瀬木比呂志

瀬木 比呂志(せぎ ひろし、1954年(昭和29年)4月3日 - )は、日本民事訴訟法学者明治大学法科大学院教授)、著述家、元判事。裁判官時代の一般書については、関根 牧彦(せきね まきひこ)の筆名を用いていた。

経歴[編集]

1954年名古屋市に生まれる。1973年愛知県立旭丘高校卒業。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1977年同大学卒業。2年の司法修習(第31期)を経て、1979年東京地裁判事補。以後、東京を中心に勤務し、東京地裁判事部総括(裁判長)等を務め、また、最高裁には、事務総局民事局局付と最高裁調査官として2度勤務している。東京とその周辺以外の勤務地は、浜松、大阪、沖縄である[1]

2012年明治大学法科大学院教授に転身。民事訴訟法諸分野と関連の演習を教える[2]

判事補時代から研究を始め、また、30代に入ってから、鶴見俊輔に勧められ、関根牧彦の筆名で雑誌『思想の科学』に執筆を始め、以後、裁判官時代には、論文・研究書については実名で、私的な文章については筆名で、執筆を続けた[3]

判事補時代にアメリカワシントン大学で、学者転身後にもアメリカで、各1年間の在外研究を行っている[4]

また、裁判官時代に、1999年には日本民事訴訟法学会(日本民事訴訟法学会50周年記念シンポジウム)で、2001年には日本家族〈社会と法〉学会(学術大会・シンポジウム「子の奪い合い紛争の法的解決をめざして」)で、それぞれ報告を行っている[5]

2015年、『ニッポンの裁判』により第2回城山三郎賞を受賞している。

執筆・研究[編集]

論文は、1984年に『家庭裁判月報』に発表されたアメリカの少年法制度に関する論文が最初のものである[6]。以後、裁判官時代の主要論文は、論文集『民事裁判実務と理論の架橋』(2007年)に収録されている。

研究書単著としては、『民事保全法』(初版2001年)が最初のものである。同書は、版を重ね、民事保全法の体系書として定評がある。内容は、民事局局付として民事保全法の立法準備作業に携わった後に発表した多数の論文やコンメンタール等の記述を基礎としている[7]

『内的転向論』(1994年)以下の裁判官時代の一般書は、小説『映画館の妖精』を除き、思索エッセイである。その3冊のうち、最初の『内的転向論』は、鶴見俊輔が、『思想の科学』掲載の瀬木の文章から選択し、最初に転向論をもってくるなど構成についても示唆を与えたものという[8]。また、文学、思想、漫画、自殺した子供たちの手記等について論じた、最後の『対話としての読書』(2003年)は、思考・文章のスタイルを含め、その後の一般書につながる部分が大きいという[9]

大学教授転身後を含め、研究・執筆の基本的な方法は、英米的な経験論実証主義プラグマティズムである[10]。研究書についても、法社会学的なもの、また、広く社会科学的な方法論によるものが多く、基本法の体系書でも、機能的な思考方法が重視されている。また、研究書・論文の中には、解釈論のみならず、制度論的な記述を行うものも多い。裁判官としてはいわゆる民事系であり、人事訴訟法制定前の地裁において人事訴訟、子の引渡しに関する人身保護請求等も担当していた[11]ことから、家族法分野を含め民法領域にまたがる著作・研究もかなりある。刑事法領域の著述としては、冤罪死刑等関係のものがある。

大学教授転身(2012年)後の研究書としては、研究の総論に当たる『民事訴訟の本質と諸相』(2013年)、基本法の体系書『民事訴訟法』、『民事保全法』、民事訴訟実務と制度の詳細な体系的分析を行った『民事訴訟実務・制度要論』、著者の判決、判例を素材とした解答付きの独習ケースブック『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』があり、うち、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事訴訟法』を除いては、裁判官時代の書物について学者転身後の研究に基づき補筆を行った改訂新版である。また、以上のうち最後に執筆された『民事訴訟法』(初版2019年)は、機能的考察を特色とする瀬木の民事訴訟法と法社会学研究の総まとめとして、1つのサイクルを完成させるものであるという[12]

大学教授転身後の一般書としては、日本の司法制度および裁判の包括的批判・分析を行ったものとして、『絶望の裁判所』(2014年)、『ニッポンの裁判』(2015年)、『檻の中の裁判官』(2021年)の三部作があり、それぞれ、最高裁を始めとする裁判所制度、具体的な裁判(刑事名誉毀損原発行政訴訟等)、裁判官をテーマとする。また、『檻の中の裁判官』では、裁判官の本質と役割、戦後裁判官史、裁判官と表現、死刑等のテーマについても論じている[13]清水潔との対談『裁判所の正体』(2017年)は、以上を補足する内容となっている。

また、創作である『黒い巨塔 最高裁判所』(2016年)は、以上のような分析では描けない部分、戦後の日本における司法権力のリアルなあり方とそこに生きるさまざまな人間たちの思考、感情、生態を描いたものという[14]

『民事裁判入門』(2019年)、『我が身を守る法律知識』(2023年)は姉妹書であるという。前者は、民事訴訟手続の詳細な解説・分析を行った書物であり、後者は、普通の市民が一生の間に遭遇しうる各分野の法的紛争予防の方法を網羅し、著者なりの「予防法学」を提唱した書物である[15]

以上の司法関連の一般書については、創作、対談を除き、研究書としての性格をももっており、法律家学者の読者も多い[16]

『リベラルアーツの学び方』(2015年)、『究極の独学術』(2020年)は、プラグマティズム的な方法論によるリベラルアーツの独学術である。前者は、総論と広い分野の書物等紹介を行い、後者は、各論として、書物の読解・記録等独学の具体的な方法を詳しく論じている。『教養としての現代漫画』(2019年)は、リベラルアーツという観点から現代漫画の見取図を示したものという[17]

『裁判官・学者の哲学と意見』(2018年)は、一般書の総論ともいえるものという[2]。内容は、筆名時代と同様の思索的エッセイであり、父母との関係を含む生育歴・経歴、自己の思想形成の過程、鶴見俊輔論と鶴見との関係、2度目の在外研究体験に基づく現代アメリカ論等である。

人物・エピソード[編集]

名古屋の古い下町に生まれ育っており、何でもない下町の風情こそが自分にとっての日本であるという[18]

反面教師としての側面をも含め影響を受けたという父については、「瀬木姓は、父の村が一つの発祥地で、今川の分流が創成したものであり、その一族には、独立独歩の自由主義的な人間が多い。父は、後見人に遺産を蕩尽されたためにまとまった教育は受けられなかったが、日本人には珍しい徹底した合理主義者、実証主義者、経験論者で、議論では圧倒的に強かった」と語っている[19]

本来の資質は一般社会科学系の学者のそれだと思うが、親の既定の方針に従い、当時文系の最難関であった東大法学部に進むことを事実上余儀なくされ、また、学生時代には未だ法学に大きな興味まではもてなかったことから、当初は学者でなく裁判官の道を選んだという[20]

裁判官時代の研究については、口頭弁論充実型訴訟運営を提唱する論文といった、一般的な審理方法を理論化したにすぎないようなものまで、最高裁の方針に沿わないとして批判を受けたことがあるという[21]。また、学者に転身した別の判事補が、自己の論文につき最高裁の方針に沿わないとして事実上抹殺されてしまったと述べている例を、当人のネット上の記述から引いている[22]

大学への転身については、2002年以降、国立、公立の各有力大学から話があったが、生活上の諸事情からその時点では受けられず、2012年の明治大学の話に至って受けられたという[23]

大学教授転身後最初の一般書である『絶望の裁判所』(2014年)は、ベストセラーとなって大きな反響を呼び、多数のメディア・書評に取り上げられた。ジャーナリストの魚住昭は、同書について、「これまで誰も踏み込めなかった日本の『奥の院』最高裁に投じられた爆弾のようなものだ。私はここ10年ほどの間、これほど破壊力を持つ著作を目にしたことがない」と評し[24]精神科医斎藤環は、「昨今の司法界を巡って人々が漠然と感じていた違和感に、『複雑明快』とでも言うべき答えを示した。ハードな内容ながら広く読まれているのもうなずける」と評した[25]

書物については、専門書・研究書をも含め1つの作品として書いており、また、それぞれの書物が、考えられるテーマの総体から成る「1つの本」の一部でもあるという[26]

文章、論旨は、基本的に明快だが、レトリックに凝る側面もあり、また、各種書物や芸術への言及も時々みられる。本人は、芸術等への言及については、それが自分の経験論の素材の一つだからであり、映画への言及が多いのは、それが社会や時代との結び付きの強い芸術様式であり素材としての価値が大きいからであると述べている[27]

思想・発言[編集]

みずからの思想については、第一に、個人の内面の自由は最大限尊重されるべきだと考えるなど基本的に自由主義的だが、左派の思想やアメリカニズムの進歩主義的な部分には懐疑的である、第二に、基本的には英米系の経験論だが、ヨーロッパ大陸系の思想のよい部分もとりいれている、第三に、意識のレベルでは基本的に唯物論だが、無意識に近い部分では神秘主義運命論にも親和的であるとしている[28]。また、まとめて、「合理論現代思想・哲学の影響をも受けた私なりのプラグマティズム」とも定義している[29]。なお、筆名による裁判官時代の書物の中心的なテーマについては、善悪未分化の状態にある人間の根源的な生の形としてのイノセンス(無垢)であるという[30]

プラグマティズムの観点から、リベラルアーツの素材として、社会・人文科学、思想のみならず、自然科学、批評、ノンフィクション、芸術諸分野をも重視している。中でも自然科学については、『リベラルアーツの学び方』の書物紹介で筆頭にあげているほか、『民事訴訟の本質と諸相』でも、自然科学によりながら人間存在を考察している。また、映画、ロックミュージック、漫画等を含めたサブカルチャーにも詳しく、こうした芸術形式についても、質が高いと考えるものは、ボーダーレスに、また横断的に、リベラルアーツの一部として取り上げている[31]

執筆のきっかけを与えられた鶴見俊輔の思想については、「日本の戦前の哲学の植民地的な性格に対する絶望と反省に根ざしたもので、『アメリカのプラグマティズムを、日本土着の思想、庶民の思想との結び付きの中で生き直させようとしたもの』」と定義している[32]。また、鶴見から直接に聴いた言葉のうち特に印象に残っているものとして、弁護士・学生運動についての懐疑的な評価の言葉、「私は進歩的文化人ではない」、「自分の場所を見付けた人間は強くなる」などの言葉、そして、国家に対する強い批判の言葉を挙げている[33]

一般的な司法・裁判の分析・批判以外の発言については、以下のようなものがある。

憲法改正については、「本当の『改善』でなければ意味がない。政治家たちの水準がそれを行うに足りる信頼度に達したときに、本当に必要な事柄があればすればよい」とし[34]第9条については、純粋な自衛権まで否定するものと解する必要はないが、集団的自衛権については別であるという[35]

死刑については、反対であり、絶対的終身刑をもって代えるべきであるとする。その根拠としては、理論的な正当化が困難なこと、犯罪の責任のすべてを行為者に帰するのは難しいこと、冤罪であった場合に取り返しがつかないことを挙げている。また、殺人被害者の家族が加害者の死を望むのは感情としてはごく自然なことだが、制度論としてはマクロ的な見方も必要であるという[36]

袴田事件恵庭OL殺人事件については、冤罪であるとし、特に後者については詳細な分析を行っている[37]

共同親権制度については、「それ自体は一つの望ましい制度だが、家裁等の注意深い監視とケアといった制度的手当てのないままこれを実施するとさまざまな問題や紛争が生じうる。共同親権を認めるのなら、その要件については、とりあえず厳しく限定し、当事者の申立てに基づき簡易な審理を行った上での家裁の許可を必要とすべきである」という[38]。また、離婚自体についても、本来、離婚給付、親権養育費面会交流等についての家裁等による最低限のチェックが必要であり、それが現代の国際標準であるという[39]

配偶者の不貞の相手方に対する不法行為に基づく慰謝料請求については、配偶者に対する人格的支配を前提とし、また、最高裁判例でこの種事案の保護法益とされている「婚姻共同生活の平和」をむしろそこなう可能性もあるとして、水野紀子とともに、欧米同様に消極的に解すべきだとの考え方を採っている[40]

著作[編集]

筆名(関根牧彦)名義の一般書[編集]

  • 『内的転向論――カフカへの旅』(思想の科学社、1994年)
  • 『心を求めて――一人の人間としての裁判官』(騒人社、1996年)
  • 『映画館の妖精』(騒人社、1998年)
  • 『対話としての読書』(判例タイムズ社、2003年)

研究書[編集]

  • 『民事保全法』(判例タイムズ社、2001年。全訂第2版2004年、第3版2008年)
  • 『民事訴訟実務と制度の焦点――実務家、研究者、法科大学院生と市民のために』(判例タイムズ社、2006年)
  • 『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社、2007年)
  • 『ケースブック民事訴訟活動・事実認定と判断――心証形成・法的判断の過程とその解説』(判例タイムズ社、2010年)
  • 『民事訴訟の本質と訴訟――市民のための裁判をめざして』(日本評論社、2013年)
  • 『民事保全法〔新訂版〕』(日本評論社、2014年。従来判例タイムズ社から刊行されていたものの改訂新版。新訂第2版2020年)
  • 『民事訴訟実務・制度要論』(日本評論社、2015年。『民事訴訟実務と制度の焦点』の改訂新版)
  • 『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(日本評論社、2017年。『ケースブック民事訴訟活動・事実認定と判断』の改訂新版)
  • 『民事訴訟法』(日本評論社、2019年。第2版2022年)

一般書[編集]

  • 『絶望の裁判所』(講談社現代新書、2014年)
  • 『ニッポンの裁判』(講談社現代新書、2015年)
  • 『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年。エッセンシャル版、2018年)
  • 『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社、2016年。講談社文庫、2019年)
  • 『裁判所の正体――法服を着た役人たち』(新潮社、2017年〔清水潔との対談〕)
  • 『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館、2018年)
  • 『教養としての現代漫画』(日本文芸社、2019年)
  • 『民事裁判入門――裁判官は何を見ているのか』(講談社現代新書、2019年)
  • 『究極の独学術――世界のすべての情報と対話し学ぶための技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020年)
  • 『檻の中の裁判官――なぜ正義を全うできないのか』(角川新書、2021年)
  • 『我が身を守る法律知識』(講談社現代新書、2023年)

上記以外の著作・インタビュー[編集]

コンメンタール(逐条解説書)[編集]

  • 『注釈民事保全法〔上、下〕』(監修山﨑潮、編集代表瀬木比呂志。民事法情報センター発行・きんざい販売、1999年)
  • 『エッセンシャル・コンメンタール民事保全法』(瀬木比呂志監修。判例タイムズ社、2008年)

主要論文・論考[編集]

  • 『民事裁判実務と理論の架橋』(2007年)603頁以下の著作目録記載の各論文・論考(同書収録の主要論文を含め、同書以前の論文・論考等が網羅的に記載されている)
  • 「子の監護紛争と家事保全・人身保護請求」『新家族法実務大系2』(新日本法規、2008年)351頁以下。
  • 「これからの民事訴訟と手続保障論の新たな展開、釈明権及び法的観点指摘権能規制の必要性」遠藤古稀祝賀論文集(成文堂、2014年)335頁以下。
  • 「スラップ訴訟、名誉毀損損害賠償請求訴訟の現状・問題点とそのあるべき対策(立法論)」法学セミナー741号28頁以下(2016年)。
  • 「裁判と裁判官をめぐる幻想」現代思想51巻9号8頁以下(2023年)。

ウェブ閲覧可能な論文・論考・インタビューとその掲載サイトの主要なもの[編集]

  • 「明治大学法科大学院論集」掲載の各論文(ウェブ公開されている)。
  • 朝日新聞ウェブサイト「論座」掲載の各論考(ウェブサイト「論座アーカイブ」収録。テーマは、原発訴訟、死刑、犯罪、裁判員制度の10年間等)。
  • 講談社ウェブサイト「現代ビジネス」掲載の各著書関連インタビュー。

脚注[編集]

  1. ^ 新日本法規-裁判官検索弁護士山中理司のブログ-瀬木比呂志裁判官(31期)の経歴、『絶望の裁判所』著者略歴。
  2. ^ a b 『民事訴訟法』著者略歴。
  3. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』225頁以下。
  4. ^ 前者については、「家庭裁判月報」36巻11号195頁(瀬木論文についての編者によるまえがき)、瀬木比呂志-researchmap、『絶望の裁判所』16頁。後者については、『民事訴訟法』初版まえがき、『裁判官・学者の哲学と意見』237頁以下。
  5. ^ 瀬木比呂志-researchmap、『絶望の裁判所』35頁。なお、同箇所には、「これらの報告は、事実上は、当時の裁判所上層部の推挙、指名を受けて行ったものであるが、2000年代以降に裁判所の官僚化が進んだ現在であれば、それはありにくいことだったろう」との趣旨の記述がある。
  6. ^ 『民事裁判実務と理論の架橋』15頁、609頁。
  7. ^ 『絶望の裁判所』21頁、『民事裁判実務と理論の架橋』603頁以下。
  8. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』230頁以下。なお、最後の2つの文章は書き下ろしである(『内的転向論』188頁の「初出一覧」)。
  9. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』146頁。
  10. ^ 『民事訴訟法』、『裁判官・学者の哲学と意見』、『リベラルアーツの学び方』等多数の書物においてそのことが明言されている。
  11. ^ 『民事裁判実務と理論の架橋』12頁。
  12. ^ 以上につき、『民事訴訟法』各版はしがき、著者略歴。
  13. ^ 『我が身を守る法律知識』253頁。
  14. ^ 『檻の中の裁判官』315頁。
  15. ^ 『我が身を守る法律知識』23頁以下、250頁以下。
  16. ^ 『絶望の裁判所』237頁、『ニッポンの裁判』317頁、『我が身を守る法律知識』250頁以下。学者による言及の例としては、米倉明「法科大学院雑記帳その113」戸籍時報717号48頁、吉弘光男・宗岡嗣郎編『犯罪の証明なき有罪判決』145頁等。
  17. ^ 『民事裁判入門』310頁、『檻の中の裁判官』315頁。
  18. ^ 『心を求めて』147頁。
  19. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』181頁、『檻の中の裁判官』79頁。
  20. ^ 『絶望の裁判所』14頁以下、『裁判官・学者の哲学と意見』15頁以下、『檻の中の裁判官』79頁以下。
  21. ^ 『絶望の裁判所』35頁以下、『民事裁判入門』112頁。
  22. ^ 『ニッポンの裁判』309頁。
  23. ^ 『絶望の裁判所』40頁、『裁判官・学者の哲学と意見』33頁。
  24. ^ 2014年5月18日号週刊現代「わき道をゆく」第79回「良心はどこに行った」173頁(講談社ウェブサイト「現代ビジネス」にも転載)。
  25. ^ 2014年5月11日朝日新聞読書欄「『収容所群島』の住人たち」。
  26. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』157頁以下。
  27. ^ 『檻の中の裁判官』20頁。
  28. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』53頁以下、『究極の独学術』404頁以下。
  29. ^ 『檻の中の裁判官』315頁、『民事訴訟法』第2版はしがき。
  30. ^ 『対話としての読書』461頁以下。
  31. ^ 『リベラルアーツの学び方』133頁以下。『民事訴訟の本質と諸相』69頁以下。
  32. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』216頁。
  33. ^ 『裁判官・学者の哲学と意見』232頁以下。
  34. ^ 『檻の中の裁判官』261頁、『裁判所の正体』285頁以下。
  35. ^ 『檻の中の裁判官』261頁、『我が身を守る法律知識』247頁。
  36. ^ 『檻の中の裁判官』198頁以下。より詳しくは、ウェブサイト「論座」掲載の関連論考(ウェブサイト「論座アーカイブ」収録)。
  37. ^ 袴田事件につき、『ニッポンの裁判』74頁以下、『檻の中の裁判官』135頁以下。恵庭OL殺人事件につき『ニッポンの裁判』83頁以下。
  38. ^ 『我が身を守る法律知識』135頁、日本経済新聞2023年2月2日夕刊「離婚後親権『共同』『単独』の課題」、東京新聞2023年7月22日「こちら特報部」。
  39. ^ 『我が身を守る法律知識』120頁。
  40. ^ 『我が身を守る法律知識』137頁以下、瀬木比呂志=水野紀子「対談 離婚訴訟、離婚に関する法的規整の現状と問題点――離婚訴訟の家裁移管を控えて」判例タイムズ1087号20頁以下、『民事裁判実務と理論の架橋』340頁以下、水野紀子ウェブサイト

外部リンク[編集]