京急本線

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シンボルマーク
京急新1000形 (金沢文庫駅にて、2018年8月4日)
京急新1000形
金沢文庫駅にて、2018年8月4日)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都神奈川県
起点 品川駅
終点 浦賀駅泉岳寺駅
駅数 50駅
路線記号 KK
開業 1901年2月1日
所有者 京浜急行電鉄
運営者 京浜急行電鉄
使用車両 京浜急行電鉄#車両
及び列車種別を参照
路線諸元
路線距離 56.7 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V, 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 C-ATS
最高速度 120 km/h[1]
路線図
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本線(ほんせん)は、東京都港区泉岳寺駅から神奈川県横須賀市浦賀駅を結ぶ京浜急行電鉄(京急)の鉄道路線である。英語表記は、Keikyū Main Line駅ナンバリングで使われる路線記号はKK

正式な起点は品川駅で、後年延伸された泉岳寺駅 - 品川駅間 1.2 kmキロポストは品川駅からの距離に基づいて設置されているほか、『鉄道要覧』でも品川駅 - 浦賀駅間と分けて記載されている[注 1]

概要[編集]

東京都区部南部の品川から東京湾沿いに南下し、神奈川県横浜市南東部・横須賀市東部を経て三浦半島南部へと延びる都市間鉄道(インターアーバン)である。都営浅草線および同線を介して京成電鉄北総鉄道相互直通運転を行っており、芝山鉄道とも、都営浅草線・京成線を介して直通運転を行っている。空港線とともに羽田空港への空港連絡鉄道としても機能しており、京成電鉄が成田空港に乗り入れているため、羽田・成田の2空港を連絡している。品川駅 - 横浜駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の東海道線京浜東北線と線路が並行しており、競合関係にある。また、品川駅 - 横須賀駅横須賀中央駅)間では途中経路は少し異なるものの横須賀線と競合している。

路線データ[編集]

運行形態[編集]

原則的に10分サイクルのパターンダイヤが組まれている。

本線からは大師線を除く京急各線へ直通列車が運転され、快特はすべて堀ノ内駅から久里浜線に直通する。ただし、朝ラッシュ時には浦賀発着の特急列車(一部は金沢文庫駅以北快特)も運転される。空港線へは品川・横浜両方面から直通列車が設定されている。

都営地下鉄浅草線や京成電鉄各線などと相互乗り入れを行っており、以下に挙げる路線の各駅へ直通列車が存在する。空港線へ乗り入れる列車が多く、一部は久里浜線や逗子線と直通する。現在、京急蒲田駅以南への直通はほぼ自社の車両に限られ、朝・夜に東京都交通局の車両が数本乗り入れる程度だが、かつては京成電鉄や北総開発鉄道・住宅都市整備公団(現・北総鉄道)の車両も乗り入れていた。なお、2018年12月8日以降は京成車については平日のみ久里浜線京急久里浜駅まで1往復設定される。

現行ダイヤにおける拠点駅の1時間あたりの運行本数は、横浜駅では日中18本、平日朝のピーク時で26本である。また品川駅では、京急蒲田方面が日中21本、平日朝24本、泉岳寺方面は朝 - 日中がおおむね12本、夜間9本となっている。

最高速度と所要時間[編集]

京浜間では開業時より伝統的に高速運転が行われてきた。これは、東海道本線東急東横線三浦半島方面へは横須賀線、羽田空港アクセスでは東京モノレールと競合するためである。

京急の前身で1898年に創立された大師電気鉄道は、最高速度がわずか8マイル/h (12.8km/h) であった。その後、1931年には急行運転、1936年には待避線による追い越し運転が実施され、緩急結合運転が始まった[2]

第二次世界大戦後では認可速度80km/hから始まり、1953年に90km/h[3]1958年秋には100km/h[4]1967年からは特急で105km/h 運転となった[5]1995年以降は品川 - 横浜間で120km/h(増圧ブレーキ非装備の車両と、成田スカイアクセス線乗り入れ対応の京成車をのぞく他社車両は110km/h)、横浜以南で110km/h となり[6]、関東の私鉄路線としては京成成田スカイアクセスつくばエクスプレスに次いで高速の部類に入る。

軌間が標準軌という点は高速運転に有利だが、軌道や信号設備の改良など120km/h運転を行う準備に数年を要した。首都圏の鉄道事業者は、直接他社線と競合する路線が少ないこと、限られた線路容量や線形の中でほぼ終日にわたり高密度ダイヤで運転されること、また高速化よりもまず安全性や定時性重視という傾向もあることなどから、首都圏の鉄道事業者で一般列車の120km/h以上の運転を実施しているのは2014年の時点で京急、前記つくばエクスプレス・京成成田スカイアクセスおよびJR東日本と少数である[注 3]

なお、品川駅 - 横浜駅間の120km/h区間では、信号機にYG現示を明滅させる抑速信号C-ATS照査速度105km/h)を採用している[6]。これは最高速度を105km/hから120km/hとするにあたり、信号機の移設・増設、閉塞数の変更を行わずにブレーキ距離を確保するためである(京急本線の閉塞区間の平均間隔は290mである)。抑速現示による速度制限を受けている状態では従前の進行現示と同等の距離で停止でき、最高速度の向上が可能となった。運転士による各種試験の結果、抑速現示の明滅回数は80回/分、点灯割合50%としている[2]。抑速現示は京急が日本で初めて採用した方式であり[6]、その後は2009年に北総鉄道北総線で、2010年に京成成田スカイアクセスでも採用された。

なお、120km/hで運転できるのは京急車による快特だけで、特急およびエアポート急行の最高速度は110km/hである[6]。ただし、使用車両の最高速度が低い場合はそれに従うことになる(かつての800形使用の快特および特急の最高速度は100km/hであった)[7]

スピードアップの変遷[2]
実施年月 最高速度
(km/h)
種別 所要時分 備考
品川 - 横浜 品川 - 京急久里浜
1950年4月 80 普通 47分00秒
1953年7月 90 特急 31分00秒 ノンストップ特急
1958年9月 100 特急 23分40秒 逸見駅待避線新設
1967年3月 105 特急 20分40秒 59分40秒
1968年6月 105 快速特急 18分10秒 52分15秒 快速特急設定
1983年10月 105 快速特急 17分40秒 49分10秒
1995年4月 120 快速特急 15分10秒 44分55秒

1999年に快速特急を「快特」と改称。

列車種別[編集]

現行の列車種別[編集]

2019年12月現在は以下の7種別で構成されている。停車駅についての詳細は「停車駅表」を参照。また、速達列車は種別ごとに種別色(停車駅表参照)を定めており、英語での案内にはその色を用いる場合もある。

モーニング・ウィング号[編集]

平日朝方の上り方面に3本運転される[8]、着席通勤を目的とした列車であり、他社の「ホームライナー」に相当する。1本目は横須賀中央発品川行き、2本目は三浦海岸発品川行き、3本目は三浦海岸発泉岳寺行きとして運転される。三浦海岸駅、横須賀中央駅、金沢文庫駅、上大岡駅から乗車する場合には「Wing Ticket」(300円)または「Wing Pass」(5500円)が必要である。品川駅・泉岳寺駅のみで下車が可能である[9]

車両は2ドアオールクロスシート8両編成が専用で使用されており、2019年現在は2100形で運転されている。

停車駅
三浦海岸駅 → 横須賀中央駅 → 金沢文庫駅 → 上大岡駅 → 品川駅泉岳寺駅

イブニング・ウィング号[編集]

平日夜間の下り方面にのみ運転される、着席通勤を目的とした列車であり、他社の「ホームライナー」に相当する。始発駅である品川駅から乗車する場合には「Wing Ticket」(300円)が必要だが、上大岡駅 - 三崎口駅(一部列車は京急久里浜駅)間については一般の「快特」として運行されるため、乗車券のみで乗車できる[9]。停車駅や着席整理料金など一般の快特とは趣を異にするが、正式な種別は「快特」となっている。全列車が久里浜線に直通し、本線の泉岳寺駅 - 品川駅間や堀ノ内駅 - 浦賀駅間、都営浅草線などには乗り入れない。

車両は、2ドアクロスシート8両編成が専用で用いられており、運行開始当初は2000形、2019年現在は2100形となっている。

停車駅
品川駅上大岡駅金沢文庫駅金沢八景駅横須賀中央駅堀ノ内駅 - (久里浜線内各駅) - 京急久里浜駅 - 三崎口駅

京急蒲田駅京急川崎駅横浜駅を通過駅としているのが特徴である。品川駅から上大岡駅までの所要時間は32分である。

京急ウィング号(現 イブニング・ウィング号)
(2016年1月)

エアポート快特[編集]

都心方面と東京国際空港(羽田空港)を結ぶ特急料金不要の最速達列車で、品川駅 - 羽田空港第3ターミナル駅間をノンストップで走行し、羽田空港第1・第2ターミナル駅に着発する列車である。全列車・全区間8両編成で運転される。

2012年(平成24年)10月ダイヤ改正以降は、日中の列車は都営浅草線に直通し、押上駅から「アクセス特急」に変更の上で京成成田スカイアクセスに直通して、成田空港駅に到着するダイヤが40分間隔で組まれている。また成田空港駅からは、逆のパターンが組まれている。

現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。

  • 羽田空港 - 泉岳寺駅(南行のみ)
  • 羽田空港 - 京成線青砥駅(北行のみ)
    • 浅草線内・京成線では普通で運転されている。
  • 羽田空港 - 成田スカイアクセス線経由成田空港駅
    • 浅草線内はエアポート快特で、京成線・北総線・成田スカイアクセス線内はアクセス特急として運転されている。
    • 車両は成田スカイアクセス線に乗り入れ可能な京急新1000形(1-9次車は2018年まで代走のみだったが、同年より定期運用開始)、600形、1500形、京成3000形、3000形50番台、3100形[注 4]が使用される。
  • 羽田空港 - 京成本線経由宗吾参道駅京成成田駅・成田空港駅、芝山鉄道線芝山千代田駅
    • 浅草線内はエアポート快特で、京成線内は快速特急・特急・通勤特急・快速のいずれかで運転されている。夜間は成田空港駅・京成成田駅・芝山千代田駅行きがそれぞれ1本運転されている。車両は京成車が使用される。

「エアポート快特」は、1998年(平成10年)に設定された「エアポート快速特急」を前身とする[10]。当時は羽田空港へのアクセスのみならず、羽田空港駅(当時。現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)と京成線の成田空港駅を乗り換えなしで結ぶ最上位の種別として登場し、京急線・都営浅草線内では「エアポート快速特急」、京成線内では「エアポート特急」として全区間で通過運転がされていた。なお、これらの列車は京成高砂駅で、京成本線の京成上野駅 - 京成高砂駅間を運転する「エアポート特急」に接続していた。特に都営浅草線内で通過運転を行ったことが画期的であったが、京急線内での扱いは快速特急と同じであり、名前だけを差別化した形であった。1999年(平成11年)にエアポート快特に改称する[11]。2000年代の一時期(2002年頃)は京成線内の扱いが快速への格下げと運転区間の短縮により成田空港駅まで到達しない列車が大半となり、当初の目的を果たしているとは言い難い状況になっていたが、2010年(平成22年)7月17日に京成成田空港線(成田スカイアクセス)が開業し、京成線内を京成本線経由から、こちらに切り替えることで再び両空港を乗り換えなしで結ぶ列車として運転されるようになった[12]。これに先立ち、2010年(平成22年)5月のダイヤ改正において京急蒲田駅を通過するようになり、京急線内でも快特との実質的な差別化が図られるようになった[13]。2012年(平成24年)10月のダイヤ改正からは種別の色をオレンジに変更し、快特との差別化および京成線アクセス特急との共通化が図られるようになった[14]

京成3050形によるエアポート快特
(2010年7月)

快特[編集]

2100形による快特
(金沢文庫駅 - 金沢八景駅 2020年10月)

現行ダイヤでは堀ノ内駅から久里浜線に直通して京急久里浜駅三崎口駅を発着する系統と、京急蒲田駅から空港線に直通する羽田空港発着の系統があり、早朝・深夜を除くほぼ終日の設定がある。

1968年(昭和43年)に設定された「快速特急」を前身とする[15]。快速特急は特急よりもさらに上位の種別で、それまで運転されていた三浦半島の観光地に向けた列車、ハイキング特急を格上げする形で登場した。このため当初は土休日に特急の合間に何本か設定されているにすぎなかったが、通勤需要の拡大とともに徐々に設定時間と運転本数が拡大されていき、また本線末端部よりも久里浜線へ直通するダイヤへとなって行った。1999年夏のダイヤ改正からは通称・略称として用いられていた「快特」が正式名称となり[10]、同時に「特急」を置き換える形で大増発を行い、日中はほぼ10分に1本は確保されるようになった[10][11]。この時都営浅草線京成線北総線(以下:都心方面)へ直通する快特も登場している[16]。さらに2012年10月21日改正では、日中の北総線 - 都営浅草線 - 羽田空港の系統のエアポート急行が快特へ格上げされ、品川駅では約5分間隔で京急久里浜・三崎口方面の列車と羽田空港方面の列車が交互に運転する形となっている。

平日朝ラッシュ時上りの快特は三崎口駅・京急久里浜駅・浦賀駅 → 金沢文庫駅間は特急として運転され、汐入駅・追浜駅にも停車する(1999年以前の通勤快特[16])。

車両は8両編成を基本とするが、金沢文庫駅 - 品川駅間では4両編成を連結して、大手私鉄最長である12両編成で運転される快特も設定されている[17][注 5]。その場合、金沢文庫駅・品川駅において連結・切り離し作業を行う。連結列車の運用パターンについては後記に記す。この12両編成の運用には京急の車両だけが充当される。都営・京成・北総の8両編成も用いられることも多いが、京成・北総の車両については、ほぼ全列車が都心方面から空港線の羽田空港方面間の運用であるために、京急蒲田駅以南の横浜方面ではほとんど見ることができないほか、方向幕が京成車は京成の種別に合わせて「快速特急」となる。都営の車両は、本線をそのまま走り三崎口駅を発着する運用も設定されている。

運行当初は久里浜線の津久井浜駅まで通過運転を行っていたが、近年は停車駅が増加しており、1998年に空港線が羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)まで延伸開業すると同時に京急蒲田駅が停車駅となり、1999年夏のダイヤ改正からは久里浜線内各駅停車となった[18]。さらに、2010年5月16日からのダイヤ改正からは、金沢八景駅も停車駅に追加された[18]。なお、自社路線内では最速の列車であるが、都営浅草線内では大半の列車が各駅停車となる。詳細は「都営地下鉄浅草線」や「エアポート快特」を参照されたい。

列車番号の末尾のアルファベットはA、B、SHの3つが使用されている(他社局の車両が使用される場合をのぞく)[19]。基本的に、Aは京急線内のみの運用、Bは平日朝の上りの金沢文庫以南が特急・以北が快特の列車とその送り込み(1999年まで存在した通勤快特と同様)、SHは地下鉄に直通する快特の運用に用いられるが[19][20]、一部例外もある。

現行ダイヤでの運行形態は以下の通り。

本線線内運転系統
  • 泉岳寺駅・品川駅 - 京急久里浜駅・三崎口駅
    • 日中時間帯は2ドアの2100形を中心に使用され、泉岳寺駅まで乗り入れる。泉岳寺駅では浅草線・京成本線快速京成佐倉駅・京成成田駅・成田空港駅・芝山千代田駅行きに接続する。
    • 2019年10月28日のダイヤ改正より、土休日の一部の快特の2号車にウィングシートが設定されている[8]
    • 平日朝・夕ラッシュ時において品川駅 - 金沢文庫駅間については12両編成で運転される。平日朝下り・夜上りについては基本編成8両の前に付属編成4両を連結して運転され、品川駅着20時台後半以降の列車については基本編成8両の後ろに付属編成4両を連結して運転される。平日朝上り・夕方下りについては基本編成8両の後ろに付属編成4両を連結して運転される。土休日朝に下りは品川駅 - 金沢文庫駅で、上りは金沢文庫駅 - 京急川崎駅間において基本編成8両の後ろに付属編成4両を連結して運転される。
    • 日中時間帯以外は平日においては品川駅発着となるが夜に泉岳寺駅行きが1本設定されている。
本線都営浅草線直通系統
  • 北総線印旛日本医大駅印西牧の原駅、京成線京成高砂駅青砥駅、浅草線押上駅 - 京急久里浜駅・三崎口駅
    • 浅草線(南行のみ)では快特、浅草線(北行のみ)・京成押上線・京成本線・北総線では普通となる。ただし平日上り夕方の三崎口発印旛日本医大行きの1本は特急となる。
    • 新1000形・600形を中心に3ドア直通運転対応の京急車で運転される。ただし、平日夜の上り1本のみ都営の車両で運転される。
    • 日中時間帯において途中、押上駅で成田スカイアクセス直通エアポート快特・アクセス特急や青砥、高砂発着のエアポート快特・快速特急を待避する列車がある。
    • 前者による横浜駅 - 成田空港駅間の所要時間は1時間40分台。
  • (2017年10月30日以降発のみで三崎口駅)・京急久里浜駅(着のみ)- 成田空港駅
    • 成田スカイアクセス線・北総線・京成線ではアクセス特急で、浅草線では北行がアクセス特急、南行が快特で運転される。京急久里浜駅行きは土休日に2本設定されている。夜に三崎口駅発成田空港駅行きが1本設定されている。なお夜の列車は2018年12月8日改正以降、京成車で運転される。
    • 車両は新1000形、600形、1500形のそれぞれ8両が使用される。
  • 平日朝・夕ラッシュ時の品川駅 - 金沢文庫駅間は12両編成で運転される。基本編成8両の後ろに付属編成4両を連結して運転される。
空港線直通系統
  • 泉岳寺駅・品川駅 - 羽田空港
  • 京成高砂駅・青砥駅 - 羽田空港
    • 京成車による運転が中心。
    • エアポート快特と交互に40分間隔で運転される。
    • 浅草線(北行)ではエアポート快特・普通、浅草線(南行)ではエアポート快特・快特、京成押上線・本線内は快速特急・普通で運転する。また、青砥で京成本線特急(一部は快速特急)に接続する。
  • 北総線印旛日本医大駅・印西牧の原駅 - 羽田空港
    • 浅草線(北行のみ)・京成線・北総線では普通、浅草線(南行のみ)では快特として運転される。
    • 北総車による運転が中心。
  • 羽田空港発成田空港行き
    • 浅草線ではエアポート快特で、京成線・北総線・成田スカイアクセス線内はアクセス特急として運転されている。
    • 車両は成田スカイアクセス線に乗り入れ可能な京急新1000形、1500形、600形、京成3000形、3000形50番台、3100形[注 4]のそれぞれ8両が使用される。
  • 成田発羽田空港行き
    • 京成線内は快速特急で、浅草線内はエアポート快特で運転されている。
  • 羽田空港 - 京急久里浜駅(着のみ)・三浦海岸駅(発のみ)
停車駅の変遷
駅名 泉岳寺 品川 京急蒲田 京急川崎 横浜 上大岡 金沢文庫 金沢八景 横須賀中央 堀ノ内 新大津 北久里浜 京急久里浜 YRP野比 京急長沢 津久井浜 三浦海岸 三崎口 備考
1968年6月15日 - 運転開始
1975年4月26日 - 三浦海岸駅 - 三崎口駅間開業
1996年7月20日 - 野比駅・長沢駅に停車となり、久里浜駅以南各駅停車化
1998年11月18日 - 京急蒲田駅に停車
1999年7月31日 - 堀ノ内駅、新大津駅、北久里浜駅に停車となり、久里浜線内各駅停車化
2002年10月12日 - 一部を泉岳寺駅まで延長
2010年5月16日 - 金沢八景駅に停車

●:停車 -:通過

なお、1987年5月まで、現在の京急○○はそれぞれ京浜○○という駅名だった。例:京急蒲田駅→京浜蒲田駅、京急川崎駅→京浜川崎駅など。

特急[編集]

久里浜駅にて快特の接続待ちを行う特急(奥)
(2020年6月)

特急は、1968年(昭和43年)に「快速特急」(1999年のダイヤ改正より「快特」に名称変更)が設定されるまで本線最上位の種別であり、「快特」設定後も本数の多いダイヤの中心的な種別であったが[21][22]、1999年夏のダイヤ改正から空港線に乗り入れる列車を除いた日中のすべての特急が快特に置き換わった[10][16]。2016年時点は、早朝深夜・朝夕ラッシュ時のみの運転である。しかし、その運転範囲は広く大師線を除く全線で見ることができる。基本的には8両編成での運転だが、品川駅 - 金沢文庫駅(下りは京急川崎駅)間では12両編成で運転されている。連結パターンについては後記する。現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。

京急線内系統
  • 三崎口駅・京急久里浜駅・堀ノ内駅(発のみ)・浦賀駅・京急蒲田駅発着 - 金沢文庫駅・神奈川新町駅・品川駅・泉岳寺駅発着
    • 平日夕ラッシュ時上りについては品川駅 - 金沢文庫駅間、土曜朝上りについては品川駅 - 金沢文庫駅間は12両編成で運転される。基本編成8両の前に付属編成4両を連結する。土休日の京急久里浜発神奈川新町行き1本は都営車で運転されている。なお2017年10月28日以降は京急蒲田行きは京急久里浜行きに延長され、廃止された。
  • 堀ノ内駅発浦賀駅行き・金沢文庫駅発逗子・葉山駅行き
    • 送り込みとして設定されている。なお逗子・葉山駅行きの1本は都営車で運転されている。
  • 三崎口駅・京急久里浜駅・浦賀駅(発のみ)・逗子・葉山駅・金沢文庫駅(発のみ) - 羽田空港発着
    • 平日朝ラッシュ上りの一部の列車は金沢文庫駅 - 神奈川新町駅間は12両編成で運転される。基本編成8両の前に付属編成4両を連結して運転される。土休日の金沢文庫発羽田空港行きは都営車で運転されている。
都営浅草線直通系統
  • 三崎口駅・三浦海岸駅・京急久里浜駅・浦賀駅(発のみ)・逗子・葉山駅(発のみ)・神奈川新町駅発着 - 浅草線押上駅、京成線青砥駅・京成高砂駅・京成佐倉駅、北総線印西牧の原駅・印旛日本医大駅発着
    • 浅草線・京成押上線・京成本線・北総線直通。新1000形などの3ドアの直通運転対応の京急車で運転される。なお京成佐倉駅発着は原則として新1000形及び600形、1500形での運転。後述の深夜特急1本(2017年10月27日まで)を含めた平日下り4本、同上り3本、土休日2往復は都営車で運転されている。なお、2018年12月8日ダイヤ改正以降は平日下り1本のみ京成車で運転される。
    • 京成本線内は快速・普通、北総線・押上線内は普通、浅草線(北行のみ)内は普通、浅草線(南行のみ)内は特急となる。ただし平日上り夕方の2本は浅草線・京成線内は普通として、北総線内は急行として運転される。平日上りの京成高砂行きの1本は同駅で行先・種別変更して快速京成佐倉行きとなる。
  • 三崎口駅(着のみ)・浦賀駅(発のみ)発着 - 京成佐倉駅・成田空港駅発着
    • 浅草線・京成押上線・京成本線直通。新1000形及び600形、1500形での運転。平日夕方に南行1本設定されている。なお2017年10月28日以降は土休日朝に浦賀発京成佐倉行きが1本設定される。また2019年10月28日以降は京成佐倉駅発三崎口駅行きが成田空港駅発に延長された。
    • 京成線内は快速、浅草線(北行のみ)内は快速、浅草線(南行のみ)内は特急となる。
  • 三崎口駅・京急久里浜駅・金沢文庫駅(着のみ)・神奈川新町駅(発のみ) - 成田空港駅
    • 浅草線・京成押上線・京成本線・成田スカイアクセス線直通。新1000形及び600形、1500形での運転。
    • 浅草線(北行のみ)・京成線・成田スカイアクセス線内はアクセス特急で、浅草線(南行のみ)内は特急として運転。
  • 平日朝ラッシュ時は品川駅 - 金沢文庫駅(下りは京急川崎駅)、土曜朝上りは神奈川新町駅 - 金沢文庫駅では12両編成で運転されている。平日朝ラッシュ時上りの大半の列車は基本編成8両の前に付属編成4両を連結して運転されている。それ以外の列車は基本編成8両の後ろに付属編成4両を連結して運転されている。なお朝ラッシュ時に運行される後4両が京急川崎駅止まりとなる列車はダイヤ上は神奈川新町駅までの運行とされ[23]、京急川崎駅で切り離しを行なわずに旅客案内上、同駅以南を回送扱いとして運行され、次の神奈川新町駅で前8両と切り離される[23]
深夜特急
平日の本線下り終電が「特急」であることに由来[注 6]。品川駅発0時台の京急久里浜行きは金沢文庫駅以遠において、成田空港駅発成田スカイアクセス線経由金沢文庫駅行き(京成・成田スカイアクセス線内アクセス特急)は京急線内全区間[注 7]で途中駅での普通列車など京急線内で他の列車との接続がない。一般に他社では終電は各駅停車としていることから、終電間際に他の特急と区別するために用いられる。また、土休日は本線全区間において普通列車が終電となる。なお金沢文庫行きの列車(北総線印旛日本医大駅始発)は都営車で運転されていたが、2017年10月28日以降は京急久里浜駅行き・金沢文庫駅行きのどちらも京急車で運転される。成田空港駅発は新1000形及び600形、1500形で運転される。

平日ラッシュ時間帯においては、京急線で完結する運用が多い「快特」に対し、当種別は都心方面直通列車となるものが多い。上り列車は金沢文庫駅 → 品川駅間の本線内は「快特」同様の最大12両編成となるが、都営浅草線及び京成線内は最大8両編成での運転であるため、品川駅で切り離し作業を行う。ただし、下り列車は神奈川新町駅の下りホーム有効長が8両分のため、品川駅 → 京急川崎駅の区間のみで12両運転を行う[23]。余った4両は京急川崎駅から客扱いをせずに車両基地のある神奈川新町駅までそのまま連結するか[23]、京急川崎駅で切り離して普通列車として運転される。

平日朝ラッシュ時の一部特急は金沢文庫駅以北は快特として運転される(1999年以前の通勤快特[16])。

列車番号の末尾に付けられるアルファベットはC、H、Bが使用されている(京急以外の車両が使用される場合を除く)[19]。Cは線内運転の列車、Bは平日朝の上りの金沢文庫以南が特急・以北が快特の列車とその送り込み(1999年まで存在した通勤快特と同様)、Hは地下鉄直通の運用に用いられている[19][20][24]。ただし三崎口駅・京急久里浜駅・浦賀駅 - 品川駅・泉岳寺駅間を通して運転される自社線内完結の列車及び折り返しの送り込みとしてHをつける列車が早朝・深夜に存在する。

1999年の改正以後、日中の特急は羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅) - 京急蒲田駅 - 京急川崎駅間のみで見られた。この列車は京急川崎駅 - 金沢文庫駅間で快特と併結、自身の列車種別を快特に変更して羽田空港駅と横浜方面とを結んでいた。この列車の下り方面行きは併結相手の快特に先行して京急蒲田駅を発車し、京急川崎駅構内の引き上げ線に一時停車して、品川方面からやってきた快特を先にホームに進入させた後、その後部に連結するという珍しい方法で運転されていた[25][26]

定期列車としての「特急」が設定されたのは1954年3月22日で、設定当初は平日の朝ラッシュ時のみの運転であった。1957年3月17日には20分間隔で終日運転されるようになった。1965年2月20日までは神奈川新町駅ではなく子安駅に停車していた。

停車駅の変遷
特記事項のないものは、空港線・逗子線内は各駅に停車する。
  • 1954年3月22日から
    • 品川駅 - 学校裏駅(平和島駅) - 京浜川崎駅(京急川崎駅) - 京浜鶴見駅〈上りのみ〉 - 子安駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 追浜駅〈上りのみ〉- 横須賀汐留駅(汐入駅)〈上りのみ〉 - 横須賀中央駅 - 横須賀堀内駅(堀ノ内駅)〈上りのみ〉 - 浦賀駅
  • 1954年7月7日(久里浜線直通運転開始。京浜蒲田駅・馬堀海岸駅が停車駅に追加され、上りのみ停車していた京浜鶴見駅、追浜駅、横須賀汐留駅、横須賀堀内駅は上下とも通過駅になる)
    • 品川駅 - 学校裏駅 - 京浜蒲田駅(京急蒲田駅) - 京浜川崎駅 - 子安駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 横須賀中央駅 - 馬堀海岸駅 - 浦賀駅
      • 久里浜線直通の特急は、横須賀中央駅・湘南久里浜駅(京急久里浜駅)間無停車。
  • 1958年3月17日(追浜・横須賀汐留・横須賀堀内・湘南大津の各駅が停車駅に追加)
    • 品川駅 - 学校裏駅 - 京浜蒲田駅 - 京浜川崎駅 - 子安駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 追浜駅 - 横須賀汐留駅 - 横須賀中央駅 - 横須賀堀内駅 - 湘南大津駅(京急大津駅) - 馬堀海岸駅 - 浦賀駅
      • 久里浜線直通の特急は、久里浜線内各駅停車となる。
  • 1965年2月21日(神奈川新町駅が停車駅に追加され、子安駅が通過駅になる)
    • 品川駅 - 平和島駅 - 京浜蒲田駅 - 京浜川崎駅 - 神奈川新町駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 追浜駅 - 汐入駅 - 横須賀中央駅 - 堀ノ内駅 - 京浜大津駅(京急大津駅) - 馬堀海岸駅 - 浦賀駅
  • 1968年6月21日(青物横丁が停車駅に追加される)
    • 品川駅 - 青物横丁駅 - 平和島駅 - 京浜蒲田駅 - 京浜川崎駅 - 神奈川新町駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 追浜駅 - 汐入駅 - 横須賀中央駅 - 堀ノ内駅 - 京浜大津駅 - 馬堀海岸駅 - 浦賀駅

エアポート急行[編集]

概要および運行形態[編集]

2010年5月のダイヤ改正で登場した種別である。都心方面 - 羽田空港間を本線・空港線経由で結ぶ列車(一部は都営浅草線京成線北総線からの直通列車)と、逗子・葉山駅 - 羽田空港間を逗子線・本線・空港線を経由して結ぶ列車の2系統があり[13]、ラッシュ時間帯は前者が、日中は後者が中心にほぼ10分間隔で運転されている。「エアポート」と名がつく通り、基本的に羽田空港発着となるが、ごく一部に羽田空港発着ではない列車も運行される。 なお、品川方面から逗子・葉山駅まで運行する列車は設定されていない。

泉岳寺方面 - 羽田空港間[編集]

2010年(平成22年)5月15日まで運行されていた「急行」から列車種別名を変更したものである。

列車種別名を改称した理由は、京急蒲田駅 - 新逗子駅(現:逗子・葉山駅)間においても新たにエアポート急行を設定するにあたり、かつて同区間を運行していた「急行」とは停車駅が異なることから、「急行」と「エアポート急行」は別の種別であることを位置付ける目的があり、既存の羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅) - 京急蒲田駅 - 泉岳寺方面間の急行と合わせて種別名の統一を図ったものである。

2012年10月21日のダイヤ改正から、日中と土休日夜間のエアポート急行については、快特へ格上げされたため[27]、これらの時間は運行されない。

ラッシュ時間帯においては、品川方面からの列車が増発されたが、2010年5月15日まで空港線内のみの運用である急行が毎時3本運行されていたが廃止され、同時間帯はすべての列車が本線直通列車となった[注 8]

大多数の列車は、泉岳寺駅から先の都営浅草線京成押上線を介して京成本線成田空港駅芝山鉄道芝山千代田駅および北総線印旛日本医大駅まで相互直通運転を行っている。このため、北側のエアポート急行は乗り入れ先の車両で運用されていることが多い。

運行パターンとしては例として以下のタイプが存在する。

  • 羽田空港 - 品川駅・泉岳寺駅
  • 羽田空港 - 浅草線押上駅、京成線青砥駅・京成高砂駅、北総線印西牧の原駅・印旛日本医大駅
    • 浅草線(北行のみ)ではエアポート快特・普通で、浅草線南行は急行で、京成線では快速特急・特急・普通で、北総線内は特急・普通で運転する。
  • 羽田空港 - 成田スカイアクセス線経由成田空港
    • 浅草線(北行のみ)・京成線・北総線・成田スカイアクセス線内はアクセス特急で、浅草線南行は急行で運転される。
    • 車両は成田スカイアクセス線に乗り入れ可能な京急新1000形、1500形、600形、3000形、3000形50番台、3100形[注 4]の8両編成が使用される。
  • 羽田空港 - 京成本線経由京成佐倉駅・京成成田駅・成田空港駅・芝山千代田駅
    • 浅草線(北行のみ)内はエアポート快特・快速特急・通勤特急・快速で、浅草線(南行のみ)内は急行で、京成線内は快速特急・特急・通勤特急・快速で運転されている。全列車京成車で運転される。
  • 羽田空港 - 押上線普通・京成本線快速系統
    • 羽田空港 - 京成高砂駅 - 京成佐倉駅・京成成田駅
    • 浅草線(北行のみ)・押上線内は普通で、浅草線(南行のみ)内は急行で、京成本線内は快速で運転される。京成高砂駅で行先・種別の変更を行う。
    • 平日朝北行2本、全日夜間南行1本のみ運転される。

羽田空港行きの列車は、都営浅草線内においては従来通り「急行」と案内されている。原則として後続の横浜方面行きの快特(または特急)には追い抜かれない。

泉岳寺方面行きは京急蒲田駅で横浜方面からの快特からの接続をうける。鮫洲駅で普通列車を追い抜くのは朝夕の一部のみ設定されている。

車両
京浜急行電鉄・東京都交通局京成電鉄北総鉄道の各事業者に所属する8両編成で運行される。
逗子・葉山 - 羽田空港間[編集]

横浜方面から羽田空港へのアクセス向上を向上させるため、普通列車を格上げする形で2010年(平成22年)5月16日に新設された。

この区間にはかつて「急行」が存在したことは前記したが、1999年(平成11年)7月31日に実施されたダイヤ改正により廃止された[16]ため、この「エアポート急行」は約10年ぶりとなる事実上の急行の復活である。ただし、当時の急行とは停車駅が異なっており、かつて急行停車駅であった鶴見市場駅[注 9]・花月園前駅(現:花月総持寺駅[注 10]生麦駅子安駅黄金町駅京急富岡駅は通過駅となり、逆に急行が通過していた仲木戸駅(現:京急東神奈川駅)・井土ヶ谷駅・弘明寺駅・杉田駅・能見台駅[注 11]がエアポート急行の停車駅となった。なおエアポート急行の停車駅は京急鶴見駅や京急東神奈川駅、杉田駅など京浜東北線根岸線と至近の駅が多い。

日中を中心に10分間隔(1時間に6本)、8両編成または6両編成[注 12]での運行であり[17]、ほとんどの列車が逗子・葉山駅 - 羽田空港方面間を運行するが、途中駅である京急川崎駅・神奈川新町駅・横浜駅(始発のみ)・金沢文庫駅を始発・終着とする列車も存在する。運行時間帯は平日ダイヤでは主に日中と夕ラッシュ時、土休日ダイヤではほぼ終日である。エアポート急行が運行されていない時間帯には、羽田空港方面発着の快特・特急・普通が運行される。ほとんどの列車は羽田空港駅 - 逗子・葉山駅での運転であるが、一部列車は神奈川新町駅・金沢文庫駅発着または京急川崎駅終着となる。平日夕ラッシュ時の下りの一部には、イブニング・ウィング号を介し、横浜駅 - 京急久里浜駅方面の先着列車となるパターンも存在する[注 13]

2010年5月16日以前の運行形態
横浜方面と羽田空港のアクセスは快特・特急の増結車[注 14]が担っていた。
しかし、羽田空港方面 - 京急川崎駅間が特急、京急川崎駅 - 金沢文庫駅間が快特・特急、金沢文庫駅以南が普通と複雑なダイヤであった。
主に、平日は新逗子駅(現:逗子・葉山駅)発着、土休日は新逗子駅発着と浦賀駅発着であったが、金沢文庫駅発着も存在した。
2010年5月16日ダイヤ改正
平日日中と土休日終日を中心に20分間隔で運行を開始した。平日早朝を除き、8両編成で運行された。
羽田空港方面は南太田駅・子安駅・京急鶴見駅で普通を追い抜き、神奈川新町駅で快特の通過待ちをする。新逗子方面は生麦駅・南太田駅で普通を追い抜き、京急川崎駅と上大岡駅で快特と接続する。
2010年5月15日まで運行していた羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)駅発着の快特・特急の増結車[注 14]と普通を統廃合した性質の列車であるため、京急川崎駅 - 金沢文庫駅間の普通電車は毎時12本から9本に減便され[10]、金沢文庫駅- 京急川崎駅間の快特・特急で実施されていた品川方面発着列車(8両)への羽田空港発着列車(4両)の増結は平日夜間の下り列車4本を除き廃止された。
また前述のように快特の待避を行うため、横浜と羽田空港を結ぶ最速達列車とはならず[28]、速達性に問題があり改善は2012年10月21日の京急蒲田完全高架化まで待たなければならなかった[29]
第1次節電特別ダイヤ(2011年3月22日 - 4月3日)
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)および福島第一原子力発電所などの各発電所の停止の影響による電力危機に伴い実施された節電ダイヤでは、金沢文庫駅発羽田空港行きの「エアポート急行」1本が京急久里浜駅 - 金沢文庫駅間で「特急」として運転された[30]。これ以外にも、節電ダイヤとして待避内容が変更となっている場合がある。
第2次節電特別ダイヤ(2011年4月4日以降)
普通列車は1時間に6本の運行となり[31]、日中に運行する一部の「エアポート急行」は4両編成に減車している[31]
2011年9月23日ダイヤ改正
節電による減車がなくなり、震災前の8両編成に戻った。
さらに、新逗子方面の列車の接続が見直され、生麦駅・上大岡駅で普通を追い抜き・接続し、金沢文庫駅で快特の接続をするようになった。
2012年10月21日ダイヤ改正
これまでは平日日中と土休日を中心に20分間隔で運行されていたが、日中・平日夕ラッシュに増発され、10分間隔の運行となった[27]。また、日中でも6両編成が運転されるようになった。
普通電車との接続・追い抜きは、上下とも南太田駅で普通を追い抜き、羽田空港行きは京急鶴見駅で、新逗子方面行は京急川崎駅と神奈川新町駅で普通と接続する[32]。土休日の朝方の新逗子方面行は、生麦駅で普通を追い抜き、上大岡駅で普通に接続する。それに加えて、一部は金沢文庫駅でも普通に接続する。
快特・特急との接続・通過待ちに関して、平日の日中と土休日の日中以降は、上下線ともに上大岡駅で快特の待ち合わせを行うのみ。平日ダイヤの夕方下りは、京急川崎駅で快特の待ち合わせ(一部は京急ウィング号〈現在のイブニング・ウィング号〉の通過待ち)、上大岡駅で特急の待ち合わせ、金沢文庫駅で快特(もしくは京急ウィング号)の待ち合わせを行う。夕ラッシュが過ぎると、神奈川新町駅で快特の通過待ち、金沢文庫駅で快特の待ち合わせを行う。このうちどちらか一方の駅で京急ウィング号との二重待避になる。土休日の朝方上りは無待避で、下りは神奈川新町駅で特急の待ち合わせもしくは快特の通過待ちを行う。加えて金沢文庫駅で快特または特急の待ち合わせを行う電車も存在する。
平日の夜間においてはエアポート急行設立以前の運行形態である、羽田空港発の特急が4両編成で運行されていたが、この改正で消滅した。ダイヤ改正前は4本のみで、すべて新逗子駅行きで運転されていた。
2013年10月26日ダイヤ改正
平日夕ラッシュ時下りの列車の接続・通過待ち・追い抜きが見直された。
京急川崎駅で普通と接続、神奈川新町駅で快特の通過待ち、上大岡駅で特急の接続、金沢文庫駅で快特の接続を行う。
車両
逗子・葉山駅 - 羽田空港間の「エアポート急行」は京急車による運用が原則で、8両(8両固定編成または4両+4両)[17]または6両で運行される。ごく一部に東京都交通局の車両(5300形または5500形)によって運行される列車もある。

普通[編集]

普通は全線を運行し各駅に停車する。ただし、現行ダイヤでは主に運行されるのは品川駅以南の区間となる。品川駅 - 泉岳寺駅間には途中駅はないが、この区間を走る列車の多くは京急線内品川駅以南(横浜・羽田空港方面)の区間で急行以上の速達列車として運転されてきたものが直通する形となっている。このため、品川駅を境に以北・以南ともに普通列車として運転するものはほとんどなく、土休日ダイヤに浦賀発泉岳寺行とその折り返しとなる泉岳寺発京急川崎行き1本が設定されているのみとなっている[33][注 15]

日中は、品川駅 - 京急蒲田駅間で5 - 10分間隔(1時間に9本)、京急蒲田駅 - 浦賀駅間で9 - 11分間隔(1時間に6本)で運転される[34]。速達列車は多くが8両または12両編成であるのに対し、ほとんどの列車が4・6両編成である[17]。ただし、速達列車の折り返し運用などで例外的に8両編成の列車も存在する[17][注 16]。現在のダイヤでは品川駅 - 浦賀駅間の運転がほとんどだが、品川、羽田空港、京急川崎、神奈川新町、金沢文庫、堀ノ内発着で京急蒲田、羽田空港(発のみ)、京急川崎、神奈川新町、横浜(発のみ)、上大岡、金沢文庫、逗子・葉山、堀ノ内(発のみ)、浦賀、京急久里浜各駅発着の列車が設定されている。また本線(品川駅 - 泉岳寺駅間を除く)を走る列車はほぼすべての列車が京急車で運転されるが平日夜上りの逗子・葉山発金沢文庫行き1本のみ都営車で運転されている。2017年10月28日以降は土休日の夜にも同じく1本設定される。

2010年5月16日のダイヤ改正では「エアポート急行」が新設されたことにより減便され、2011年4月の節電対策ダイヤでさらに減便されたが、2012年10月21日のダイヤ改正では日中に運転されていた品川駅 - 羽田空港方面間のエアポート急行を快特へ格上げしたことに伴い、エアポート急行停車駅である青物横丁駅・立会川駅・平和島駅の利便性確保のため、品川駅 - 京急蒲田駅間の区間運転列車が新規に設定されている[35]

前述のように他社との競争の観点から、伝統的に速達列車の本数が多く[36]、早朝深夜を除くと、ほとんどの待避駅で通過待ち・接続待ちを行う。接続待ちによって、速達列車通過駅から主要駅までの利便性が確保されている反面、「普通」だけで主要駅間を乗り通すとかなり時間がかかる[36]。例えば日中ダイヤの場合、品川駅 - 堀ノ内駅間52.3kmを快特は上下とも47分で運転するところを、普通は下りが1時間52 - 53分、上りが1時間42分かけて走っており、所要時間差は実に1時間ほどとなっている。また途中で上りが快特6本・エアポート急行2本、下りが快特7本・エアポート急行3本に追い抜かれる。

ほとんどの普通が、京急線内のみの運行であり、そのうち泉岳寺駅始発・終着の普通は土休日に1往復存在するのみである[30]。しかし、ごく少数ながら品川駅を始発・終着とする都営浅草線や京成線方面直通の普通も存在する。

毎年大晦日から翌年の元日にかけては、横浜駅 - 品川駅・泉岳寺駅・東京都心方面間で終夜運転を行っているが、その際は普通列車のみの運転となる[37]

運行本数[編集]

昼間時1時間あたりの運行本数は次のようになっている(2020年3月改正)。

昼間時間帯の運行本数
種別\駅名 浅草線直通 泉岳寺 品川 京急蒲田 京急川崎 金沢文庫 金沢八景 堀ノ内 浦賀
運行区間 エアポート快特 成田空港← 1-2本 →羽田空港
快特 青砥・高砂← 1-2本
印旛日本医大← 3本
青砥・高砂← 3本 →三崎口
3本
エアポート急行 羽田空港← 6本[* 1] →逗子・葉山
普通 6本[* 1]
3本
  1. ^ a b 一部、金沢文庫止まり

直通先の列車種別[編集]

エアポート快特・快特(快速特急)・アクセス特急・特急・通勤特急・快速・急行・普通[編集]

このほか、都営浅草線・京成線直通列車は泉岳寺駅ではなく、品川駅で列車種別の表示・案内を京成線の種別に変更するので、これらの表示・案内を見ることもでき、品川駅 - 泉岳寺駅間の上り列車に限りこれらの種別を名乗って運行する列車が存在する[38]。これまでは品川駅における案内上の措置に過ぎなかったが、現在では駅や車内に掲載されている京急の路線図においても、泉岳寺駅 - 品川駅間において、「アクセス特急」「通勤特急」「快速」「急行」の表記がなされるようになった。反対に、京成線方面からの京急線直通列車は押上駅で京急線の種別に変更する。「エアポート快特」は京急線の種別であるが、都営浅草線の種別でもあり、同線のみで「エアポート快特」となる列車(主に京急線内「エアポート急行」)もある。「快速特急」は正式種別としては「快特」だが、京成線での案内に合わせて「快速特急」と案内される。「急行」は京急線内の「エアポート急行」と同一だが、都営浅草線内は単に「急行」とされる。「エアポート快特」を除き、いずれの種別も都営浅草線内は各駅に停車する。都営浅草線内の駅が終点の場合は「エアポート快特」を除き、「普通」と表示・案内される。泉岳寺行きの場合は、種別は変更せずに運行される。朝ラッシュ時、品川から「普通」京成高砂駅行きとなる列車の一部は京成高砂駅で行先・種別変更して運行を継続する列車がある。

過去の列車種別[編集]

通勤快特[編集]

1981年6月22日のダイヤ改正より、品川駅・京浜川崎駅(現:京急川崎駅)のホーム12両延伸、京浜鶴見駅(現:京急鶴見駅)上りホーム待避設備完成により、それまで平日朝に運転されていた線内特急(C特急・8両編成)を金沢文庫駅以北を快速特急停車駅・12両編成で運転する種別として登場した[39]。平日朝の上り及びそれの送り込み用の下りが運転され、横浜駅以南では特急停車駅、以北では登場当時の快速特急停車駅に停車する[40]。車両の種別幕は快速特急同様緑色で、縦に「通勤」横に「快特」と表示されていた。また、列車種別表示灯は「通勤快特」を表す表示はなく、上大岡駅以南は「特急」、横浜駅以北は「快速特急」として扱われていた。「快特」と異なり、本線の全線に乗り入れていた。久里浜線以外の京急線や都営浅草線へは乗り入れない。

1995年7月24日より京急蒲田にも停車するようになった。このときから、停車駅路線図での種別色に紫色が使用され、「快速特急」と「特急」から独立するようになった。尚前記したが、この種別色は公式ホームページの時刻表にてB快特(B特急)の種別色として使用されている。1998年11月18日ダイヤ改正から上り1本が泉岳寺駅まで延長された。この列車には2100形が充当され、同形初の泉岳寺駅乗り入れとなっている[41]

1999年7月に名称廃止となり、現在は同じ形態の列車が金沢文庫駅以南を特急として扱う快特という形で運転されている[16]。設定時より通勤快特が正式種別名であり、通勤快速特急とは称さない。しかし、株式会社協和企画発行の『京浜急行電車全駅時刻表』(平成7年度版)には「通勤快速特急」の記載がある。

なお、運行開始は1981年だが、車両の前面に掲げる種別板(サボ)は、それよりも以前から用意されていた。

廃止時の停車駅
泉岳寺駅 - 品川駅 - 京急蒲田駅 - 京急川崎駅 - 横浜駅 - 上大岡駅 - 金沢文庫駅 - 金沢八景駅 - 追浜駅 - 汐入駅 - 横須賀中央駅 - 堀ノ内駅 - 京急大津駅 - 馬堀海岸駅 - 浦賀駅
久里浜線内は各駅停車

エアポート特急[編集]

京成本線の京成高砂駅青砥駅と羽田空港を結ぶ列車。京成高砂駅で、京成上野駅 - 成田空港駅間の「エアポート特急」と接続していた。京急線内では特急、都営浅草線内ではエアポート快特、京成線内では特急(現在の快速特急)と同じ駅に停車しており、途中の平和島駅にて快速特急の通過待避を行っていた。詳細は「エアポート快特」の項目を参照。

ハイキング特急[編集]

[42]

1950年4月1日に登場した京急初の特急列車。ハイキング回数乗車券を持つ乗客だけが乗れる定員制列車だった。当初は品川駅 - 浦賀駅間を94分で結び、途中9駅に停車した。この時の表定速度は35.5km/hだった。当初の愛称には「三笠」「剣崎」「房総」「三崎」「灯台」「鷹取」が存在した。

運行パターンは大きく3種類に分けられる。これらは原則として、途中停車駅は京浜川崎駅と横浜駅のみである[43]

上下で運行区間が異なり下り終着駅と上り始発駅でそれぞれバスに接続するもの
  • 品川駅発逗子海岸駅行き、浦賀駅発(1954年から京浜久里浜駅発)品川駅行き
「油壺」
  • 品川駅発浦賀駅(1954年から京浜久里浜駅)行き、逗子海岸駅発品川駅行き
「城ケ島」「三崎」
下り「城ケ島」は1952年 - 1953年までを除き、下り「三崎」は1952年は無停車。
  • 品川駅発京浜久里浜駅行き、逗子海岸駅発品川駅行き
「白秋」
上下とも浦賀駅発着で浦賀で船に接続するもの
  • 「鋸山」「大島」「房総」「第一房総」「第二房総」「第三房総」「第四房総」
下り「第二房総」は1953年 - 1963年の間、無停車。
下りのみの運転があるもの[注 17]
  • 「鷹取」「灯台」「剣崎」
「鷹取」は神武寺、「灯台」は1952年から金沢文庫駅・馬堀海岸駅にも停車。

1952年春のダイヤ改正で学校裏駅(現・平和島駅)、子安駅、上大岡駅の3駅での待避線の使用が開始されると「三崎」と新設された「城ヶ島」が品川駅 - 浦賀駅間をノンストップ運転で65分で結んだ。この時の表定速度は51km/hだった。また、品川駅 - 浦賀駅間では「灯台」と新設された「大島」「鋸山」「第一房総」「第二房総」が京浜川崎駅と横浜駅に停車して69分で結んだ。そのほか、逗子線方面では逗子海岸駅行きの「油壺」と神武寺行きの「鷹取」があった。1953年秋からはノンストップ運転の列車は「第二房総」と「城ヶ島」の2本に増え、3分短縮の62分運転となった。

1954年春から「第二房総」は房総半島への日帰りハイキングが楽しめることから人気が集中したため6両編成に増強し、秋には4分短縮の58分運転となった[注 18]。「第二房総」は1956年秋には表定速度68km/hで走行し、品川駅 - 浦賀駅間48分運転となった。ハイキング特急はこの頃が最盛期となり、浦賀駅行きの「第三房総」、京浜久里浜駅行きの「白秋」も設定され、最大で9本が運行されるときもあった。しかしマイカーによる道路混雑が始まると連絡バスが上りハイキング特急の発車時刻までに到着しない事態が発生し、1965年秋をもってハイキング特急は廃止された。

廃止後はその代替として休日の定期特急の一部に「房総」「三浦」などの愛称名をつけて運転し、のちに快速特急「マリンパーク号」となった。

週末特急[編集]

1956年3月より、大島・金谷航路接続を目的として品川駅 - 浦賀駅間に設定された特急列車。途中停車駅は京浜川崎駅、横浜駅、金沢文庫駅、横須賀中央駅の4駅だった。品川駅12時40分発の列車には「ラ・メール号」(フランス語で「海」の意)、13時40分発の列車には「パルラータ」(イタリア語で「甘き語らい」の意)の名称が与えられた。ハイキング特急とは異なり定員制ではなかった。しかし、沿線人口の増加と通勤需要の増大に加え、伊豆大島へのメインルートが東海道新幹線の開業後、熱海駅熱海港経由に移行したことなどにより、1968年6月8日に快速特急(現・快特)へと発展的に解消した。

海水浴特急[編集]

[44]

1958年に金沢八景駅のホーム延伸により、それまでの逗子海岸駅発着の週末特急を改称したもの。略称は「海特」[注 19]。停車駅は品川駅・京浜川崎駅・子安駅・横浜駅・上大岡駅・金沢文庫駅・金沢八景駅・湘南逗子駅・逗子海岸駅であった。1959年には子安駅・上大岡駅が通過になった。1962年には京浜久里浜駅発着も運行された。1968年に快速特急が運転されたが、休日ダイヤのみ三浦海岸駅発着の海水浴特急が残ると当時に停車駅が見直され、当時の快速特急が通過する京浜蒲田駅・金沢八景駅・堀ノ内駅に停車するという若干異なるものの現在の快特停車駅に近い停車駅となった。これらの列車も1973年に名称が消え、不定期の快速特急として運行されるようになった。

通勤特急[編集]

1925年頃、平日の通勤時間帯に運行していた[45]。現在では品川駅で、京成線に直通する「通勤特急」を見ることができる。

急行[編集]

急行は、2010年5月15日まで運行されていた種別である。空港線の羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)から京急本線を経由して都営浅草線京成押上線を介して京成本線京成成田駅および北総線印旛日本医大駅までを結んでいた。

1999年7月30日までは京急蒲田駅 - 逗子線新逗子駅(現:逗子・葉山駅)間においても運行されていたが、翌31日に実施されたダイヤ改正により廃止された[11]。この区間における急行は、主に新逗子駅 - 京急川崎駅間のみの運転であったが、平日朝ラッシュ時間帯に限り設定されていた新逗子駅発の都営浅草線方面へ直通する急行は、金沢八景駅で通勤快特の連絡後、平和島駅まで先行し、同駅で後続の特急を待ち合わせていた。

ただし、京急蒲田駅以南の急行が廃止された後も、毎年正月に開催される箱根駅伝に協力するため、選手が京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を通過する予定時間帯に限り、空港線の運転規制により京急川崎駅発着の急行が設定されていた。

2010年5月16日に実施されたダイヤ改正に伴い、種別名を「エアポート急行」に改称する形で廃止した。現在のエアポート急行の運行形態は、急行をそのまま踏襲している。

新逗子駅発着の急行は、基本的に上り列車は子安駅で、下り列車は神奈川新町駅で後続の特急や快特に通過で追い抜かれるが、平日・土休日共に日中の列車は神奈川新町駅 - 新逗子駅間の運転のため優等列車通過待ちは存在しなかった。普通列車とは上下線共に金沢文庫駅上大岡駅、神奈川新町駅で接続、平日朝上り列車に限り京急富岡駅と神奈川新町駅で普通列車と接続していた。都営浅草線方面へ直通する列車と京急川崎駅発着の急行は、平和島駅で後続の快特の通過待ちを行っていたが、1998年11月18日の羽田空港駅開業後、本線と空港線との直通列車の増発に伴い、日中時間帯における平和島駅での待避は廃止され、平日朝ラッシュ時間帯や夜間に限り京急ウィング号・快特・特急のいずれかに追い抜かれる列車が設定されていた。

また、浦賀・久里浜方面に設定されていた時期もある。当初は金沢文庫駅以南で現在の特急とほぼ同じく金沢八景駅、追浜駅、横須賀中央駅、堀ノ内駅、馬堀海岸駅、浦賀駅に停車したが、1957年3月からは金沢文庫駅以南各駅停車となった。1970年6月にすべての急行が逗子線直通となり消滅した。

このほか、1957年から1972年までは大師線にも直通しており、大師線内の停車駅は川崎大師駅のみであった。しかし1966年のみ、京浜川崎駅の高架化工事のため休止された。

停車駅の変遷
旧駅名 高輪 青物横丁 立会川 海岸 学校裏 京浜蒲田 出村 雑色 六郷土手 京浜川崎 八丁畷 鶴見市場 京浜鶴見 総持寺 花月園前 生麦 子安 神奈川新町 仲木戸 横浜 日ノ出町 黄金町 井土
ヶ谷
弘明寺 上大岡 杉田 湘南富岡 谷津坂 金沢文庫 金沢八景 追浜 横須賀中央 横須賀堀内 馬堀海岸 浦賀 備考
1931年1月1日-
1949年4月24日-
1950年4月1日-
1968年6月15日- →逗子線内各停
1968年6月21日-
1971年2月-
1983年5月2日-
1987年6月1日-
1987年12月- 弘明寺駅ホームを延伸し、8両に対応。
1990年4月2日-
1999年7月31日- →空港線内各停 白紙ダイヤ改正
2010年5月16日-  →逗子線内各停 「エアポート急行」に改称する。
現駅名 泉岳寺 品川 青物横丁 立会川 大森海岸 平和島 京急蒲田 雑色 六郷土手 京急川崎 八丁畷 鶴見市場 京急鶴見 花月総持寺 生麦 子安 神奈川新町 京急東神奈川 横浜 日ノ出町 黄金町 井土
ヶ谷
弘明寺 上大岡 杉田 京急富岡 能見台 金沢文庫 金沢八景 追浜 横須賀中央 堀ノ内 馬堀海岸 浦賀 備考
  • ● 停車
  • - 通過
  • ◁ 平日朝上りのみ停車
  • ◒ 平日朝夕下り、土曜・休日朝上りと夕方下りが停車
  • ✻ 競輪開催日に限り夕方に6両編成の急行のみ臨時停車
  • 品川駅方面から京急蒲田駅で空港線に乗り入れる急行は、同駅から各駅に停車していた。
  • 2010年5月16日から「エアポート急行」に改称する、△定期列車は品川方面 - 羽田空港と横浜方面 - 羽田空港のみ運行。

通勤急行[編集]

1957年3月17日に登場し、平日朝に運転された。金沢文庫駅以南各駅停車となった急行の一部を従来のまま残し名称変更したもので、1958年9月7日には特急増発に代えて消滅した。

準急[編集]

1950年4月1日のダイヤ改正より急行運転再開と共に登場した種別。1954年7月7日のダイヤ改正で消滅。

廃止時の停車駅
品川駅 - 青物横丁駅 - 立会川駅 - 学校裏駅(現・平和島駅)- 京浜蒲田駅(現・京急蒲田駅)- 京浜川崎駅(現・京急川崎駅)- 八丁畷駅 - 鶴見市場駅 - 京浜鶴見駅(現・京急鶴見駅)- 生麦駅 - 子安駅 - 横浜駅 - 横浜駅以南各駅

過去の列車愛称[編集]

ハイキング特急や週末特急以外の一般の特急・快特や急行にも愛称がついている列車が存在し、中には定員制の列車も存在した。

「招運」[編集]

都営線・京成線への乗り入れ開始の翌年である1969年より三浦海岸駅から成田駅間に2往復の夜行直通特急「招運号」が運転を開始した[46]。以降毎年運転されていたが1973年 - 1974年の運転が東京都からの終夜運転中止の通告に伴い中止、そのまま運転されることなく廃止となった[47]

「城ケ島・マリンパーク」「成田山」[編集]

臨時快特・三浦海岸行 「城ヶ島・マリンパーク号」復活運転 京成3000形3038編成 (2018年7月7日 屏風浦駅)
臨時快特・三浦海岸行
「城ヶ島・マリンパーク号」復活運転
京成3000形3038編成
2018年7月7日 屏風浦駅
臨時特急・成田行 「成田山号」復活運転 京急1500形1707編成 (2018年7月7日)
臨時特急・成田行
「成田山号」復活運転
京急1500形1707編成
(2018年7月7日)

1970年より1月、4月末 - 5月、9月 - 10月に成田駅 - 三浦海岸駅間で運転された臨時直通電車(京急線内快速特急・京成線内特急)。列車名は京成成田駅行きは「成田山号」、三浦海岸駅行きは「城ケ島・マリンパーク号」に統一されていた。午前・午後に2往復ずつの計4往復が運転され、車両は午前の「成田山号」と午後の「城ケ島・マリンパーク号」は京急が、午前の「城ケ島・マリンパーク号」と午後「成田山号」には京成の電車がそれぞれ用いられた。のちに運転期間が1月のみとなり1978年に廃止[48]

2018年7月7日・8日8月18日19日には、3社局直通運転開始50周年を記念して復活運転が実施された[49][50]

  • 「成田山号」(三崎口駅発京成成田駅行)は三崎口駅発京成高砂駅行定期特急からの延長運転(都営浅草線・京成押上線内普通)、京成高砂駅からは特急停車駅に京成小岩駅(定期快速を待避)を追加。
  • 「城ケ島・マリンパーク号」(京成成田駅発三浦海岸駅行)は、全区間臨時列車で、京成線内押上駅までは特急、押上駅から都営浅草線・京急線内は快特で運転。

車両は初日の「成田山号」及び延長運転する列車が関係する久里浜線内ローカル運用は京急1500形1707編成が、「城ケ島・マリンパーク号」は京成3000形3038編成が用いられ、2日目はその逆で「成田山号」と関係運用に京成3000形3038編成、「城ケ島・マリンパーク号」に京急1500形1707編成が運用された[51]。このため、久里浜線ローカル運用2本も京成車が代走している[52]

「パシフィック」「逗子」[編集]

1970年の夏季ダイヤより夏季のみ京成成田駅 - 逗子海岸駅間(ただし京成成田駅行きのうち午前中の2本がそれぞれ久里浜駅発と浦賀駅発、逗子海岸駅行きの1本は京成津田沼駅始発で運転)で運転された直通特急。「城ケ島・マリンパーク」「成田山」と同じく列車の方向で列車名が統一されており、パシフィックが京成成田駅行き、逗子が逗子海岸駅行きであった。午前・午後3往復ずつ計6往復が運転され、車両の受け持ちも「城ケ島・マリンパーク」「成田山」と似ており午前の「パシフィック」と午後の「逗子」は京急が、午前の「逗子」と午後「パシフィック」には京成の電車がそれぞれ用いられた[53]

「みうらビーチ」「ハワイアン」「ミュージックトレイン」など[編集]

1970年7月11日から8月15日までの間に実施された夏季休日ダイヤで「みうらビーチ」が3往復、7月18日から8月8日までの平日に1往復納涼特急「ハワイアン」が運転された。これらの列車は定員制で「みうらビーチ」は往復で100円であった。これらの列車に使用された600形(2代)のうちの1編成のみは車内の蛍光灯がすべて濃いブルーに交換されていてまたそのまま通勤列車にも充当されていた[54]

「ハワイアン」の運転は1970年夏季限りであったが「みうらビーチ」は1972年に1往復のみになるものの運転が継続された。ただし、愛称が変わった時期もあり、「みうらビーチ・ビバハッピー」(1974年)や「ハッピー1240」(1975年)の愛称で運転された後、1976年は再び「みうらビーチ」に戻ったものの、翌年から再度改称され「ミュージックトレイン」(1977年-1980年)、「アメリカンエクスプレス」(1981年)など、様々な愛称での運転となっていたが、1982年からは1990年まで再び「ミュージックトレイン」として運転されていた。その後1991年より最後の1994年までは三たび「みうらビーチ」に戻った[55][56]。なお、夏季休日ダイヤ最後の年となった1995年には列車の設定がなくなった(同年夏季休日ダイヤでは「みうらビーチ」の運転をせず、一般の快速特急の増発と延長運転、京急蒲田駅への臨時停車のみとなった)。また、翌1996年以降は夏季休日ダイヤそのものが消滅した。

使用車両は最初の1970年のみは全列車600形(2代)、1971年に2往復が1000形(初代)、1往復が600形(2代)の冷房改造車、1972年より1000形のみで運転され、1983年より下りのみ、翌1984年からは上下とも2000形での運転となっている。ロングシートの1000形で運転されている期間・列車も定員制であり、一時期の横須賀中央以南での乗車を除いて座席券が必要であった[57]

「南房総」「城ケ島」「油壺マリンパーク」「マリンパーク」[編集]

1968年9月より休日にも快速特急が運行されるようになり、快速特急3往復に「マリンパーク」という愛称をつけて運転を開始した。その後1972年より愛称を1往復ずつ変更し「南房総」「城ケ島」「油壺マリンパーク」の3つの列車名で運転されるようになった。また、この時土曜日に運転されていた後ろ2両のみ座席指定とした快速特急にも同時に「南房総」という愛称がつけられた。その後の記録は十分では無く、これらの愛称がいつ無くなったのかは不明であるが、1977年には「南房総」と名乗る列車が品川駅から平日・休日ともに1本(平日は特急・休日は快速特急)運転されていた[58]

京急油壺マリンパーク沖縄国際海洋博覧会(海洋博、1975 - 1976年)のサブ会場となったことから[59]、1973年4月末から10月末までのおよそ半年、平日休日ともに1往復「海洋博」という愛称がつけられた快速特急が運転された[59]

1983年7月24日に快速特急「マリンパーク」が復活[注 20]した。「マリンパーク」として運転されるときは愛称板取り付けが困難な2000形および3代目600形を除き前面に丸いイルカの愛称板を取り付け運転された。また、同年10月1日より都営線からの特急にも1往復快速特急と同じ愛称板を付け「マリンパーク」として運転した。これらの列車は羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)開業に伴うダイヤ改正で愛称が廃止された[60][注 21]

その他[編集]

1949年には休日運転で、愛称付きの急行も運転されていた。愛称には「銀鱗」「大島」「房総」「剣崎」「三崎」「灯台」「鷹取」などが使用され、上記のハイキング特急の前身ともいえる列車であった。

女性専用車[編集]

横浜駅に7時29分から8時30分までに到着する金沢文庫駅から快特品川行きとなる上り特急6本については品川寄りの先頭車を「女性専用車」としている[61][62]

歴史[編集]

この路線は、川崎大師への参詣鉄道を運行していた大師電気鉄道が、京浜間の連絡鉄道の開業を目的に、京浜電気鉄道と社名を変更した上で、東京都南部から神奈川県川崎市付近に軌道線を開業させたのが始まりである。

その後、軌道線を順次延伸し、明治時代末には東京と横浜を結ぶ都市間連絡鉄道が形成された。東京方への乗り入れに際しては、東京市電への乗り入れを見込んで、標準軌 (1435mm) で敷設されていた当線を、東京市電の馬車軌間 (1372mm) に改軌し、大正末期には北品川駅(乗り入れ開始時は品川駅〈初代〉)を介して市電品川線への乗り入れを行い、さらに高輪駅まで延伸した。

一方、市電への乗り入れと同じ頃、京浜電気鉄道は、横浜と横須賀を結ぶ郊外路線の開業を企図しながら関東大震災の影響により打撃を受けていた湘南電気鉄道に対し、資本参加を行った。京浜電気鉄道の出資により経営危機を乗り越えた湘南電気鉄道は、昭和時代に入り、黄金町駅 - 浦賀駅間および金沢八景駅 - 湘南逗子駅(現在の逗子・葉山駅北口)間といった、現在の京急本線と京急逗子線の一部に相当する路線を開業させた。

その後、横浜で京浜電気鉄道線と湘南電気鉄道線を接続させ、直通運転を行うことが計画された。しかし、京浜電気鉄道線が馬車軌間に改軌していた一方、湘南電気鉄道線は地方鉄道法によって免許を受けて標準軌で開業しており、直通させるためには、どちらかの路線を改軌する必要があった。地方鉄道法が馬車軌間の敷設を認めていなかったために、湘南電気鉄道線を馬車軌間に改軌することができなかったことから、京浜電気鉄道線を標準軌に改軌させることで湘南電気鉄道線への乗り入れを果たした。それにより東京市電への乗り入れは中止された。高輪駅も廃止され、代わる東京都心側のターミナルとして、国鉄品川駅前への延伸を果たした。こうして、昭和初期に現在に至る路線の概形が完成した。

なお、東京市電乗り入れ中止に代わる都心乗り入れ案として、京浜電気鉄道は、日本初の地下鉄を開業していた東京地下鉄道、湘南電気鉄道と合弁して、京浜地下鉄道を設立。既に浅草駅 - 新橋駅間を開業していた東京地下鉄道線の延伸線を、新橋から品川まで建設することで、浅草 - 浦賀間の直通運転を計画した。ところが、新橋駅を介し、東京地下鉄道線への直通をもくろんでいた東京高速鉄道は、この京浜地下鉄道設立の動きを問題視し、東京地下鉄道と京浜電気鉄道の株を買い集め、京浜電気鉄道は東京高速鉄道の傘下に入ることとなった。東京の鉄道網を揺るがす事態に政府が仲裁に入り、地下鉄網の延伸は棚上げとなったが、京浜電気鉄道は依然、東京高速鉄道傘下のままに収まった。これが前史となって、東京高速鉄道社長である五島慶太が京浜電気鉄道社長に就任。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)には、五島が他に経営していた東京横浜電鉄小田急電鉄と合併することとなり、当路線も大東急の一角をなすこととなった。

大東急時代の1943年(昭和18年)に旧京浜電気鉄道の品川線と旧湘南電気鉄道の湘南線が統合されて東急湘南線となり[注 22]、京浜急行電鉄発足後に本線と改称されたが、都市計画の上では湘南線の呼称が残っているものもある[66]

戦後は設備の改良によって輸送力増強や所要時間短縮を図り、直通先の多様化などを経て現在に至っている。

年表[編集]

  • 1901年明治34年)2月1日 - 京浜電気鉄道により、大森停車場前駅(後の大森駅)- 川崎駅(後の六郷橋駅)間が開業。大森停車場前駅、八幡駅(現在の大森海岸駅)、海岸駅、沢田駅(現在の平和島駅)、山谷駅(現在の大森町駅)、梅屋敷駅、蒲田駅(現在の京急蒲田駅)、下町駅、出村駅雑色駅 、(駅名不詳)駅、六郷駅、中町駅(、川崎駅)が開業。1435mm軌間を使用し、直流600Vで運行開始。
  • 1902年(明治35年)
    • 9月1日 - 川崎駅が六郷橋駅に改称。六郷橋駅 - 川崎駅(現在の京急川崎駅)間が開業。下新宿駅(後の新宿駅)、川崎駅が開業。
    • (月日不詳) - 六郷駅が八幡塚駅に改称[67]
  • 1904年(明治37年)
    • 3月1日 - 軌道を1372mmに改軌。
    • 5月8日 - 品川駅(現在の北品川駅 )- 八幡駅間が開業。品川駅、大横町駅、黒門駅、北馬場駅(現在の新馬場駅北口)、南馬場駅(現在の新馬場駅南口)、青物横町駅(現在の青物横丁駅)、海晏寺駅、鮫洲駅、浜川駅、土佐山駅、立会川駅 、鈴ヶ森駅が開業。八幡駅 - 大森停車場前駅間が大森支線となり、品川方からの分岐となる。海岸駅が廃止され、停車場道駅(後の大森八幡駅)が開業[68]。八幡駅 - 沢田駅間の併用軌道専用軌道に付け替えられる。
    • 12月 - 黒門駅[69]、海晏寺駅[70]が廃止。
  • 1905年(明治38年)
  • 1906年(明治39年)10月1日 - 雑色駅 - 六郷橋駅間の旧線廃止。雑色駅 - 川崎駅間の新線開業。旧線上の(駅名不詳)駅、八幡塚駅、中町駅が廃止。新線上に六郷堤駅(現在の六郷土手駅)が開業。川崎駅 - 六郷橋駅間が大師線 に移管され、大師線分岐駅が川崎駅に変更。沢田駅 - 梅屋敷駅間を併用軌道から専用軌道に切り替え。
  • 1908年(明治41年)- 大横町駅が廃止。
  • 1909年(明治42年)- 市場駅 - 鶴見駅間に(駅名不詳)駅が臨時駅として開業(廃止時期不明)。
  • 1910年(明治43年)3月27日 - 新子安駅(現在の京急新子安駅)が開業。
  • 1911年(明治44年)11月1日 - 総持寺駅が開業[71]
  • 1912年(明治45年)5月9日 - 土佐山駅が廃止[72]
  • 1914年大正3年)4月12日 - 花月園前駅(現在の花月総持寺駅)が開業。
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)- 市場駅が再開業。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 下町駅が廃止[73]。梅屋敷駅 - 雑色駅間の併用軌道を専用軌道に付け替え。
  • 1925年(大正14年)
    • 1月 - 川崎駅から国鉄川崎駅まで貨物専用側線敷設[74]
    • 3月11日 - 高輪駅 - 品川駅間が開業。高輪駅が開業。品川駅が200m神奈川駅寄りに移設。
    • 7月17日 - 川崎駅の貨物専用側線が貨物営業線に変更され、川崎貨物駅が開業[74]
    • 11月1日 - 品川駅が北品川駅、蒲田駅が京浜蒲田駅、川崎駅が京浜川崎駅、鶴見駅が京浜鶴見駅、神奈川駅が京浜神奈川駅に改称。
  • 1926年(大正15年)
    • (月日不詳) - 大森海水浴場前駅が夏季営業のみの臨時駅として開業[68]
    • 12月24日 - 新宿駅が廃止。
  • 1927年昭和2年)4月 - 市場駅が鶴見市場駅、新町駅が神奈川新町駅に改称。
  • 1929年(昭和4年)
    • 6月22日 - 京浜神奈川駅 - 横浜駅間が開業。横浜駅は仮駅で、月見橋付近に設けられる。
    • (月日不明) - 大森海水浴場前駅が廃止[68]
  • 1930年(昭和5年)
  • 1931年(昭和6年)
    • 1月1日 - 高輪駅 - 京浜蒲田駅間で急行が運転開始。
    • 5月1日 - 杉田駅、湘南富岡駅が駅に昇格。
    • 12月26日 - 横浜駅 - 黄金町駅間が開業。平沼駅戸部駅日ノ出町駅 が開業。京浜電気鉄道と湘南電気鉄道との間で軌間が異なるため、湘南電気鉄道の軌間である1435mmで敷設。
  • 1932年(昭和7年)7月25日 - キリンビール前駅(後のキリン駅)が開業。
  • 1933年(昭和8年)
    • 4月1日 - 国鉄品川駅に乗り入れ。高輪駅が廃止。品川駅が開業。横浜駅以北が1372mmから1435mmに改軌され、品川駅 - 浦賀駅間の直通運転開始。
    • 7月1日 - 海岸駅が大森海岸駅に改称。
  • 1934年(昭和9年)10月1日 - 軍需部前駅(現在の安針塚駅)が開業。
  • 1935年(昭和10年)7月10日 - 東京湾汽船(現在の東海汽船)との連絡運輸開始。これに伴い、伊豆大島航路連絡列車「大島号」運行開始。
  • 1936年(昭和11年)12月25日 - 黄金町駅 - 上大岡駅間の架線電圧を600Vに降圧し、急行運転区間を品川駅 - 上大岡駅間に延長。
  • 1937年(昭和12年)3月8日 - 大森支線(大森海岸駅 - 大森駅間)が廃止。大森駅が廃止。
  • 1938年(昭和13年)7月15日 - 京浜川崎駅 - 川崎貨物駅間が廃止[74]。川崎貨物駅が廃止。なお、貨物線自体は1932年(昭和7年)頃から使用されなくなっていた。
  • 1940年(昭和15年)10月1日 - 軍需部前駅が安針塚駅、横須賀軍港駅が横須賀汐留駅に改称。
  • 1941年(昭和16年)11月1日 - 湘南電気鉄道が京浜電気鉄道に合併。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 6月1日 - 品川駅 - 横浜駅間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく地方鉄道に変更[注 23]。旧京浜電気鉄道の路線の呼称が湘南線に統一[注 22][63]
    • 7月1日 - 北馬場駅[69]、大森八幡駅[68]、平沼駅[77]が営業休止。
    • 11月1日 - 新子安駅が京浜新子安駅に改称。
  • 1944年(昭和19年)
    • 5月1日 - 品川駅 - 黄金町駅間と横浜駅 - 浦賀駅間に運転系統を分離。急行が運転休止。
      • 旧京浜電気鉄道と旧湘南電気鉄道との間で架線電圧が異なるため、電車運用の効率化を行うための措置。
    • 5月10日 - 谷津坂駅(現在の能見台駅)が開業。
    • 10月20日 - キリンビール前駅がキリン駅に改称。
    • 11月10日 - 北馬場駅[69]、浜川駅[72]、大森八幡駅[68]が廃止。
    • 11月20日 - 総持寺駅[71]、平沼駅[77]が廃止。
  • 1945年(昭和20年)
    • 2月24日 - 品川駅 - 北品川駅間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく地方鉄道に変更認可。
    • 6月10日 - 湘南富岡駅が営業休止。
    • 12月22日 - 横浜駅 - 上大岡駅間の架線電圧を1500Vに昇圧。
  • 1946年(昭和21年)10月 - 北馬場駅が再開業[69]
  • 1947年(昭和22年)
    • 1月10日 - 湘南富岡駅が廃止。
    • 3月1日 - 湘南富岡駅が移転の上で再開業。
    • 12月25日 - 横浜駅以北の架線電圧を1500Vに昇圧、全線1500Vに統一。
  • 1948年(昭和23年)
    • 6月1日 - 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足。
    • 7月15日 - 品川駅 - 浦賀駅間の直通運転が再開。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月24日 -「ハイキング急行」が運行開始。
    • 7月1日 - 大森山谷駅、出村駅、キリン駅(3駅とも休止済み)が廃止。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 急行が運行再開。準急と「ハイキング特急」が運行開始。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月22日 - 特急が運行開始。当初は平日ラッシュ時のみ。
    • 3月27日 -「週末特急」が運行開始。
    • 7月7日 - 準急が運行終了。
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月27日 -「週末特急」に「ラメール」、「パルラータ」の愛称が与えられる。
    • 4月20日 - 京浜神奈川駅が神奈川駅に改称。
    • 6月27日 - 品川駅 - 北品川駅間が専用軌道化される(併用軌道区間が全て消滅)。
  • 1957年(昭和32年)3月17日 - 特急が終日運行化される。
  • 1961年(昭和36年)9月1日 - 学校裏駅が平和島駅、横須賀汐留駅が汐入駅、横須賀堀内駅が堀ノ内駅に改称。
  • 1963年(昭和38年)11月1日 - 湘南富岡駅が京浜富岡駅、湘南田浦駅が京浜田浦駅、横須賀公郷駅が京浜安浦駅、湘南大津駅が京浜大津駅に改称。
  • 1967年(昭和42年)3月19日 - 特急の最高速度が105km/hに引き上げ。
  • 1968年(昭和43年)
    • 6月15日 - 従前運行されていた「週末特急」、「海水浴特急」を定期化する形で快速特急が運転開始。
    • 6月21日 - 泉岳寺駅 - 品川駅間が開業。泉岳寺駅が開業。現在の本線区間が全線開通。都営地下鉄1号線(現在の都営地下鉄浅草線 )と相互乗り入れ開始[78] 。主に急行、特急が乗り入れ。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1974年(昭和49年)12月2日 - 朝ラッシュ時に金沢文庫駅 - 横浜駅間で特急の12両編成運転が開始。
  • 1975年(昭和50年)
    • 8月27日 - 北品川駅 - 青物横丁駅間の下り線が高架化。北馬場駅と南馬場駅の下り線を統合し、北馬場・南馬場駅(下り専用、現在の新馬場駅)が開業。
    • 12月1日 - 大森海岸駅 - 平和島駅間が高架化。
  • 1976年(昭和51年)10月15日 - 北品川駅 - 青物横丁駅間の上り線も高架化。北馬場駅と南馬場駅の上り線も統合され、北馬場・南馬場駅が新馬場駅(上り線も利用可)に改称。
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月6日 - 子安駅 - 神奈川新町駅間が三線化。