]、1973年(昭和48年)9月20日開店[261][注釈 6] - 1994年(平成6年)12月閉店[263])
- 今市店(今市市今市455[164](現:日光市)、1983年(昭和58年)4月開店[164] - 2001年(平成13年)1月閉店[139])
群馬県[編集]
- 前橋店(前橋市千代田町5-9-8[65]、1964年(昭和39年)3月19日開店[268] - 1984年(昭和59年)閉店[269])
- (初代)桐生店(桐生市本町6丁目372[271]、1963年(昭和38年)10月1日開店[272] - 1982年(昭和57年)閉店[48]、桐生市営本町6丁目団地[273])
- 店舗面積約1,518m2[65]。
- 沼田店(2003年(平成15年)6月13日開店[274] - 2008年(平成20年)5月25日閉店[275])
- 伊勢崎店(伊勢崎市本町2-52[271]、1962年(昭和37年)9月19日開店[277])
- 店舗面積825m2[272]
- 第二次世界大戦前から営業していたが閉店となった大型店日野屋跡に出店していた[278]。
埼玉県[編集]
- 大宮店(大宮市宮町1丁目75[280]、1968年(昭和43年)9月21日[280] - 2002年(平成14年)閉店[281])
- (初代)川越店(川越市幸町5[124]、1960年(昭和35年)11月開店[124][284] - 1961年(昭和36年)10月閉店[124])
- (2代目)川越店(川越市新富町2-11[124]、1961年(昭和36年)10月6日開店[165] - 2001年(平成13年)閉店[要出典])
- 川越新宿店(川越市新宿町578-1[286]、1979年(昭和54年)10月開店[164])
- 草加店[要出典]
- 草加谷塚店(1993年(平成5年)4月24日開店[288] - 2001年(平成13年)1月閉店[139])
千葉県[編集]
- 松戸店(松戸市松戸字坂下1368[289]、1968年(昭和43年)5月30日開店[289][290] - 1988年(昭和63年)12月閉店[291][292][293])
- (初代)船橋店(船橋市本町2-1241[299]、1962年(昭和37年)11月1日開店[300] - ?)
- 店舗面積約1,504m2[299]
- (2代目)船橋店→Big-Off船橋店(船橋市本町4-41-33[65]、1976年(昭和51年)11月開店[164] - 2002年(平成14年)1月閉店[281][301])
- 北習志野店(船橋市習志野台2-6-5[65]、1974年(昭和49年)11月開店[164] -1996年(平成8年)秋閉店)
- 津田沼店(習志野市津田沼1-1897[65]、1976年(昭和51年)8月開店[303][304] - 1979年(昭和54年)閉店)
- 八千代台店(八千代市八千代台東1-1-10[306][307]、1977年(昭和52年)12月3日開店[306][307] - 2010年(平成22年)[308] 1月17日閉店)
- 敷地面積約9,695m2[306][307]、鉄筋コンクリート造地上3階一部4階建て[306]。延べ床面積約22,547m2[306][307]、店舗面積約9,478m2[306](当社店舗面積約6,403m2[306])、駐車台数約550台[306]。
- 京成ショッピングセンター開発(現・ユアエルム京成)が開発した[307]京成電鉄八千代台駅東口にあるショッピングセンターアメニティパーク・ユアエルム八千代台の2階と3階に衣料品の核店舗として出店していた[309]が、東葉高速鉄道の開業による人の流れの変化や同線沿線に進出した店舗との競合などで売上が最盛期から半減した為撤退した[308]。
- 入居していたテナントスペースは、30代の家族向けや[310] 若者向けなどの店舗を招致し[308]、家電や書籍の売り場を大幅に増やすなどの大規模な改装を行い[310]、2010年(平成22年)4月22日に[310] 新装開店している[308]。
- 千城台店(千葉市若葉区千城台北3丁目21-1[311]、1995年(平成7年)3月23日開店[312][313] - 2015年(平成27年)1月25日閉店[広報 8])
- 店舗面積約20,788m2[58]、延べ床面積約47,899m2[58]。長崎屋の売場面積は約11,867m2[58](千葉日報では11,866m2[314])。
- 千葉県都市公社(現:千葉県まちづくり公社)が、1984年(昭和59年)に出店のため事業を開始したものの、住民への日照権に対する話し合いが長引き、1994年(平成6年)2月に着工するまで更地となっていた[314]。
- 千葉都市モノレール2号線千城台駅に隣接して開業した「ラパーク千城台」の核店舗として開店[312]。食品売り場は京成ストアのリブレ京成千城台店が店舗面積2,299m2で出店[312]。
- 長崎屋閉店後も、リブレ京成や一部専門店は引き続き営業。[独自研究?]
- 千城台店の閉店により、「ドン・キホーテ」「MEGAドン・キホーテ」を核テナントとして入れていない長崎屋単独店舗は本州から消滅し、長崎屋単独のラパーク店舗も消滅した。[独自研究?]
- ラパーク千城台としても2020年までに契約が満了し、営業を終了した。建物は同年、まちづくり公社より新たに委託を受けたJLLモールマネジメント(当時、現:JLLリテールマネジメント)に管理が移管され、老朽化した設備を更新。「イコアス千城台」としてリニューアルオープンした[315]
東京都[編集]
- 自由が丘店→ル・パルク(目黒区自由が丘2-10[316]、1967年(昭和42年)11月15日開店[316] - 2002年(平成14年)1月閉店[281])
- 店舗面積2,310m2[316]→2,161.5m2[65]。
- 1997年(平成9年)2月に子会社清算に伴う特別損失を補うために借地権と建物が売却され[285]、その後はリースバックして営業を続けた[285]。
- 2000年(平成12年)12月1日にル・パルクに業態転換して自由が丘という立地を活用して若い女性向けのファッションや雑貨などに特化した全員女性の社内プロジェクトチームで生活提案型の新コンセプトを打ち出したファション情報発信基地を目指す実験店としたが[317]、業態転換から1年も経たない2001年(平成13年)11月12日に既存店の営業力回復が予想以上に遅れているとして赤字店の再生を断念して追加閉鎖することになった31店舗の1つとして2002年(平成14年)1月に閉店することになった[318]。
- 三軒茶屋店→Big-Off三軒茶屋店(世田谷区太子堂2-24[319]、1964年(昭和39年)11月14日開店[320] - ?閉店)
- 店舗面積約976m2[164]。
- 祖師谷店(世田谷区祖師谷3-34-11[65]、1961年(昭和36年)6月28日開店[321] - 2002年(平成14年)1月閉店[281])
- 北千住店(足立区千住3-72[65]、1970年(昭和45年)9月[305]30日開店[要出典])
- 赤羽店(北区赤羽町1-11-4[65]、1963年(昭和38年)開店[323] - 2002年(平成14年)1月閉店[281])
- 十条店(北区十条仲原1-21-1[65]、1974年(昭和49年)8月30日開店[324][325] - 1994年(平成6年)8月閉店[325])
- 野方店(中野区野方5-18-11[65][327]、1967年(昭和42年)5月28日開店[327] - 2002年(平成14年)[281]2月閉店[要出典])
- 荻窪店(杉並区上荻1-13-10[65])
- 店舗面積627m2[65]。
- 立石店(葛飾区立石7-93-2[65]、1977年(昭和52年)3月開店[328] - 2008年(平成20年)8月閉店[要出典])
- 新小岩店(葛飾区新小岩1-31-6[65]、1966年(昭和41年)11月26日開店[316] - )
- 吉祥寺店(武蔵野市吉祥寺本町1-8-11[316]、1966年(昭和41年)11月19日開店[316] - 閉店)
- 三鷹店(三鷹市下連雀3-30-8[65]、1963年(昭和38年)9月24日開店[321] - ?閉店)
- 国分寺店(国分寺市本町2-2-25[65]、1968年(昭和43年)3月20日開店[316] - ?閉店)
- (初代)立川店→立川南口店(立川市柴崎町2-2-1[327]、1966年(昭和41年)5月25日開店[327] - ?閉店)
- 店舗面積825m2[327]
- 立川北口店→(2代目)立川店(立川市曙町2丁目117番1号[81]、1966年(昭和41年)7月開店[316] - 1971年(昭和46年)2月20日、2代目建物にて再開店[81] - 1995年(平成7年)閉店[要出典]。)
- (初代)小金井店(小金井市本町5-18-20[86]、1963年(昭和38年)3月27日開店[321][86])
- 福生店(福生市福生768[65]、1973年(昭和48年)11月開店 - 2001年(平成13年)10月31日閉店[329])
- (初代)青梅店(青梅市仲町310[124][271]、1961年(昭和36年)10月開店[124][321] - 1972年(昭和47年)閉店)
- 店舗面積429m2[321]
- 青梅店開店によって長崎屋チェーン10店舗を達成した、2階建ての店舗だった。1972年に2代目店舗新築のため、増床移転したため閉店した。
- (2代目)青梅店(青梅市本町[331]、1972年(昭和47年)11月10日開店[331] - 2002年(平成14年)2月閉店[331])
- 調布店(調布市小島町173[193][327]、1968年(昭和43年)6月27日開店[327] - 1991年(平成3年)閉店)
- 府中店(府中市宮西町1-3[271]、1961年(昭和36年)6月27日開店[321] - ?閉店)
- (初代)八王子店(八王子市八幡町6[332]、1957年(昭和32年)11月開店[271] - 1969年(昭和44年)閉店)[83]
- 店舗面積495m2[321]
神奈川県[編集]
- (初代)平塚店(平塚市紅谷町12-31[333](旧・平塚新宿1455[124])、1946年(昭和21年)開店[123])→平塚東店(1953年(昭和28年)西店開業に伴い店名変更[123])
- 食料品部(平塚市平塚新宿1310[124]、1956年(昭和31年)5月開店[124])
- 東横百貨店平塚店跡地にあった東映の映画館を買い取ってほとんど改装せずに平塚西店として開店した後、地下1階、地上7階建て、延べ床面績800坪の横浜から小田原までの間では初めてエレベーター、エスカレーター、冷暖房完備の店舗へ建て替えて1959年(昭和34年)に新装開店している[123]。
- 平塚西店(平塚市平塚新宿1147[124]、1953年(昭和28年)9月1日開店[123])
- (2代目)平塚店(平塚市紅谷町13-1[193]、サンショッピングセンター平塚店本館。1972年(昭和47年)11月3日開店[334] - 2008年(平成20年)9月30日に閉店[335])
- 地下1階地上8階建て[334]。延べ床面積13,200m2[334]、売場面積8,415m2[334]。
- 平塚市紅谷町にある平塚駅北口の中心商店街の1つ湘南スターモール商店街にあった地上11階・地下1階建ての延べ床面積約13,000m2[336]、売場面積8,423m2の店舗で[337]、2008年(平成20年)9月に「営業を一時休止する」として閉店したが[336]、近隣にあるドン・キホーテ傘下の店と競合を避けたいとしてそのまま完全に撤退した[336]。
- 2010年(平成22年)8月に埼玉県内の不動産業者に売却されて同社が賃貸と転売の両面で交渉を進めていたが[336]、当店閉店以降は空き店舗の状態が続いた[337]。
- 新たな所有者のヤワタグループは既存建物の活用も検討したものの、耐震性等の問題から断念し、2013年(平成25年)3月から解体工事が行われた[337]。跡地にはヤワタグループのベイブリッジが遊技場の開設を計画している[338]。
- 厚木店(厚木市中町2-9-9[271][339]、1962年(昭和37年)10月15日開店[340] - 2002年(平成14年)1月閉店[281])
- 横浜店[271][344]→弘明寺店[319](横浜市南区弘明寺山下259[319][271][344]、1963年(昭和38年)11月1日開店[342] - 1994年(平成6年)11月23日閉店[305])
- 横浜藤棚店(横浜市西区中央2-6-10[271][345]、1960年(昭和35年)12月1日開店[340])
- 鶴見店(横浜市鶴見区佃野町687[89]、1970年(昭和45年)12月11日開店[89] - 1994年(平成6年)9月30日閉店[要出典])
- 上大岡店(横浜市港南区上大岡町221-2[343]、1975年(昭和50年)3月28日開店[346][347] - 2011年(平成23年)5月29日閉店[要出典])
- 地下2階地上8階建て[347]、延べ床面積約24,028m2[58][58]、店舗面積約6,286.5m2[343]。
- 富士スーパー(現:富士シティオ)が同社の旧上大岡店を大幅に拡張して建設した「富士ショッピングセンター」の衣料品を中心とする核店舗として招致されて出店した[347]。
- 長崎屋の売場面積は約8,544m2で、富士シティオの売場面積は約1,928m2であった[58]。
- 地上の1階 - 8階で衣料・雑貨を長崎屋が扱い、最上階はレストラン街となっていた。2000年(平成12年)に一旦閉鎖して改装し、同年12月1日に売場を1階 - 4階に縮小して必需品中心の構成に変更して再開した[317]。後に3階・4階をユザワヤに転換。ユザワヤは先行して2011年5月11日に閉店。この閉店で、長崎屋ブランドの店舗は神奈川県から完全に撤退した。[要出典]
- 店舗のあった地区は「カミオ」や「ミオカ」が建設された地区と共に再開発をする構想が進められていたが、地権者の合意が成立しなかったことから3地区に分かれた形で再開発された[348]。
- 店舗跡には2011年10月21日に4階にサカゼンが出店、翌週10月28日に3階にユザワヤが再出店した。1,2階部分は暫く閉鎖されていたが12月1日にしまむらが出店した[348]。
- 店舗跡を含めた地区では、「上大岡C北地区市街地再開発準備組合」が2014年(平成26年)10月に約8,000m2の土地に地下1階・地上32階建て延べ49,000m2の商業施設と共同住宅が入る複合ビルを建設する構想を横浜市に提出した[348]。
- 鎌倉店(鎌倉市御成町10-2[271]、1958年(昭和33年)6月開店[349] - 1960年代後半に閉店[要出典])
- 売場面積38坪[349]
- 茅ヶ崎駅前店(茅ヶ崎市、1953年(昭和28年)開店[350])
- (初代)小田原店(小田原市緑町1-50[351]、1962年(昭和37年)2月1日開店[351])
- 店舗面積300坪[351]。
中部[編集]
新潟県[編集]
- 新津店(1984年(昭和59年)10月5日開店[51] - 2009年(平成21年)9月[357] 27日閉店)
- 長岡店(長岡市大手通51-1-2[361]、1971年(昭和46年)5月27日開店[362] - 1995年(平成7年)[363] 1月29日閉店)
- 長岡喜多町店(長岡市喜多町字下川原1000-1[364]、1980年(昭和55年)11月7日開店[365] - 2001年(平成13年)1月閉店[139])
- 東三条店(三条市大字田島406[95]、1975年(昭和50年)10月31日開店[95] - 2002年(平成14年)2月11日閉店[366]。2007年(平成19年)まで跡地残存[要出典])
- 高田店(上越市本町5-4-1[65]、1974年(昭和49年)11月28日開店[367]、2002年(平成14年)2月閉店[368])
- 売場面積約6,106m2で[369]>いづも屋百貨店に隣接して本町5丁目にあった[369] 地元商店主らが集まって建設した高田共同ビルに出店していた[368]。1995年(平成7年)に集客策の一つとして最上階に上越市立市民アートギャラリー・雁木通り美術館が入居していた[369]。
- 閉店後も雁木通り美術館は引き続き入居し、店舗跡には低層階にキャンドゥなどが入居していたが、中層階は空き店舗のままとなるなどビルの収益性が悪化して高田共同ビルは2007年(平成19年)7月10日付で新潟地方裁判所高田支部に破産手続きを申し立てた[368]
- 2010年(平成22年)6月30日で残っていた6店が閉店して当店の入居していたビルは営業を終了し[370]、2011年(平成23年)6月10日に解体後の跡地にスーパーや飲食店、住居などが入る新ビルの建設が開始された[371]。
- 2013年(平成25年)4月12日に5階建て低層棟と16階建ての高層棟で構成された「あすとぴあ高田」が開業した[372]。開業時点の「あすとぴあ高田」は、1階に食品スーパー「旬菜市場はるか」(390m2)など[373]、5階に上越市がギャラリーや市民活動スペースを整備した[371]「ミュゼ雪小町」などが入居したが[372]、2階は入居者が見つからず空きスペースとなっていた[372]。高層棟の6階から15階まではポレスタータワー高田という分譲マンションとなっている[374]。
長野県[編集]
- (初代)長野店(長野市石堂町1429-1[352]、1970年(昭和45年)11月19日開店[352] - 1998年(平成10年)1月25日閉店[377])
- 敷地面積約2,708.51m2[378]、鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋2階[378]、延べ床面積約15,709m2[378]、店舗面積約11,594m2[378](直営店舗面積約4,422m2[319] → 約5,867m2[40])。
- 長野駅前の長野市北石堂町の[100] 長野駅と善光寺を結ぶメインストリート[377] の中央通り沿いに立地していた[100] セブンビルに出店していた[377]。2代目長野店は、かつての新長野店。[要出典]
- 1998年(平成10年)10月末に10代から20代の女性向けのファッションを中心とする店舗(開業時は46店舗)が入居するファッションビル「ショッピングプラザ again」が開業した[379]。
- 佐久店(1979年(昭和54年)10月12日開店[165] - 2002年(平成14年)閉店[281])
- 店舗面積約1,403m2[40]。
富山県[編集]
- 富山店(富山県富山市中央通り1-3-4[343]、1971年(昭和46年)5月30日開店[380] - 2002年(平成14年)2月11日閉店[281][381])
- 富山豊田店(富山県富山市、1982年(昭和57年)3月開店[40] - 2001年(平成13年)1月21日閉店[383]。
- 店舗面積約1,481m2[40]。
石川県[編集]
- 金沢店(石川県金沢市片町1-4-20[343]、1969年(昭和44年)10月開店[384] - 1993年(平成5年)閉店[99])
- 店舗面積約4,521m2[343]。
- 有隣ビル(売り場面積2,869m2)と柴野長崎屋ビル(売り場面積3,289m2)に入居する形で出店していた[385]。
- 金沢市郊外の西泉地区に移転・拡張する形でショッピングセンターのラパーク金沢が1993年(平成5年)10月21日に開業することに伴って閉店となった[99]。
- 店舗跡はフローリッシュビル(7階建て)となっており[386]、ザイマックス(東京都)が建物を所得していたが、2019年7月16日から翌2020年6月までに同じくザイマックスが所有する「エムビーエスビル」と共に建物を解体する[386]。跡地は地上6階建てのホテルを建物解体後の2020年7月に着工し、2021年7月に完成予定[387]。
- レイ・プラザ店(石川県加賀市加賀市山代温泉神明町27-1[388])
福井県[編集]
- 鯖江店(1982年(昭和57年)4月開店[389] - 1989年(平成元年)1月23日閉店[389]。跡地はホテルアルファーワン鯖江)
- JR鯖江駅前の再開発ビルのA棟が完成したものの空きビルとなっていたため、核店舗として1978年(昭和53年)5月に鯖江市長が平和堂の既存店舗の移転を打ち出したが、平和堂側が移転する意志が希薄だとして商調協で一旦拒絶されたが、空きビル状態が続くと鯖江市の金利支出は年1億円に上るとして審議を行うよう要求し続けたため、1980年(昭和55年)8月に平和堂の移転を認める答申が商調協で出されたが、平和堂が移転を拒絶して宙に浮く形となった[389]。
- 平和堂の移転が実現しなかったため鯖江商工会議所と鯖江市、地元の商業者などで代替策の協議を進め、当店が1982年(昭和57年)4月に店舗面積約5,100m2で出店したが、駐車場不足や約6万人という商圏人口の少なさなどが重なって僅か6年半ほどで撤退した[389]。
岐阜県[編集]
- 岐阜店(岐阜市日の出町1-21-23[343]、1975年(昭和50年)4月26日開店[390]-2002年(平成14年)2月11日閉店[391])
- 日本ライン可児店(1985年(昭和60年)3月開店[40] - 2002年(平成14年)閉店[281])
- 美濃店(美濃市[396] 下長之瀬、1981年(昭和56年)9月開店[40] - 2002年(平成14年)閉店)
静岡県[編集]
- (初代)静岡店(静岡市葵区両替町2-4-9[397]、1963年(昭和38年)6月1日開店[398])
- 両替町2丁目の第二東映劇場跡地に1963年(昭和38年)6月1日に竣工した6階建ての日映森岡ビル(現在は取り壊し済)の1-3階に出店していた[399]。
- (2代目)静岡店(静岡市葵区紺屋町1-1-5[319]、1968年(昭和43年)9月21日開店[400]-2002年(平成14年)閉店[281])
- 瀬名店(静岡市瀬名の龍南興産ビル内[403]、1980年(昭和55年)9月開店[40] - 2010年(平成22年)8月31日閉店)
- 店舗面積約947m2[40] → 約1,290m2[46]、延べ床面積約1,319m2[46]。
- 跡地は瀬名鑑定団を経て解体。跡地にサービス付き高齢者向け住宅が建設された。[要出典]
- 清水店(静岡市清水区(旧清水市)真砂町59[343]、1959年(昭和34年)開店[404] - 1981年(昭和56年) 2月[405]12日閉店)
- 沼津店(沼津市大手町175[400]、1963年(昭和38年)10月15日開店[400][409]-2002年(平成14年)1月閉店[410]
- 熱海店(熱海市清水町6-20[400][343]、1963年(昭和38年)6月21日開店[400] - 1992年(平成4年)2月閉店[412])
- 富士宮店(富士宮市中央町5-6[343]、1975年(昭和50年)6月10日開店[415] - 2002年(平成14年)閉店[281])
- (初代)浜松店(浜松市中区田町16[417]、1963年(昭和38年)4月17日開店[418][417] - 1969年(昭和44年)閉店[要出典])
- 店舗面積1,353m2[417]
- (2代目)浜松店(浜松市中区鍛冶町80-4[400][343]、1969年(昭和44年)3月1日開店[400][398] - 1993年(平成5年)2月閉店[412])
愛知県[編集]
- 豊橋店(豊橋市駅前大通り2-33-1[193]、1972年(昭和47年)11月16日[420] - 1980年(昭和55年)1月15日閉店[421])
- 地元商店街の協業化のために豊橋公民館跡を中心とする敷地面積1,519m2に建設された鉄骨鉄筋コンクリート建て地下1階地上8階建、延べ床面積約15,000m2のサンマートビル(豊橋商業センター)の核店舗として地上1階から3階までの半分と4階以上8階の全フロアを使用し開店した[422]。店舗面積約5,751m2[423]。
- 店舗面積約3,432m2[193]。
- 閉店後に建物は総合開発機構に買収され「開発ビル」に改称。一時は「エイデン(当時は栄電社。店舗名は『テクノ豊橋』)」が入居していた時期もあった。現在は商店や飲食店のほかに豊橋市駅前窓口センター、駅前文化ホール、愛知県東三河県民プラザ旅券センターなどの公共施設が入居している。[要出典]
- 2013年(平成25年)3月末に「豊橋市駅前文化ホール」が閉鎖された[424]。(長崎屋時代はボウリング場だった同ビル9階以上を改装して使用されていた)代替施設として2013年(平成25年)4月30日に『穂の国とよはし芸術劇場(プラット)』が開設された[425]。
- 隣地にある名豊ビル・木島ビル・狭間児童公園を含めた1.5haの駅前大通2丁目地区市街地再開発事業計画を地権者などでつくる準備組合と豊橋市で協議中である[426]。
- なお長崎屋は、当店閉店から37年後の2017年10月13日に「MEGAドン・キホーテ豊橋店」を出店、豊橋市へ再進出している[427]。
- 豊田店(豊田市喜多町2-38[428][429]、1971年(昭和46年)9月18日開店[430] - 1991年(平成3年)[431] 8月25日閉店)
- 敷地面積約1,475.06m2[428]、鉄筋コンクリート造一部鉄骨コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋1階[428]、延べ床面積約9,652m2[428]、店舗面積約6,237m2[428](直営店舗面積約4,301m2[428])。
- 豊田市駅前の地下1階地上6階(一部7階)建、延べ床面積約9,900m2の『豊田中央開発』の再開発ビルの核店舗として地上1階から地上6階までで出店していた[432]。
- 地下1階にはヤマナカが入居して食料品売り場を担当し、7階には映画館のアート座があった[432]。
- 閉店後、跡地には1階においでん横町が開業したが振るわず僅か数年で撤退、その後も建物自体は使われないままそれから25年近く残ったままになっていた。2015年の再開発工事時に周辺の廃墟と共に取り壊され、2017年には跡地にKiTARAが開業した。[要出典]
近畿[編集]
京都府[編集]
- 京都三条店(京都市中京区新京極通三条下ル桜之町400[433]松竹ビル[434]、1964年(昭和39年)3月17日開店[268] - ?閉店)
- 店舗面積約2,277m2[343]。
- 四条店→Big-Off四条店(京都市下京区四条通柳馬場東人ル東立売町[151]、1968年(昭和43年)4月24日開店[433] - 2001年(平成13年)11月30日閉店[435][436])
- 伏見店(京都市伏見区納屋町136-2[433]、1968年(昭和43年)10月30日開店[433] - 2001年(平成13年)1月閉店[435])
大阪府[編集]
- 茨木店(茨木市別院町3-34[343]、1971年(昭和46年)5月20日開店[126] - 2002年(平成14年)[281]2月閉店[要出典])
- 共栄ビルに出店しており、売場面積約5,281m2の店舗だった[151]
- 枚方店(枚方市新町1-2-3[319]、1969年(昭和44年)6月27日開店[438] - 2002年(平成14年)[281]2月11日閉店[要出典])
- 寝屋川店→Big-Off寝屋川店(寝屋川市桜木町663[440]、1971年(昭和46年)3月6日開店[440] - 1999年(平成11年)3月22日閉店)
- 千林店(大阪市旭区千林2-11-7[319]、1967年(昭和42年)9月21日開店[445] - 1986年(昭和61年)1月閉店[446][291])
- 岸里店(大阪市西成区千本北1-11-32[448]、1968年(昭和43年)8月20日開店[448][449] - )
- 布施店(東大阪市長堂1-74[452]、1969年(昭和44年)5月23日開店[452])
- 八尾店[要出典]
- 瓢箪山店(東大阪市神田町18-12[343]、1975年(昭和50年)9月開店[58] - 2009年(平成21年)10月31日閉店)
- 堺東店(堺市堺区中瓦町2-88[440]、1970年(昭和45年)11月18日開店[454] - 1990年(平成2年)閉店)
- 北野田店(堺市東区北野田15-1[456]、1970年(昭和45年)10月10日開店[454][457] - 1995年(平成7年)4月閉店)
- 堺小阪店[459] → 泉北店[151](堺市小阪270[459](現・南区)、1984年(昭和59年)6月24日開店[459][51] - 2002年(平成14年)閉店[281])
兵庫県[編集]
- 御影店(神戸市東灘区御影本町4-653[343]、1970年(昭和45年)11月[461] 27日開店 - 2009年(平成21年)5月31日閉店[461])
- 阪神電気鉄道御影駅前にあった[462]
- 地下1階地上8階建てのビルに出店していた店舗で[457]、地下1階から地上6階まで7層の売場という多層階型の総合スーパーだった[463]。
- 開業時には売場面積約4,950m2で、専門店6店を併設していた[457]。
- 阪神・淡路大震災で被災して休業し、修復を終えて1995年(平成21年)11月9日に営業を再開した[463]。
- 2008年(平成20年)9月に赤字経営ではないが富裕層の多い御影地区に合わせた営業形態を模索したとして2009年(平成21年)1月末で閉店する[462] 方針をいったん固めたものの近隣住民の要望などを受け撤回した[461] が、2009年(平成21年)5月に同月末での閉店することになった[461]。
- 建物は2021年まで、1階と2階のみ使用され、1階にローソンとライフォートが、2階にゲオが入居していたが、[要出典]2021年(令和3年)1月に解体され[464]、2022年(令和4年)4月にJR西日本不動産開発によりVIERRA御影として薬局(ココカラファイン)とフィットネスクラブが先行開業し、同年5月にコンビニエンスストア(ローソン)が開業し、クリニック等は遅れて開業することになった[465]。
- 加古川店(加古川市平岡町[462]、2009年(平成21年)11月23日閉店[要出典])
- (初代)尼崎店(尼崎市玄番町北之町28[466]、1967年(昭和42年)11月開店[466])
- 売場面積約1,320m2[466]
- (2代目)尼崎店→Big-Off尼崎店(尼崎市神田北通4丁目[467]、1970年(昭和45年)4月26日開店[468] - 1990年(平成2年)3月18日に火災が発生[467]→翌年解体)
- 伊丹店→シャル伊丹店(伊丹市若松町411-5[193]、1970年(昭和45年)11月20日開店[470] - 1990年(平成2年)頃閉店)
奈良県[編集]
和歌山県[編集]
- 和歌山店(和歌山市元寺町5-2[477]、1970年(昭和45年)12月5日開店[477] - 2002年(平成14年)11月17日閉店[478][479])
- 敷地面積約3,305m2[477]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[477]、延べ床面積約28,111m2[477]、店舗面積約13,137m2[477]。
- 建物は現存、跡地は複合商業施設「CITY!WAKAYAMA」[要出典]
- 同社初の郊外型ショッピングセンターで、開業時点で、地下1階地上4階建て延べ床面積約8,000坪に47店の専門店のほか銀行や診療所、ボウリング場(4階)、200台収容の地下駐車場を備えていた[123]。
- 最盛期の1990年(平成2年)に売上高約66.82億円を上げたが2001年(平成13年)に売上高約29.86億円へ落ち込むなど数年間赤字が続いていたため閉店となった[478]。
- FCサンバード金丸(和歌山県那賀郡那賀町(現・紀の川市))フランチャイズ店[要出典]
中国[編集]
岡山県[編集]
- 岡山店(岡山市北区表町1-11-18[480]、1974年(昭和49年)2月開店[481] - 1985年(昭和60年)1月閉店[481][291][482][483]。
- FCサンバード山陽店(岡山県赤磐郡(現・赤磐市)山陽町山陽団地1-5[要出典]
九州[編集]
福岡県[編集]
大分県[編集]
熊本県[編集]
海外[編集]
シンガポール[編集]
- 店舗面積1,023m2[496]
ブラジル[編集]
- 店舗面積2,000m2[496]
- 店舗面積1,310m2[496]
実現しなかった店舗[編集]
- 新長岡店
- 盛岡店
- 1979年(昭和54年)12月に岩手県盛岡市青山町に27,489m2の盛岡ショッピングセンター出店を申請したが、商業活動調整協議会の1981年3月結審ではカット率89.1%の3,000m2とされたため出店を断念した[498]。
- 石巻店
- 17,254m2の石巻ショッピングセンター出店を申請していたが、商業活動調整協議会の1980年5月20日結審ではカット率80.29%の3,400m2とされたため出店を断念した[499]。
- 売場面積21,100m2[503]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ ニチイと提携する以前は、「大善百貨店」として営業。1982年7月に「ニチイ会津若松店」として移転開業。[要出典]
- ^ ライオン堂自体の本部も入居。当時の若松店は、生鮮食品だけではなく、衣料品や専門店も入るGMS店舗だった。建物の老朽化のため2020年9月16日に閉店し、建物は解体された。[要出典]
- ^ 当初は、2002年1月14日閉店だったが、延長された[251]
- ^ リオン・ドールコーポレーション子会社「レオクラブインターナショナル」のフランチャイズ運営。[要出典]
- ^ 開業当初は、1階にCD、2階にレンタルCD・レンタルビデオ、3階が書籍の売り場が入っていた。その後、CD売り場が2階のレンタルCD・レンタルビデオの売り場に移転統合。空いた1階には、ダイソーが入った。2014年頃には、3階の書籍売り場が2階のフロアへ統合され、TSUTAYA神明通り店自体は2階のみの営業となった。[独自研究?]
- ^ 1973年(昭和48年)9月21日開店[262]とした資料もある。
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp40
- ^ a b 森健太郎 (2009年8月14日). “長崎屋函館店来月6日で閉店 10月2日MEGAドン・キに”. 函館新聞 (函館新聞社)
- ^ a b “ドン・キホーテ、函館に「熱血商店街」1号店開設へ 公募店で生鮮強化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年8月12日)
- ^ “函館の大型店 昨年売上高 13.8 %減”. 函館新聞 (函館新聞社). (2011年1月24日)
- ^ a b “長崎屋、「函館店」を増床改装オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年7月1日)
- ^ 函館市史編さん室 『函館市史 通説編 第4巻』 函館市、2002年3月。
- ^ “長崎屋 業態転換の「MEGAドン・キ」 旭川に道内第1号 11月オープン”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年9月12日)
- ^ “北海道地域初 総合スーパー長崎屋 MEGAドン・キホーテ旭川店 北海道旭川市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年12月4日)
- ^ “長崎屋函館店→低価格総合スーパー「MEGAドン・キ」開業…7月下旬”. 函館新聞 (函館新聞社). (2009年3月11日)
- ^ a b c d e f “長崎屋、道内2店目「ラパーク旭川」11月1日オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年10月21日)
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- ^ a b 末次一郎(1997年3月14日). “長崎屋西帯広店オープン”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
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- ^ “<エコノ212 地域の経済>苫小牧 長崎屋移転から3カ月 “開店景気”続かず 人口頭打ち店舗は過剰”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年6月17日)
- ^ “長崎屋がメガドンキホーテに”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2010年7月2日)
- ^ a b c “長崎屋をリニューアルオープン 茨城県土浦市 MEGAドン・キホーテ荒川沖店 群馬県桐生市 MEGAドン・キホーテ桐生店 北海道苫小牧市 MEGAドン・キホーテ苫小牧店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2010年6月10日)
- ^ “長崎屋がメガドン・キホーテに転換か”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2009年12月19日)
- ^ “長崎屋、苫小牧の遊園地運営会社を解散”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年12月6日)
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