山本光春

山本 光春(やまもと みつはる、1905年4月26日 - 1988年2月24日[1])は日本の実業家。元毎日新聞社社長。岡山県岡山市出身。

略歴[編集]

  • 1926年 明治大学政治経済科卒業
  • 1928年 東京日日新聞社入社
  • 1945年 新潟日報社転出
  • 1955年 毎日新聞東京本社編集局長
  • 1958年 取締役
  • 1961年 常務取締役
  • 1967年 専務東京本社代表
  • 1970年 副社長
  • 1972年1月 社長( - 1974年11月)

エピソード[編集]

竹槍事件では整理部副部長。新名丈夫の記事に「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と見出しをつける。処分こそされなかったが、軍部の反発を招いたとして丸坊主になった。

脚注[編集]

  1. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.677

参考文献[編集]

  • 山本光春追想録刊行会『山本光春追想録』(株)高速オフセット、1989年

関連項目[編集]