巌流本舗

株式会社巌流本舗
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
752-0927
山口県下関市長府扇町6-44
設立 1956年(昭和31年)4月
業種 食料品
法人番号 4250001005267 ウィキデータを編集
事業内容 和菓子の製造販売
代表者 代表取締役社長 水津勉
資本金 4,300万円
売上高 4億円
外部リンク http://www.ganryu.co.jp/
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巌流本舗(がんりゅうほんぽ)は、山口県下関市和菓子製造販売業である。

概要[編集]

1921年(大正10年)に、下関市彦島江の浦町で「菓舗・梅月堂」として創業した老舗和菓子店[1]で、1956年(昭和31年)4月に有限会社水津梅月堂として法人化、1972年(昭和47年)に現商号に改めた。

主力商品であるどら焼き『巌流焼』は下関市を代表する銘菓の一つとして知られる[2]

当初は創業の地である彦島江の浦町で製造していたが、1991年に現在の本社所在地に工場を新設した。見学が可能となるよう、一部をガラス張りにした構造が採用された。2004年には下関商工会議所が作成した「産業観光施設」ガイドブックにも掲載され、小学生を中心に多数の見学客を受け入れて、製品の認知拡大につなげている[3]2006年には下関ブランド推進協議会が選んだ「下関ブランド」製品の第一号にも選ばれた[4]。製品名の由来となった佐々木小次郎の慰霊祭でも、巌流焼が神前に供えられるようになっている[5]

主な製品[編集]

巌流焼
白餡のどら焼き。小麦粉に卵、砂糖などを加えて練ったものを焼き上げたもので[6]、中の白餡には北海道産の豆を使用している[7]。製品名は関門海峡に浮かぶ船島(巌流島)宮本武蔵と決闘をして敗れた佐々木小次郎の号である「巌流」にちなむ。年間販売個数は約220万個(2003年)[2]
製造が始まったのは1930年からで、1950年頃には現在の形状が確立した[2][8]。巌流焼は当時としては強気の価格設定で、高価だと批判もあったものの、味が評価されて定着していった[7]。1950年代後半になると他県の媒体でもフグなどとともに下関の特産品として巌流焼が取り上げられるようになった[9][10]
おそいぞ武蔵
黒餡のどら焼き。生地にメイプルシロップを用いている。2002年発売開始[11]

場面に応じて通常と異なる焼印を入れた巌流焼の販売も行われており、巌流島の決闘から400年にあたる2012年には記念の焼印を入れた巌流焼を発売した[12]2014年、下関市港湾局主催による馬関港開港150周年記念事業においては、乗船客に「馬関港」の焼印を押したプレミアム巌流焼が乗船客に贈呈された[13][14]

販売[編集]

彦島・川中下関大丸内の直営店舗3店舗のほか、山口県が東京に出店するアンテナショップであるおいでませ山口館でも販売実績がある[15]。2006年の新北九州空港開港の際には空港売店での販売を開始した[16]。また、2013年には「山口県包括協定記念フェア」の一環として、県内のファミリーマートの一部店舗でも販売された[17]

脚注[編集]

  1. ^ 「決闘400年 巌流島への思い 巌流焼にロマン刻印 和菓子店「巌流本舗」の社長 水津 勉さん(64)」『朝日新聞』2012年(平成24年)3月29日付西部本社朝刊29面(下関)。
  2. ^ a b c 和田武士「とことん関門 海峡に生きる❾ 下関銘菓の巌流本舗社長 水津 勉さん(55) 「関門名産」と呼ばれたい」『毎日新聞』2003年(平成15年)9月11日付西部本社朝刊19面(下関)。※北九州版19面、京築版19面にも掲載。ただしレイアウトが異なる。
  3. ^ 「ここが聞きたい 和菓子「巌流焼」で観光振興 水津 勉さん 下関の郷土色にこだわり」『日本経済新聞』2004年(平成16年)11月17日付地方経済面(中国・四国特集)。
  4. ^ 小塩恭市「中国リポート 全国に「下関」売り込め ご当地ナンバー機に宣伝隊 地場産品にブランド認定 「安倍首相誕生」追い風に」『日本経済新聞』2006年(平成18年)10月31日付地方経済面(中国B)。
  5. ^ 彦島八幡宮 祭事諸行事 [1]
  6. ^ 「巌流本舗 下関の観光ブームを超えて かたくなに変えない姿勢」『財界九州』第46巻第11号、財界九州社、2005年11月、133ページ。
  7. ^ a b 田中崇幸「やまぐち人国記 82 下関市㉔」『読売新聞』昭和49年7月13日付西部本社朝刊12面(下関)。※山口版、山口東部版にも掲載。
  8. ^ ただし1974年の読売新聞連載記事「やまぐち人国記」において、巌流本舗会長で巌流焼の命名者でもある水津章太は、巌流焼を始めたのは昭和26年(=1951年)であり、その十五、六年前に意匠登録のみ済ませていたため、名前だけが先に決まっていた、と述べている。
  9. ^ 『中國年鑑 昭和32年版』中國新聞社、1956年、243ページ。※昭和34年版までは「巌流やき」の表記になっている。
  10. ^ 『山陽年鑑 昭和37年版』山陽新聞社、1961年、180ページ。
  11. ^ 「「おそいぞ武蔵」参上 下関の菓子メーカー どら焼き新発売 決闘伝説あやかり商法」『西日本新聞』2002年(平成14年)1月26日付朝刊26面(山口広域)。
  12. ^ “巌流焼に「決斗400周年」焼き印―下関”. 山口新聞. (2012年3月31日). http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2012/0331/6p.html 2014年9月20日閲覧。 
  13. ^ 【馬関港開港150周年記念行事】客船「にっぽん丸」寄港に伴う歓迎行事の実施について』(プレスリリース)下関市港湾局振興課、2014年6月11日http://www.city.shimonoseki.lg.jp/www/contents/1402465560780/2014年9月20日閲覧 
  14. ^ “クルーズの魅力伝える「ジャパン・クルーズ・キャンペーン」を全国で実施へ…7月~10月”. Response.. (2014年6月28日). http://response.jp/article/2014/06/28/226450.html 2014年9月20日閲覧。 
  15. ^ 山口の特産品:おいでませ山口館
  16. ^ 「分水嶺 巌流焼、盛り返しに期待」『日本経済新聞』2006年(平成18年)6月22日付地方経済面(中国B)。
  17. ^ ファミリーマートと山口県との「地域活性化包括連携協定」締結記念 「山口県包括協定記念フェア」実施!

外部リンク[編集]