赤尾好夫

あかお よしお

赤尾 好夫
生誕 (1907-03-31) 1907年3月31日
山梨県東八代郡英村
死没 (1985-09-11) 1985年9月11日(78歳没)
墓地 多磨霊園
出身校 東京外国語学校
職業 実業家
子供 赤尾一夫(長男)、赤尾文夫(次男)
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赤尾 好夫(あかお よしお、1907年(明治40年)3月31日1985年(昭和60年)9月11日)は、日本出版人放送人である。

経歴[編集]

山梨県東八代郡英村(現笛吹市石和町)出身。1931年東京外国語学校東京外国語大学の前身校)イタリア語科卒業。同年10月、歐文社(現在の旺文社)を設立[1]。この他に文化放送や日本教育テレビ(現在はテレビ朝日)の創業や、放送大学の設立にも貢献し、また実用英語技能検定や全日本学芸科学コンクールの創立(1957年)にも協力。教育情報の融合に努め、日本メディア界の発展に貢献した。

趣味人としても知られ、書画骨董の収集品は財団法人センチュリー文化財団に収蔵されている。また、射撃においては全日本選手権で優勝し、1954年の世界選手権で銀メダルを獲得するほどの腕前でもあり、長きにわたり社団法人全日本狩猟倶楽部の会長も務めた。

戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家志鳥栄八郎は「赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった」と語っている[2]

赤尾一夫(旺文社第2代社長)、赤尾文夫(旺文社第3代社長、現会長)は子息である。

栄誉[編集]

著書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 9頁。
  2. ^ 志鳥栄八郎『志鳥栄八郎自伝 嵐が奏でる』p.184
  3. ^ 『文藝春秋』2007年9月号

外部リンク[編集]

  • 赤尾好夫プロフィール - 赤尾育英奨学会
  • 一般財団法人 日本生涯学習総合研究所
  • "赤尾好夫". Find a Grave. 2016年6月12日閲覧