渡辺薫彦

渡辺薫彦
2022年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市
生年月日 (1975-04-05) 1975年4月5日(49歳)
身長 165cm
体重 50kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東沖芳夫(1994 - 2012)
初免許年 1994年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2012年12月20日
重賞勝利 10勝
G1級勝利 1勝
通算勝利 7262戦339勝(JRA)
調教師情報
初免許年 2015年
経歴
所属 栗東・沖芳夫/調教助手(2012.12 - 2015.2)
栗東T.C.(2015.3 - )
テンプレートを表示

渡辺 薫彦(わたなべ くにひこ、1975年4月5日 - )は、滋賀県栗東市出身の現調教師、元騎手・元調教助手。戸籍上での表記は渡邊である。

妻は関西テレビドリーム競馬』の司会を務めていた水野麗奈[1][2]

来歴・人物[編集]

栗東厩務員を務める渡辺薫の嫡男として出生、また伯父の古川博も古川平厩舎で調教助手を務める[3]という競馬に近い環境で育つ。1994年3月1日に父の勤める沖芳夫厩舎の所属騎手としてデビューし、以後引退するまで同厩舎に所属し続けた。吉田豊幸英明らは競馬学校の同期生(10期)にあたり、とても仲がよく初GI制覇となった菊花賞優勝後には冗談で「胴上げしようか?」と言われている。

デビュー当初より着実に勝ち鞍を積み重ねるも、重賞で人気を背負いながら経験の薄さを懸念される[4]など重賞タイトルにはなかなか手が届かなかったが、1999年ナリタトップロードとのコンビでクラシック戦線にて活躍。同年のきさらぎ賞で重賞初制覇を達成し、春のクラシックでは皐月賞3着・東京優駿2着と後一歩のところで届かなかった。東京優駿のレース後には悔し涙を流したが、秋の菊花賞で自身唯一のGI初制覇を成し遂げた。ナリタトップロードの全8勝中7勝は渡辺騎乗によるものであるが、ナリタトップロードの資質を十分に発揮した騎乗が出来ていないとの批判もあり、2000年有馬記念2001年京都記念的場均に鞍上を交替させられた。続く阪神大賞典で渡辺の下に戻り、最後の直線で追い続け、後続に8馬身差をつけ、さらに芝3000mの世界レコードという勝利を収めた。この変更について沖は「暮れの荒れた中山の馬場はトップロードに合わない。負ければ渡辺の株が下がる恐れもありますから。もちろん、的場君が勝ってくれても渡辺の株は下がります。ただ的場君は調教師試験に受かっていたからね」と発言しており、乗り替わりは合わない馬場に騎乗させずに渡辺の評判を守る目的があったことと、的場引退後に渡辺に戻す前提であったことを明かしている[5]落馬による怪我で2002年の秋は四位洋文に3戦乗り替わり、京都大賞典の完勝と天皇賞(秋)2着惜敗という結果を受け、渡辺は「もう自分の下には戻ってこない」と思ったという。しかし引退レースとなった有馬記念ではファンの声もあり、渡辺は三たびナリタトップロードの鞍上に帰ってくる。結果は4着であったが、重馬場を見越して先行気味にレースを進めたのが功を奏し、当時最強の牝馬との呼び声があったファインモーションには先着した。2003年の年初に京都で菊花賞優勝時のゼッケン1番をつけて引退式が行われ、関係者インタビューでは渡辺が涙で思わず声を詰まらせる場面があった。産駒のデビューを待っていた矢先、2005年11月7日にナリタトップロードの訃報があった。その直後に、ベストアルバムに騎乗したエリザベス女王杯での本馬場入場の紹介の際に「ベストアルバム…亡き友に健闘を誓う渡辺薫彦です。」という紹介があった。

ナリタトップロード引退後はGI戦線の常連馬には出会えなかったが、関西の中堅騎手として騎乗数や勝ち星を伸ばす。ナリタトップロードなどに見られるように、先行からの粘りを最も得意としているが、タマモホットプレイやカネトシツヨシオーなどに見られるように差し・追い込みにも戦略の幅を広げていった。また、ときおり人気薄を2着に持ってくることから関西では穴騎手として人気があった[6]

2007年にはソウル競馬場で行われた韓国国際騎手競走へ招待され[7]、初の日本国外競走への騎乗も経験(結果は10人中9位)。

栗東トレセン内にある駿風寮の寮長[8]でもあったが、2012年12月に現役引退を表明[9]、同年12月20日を以って騎手を引退し、所属の沖芳夫厩舎の調教助手に転身した。

2014年12月11日、JRAより2015年度新規調教師免許試験の合格が発表され、翌2015年3月に調教師へ転身。技術調教師として研鑽を積み、2016年3月に厩舎を開業した[10]

騎手時代
(2010年フィリーズレビュー

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1994年3月5日 1回中京3日12R 5歳上900万円下 ヘラケン 16頭 16 7着
初勝利 1994年6月26日 2回中京4日8R 5歳上500万円下 ミスターハリケーン 16頭 4 1着
重賞初騎乗 1994年12月11日 4回中京6日11R 愛知杯 サムソンビッグ 15頭 13 中止
重賞初勝利 1999年2月7日 2回京都4日11R きさらぎ賞 ナリタトップロード 15頭 2 1着
GI初騎乗 1996年4月14日 2回中山8日11R 皐月賞 ロングシコウテイ 18頭 13 16着
GI初勝利 1999年11月7日 5回京都2日11R 菊花賞 ナリタトップロード 15頭 3 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1994年 9 13 25 283 .032 .078 .166
1995年 24 26 33 412 .058 .121 .201
1996年 15 17 14 260 .058 .123 .177
1997年 8 27 16 222 .036 .158 .230
1998年 19 8 16 211 .090 .128 .204
1999年 15 13 15 228 .066 .123 .189
2000年 12 21 16 279 .043 .118 .176
2001年 33 38 32 474 .070 .150 .217
2002年 22 23 25 362 .061 .124 .193
2003年 21 31 34 455 .046 .114 .189
2004年 24 20 22 406 .059 .108 .163
2005年 16 17 34 407 .039 .081 .165
2006年 23 39 19 459 .050 .135 .176
2007年 31 29 33 589 .053 .102 .158
2008年 10 27 31 548 .018 .068 .124
2009年 15 18 20 407 .037 .081 .130
2010年 16 9 10 426 .038 .059 .082
2011年 17 9 18 402 .042 .065 .109
2012年 9 14 15 432 .021 .053 .088
中央 339 399 428 7262 .047 .102 .161
地方 12 9 15 142 .085 .148 .254
通算 351 408 443 7404 .047 .103 .162
  • JRA騎手名鑑より

主な騎乗馬[編集]

太字はGI・JpnI競走を示す

その他

調教師成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2016年3月6日 1回小倉8日8R 4歳上500万下 デンコウウノ 18頭 15 3着
初勝利 2016年3月21日 2回中京4日7R 4歳上500万下 ドラゴンバローズ 15頭 2 1着
重賞初出走 2016年6月12日 3回阪神4日11R マーメイドステークス タガノエトワール 14頭 11 12着
重賞初勝利 2019年1月6日 1回京都2日11R シンザン記念 ヴァルディゼール 12頭 4 1着
GI初出走 2017年12月17日 5回阪神6日11R 朝日杯フューチュリティステークス ダブルシャープ 16頭 7 9着
GI初勝利 2022年11月27日 5回東京8日12R ジャパンカップ ヴェラアズール 18頭 3 1着

主な管理馬[編集]

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

脚注[編集]

  1. ^ スポーツニッポン
  2. ^ サンケイスポーツ
  3. ^ 競馬騎手読本 ISBN 4-7966-9290-8
  4. ^ 1996年3月31日フジテレビスーパー競馬・吉田均コメント
  5. ^ 「ウマ娘」に新登場でファン歓喜!ナリタトップロードの「今度こそ!」を「東スポ」で振り返る”. 東スポnote. 東京スポーツ新聞社 (2022年2月9日). 2022年5月17日閲覧。
  6. ^ 競馬騎手名鑑 ISBN 4-7966-9383-1
  7. ^ ラジオNIKKEI
  8. ^ 宝島競馬騎手名鑑 ISBN 4-7966-9517-6
  9. ^ ナリタトップロードの渡辺騎手が引退 調教師へ「勉強専念」 スポーツニッポン 2012年12月11日閲覧
  10. ^ 3名の新規調教師が開業”. 日本中央競馬会 (2015年12月21日). 2017年4月11日閲覧。
  11. ^ ヴェラアズール”. www.jbis.or.jp. JBISサーチ. 2022年10月10日閲覧。

関連項目[編集]