小林夕岐子

こばやし ゆきこ
小林夕岐子
本名 小林 由木子
生年月日 (1946-10-06) 1946年10月6日(77歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
職業 女優
活動期間 1966年 - 1974年
活動内容 1966年 : オール東宝ニュータレント6期生
著名な家族
主な作品
怪獣総進撃
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小林 夕岐子こばやし ゆきこ[1][2]1946年昭和21年〉10月6日[出典 1] - )は、日本の元女優である。本名、小林 由木子(読み同じ)[4]

東京都出身[出典 2]東京女学館高等学校卒業[4]。父親は俳優の水島道太郎、母親は宝塚歌劇団25期生の元タカラジェンヌで女優の山鳩くるみ[4][5]

来歴[編集]

戦前の映画界の大スターで、戦後も長く第一線で活躍した俳優・水島道太郎を父に持ち、高校在学中より東宝から映画出演の誘いがあったが[5]、学業優先で断っていた。

1965年の高校卒業後、大学受験に失敗して予備校へ通うことになって再び東宝から誘いがありオーディションを受け、東宝東宝俳優養成所6期生となる[出典 3]。同期には菱見地谷子高橋厚子宮内恵子・佐川亜梨らがいた[5]

1966年本多猪四郎監督作品『お嫁においで[出典 4] でホテルレストランのウェイトレス役として同期の菱見地谷子・高橋厚子とともにデビュー[5]。小林は、セリフもなかったので養成所の稽古の延長という意識であったことを述懐している[5]

1967年は数本のテレビドラマにゲスト出演するが、中でも特撮ドラマ『ウルトラセブン』(円谷特技プロTBS)の第9話「アンドロイド0指令」に登場する「アンドロイド少女ゼロワン」役は強烈な印象を残し、今なお特撮ファンの根強い人気を得ている[3]。小林自身も、女優業であることを最初に認識した作品であったと述べている[5]

1968年8月公開の特撮大作『怪獣総進撃』ではヒロインの真鍋杏子役に抜擢され[出典 5]、本格的な映画デビューを果たして代表作とした。

1970年の『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』ではセルジオ島の少女「サキ」役を演じたが、舞台が常夏の南海で露出の多い衣装だったのに対して、撮影時期は冬だったために撮影時はその寒さのため大変苦労したという[5]。『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)では死美人で吸血鬼の「野々村夕子」役を演じたが、脚本を渡されて「ぜひやりたい」と大乗り気で演じたという。

その後、病気を機に1974年頃に芸能界から引退した。10年に満たない活動期間で、映画・テレビドラマ・舞台で活躍したが、特撮・ファンタジーに代表作が多く端正な容姿から非人間的な役どころを得意としていた[7]。本人も「現実離れした役柄のほうが演じていて楽しい」と語っている[6]

2004年に、CSファミリー劇場ウルトラ情報局』へゲスト出演し[5]、上記のアンドロイド少女ゼロワン役への思いを中心に特撮作品について語った。それ以降、DVDコメンタリーやイベントへの出演など露出の機会が増えた[5]

人物[編集]

特技は茶道日舞[8]

姓名判断にも通じており、芸名の「夕岐子」は自身で決めたものである[4]

幼少期は父親の教育方針で男子のように育てられ、小学校に上がるまではスカートを履いたことがなかった[5]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b ゴジラ大百科 1993, p. 119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  3. ^ a b c d e f 『日本映画人名事典』 女優編 上巻、キネマ旬報社、1995年、702頁。ISBN 4873761409 
  4. ^ a b c d e 『読売新聞』1968年4月7日付朝刊、22面。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 東宝特撮女優大全集 2014, pp. 114–118, 聞き手・構成 中村哲「小林夕岐子インタビュー」
  6. ^ a b c d e f 超常識 2016, p. 123, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  7. ^ a b c ゴジラ画報 1999, p. 159, 「Bonus Column 東宝美女軍団11 仮面の少女・小林夕岐子」
  8. ^ a b c 『読売新聞』1969年9月30日付夕刊、9面。

出典(リンク)[編集]

参考資料[編集]

外部リンク[編集]