藤村有弘

ふじむら ありひろ
藤村 有弘
生年月日 (1934-03-06) 1934年3月6日
没年月日 (1982-03-16) 1982年3月16日(48歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都千代田区神田
死没地 日本の旗 日本神奈川県横浜市戸塚区吉田町
職業 コメディアン俳優声優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1940年代 - 1982年
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藤村 有弘(ふじむら ありひろ、1934年昭和9年〉3月6日 - 1982年〈昭和57年〉3月16日)は、日本コメディアン俳優声優東京都千代田区神田出身。

来歴・人物[編集]

幼少期より芸能活動を行い、俳優・千葉信男付き人を務めていたこともあった[1]喜劇役者として映画などで個性的な役柄を演じたほか、『ひょっこりひょうたん島』(NHK)のドン・ガバチョの声(初代)や「インチキ外国語」で一世を風靡した。日本のお笑い史にも軌跡を残し、“バンサ”の愛称で知られる。

ドン・ガバチョのつぶやき声である「ブフブハ」、笑い声の「ハタハッハ」は「誤記」された台本をそのまま読んだことから、またトラヒゲを「トラどん」とアドリブで言ったところスタッフに受けたため採用されたものである。

トニー谷トニングリッシュに続く「インチキ外国語芸」の使い手であり、特に協和語を多用したインチキ中国語フジテレビ新春かくし芸大会』の中国語劇のナレーションとして定番であった。また、時にアクション映画中国人ギャング役を演じることもあった。

趣味はアマチュア無線で、当時のコールサインはJH1BAN(今は別人に割り当て済み)。著名人であることから郵政省電波監理局が愛称にちなみ便宜を図ったようだが、真相は明らかにされていない。

1982年(昭和57年)3月10日に風邪ぎみになり、同年3月13日、レギュラーパーソナリティーとして出演していた静岡放送(SBSラジオ)の生放送ラジオ番組『藤村有弘の東海道それゆけ4時間』の放送終了後に緊急入院した。その後の診断で原因がかねてからの持病だった糖尿病の悪化によるものと判明したため、主治医の勧めで3月15日夜に戸塚共立第2病院に転院したが、緊急入院からわずか3日後の3月16日午後5時35分に糖尿病性昏睡のため死去。48歳没[2]。その日に放送された『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)が最後の出演だった。普段の生活ではゲイであることを公言しており、葬儀のスピーチで友人の大橋巨泉は「バンサは彼がゲイである事を隠さなかった。しかし日本にはまだ同性愛者に対する強い偏見がある。だからボクは今夜、藤村有弘を立派な同性愛者として送ってやりたい」と述べた[3]。ただし遺族に関しては知られておらず、一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている[4]

後任[編集]

藤村の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

出演歴[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

吹き替え[編集]

人形劇[編集]

劇場アニメ[編集]

CM[編集]

バラエティ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 名古屋の没後に製作された『ひょっこりひょうたん島』プレマップ版、『ざわざわ森のがんこちゃんスペシャルショー 「プリンプリンと大ぼうけん」』では栗田貫一に引き継がれた。

出典[編集]

  1. ^ a b 色川武大・著『なつかしい芸人たち』(新潮社 1989年9月)171〜177頁「とんぼがんばれ ‐逗子とんぼのこと‐」
  2. ^ コメディアンの藤村有弘さん死亡。読売新聞1982年3月17日朝刊23面より
  3. ^ 大橋巨泉「今週の遺言」『週刊現代』2010年9月4日号、講談社、102-103頁。 
  4. ^ 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構 放送番組に出演された藤村有弘様をさがしています
  5. ^ サイボーグ009|キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション. 2023年1月13日閲覧。
  6. ^ サイボーグ009 怪獣戦争|キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション. 2023年1月13日閲覧。
  7. ^ アンデルセン物語 - メディア芸術データベース
  8. ^ 番組表で見るラジオ関西(1970年10月)”. ラジオ関西. 2021年3月31日閲覧。
  9. ^ 番組表で見るラジオ関西(1971年10月)”. ラジオ関西. 2021年3月31日閲覧。

外部リンク[編集]