利用者‐会話:Chuta

ご返答に時間がかかる場合がありますが、何卒ご容赦願ます。 --忠太会話2013年12月19日 (木) 13:03 (UTC)[返信]

ページ移動について[編集]

先ほどは私のミスで履歴が消えてしまって申し訳ありませんでした。Wikipedia:ページ名の変更に詳しい解説がありましたのでご参照ください。今回の件については管理者の方に問い合わせをしてみます。たね 2004年10月21日 (木) 17:24 (UTC)[返信]

履歴が消えてしまったのはリロードを行っていなかったからだそうです。たね 2004年10月21日 (木) 18:03 (UTC)[返信]

ドイツ観念論[編集]

いつぞやはドイツ観念論のノートへのコメントをありがとうございました。あの後数人で相談しながら、ご指摘の件を中心に加筆・改稿しました。一度目を通していただき、またコメントをいただければ幸いです。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年12月15日 (水) 06:47 (UTC)[返信]

どうもどうも。

パブリックドメイン画像[編集]

こんにちは。画像:Edouard Manet Olympia 1863.jpgを拝見しました。多言語版にあるパブリックドメイン画像をアップロードする場合は、ウィキメディア・コモンズに上げることをご検討ください。コモンズにログインして「preferences(オプションに同じ)」で「ja-日本語」を選択すると、画面の表示が日本語ウィキペディアとほとんど同じになります。こちらにアップロードされた画像は日本語ウィキペディアにあるのと同様の編集方法で表示されます。(例:ミロのヴィーナス) また、アップロードしたけれど不要だったという画像は、投稿者自身で{{即時削除}}を画像ページに書き込んでおいていただければ、管理者として即時削除いたします。どうぞご利用下さい。miya 2005年2月17日 (木) 10:34 (UTC)[返信]

すみません。意味がよくわかりません。??? 

読みに関して[編集]

項目冒頭の読みに関しては、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部#読み仮名に従われるようお願い申し上げます。--Brevam 2005年2月20日 (日) 09:06 (UTC)[返信]

個人的にはどうでもいい事柄に属しますが、ノートに反論しておきました。 --忠太 2005年2月20日 (日) 12:35 (UTC)[返信]

備忘[編集]

英語版には[1]という項目がある。

プレビュー機能のお知らせ[編集]

初めまして、Mint22といいます。Chutaさんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、プレビュー機能のお知らせをしにきました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、マークアップ 、リンク、誤字脱字などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Mint22 2005年6月10日 (金) 14:31 (UTC)[返信]

プレビュー機能については承知しておりますが、オランダ改革派についてはコピペの履歴を明らかにするため、あえて何度も投稿していますので、ご宥恕願います。 --忠太 2005年6月10日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
連続書き込みの上に、あてずっぽな書き込みをして訂正を繰り返すというのはやめましょう。/219.118.172.113 2007年2月14日 (水) 11:13 (UTC)[返信]

駅舎について[編集]

はじめまして、Kouchiumiと申します。さて、早速本題となりますがChutaさまが表題の記事にて目白駅の記述を削除なさりましたが、あれはどういうわけなのでしょうか。目白駅を追加したのが私である手前不都合なことでありましたらぜひ謝罪申し上げたいと思いまして質問させていただく次第です。--Kouchiumi 2005年6月23日 (木) 09:47 (UTC)[返信]

削除ではなく、移動しました。項目名が「歴史的な駅舎」で、現存している駅舎・旧駅舎(復元もありますが)について記述していますので、建替えられた目白駅は別の場所に移動した次第です。 --忠太 2005年6月23日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
すみません、うっかりしておりました、今改めて確認してみましたがChutaさまのおっしゃるとおりです、申し訳ありません。コメントアウト部分に「橋上駅舎というか、線路が低いだけじゃないのか?」とございますがこれは私ホームの上空に駅舎をたてた初めてであるという技術的な意味でのことを記したのでございます。--Kouchiumi 2005年6月24日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

「知識人や教養ある人々」が愛好するのが「高尚な文化」という定義部の記述は、「知識人や教養ある人々以外の人々は下品」と受け取られる可能性があり、観点上問題があるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?kaz 2005年7月10日 (日) 01:43 (UTC)[返信]

SFファンから叱られるかな、と思ってはいました。何か適切な例がありますかねぇ --忠太 2005年7月10日 (日) 12:50 (UTC)[返信]
漫画を例にしてみました。 --忠太 2005年7月11日 (月) 16:32 (UTC)[返信]


東洲斎写楽[編集]

こんにちは。はじめておたよりいたします。東洲斎写楽の画像についてノート:東洲斎写楽で御提案をさせていただいております。できましたらご意見を頂戴いたしたく存じます。よろしくお願いいたします。Toki-ho 2005年8月8日 (月) 05:36 (UTC)[返信]

引用について[編集]

こんにちは。引用がある項目について話し合いをしているにもかかわらず、引用がある理由で削除依頼を行うようでしたら、議論の放棄とみなしてブロック依頼を行いますのでよろしくお願いします。--Ligar 2005年8月17日 (水) 15:53 (UTC)[返信]

今すぐにはするつもりはありません。まあ、実態がどうなっているかは押さえておいて、現実的な解決がうまく収まるものかどうか? --忠太 2005年8月17日 (水) 16:45 (UTC)[返信]
2004年12月1日 (水) 17:51 の版(英語版からの翻訳とのこと)ではじめて引用が現われる。続く編集で引用が増え、現在の版には5つほどの引用文がある。Wikipedia:秀逸な記事の選考/通過した記事にログがないが、いつ秀逸な記事になったのか不明(2004年12月以前か?)
(感想)残念ながらトールキンは全く読んだこともなく(興味もない)、そのためか、引用文もその前後の文も、正直なところ何を言いたいのかさっぱりわからない。個人的には必要な引用とも思えないが、英語版からの引用ということであれば、訴えられる余地は少ないであろう。 --忠太 2005年8月18日 (木) 16:45 (UTC)[返信]
2003年9月8日 (月) 07:43 の初版からの引用が1箇所(わざわざ「英語版 07:45, 4 Sep 2003 を翻訳しました(引用文のぞく)」と書いてあり、引用文はハヤカワ文庫版を用いている)。また、アシモフの「名言」が2004年1月22日 (木) 03:37 の版に追加された(出典はTV番組らしい。後にこの名言はアシモフかどうか不明、と訂正された)。
(感想)どうせ翻訳するなら、なぜ引用箇所も翻訳しなかったのであろうか? 特にどうしても引用が必要な箇所とは思われない。「名言」の取扱いについては保留。 --忠太 2005年8月18日 (木) 16:57 (UTC)[返信]
元々は英語版からの翻訳らしいが、2004年10月27日 (水) 07:24 の版において、風見潤訳の引用文が記述された。
(感想)これも上と同じ。なぜ引用箇所も翻訳しなかったのか? この項目自体の必要性がよくわからないが、熱心に記述している人が複数いるようなので、必要だと感じる人もいるのであろう。 --忠太 2005年8月18日 (木) 17:05 (UTC) [返信]

引用の項の加筆を拝見しましたが、どうも引用と転載を混同されているようです。両者は別物ですので、議論においては区別していただくようお願いします。--Ligar 2005年8月18日 (木) 17:13 (UTC)[返信]

本来、引用と転載は区別されるべきですが、中々難しいもです。 --忠太 2005年9月5日 (月) 15:38 (UTC)[返信]

翻訳[編集]

はじめまして。私は英語のウィキペディアの利用者optimistic-xです。最近改造の記事を英語に翻訳しました:Kaizo Optimistic-x 2005年11月21日 (月) 01:14 (UTC)[返信]

執筆のご依頼[編集]

こんにちは/今晩は。お願いがあって参りました。人物に関する記事を書かれておられるようですが、Category:出身別の人名一覧を辿りますと、~人の一覧、ドイツ人の一覧ポーランド人の一覧ユダヤ人の一覧ロシア人の一覧といった一覧があることがわかります。忠太さんに、赤リンク部分を埋めていただきたいと思い、依頼にあがりました。執筆依頼にも多様な依頼事項がありますので、ぜひご覧ください。それでは、体に気をつけて、執筆なさってください。--Wacsorabeszélés 2005年12月17日 (土) 18:15 (UTC)[返信]

ドイツ工作連盟周辺人物の記述をしましたが、それ以外には疎く、余りお役に立てないようですm(..)m --忠太 2005年12月18日 (日) 03:34 (UTC)[返信]

日本近代史について[編集]

見たところ、昭和時代の部分が昭和の記事内容と殆ど重複しているのではないかと思いました。戦前の部分の要約はともかくとして、戦後の部分だけでも「昭和」記事内の「概観」の項と差し替えてしまっても良いでしょうか? けふこえて 2005年12月20日 (火) 06:27 (UTC)[返信]

  • 「明治」「大正」「昭和」だけではバラバラの記述になるので、大きな流れをつかむために日本近代史が必要、という意見がありました。その割には詳細すぎる感じなのと、重複しているので、整理した方がよいと思います。 --忠太 2005年12月20日 (火) 12:06 (UTC)[返信]

徴兵令[編集]

徴兵令について辯明します、はじめまして壽日です。さて、「血税一揆」ですが、わたしはあれを高島俊男『お言葉ですが…② 「週刊文春の怪」』をみてかきました。つまり、一次資料(であつとるかしら)ではないわけです。しかし、なぜ「血税一揆」が「血税一揆」とよばれとるのかよくわかる理由だとおもったのです。で、まあそれをおもしろくおもい、かいたのですが、それを、忠太さんは「勘ちがい」とおっしゃるのですね。

どの様な理由で「血税一揆」が「血税一揆」とよばれるのか、なぜ一般に「徴兵反対一揆」とかよばれないのか、その理由ををさがしてみます。では--壽日 2006年1月2日 (月) 08:06 (UTC)[返信]

やつてまゐりました壽日です。徴兵令のノートにおこしください。やはり、「勘違い」なのか、、、--壽日 2006年1月16日 (月) 12:52 (UTC)[返信]

遅レスにて失礼しました。徴兵反対一揆(徴兵令反対一揆)という言い方も結構あるようですよ。 --忠太 2006年1月16日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
またまた壽日です。血税一揆をつくつてみました。問題があつたらおしらせください。--壽日 2006年1月20日 (金) 13:09 (UTC)[返信]

人物一覧記事ガイドライン導入について[編集]

ノート:中央大学の人物一覧にて、「○○の人物一覧」記事へのガイドライン導入に関する検討がされております。賛否/修正など、いただけましたら幸いです。このお知らせは、削除依頼/○○大学の人物一覧に意見表明された方に実施しております。--TEy 2006年1月24日 (火) 08:06 (UTC)[返信]

その後Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学/人物一覧記事についてに移動。

石原さとみについて[編集]

2004年7月30日に(コメントアウトとして)本文に本名が掲載されて以降、掲載と削除が繰り返されたため、2005年3月21日に保護となり、2006年1月23日以降半保護に変更されています。しかしながら、この度本件に関して掲載派の主張に沿ってほぼ合意が成立したようです。この件に関して今後再び議論が発生しないために、賛否中立のご意見がある場合ノート:石原さとみにコメントをお願いいたします。異論がないようなら保護解除の手続きを取ります。なおこれは、石原さとみの本文を編集された方々や、ノートにコメントを寄せていた方々にお願いしています。プロバロン 2006年2月9日 (木) 21:00 (UTC)[返信]

大筋で合意が成立したため「石原さとみの本名・芸名・芸歴に関する合意事項」を作成し賛同者を募っています。もしよろしかったらご署名いただければ幸いです。
P.S. Chuta様に対する私のコメントはちょっときつすぎたでしょうか。もし、気分を害されたなら謝ります。プロバロン 2006年2月15日 (水) 15:19 (UTC)[返信]
私の傾向として、「どうも妙な方向に議論が流れそうだな」と感じたときは、(自分の目に付いた範囲で)抵抗(反対)の意思表示をすることがあります。一方、多くの人が賛同するようなことについては、わざわざ賛意を示すまでもないだろう、と判断する場合が多いです。今回の件も私が書き込むまでもないと感じております。(後段は意味がよくわかりませんが…?何かありましたか?) --忠太 2006年2月15日 (水) 15:43 (UTC)[返信]
合意・賛同者一覧の作成はある方の助言によるものなのですが、議論の終了を確認すると共に今後この件で編集合戦が発生することを予防する狙いがあるそうです。決して賛同を無理に求めたわけではありません。あと「後段」ですが、2月10日付の忠太様のコメントに対して、永久に終わらない議論が発生しそうな予感がしたので、あからさまに蚊帳の外に追いやるようなコメントを私がしてしまったような……ア、考えすぎですね。忘れてください。プロバロン 2006年2月15日 (水) 16:07 (UTC)[返信]
了解です。

内容の酷似について[編集]

あなたが新規項目として立てられた「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を拝読しましたが、内容のほとんどがフランソワ・ラブレーの項目と酷似しています。
今のままなら、別に立てる必要性はないとないと思いますが、もし何かしらの理由があればご回答願います。--軽功 2006年2月16日 (木) 01:08 (UTC)[返信]

整理する予定です。--忠太 2006年2月16日 (木) 12:41 (UTC)[返信]

おはようございます。貴方が私につけたコメントに疑問を持ったので書き込みに来ました。

筒見待子の著書に関する言及には「逮捕前のことでしょ?」と言っているのに、著書で言及したであろう行為のことについては「犯罪行為だ」というのは論理的におかしくありませんか? そもそも、愛人バンクは筒見たちが始めるまで合法か違法かという判断はなかったのです。結果として犯罪だとされたのです。行為と逮捕は不可分であり、逮捕前後で取り扱いを変える理由はないのです。また行為についても既に議論があるように風俗史の観点から記述すべきものです。

またプライバシーについても私は「別問題」と言明していますが、貴方のコメントはそこを「読んでなかった」と判断してよろしいでしょうか。だとすれば、ご自身の意見が通らない人間に対して機械的にコメントをつけるような方だと考えざるを得ませんが。--Mt.Stone 2006年3月5日 (日) 00:05 (UTC)[返信]

  • 最初、「著書がある」というコメントだったので、「服役後に事件を反省し、懺悔する本でも出したのかな?この記事の記述はその本がネタ元なのかな?」と思ったのです。あの書き方では、そう誤解する人も多いのではないかと思います。逮捕前に書いた本は、当然自分のやっていることを正当化し、宣伝する内容のものでしょう。ただ、逮捕後にも同じことが言えるのかどうか。逮捕前に本を書いているのだから、逮捕後に書いてもいいだろう、というのは筋が通らないと思いますが? 私自身も、愛人バンクの説明記事を書くこと自体は反対しません。(筒見の本名は不要と思いますが)
なお、「愛人バンクは筒見たちが始めるまで合法か違法かという判断はなかった」と言われますが、本人達は「売防法にひっかかる可能性はあるが、法の裏をかいているので大丈夫だ」という認識だっただろうと推測されます。 --忠太 2006年3月5日 (日) 03:49 (UTC)[返信]

本人達は「売防法にひっかかる可能性はあるが、法の裏をかいているので大丈夫だ」という認識だっただろうと推測されます

著書『1/3愛して…』によると、愛人バンクを開業する前に「こういうビジネスを始めようと思うんですが、違法性はないでしょうか」と警察に相談したところ、ゴーサインが出たので開業に踏み切ったそうです。よって明白に合法性を信じていたと言っていいでしょう。--Arpeggio 2006年3月5日 (日) 04:06 (UTC)[返信]

  • 警察がゴーサインを出す訳はないと思いますが…。そういう挑発をするから捕まるのかもしれませんね。珍しい本をご紹介ありがとうございます。 --忠太 2006年3月5日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
  • 結局、大半はご自分の思い込みで、議論でその思い込みを埋める努力もなく、自身の観点に反する投票には機械的にコメントをつけ、それらの無礼に対する指摘にはノーコメントだということですね。よくわかりました。--Mt.Stone 2006年3月5日 (日) 18:14 (UTC)[返信]
何だかおっしゃっていることがよくわかりませんね?一応上でコメントはしていますが?それで不十分だと指摘するのであればまだしも、「無礼だから謝れ」とでもいうつもりなのでしょうか? --忠太 2006年3月6日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
そもそも何が言いたいのかわからない機械的なコメントに端を発するやりとりですから、わかるとも思ってないしそれでちょうど良いんじゃないですか(皮肉)。--Mt.Stone 2006年3月6日 (月) 16:29 (UTC)[返信]

Chuta氏の議論姿勢について[編集]

こういった場でこのような苦言を呈することは私自身としても億劫であり、本心としては行いたくないのですが、しかしこのままではどうにも埒があかないため、僭越ながらこの場をお借りして意見を申し上げさせていただきます。

この問題は、Template‐ノート:女性モデルおよび私の会話ページでChuta氏が問題提起され、その後一週間ほど続いている議論における氏の議論姿勢についてです。議論本体とは関係のないChuta氏個人に関するお話であるためこの会話ページをお借りいたします。

まず、お手数ですが問題のページ2つ([2][3])をもう一度よくお読みになってください。これまでの議論について、一定のパターンが見えてきませんか?

  1. Chuta氏が私に対してご意見をくださる。
  2. こちらがその話題について、お返事を返す。
  3. Chuta氏が別の話題・質問を持ち出される。

…そう、このパターンが実に多いのです。というより私の目にはほぼ全てがこれだけで進んでいる印象があります。これらのページを再読されると分かると思いますが、私の書き込みは単なる返信のみではなく、Chuta氏への問いかけが含まれています。それらにはChuta氏からのご説明を願う「質問」もあれば、私の主張はこういうものだけれども異論はありませんかという「確認」もあるわけですが、Chuta氏はそれらの問いかけをほぼ全て無視して新しい話題に移ってしまうのです。この「無視」が故意か不故意かは存じ上げませんが、どちらにせよ私としては自分の知りたいことは分からないし、こちらのお返事をどう受け止められたのかも分からない、まさににっちもさっちも行かない状況になっています。

例えば「確認」のほうですが、こちらとしては新たな反論がない以上、こちらの反論で納得し、ご自身の主張を取り下げられたのかなと考えるのが自然に思えるのですが、本当にこの解釈でよろしいのでしょうか?私の側はこれまで、Chuta氏の質問全てについて可能な限り迅速にご返答を差し上げているつもりなのですが、一方でそちらからは何のお返事もなく、ただただ新しい質問を矢継ぎ早に繰り出されるだけでは何とも参ってしまいます。ノートページや会話ページは一方通行の「質問の場」ではなく、双方向の「議論の場」であるわけですから、面倒でもやはりこちらの書き込みについても尊重をお願いしたいところです。

また、今回もまた例によって新しい質問をご用意されているようですが、この質問も本来は一週間前、私が逆の立場からさしあげたものなわけです。お忘れのようでしたらこのノートの一番上をご覧くださると助かるのですが、やはりまずは、積極的に「削除すべき」と主張を展開されているそちらがご説明なさるべきではないでしょうか。よほど持論にご自信をお持ちのように見受けられますし。

以上、本来の議論とはややずれてしまいご面倒だとは思いますが、正常な進行のため、まずはこの問題についてのChuta氏のご説明と、納得の行く形での今後の議論参加方針、およびこれまでにお返事をいただいていない全ての問いかけに対する歯切れの良い個別返答をお願いいたします。Rokjusk 2006年3月8日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

本当にご了解いただけたのでしょうか。私が希望しているのはスリーサイズ記述についての見解のみでなく、今回私が問題にしている議論姿勢についてのChuta氏のご説明(これまで何故このような行動をとっていたのか、それはいいことだと思うか悪いことだと思うか、またそう思う理由は何故か)と、この問題について納得の行く形での今後の議論参加方針の新見解(今後はどういう姿勢で臨むのか)、およびこれまでにお返事をいただいていない全ての問いかけに対する歯切れの良い個別返答(質問・確認に対してのご返答)であります。「スリーサイズだけ」というような短絡的な理解と、そのまま他の部分を無視して新しいフェーズに移ろうとする行動原理こそが、私が今回問題提起をするに至った迷惑行動なのです。本当に、もう一度よくよく考えていただけませんか。Rokjusk 2006年3月8日 (水) 13:24 (UTC)[返信]
分かりやすくするため一部追記Rokjusk 2006年3月8日 (水) 13:26 (UTC)[返信]
確かに「何故意味がないと考えていらっしゃるのか、まずご説明を願えませんか。」という質問に答えていなかったため不快な思いをさせてしまった点、申し訳ありませんでした(Rokjusk さんが要約欄に書いた「重大な変更」という言葉尻に過剰に反応してしまったようです)。また、Rokjusk さんの2006年3月5日 (日) 14:10 (UTC)の書込みの箇所は、お恥ずかしいことですが、読み落としていました。従って、書込みを全く無視して書込んでしまい、大変に失礼いたしました。以上の点、まずはお詫びいたします。
3サイズについて書きかけたところですが、明日まで頭を冷やすため、しばらく投稿を控えます。 -- 2006年3月8日 (水) 13:39 (UTC) 追記--忠太 2006年3月8日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
…ええと、もうどう言えばいいのかな。
たった今お詫びしてくださった問題は「スリーサイズ見解」と「3月5日の書き込み」についての質問を無視していた、という点についてですよね。この点も確かに気になっていたことではありますし、未だ本題に入っていない今回の議論の主題でもありますので、ご説明していただけたことはうれしいですし、「お詫び」についても実にありがたく感じています。3月5日については履歴上ややみづらい位置にあったとも思いますので、見落としということであれば仕方がないかなとも思います。
しかしながら、既に何度もご説明いたしましたように、今回私が問題にしているのはこれら2点だけではなく、Chuta氏の議論姿勢全体なのです。例示しますと私は「Chuta氏の行動のほうが変ではないか」「テンプレートの方向性を変えるような編集は慎重にすべきでは」などと意見を出しているのですが、これら(上の2つは例ですから、くれぐれもこれだけだと思わずよく確認してください)についてもまだ、Chuta氏からの反応は何もないのです。こういったこちらからのご説明について納得されたのなら「○○については了解した」とだけ書き込んでいただければいいし、おかしいと思うなら「Rokjuskの意見は間違っている」と反論していただけたらいい。とにかく、こちらが出した意見についてのChuta氏の反応が、絶対的に少なすぎるのです。
そしてこの問題について今回会話ページでの提起を行ったわけですが、このページでもまた、この珍妙なパターンの再現が行われてしまっています。これまでのようにどんどん次へ次へと進まれるのでなければ、こちらとしてもご説明やご返答を急かすつもりは全くありません。私が何を問題としているのか、またそれについてどういった対応を取るべきなのか、よくお考えになっていただければ本当に、本当に幸いであります。Rokjusk 2006年3月8日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
「頭を冷やす」と書いておきながら、折角コメントを頂いたので、ご返答します。3サイズに反対する気持ち自体は変わりません(この点は後日書かせてください)。しかし他の場所でも指摘されましたが、自分の意見を通そうとする余り、突っ走ってしまう傾向が出てしまったようで、反省しているところです。読み返すと、特にRokjuskさんのノートに書き込んだ箇所などは大変失礼な言葉と言われても仕方のないものです(撤回できるものなら撤回したい気持ちです)。テンプレートについて等、まだ回答しきれていませんが、今日のところは以上とさせていただきます。しばらくおいて、指摘いただいた点を再考した後に、また書かせていただきます。  --忠太 2006年3月8日 (水) 14:19 (UTC)[返信]
ご理解ありがとうございます。スリーサイズにしろ他の点にしろ、私の側も「絶対に自分が正しい!」と言い切るほどの確信はありません。今後の議論でしっかりと問題点を洗い出し、その上で何らかの結論・合意に至ることができるのであれば最良ですし、それが私の主張と違ったとしてもそれら以上に有意義なものになるかと思います。今回の、Chuta氏の姿勢急変は本当にありがたいものです。一連の議論では序盤から現在まで、全体的に私の側も言葉を荒げることが多々有り、こちらとしても反省が必要だと感じています。また後ほど、より平和的なかたちで話を再開できましたら幸いです。今回は誠意あるご回答をいただき、本当にありがとうございました。Rokjusk 2006年3月8日 (水) 14:44 (UTC)[返信]

回答残りについて[編集]

  • テンプレートについて:自分はこういったテンプレートを作成したり張り付けたりしたことはありませんので、正直なところ必要性自体は疑問です。しかし「使用している方の立場から見ると勝手に変えられては迷惑だ」という点は理解しましたので、今後変更を加えるような場合は、ノートで議論するなどしてから行いたいと思います。
  • 3サイズについて:ご指摘によれば「身体サイズの表記について執筆者間の共通認識はありません。(略)重要なのは、この点について大掛かりな話し合いが行われたことが過去にないということです」ということです(私の記憶する範囲でも確かに無いようです)。ある記事において、別の方が書いた記述を編集上削除することはしばしば生じることです。(何か削除するたびに毎回合意が必要とは思えないのですが、明白な間違いでない限りむやみに削除はしないこと、及び少なくとも)異論がでた場合には、過去の合意の有無を確認したり、手順をふんだ議論をするなりしたいと思います。

本論である3サイズの議論ですが、暫くしてから、どこか適切な場所で再開したいと思います。 --忠太 2006年3月12日 (日) 12:43 (UTC)[返信]

ご回答感謝いたします。
各記事における記述削除については私も普通の編集作業だと思います。ただ、先日のChuta氏の編集はその対象がテンプレートだったため、その結果が「ぶら下がっている全ての記事から丸ごと削除」になってしまっており、これはちょっと影響範囲が大きすぎるんじゃないか、と疑問を持ったため異論をさしはさませていただきました。多くの記事から一律削除してまわるのでなく、個別記事で「この人物にこれはいらないな」という判断をされることには私も文句はありませんので、そこまで慎重になられることもないかと思います。
遅れましたが、重ね重ねありがとうございました。Rokjusk 2006年3月17日 (金) 16:40 (UTC)[返信]

この国には信仰の自由が保障されている[編集]

何を書いてもほっといてね、自分の事だし。オカルトTietew教は他でやってくれ。やっぱり他でもやらないでくれ。あと複数アカウントまとめて出てってくれ。

管理者辞任依頼しました  

管理者辞任依頼 Tietew 管理者辞任依頼NiKe管理者辞任依頼三日月管理者辞任依頼竹麦魚を提出。 りゅーく 2006年3月18日 (土) 15:34 (UTC)[返信]

意味不明なり・・・・? --忠太 2006年3月18日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

画像のライセンス明記のお願い[編集]

Chuta様がアップロードされた、ポンパドゥール夫人の画像のライセンスが不明のようです。お手数ですが明記をお願いできますでしょうか? --TonChinKan 2006年3月29日 (水) 15:11 (UTC)[返信]

[4]をコピーしたものですが、恥ずかしながらライセンス関係は全くもって理解不能です。不適切であれば削除してください。 --忠太 2006年3月29日 (水) 15:21 (UTC)[返信]

ポンパドゥール夫人の画像の編集を拝見しました。パブリックドメインとしてリリースされるのであれば、ライセンス文章の代わりに、{{PD}}タグを貼り付けていただけますでしょうか(Wikipedia:画像の著作権表示タグをご参照下さい)。重ね重ね、お手数おかけいたします。 --TonChinKan 2006年3月29日 (水) 15:50 (UTC)[返信]

張ってみました。 --忠太 2006年3月29日 (水) 15:59 (UTC)[返信]

ありがとうございます。が、コモンズに同等の画像があるということで、いずれにしろこちらの画像は削除されてしまうようですね…。無駄な労力を使わせてしまったようで、申し訳ありません。 --TonChinKan 2006年3月29日 (水) 16:18 (UTC)[返信]

いえいえ、どうも。--忠太 2006年4月5日 (水) 15:32 (UTC)[返信]

プライバシーの件[編集]

会話:Chuta/プライバシーを理由にした削除事例など

人物一覧記事ガイドライン、投票のお願い[編集]

ぶつしけに、このようなお願いをする失礼をご容赦願います。現在、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学/人物一覧記事についてにて、「○○大学の人物一覧」記事に関するガイドライン項目(赤リンク人物記載の可否、記載教職員の範囲)に関する投票が実施されております。投票期間も残り少なくなりましたが、今一度投票のご検討をお願い申し上げます。このお知らせは、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 大学/人物一覧記事についてに意見表明された方に実施しております。--TEy 2006年4月14日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

パッツィ家の陰謀について[編集]

英語版にモンテフェルトロ首謀者説については詳しく記載されています。 「Salviati and Francesco de' Pazzi put together a plan to assassinate Lorenzo and Giuliano de' Medici. Riario himself remained in Rome. The plan was widely known: the pope was reported to have said "I support it― as long as no one is killed." In 2004, an encrypted letter in the archives of the Ubaldini family was discovered by Marcello Simonetta, a historian at Wesleyan University in Connecticut, United States and decoded. It revealed that Federico da Montefeltro, Duke of Urbino, a condottiere for the Papacy who was deeply embroiled in the conspiracy, committed himself to position 600 troops outside Florence, waiting for the moment.」--Kanbun 2006年4月19日 (水) 15:46 (UTC)[返信]

しかし首謀者であるというのはMarcello Simonettaの説であったはずですから、この手紙の事実からは共謀者であることが明らかにできるにすぎないといえるかもしれません。直接Marcello Simonettaの文献に当たったことはないのですが、彼がウルビーノ公首謀者説を唱えているのは間違いなかったはずです。--Kanbun 2006年4月19日 (水) 15:50 (UTC)[返信]

とにかく私自身もこの説については最近の説ですし、詳しく知りません。記事内容にふさわしくないと思われるのであれば、削除していただいてかまいません。ご指摘ありがとうございました。--Kanbun 2006年4月19日 (水) 16:01 (UTC)[返信]

暗号が解読されたというのは非常に胡散臭い感じがしますが…。将来、正しいことが立証されるかもしれませんので、ノートに上記の内容を転記させていただきたいと思います。 --忠太 2006年4月20日 (木) 14:25 (UTC)[返信]
うーん私も詳しくないのでなんともいえませんが、一応Marcello Simonettaはアメリカではイタリア文学と歴史学で著名な研究者らしいです。英語でググるとかなりひっかかります。2004年という最近の発表なので、ググってみても日本のサイトでは詳しい解説はみつからないみたいですね。内容はフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロがパッツィ家と教皇双方に暗号文書を送り、当日呼応できるように兵も用意していたということらしいです。一応英語版にも言及されており、Marcello Simonettaも説の真偽はともかく一応イタリア文学と歴史の専門家らしいですし、そのうち誰か付け加えてくれるだろう程度で書き加えたまでですので。詳しい文献など手に入れば調べられるんですがね・・・。--Kanbun 2006年4月20日 (木) 14:37 (UTC)[返信]
わざわざ転記していただきありがとうございました。また何かありましたらよろしくお願いします。--Kanbun 2006年4月20日 (木) 14:39 (UTC)[返信]

障害者福祉の質問[編集]

通所施設は公共施設、手をつなぐ育成会という団体は福祉制度ですか?

意味不明ですが? --忠太 2006年4月22日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

井戸端について[編集]

私の誤解かもしれませんが、井戸端の[5]の編集で、Clinamenさんの発言が取れてしまっているように見えます。ご確認ください。---Redattore 2006年5月12日 (金) 04:26 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。エラーメッセージを見落としたのか、古い版で編集してしまったのかもしれません。失礼しました。本文は 2006年5月12日 (金) 20:07の版 で既に直されていました。 --忠太 2006年5月12日 (金) 15:08 (UTC)[返信]

家族のために住むの?[編集]

郊外型の衛星住宅は、一般家族たちのものですか?買うのは普通のお金となるんですか?どっちも教えて下さい。

意味不明なり。 --忠太 2006年5月16日 (火) 11:57 (UTC)[返信]

図像学の履歴なのですが[編集]

初版が「イコノグラフィー2006年5月26日 (金) 03:21 からコピー(すぐ直します)」とありますが、何かの間違いなのでしょうか。(UTCでも日本時間でも03:21にはならないし…)履歴継承のための記載のミスならば、一度Chutaさんに即時削除タグを貼ってもらって管理者に削除していただいた後に再分割かと思ったのですが、そもそもイコノグラフィーという項目はないようなのですね。えーと、つまりその、そもそも問題はないようなのですが、ウィキペディアのルール上問題無いことをご確認してもらって良いですか。--Oddmake 2006年5月25日 (木) 15:12 (UTC)[返信]

横レスですが、イコノロジーの投稿者が本人のみなので履歴保存上(間違いであるが)問題ないということだと思います。johncapistrano 2006年5月25日 (木) 15:19 (UTC)[返信]
「イコノグラフィー」は「イコノロジー」の誤記です。また、設定がおかしいのか、自分のブラウザでは03:21となってます。全て自分で書いた文章なので、特に注記しなくてもよいかとも思ったのですが、念のため書いたら余計に混乱を招いてしまったようで面目ないです。(時刻表示については確認しておきます)  --忠太 2006年5月25日 (木) 15:43 (UTC)[返信]
そうでしたか。お手数をおかけしました。(時刻表示についてはウィキペディアのタイムゾーンの設定かもしれませんね。「オプション」-「日付と時刻」-「タイムゾーン」あたりの設定なのかも)--Oddmake 2006年5月26日 (金) 03:52 (UTC)[返信]

画像:Michelangelo.pieta.jpg[編集]

非常に古い画像で申し訳ないのですが画像:Michelangelo.pieta.jpgの出典元がわかりませんでした。出展元がわからない場合にはライセンスの追加ができないのでできましたら出典もとの調査をお願いします。たね 2006年8月15日 (火) 18:10 (UTC)[返信]

記憶が定かではありませんが、以前、英語版に掲載されていた画像と思います。しかし、英語版にもこの画像は残っていないようですので、不都合であれば削除してください(日本語版でもリンク先は無しです) --忠太 2006年8月19日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

ターミナル駅について[編集]

ターミナル駅」記事の分割を提案しましたが、(私を含め)賛成2、反対1の状態で議論が停滞しています。忠太さんは冒頭部の内容が不足しているので分割に反対とのことでしたが、どのような加筆が必要とお考えか、ノート:ターミナル駅のほうに記述して頂ければと思います。 --こまくさ 2006年9月16日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

恐縮ながら「ターミナル駅」から日本の主要ターミナル駅一覧を分割致しました。ご報告申し上げます。 --こまくさ 2006年9月26日 (火) 15:59 (UTC)[返信]

大学寮_(律令制)大学寮への項目名移動を行う事に関して[編集]

突然のお便りで失礼いたします。現在、私は大学寮 (律令制)の項目名を大学寮に移動できないかと提案しています。そこで過去に当該項目の編集に参加された方のご意見を拝聴したいと考えております。議論はノート:大学寮 (律令制)で行いますので、もしご都合が宜しければ、ご参加して戴ければ幸いです。水野白楓 2006年12月14日 (木) 14:53 (UTC)[返信]

著作権侵害確認作業、ご苦労様です[編集]

中村座守田座での著作権侵害確認作業、ご苦労様です。ところで、これらの記事の削除依頼を提出されるご予定はおありでしょうか。変なことを聞いて申し訳ありません。もし今、サブページ作成中だったりしたらすみません。その際はこのメッセージは無視してくださいませ。失礼します。--Tomo_suzuki 2007年2月13日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

宅八郎‎での理由無き記述除去rv[編集]

こんにちは。テスト投稿ありがとうございます。残念ながら、通常のページでのテストは、差し戻しまたは削除されます。テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。このほか便利な機能をいろいろ紹介するガイドブックもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--悠卯斗 2007年4月14日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

スタブ未満作成停止のお願い[編集]

こんにちは。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。

参加して頂いた矢先からこのようなお知らせをすることになって申し訳ないのですが、ウィキペディアは、百科事典を作るのを目的としたプロジェクトであり、言葉の定義のみを書いた辞書を制作するプロジェクトではありません。そのため、非常に短い記述だけの記事を新設したり、余り発展の余地のなさそうな話題を扱うページを新設することの是非については、いろいろと議論があります。Chutaさんが投稿されている記事には短いもの、定義のみで意味がないもの、ひとつの項目にまとめるべきもの、あるいは発展させることが難しいものがいくつか含まれているように思います。

せっかく作成して頂いた記事も、内容が十分でないと後になって削除されるようなことになるかも知れません。そうなってはお互い残念です。ですので、できるだけ、量的、内容的にまとまりのあるものを書いていただけるよう、お願いできますでしょうか?

ちなみに、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかというページにはウィキペディアで受け付けない投稿の典型例を説明していますが、そこでも辞書のように用語の定義だけのものは受け付けない、ということになっています。

またもしよろしかったら、Wikipedia:スタブにある、短くても役に立つような記事の作成法も参考になるかと思います。

では、今後ともどうぞよろしくお願いします。 --Riden 2007年4月20日 (金) 15:39 (UTC)[返信]

記載のお願い[編集]

区画整理に関して記述していただきたいのですが、日本語を利用されている方々に、区画整理の意味と概念を説明するのに、ドイツ(アジケス法を記載は必須だと思います)、韓国・フィリッピン・タイの状況アメリカやヨーロッパに同様な法律がない理由の項目と、その他の項目です。都市計画論文集等を図書館(国会図書館には必ずあると思います。)等で調べると比較的簡単に手に入るのではと考えております。できれば法律が最初に出てきたり、定義などを書くのは百科事典ではあまり良い記述の方法ではないかと考えておりますので避けたいと考えております。 ページの中に厳密ではあるが、私の考える、本質を知るための意味と概念を伝えるのに不必要な項目が多いため、読者の方々に有益な情報が薄れるのではないかと考えております。また、私の勉強にもなると思いますので、よろしくお願いします。また、「てにおは」等についてはどんどん修正お願いします。--Kubuki 2007年6月29日 (金) 06:44 (UTC)[返信]

お台場について[編集]

お台場はペリーが来たときに造られた砲台です。6箇所のうちの2箇所が現在残っており東京都の史跡に指定されております(要確認、、意味と概念はこの記述のままでよいと思います。)。そのうちの一つが現在の地名の「おだいば」です。また、湾岸の埋め立てや新市街地の形成における都市計画や土地利用計画を説明する良い例にも悪い例にも使えそうです。--Kubuki 2007年6月29日 (金) 06:53 (UTC)[返信]

記載のお願い2[編集]

区画整理の記述について、流れを修正したと書いてありますが、一部削除となっており十分に意味と概念が伝わらない部分があります。土地区画整理事業について説明するので、冒頭部分に法律の説明は不要と思われます。法律=土地区画整理事業ではないです。法律は抽象化されたもので、事業の本質は別にあります、詳細は以前に土地区画整理事業のノートページに編集方針(私案)とともに記述しております。後段でアジケス法やその他の法律の内容や用語の意味、定義を十分に忠太さんの調べられてた言葉で、説明してください。特に前にこのページに書き込みました事実の確認を先にされ、記入していただきたいと考えます。削除部分を戻していただくことは意味と概念の理解には必須と考えますので作業よろしくお願いします。流れより記述内容がっても肝心なことが抜けること(余分なことを書き込むことも同様ですが)は忠太さん自身の言われる勉強とともに読者全体に対する意味と概念の理解に役立つと思います。勘違いがありましたらお許しください。またあなたの、土地区画整理事業を記述する当たっての観点をどこかに記述してください。あなたの観点と中立的な観点の差異の比較ができません。もちろん私の記載が中立的な観点である。などど記載するつもりはありません。あなたと私の視点の両方を見る別の視点ですから。--Kubuki 2007年6月29日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

土地区画整理事業については、基本的に入替えただけで特に削除した内容はないと思いますが? 百科事典としては、概要をまず書いて、制度の歴史や実際の運用については、その次になると思います。いきなり酒田大火の話が出てきては読んでいて面食らいます。(まだまだ流れの悪いところは多々ありますので、直していただくのは支障ありません) --忠太 2007年6月29日 (金) 16:28 (UTC)[返信]
酒田の大火の復興事業は神戸の震災以前の状況では専門家の間では重要な事業として認識されていますので、一般の方にも是非紹介したい良い事例になるかと思います。唐突であれば、忠太さんに、これについて、ぜひ、調べていただくと読者に対してこの事業の本質が説明しやすくなると考えておりますので、忠太さんの勉強のためだけでなく読者のために調べて記述してみてください。トピック的な事業ももっとわかりやすい事例が多数あると考えます。土地区画整理事業の項目に対する、あなたと私の知識やバックグラウンドや取り組む姿勢が相当異なると考えますので、流れの整理は材料が全部そろってからわかりやすくしましょう。全体の流れの整理は忠太さんにぜひお願いしたいと考えております。良いページになるとよいですね--Kubuki 2007年6月29日 (金) 17:02 (UTC)[返信]

「東山道武蔵路」の「戻る」表現[編集]

初めまして、MasakiTomasawaと申します。このたびは「東山道武蔵路」の項で私の拙い編集に対し、いろいろ余計な部分、誤りなどご指摘くださりありがとうございました。

その中で「戻る」についてなのですが、表現が悪かったですね……。要は武蔵路は最初は支道だったのではなく、東山道本道の一部になっていたということを言いたかったのです。

つまり東山道のルート自体が「上野国府~新田駅~武蔵国府~足利駅~下野国府」となっていて、新田駅~足利駅の部分だけ東山道が直進ではなくY字型になっていたというのを、言葉で表現しようとして「戻る」表現になってしまったわけです。ただやはり一瞬見ると奇異な表現ですね。この辺、別の表現に改めます。

それでこちらに書き込んだ理由なのですが、Chutaさんがコメントで提示してくださった疑問や意見の方、解決しましたら消してしまってもよろしいでしょうか? 普通の文ではなくノートに相当する内容なので、一応書かれた方の了承を取ってからの方がいいと思いましたのでお訊ねいたしました次第です。MasakiTomasawa 2007年7月30日 (月) 01:40 (UTC)[返信]

こんにちは。色々加筆をいただいたので充実した記事内容になってきました。上記に記載の内容でしたら消して構いません。例えばノートに一言書いたうえで修正、といったやり方でもよかったと思います。
古代の駅制については不案内ですが、上野国から下野国に向かうときに(武蔵国には特に寄る必要がない場合にも)武蔵国に寄らなければいけない、というのは一体どういうことなのか、合点がいかないことです。ご紹介の「多摩のあゆみ」を探してみます。 --忠太 2007年7月30日 (月) 16:32 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。そちらについてはそういたします。

それで上記で疑問とされた件なのですが、実は結論から言いますと、あれはあくまで道がルート上で武蔵国を通っている、という話です。旅行者は全員何が何でも正式ルートを全部通らなければいけないという規定はないので、別に武蔵に用事がなければ、Y字の交点を通ってショートカットしてもよかったのです。

今見直すと、支道化の節の部分が少々このような誤解を招きやすい表現になっていますね。修正しておきます。どうも申しわけありませんでした。

追伸:なお、この辺の話は参考資料で挙げた「多摩のあゆみ」には載っていません。リンクに入っている「道」はじめ、本やらネットやらでいろいろ調べてのことなので……。「多摩のあゆみ」を出している多摩信用金庫本店の図書室あたりにまとまったものがあったと思うのですが、思い当たりません。見つかりましたら加筆します。MasakiTomasawa 2007年7月30日 (月) 17:52 (UTC)[返信]

以後はノート:東山道武蔵路で書いてみます。 --忠太 2007年7月31日 (火) 10:59 (UTC)[返信]

Image:Mayflower ii.jpgへの出典とライセンス明記のお願い[編集]

出典とライセンスがありません

こんにちは。Image:Mayflower ii.jpgをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後(2004年10月以前にアップロードされたメディアについては2008年3月1日以降)に削除されますので御注意ください。

このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。

加えて、その画像をどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。画像の著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、画像の著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際は画像ページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同画像を再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますWakkubox 2007年12月25日 (火) 13:04 (UTC)[返信]

履歴覧にあるとおり、英語版からのコピーですが、問題あるようなら削除いただいて構いません。 --忠太 2007年12月26日 (水) 07:22 (UTC)[返信]

Image:Michelangelo.pieta.jpgへの出典とライセンス明記のお願い[編集]

出典とライセンスがありません

こんにちは。Image:Michelangelo.pieta.jpgをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後(2004年10月以前にアップロードされたメディアについては2008年3月1日以降)に削除されますので御注意ください。

このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。

加えて、その画像をどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。画像の著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、画像の著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際は画像ページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同画像を再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますWakkubox 2007年12月25日 (火) 13:04 (UTC)[返信]

上の項目と同じです。 --忠太 2007年12月26日 (水) 07:23 (UTC)[返信]

ジェームス・ホープレヒトの日本語版作成について(お礼)[編集]

Chutaさん、はじめまして。 私は、古い建築雑誌等から情報収集して、近代建築(主に関西)関係の新規項目作成・画像投稿を中心に活動しておりますOtraffと申します。

このたびは、ヘルマン・エンデの項目で、標題のドイツ語版からの翻訳希望の旨を(こっそり)コメントさせていただいたところ、即座に作成していただきどうもありがとうございました!対応の速さに、驚嘆しております。

それでは、今後も投稿がオーバーラップすることがあろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします! --Otraff 2008年2月1日 (金) 16:58 (UTC)[返信]

こちらこそ、よろしくお願いします。 --忠太 2008年2月2日 (土) 03:36 (UTC)[返信]

お礼とお詫び[編集]

ノート:世界システム論での編集ポカについてお手間をかけた上に、ミスらせてしまい、申し訳ありませんでした。それにしても署名タグがきちんと反映されなかったのが疑問です。--ゴンベイ 2008年3月13日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

どういたしまして。「<nowiki>」のタグが閉じてなかったために起こった現象でした。建設的な議論を期待しています。  --忠太 2008年3月14日 (金) 14:54 (UTC)[返信]


ご意見をお聞かせください[編集]

はじめまして。できましたらノート:ピエール・リブレにご意見をお寄せいただきたいのですが。「主に、ou という綴りを含むフランスの近現代建築界の最重要な人物の姓や作品名の定着した日本語表記(ジャン・プルーヴェジャン・ヌーヴェルラ・トゥーレット修道院など)との整合性の問題は無視できないから」という理由で記事名をもとにもどすことを提案しています。Category:フランスの建築家をみると、ou という綴りを含む姓は上記のほかエティエンヌ・ルイ・ブーレークロード・ニコラ・ルドゥーウジェーヌ・ボードゥアンがあります。最後の項目をフランス語版から翻訳したのは私で、このとき姓の表記に迷った記憶はなく、いまボードゥアンを確認してややうろたえています。ブーレーを考えるとリブーレーも選択肢にはいるような気がします。ちなみに1968年の時点ですが植田実氏はリブレを採択なさっています。前川國男項目の「如何なものか」に怠慢からお答えしないままになっています。申し訳ありません。時間的に大目にみてくださればいずれ対処しようと思いますが、怠慢からそのままに放置されていたら、適切と思われる編集をなさってください。勝手なお願いばかりで本当に申し訳ありません。--建築的散策者 2008年4月19日 (土) 06:44 (UTC)[返信]

ノート:武功夜話への補足御礼[編集]

はじめまして。武功夜話へのノートの署名補足誠にありがとうございました。

ところで、署名補足用にはテンプレートがありますので、今後はそれをお使い下さいますようお願い申し上げます。こちらです→Wikipedia:Template メッセージの一覧/ノート名前空間#署名を補う --こぶまき 2008年8月29日 (金) 04:48 (UTC)[返信]

岩村透男爵位継承について[編集]

透の実父・岩村高俊の微調整をしていたときに偶然気が付いたのですが、高俊の男爵位を誰が継承したかという点について高俊の項目と透の項目では記述内容が全く異なるようです。「岩村透」の項目を立項され、当該部分を記述されたのはChuta氏のようですので、この点について何か情報をご存じかと思い、協力をお願いに参りました。討議はノート:岩村透にて行っております。よろしくお願い申し上げます。--こぶまき 2008年12月21日 (日) 16:31 (UTC)[返信]

ニコラ・ディ・リエンツォ[編集]

(コピー)ニコラ・ディ・リエンツォ(Nicola di Rienzo,1313年頃-1354年10月8日)は、14世紀半ばのイタリア・ローマの政治家。名前についてはコーラ・ディ・リエンツォ(Cola di Rienzo)あるいはリエンツィ(Rienzi)とも表記する。生年についても1314年という説もある。本名ニコロ・ガブリーニ(Nicolo Gabrini)。

ローマで貧しい居酒屋の子として生まれた。ほぼ独学で高い人文主義的教養を身につけ、やがて公証人となった。その後、アヴィニョン捕囚教皇のクレメンス6世への使節となって同地に赴き、クレメンス6世の知遇を得た。

当時、ローマではオルシーニ家とコロンナ家を中心とした貴族寡頭政治が行われていたが、リエンツォは1347年5月20日に民衆を扇動して蜂起し、貴族階級の中心だった元老院議員たちを追放した。同年8月15日にローマ市民に推されて護民官に就任した。(コーラ革命)

しかし彼は次第に専制的手法をとるようになり、そのためにローマ市民の反感を買った。その後、当初彼を支持した教皇クレメンス6世と対立したため後ろ盾を失い、12月15日に護民官を辞職してローマから逃亡。カール4世のもとに亡命したがそこでも追放され、教皇庁に逮捕されてアヴィニョンに幽閉された。

1354年8月、リエンツォは教皇インノケンティウス6世により許されてローマに帰還し、市民層の根強い人気を背景に復権を図った。しかし同年10月8日、暴徒によって議会で殺され、死体を市中に引きずり回された。41歳(40歳とも)だった。

彼はイタリア統一の理想を掲げ、ペトラルカら同時代人に大きな影響を与えた。リエンツォの生涯は、後にワーグナーの歌劇『リエンツィ』(1840年完成)に題材を提供している。

アヴィニョン教皇庁における編集について[編集]

あなたは、明記された出典を削除した(現在は他の方により復旧されている)が、その削除行為について 合理的かつ正当な削除理由を提示願う。当たり前のことだが、個人的な感覚ではなく--Mariemon 2010年4月26日 (月) 16:10 (UTC)[返信]

横から失礼。Mariemonさんは出典の貼りすぎです。もう少し考えてから差し戻し及び編集するようにしてください。--福原実 2010年4月26日 (月) 22:40 (UTC)[返信]
編集時に見づらくなりますし、(一般の書籍だとしても)一々こんなに注釈を付けたら読者がとまどいますよ。お気に触ったのでしたらお許し下さい。 --忠太 2010年4月30日 (金) 15:25 (UTC)[返信]

大衆文化での記述について[編集]

はじめまして。大衆文化2005年7月28日 (木) 01:07の版において、クラシックの鑑賞にソナタ形式などの知識が必要という旨の加筆をなされていますが、コレに関して何らかの情報源はございますでしょうか。--kiku_b(talk/work) 2010年7月29日 (木) 10:22 (UTC)[返信]

「必要」というのは言い過ぎですか。(教養主義の立場からは?)「知識のあることが期待される」といったところでしょうか。2chなので出典になりませんが、[6]の373あたりにある受容史と関係がありそうです。 --忠太 2010年8月25日 (水) 16:47 (UTC)[返信]

ハイカルチャーでの記述について[編集]

重ね重ね失礼いたします。ハイカルチャーの記述において、日本文化におけるハイカルチャーの具体例を追記なさっていますが、こちらも何かしらの文献に載っているものでしょうか。

編集履歴などを覗い、Chuta様は文化関係の分野について知識が深いと感じました。上節の関連も含めましてこの分野の無学者でもわかりやすい図書などございましたらお教えいただけるととても幸いです。--kiku_b(talk/work) 2010年8月24日 (火) 12:39 (UTC)[返信]

この箇所を書いた際には、中野三敏「写楽」(中公新書)の「江戸文化における『雅』と『俗』」の章を念頭においていたと思います。もっとも、中野氏がこのとおりに分類している訳ではないですが。 --忠太 2010年8月25日 (水) 17:09 (UTC)[返信]
まとめて失礼させていただきます。クラシック音楽の受容史の書き込みについて確認できました。中野氏の書籍につきましても時間を見つけて探したいと思います。ご返答に感謝します。--kiku_b(talk/work) 2010年8月26日 (木) 10:20 (UTC)[返信]

美術系記事の出典依頼[編集]

初めまして、光舟会話)と申します。本題ですが、Chuta さんがこれまで書いて来られた美術系記事の出典追補をお願いします。過去に作成された重要な美術の項目で、出典皆無、あるいは独自研究と思しき記事が大量に存在しますが、それらのなかに Chuta さんの履歴が結構存在し、多くの記述が出典を伴っておりません。ご自分のなさった記述に出典をつけていただいて、記事の信頼性を高めることにご助力いただければ幸いです。--光舟会話2013年2月8日 (金) 14:27 (UTC)[返信]

返答が遅れました。(ノート:ウィトルウィウス的人体図の件では失礼しました)言い訳になりますが、一応書かせていただきます。
現在の私は時間の余裕があるときに無理のない範囲で、関心のある項目や気になった項目を細々と編集している程度です。上記のご指摘もいただきましたので、現在では編集の際になるべく出典を付けるように心掛けているつもりです。
過去に執筆した記事については、できましたら問題のある個所を具体的に例示していただければ幸いです(大量にあるのかもしれませんが)。  --忠太会話2013年9月26日 (木) 16:13 (UTC)[返信]
ご自身でご確認ください。半年以上放置された今になって、そこまで懇切丁寧に私がお教えする必要を認めません。あえて一例を挙げるならつい先日私が英語版から全面改稿した、とある記事が好例だと申し上げておきます。--光舟会話2013年9月30日 (月) 13:15 (UTC)[返信]
ルクレツィア・ボルジアのことでしょうか?全面改稿により記事が充実したことは何よりと思います。
確かに初版(2004年)は、今日から見ると不十分な記事でしょう。が、これまた言い訳になりますが、新規作成した当時も(その後も)「出典不足」と指摘されたことはありませんし、その間、何人もの方が加筆されているので、私のみの責任ではないと思います・・・え~言い訳です、すいません。
今後も自分なりに気の付いた範囲で努力は続けたいと思いますのでよろしくお願いします。 --忠太会話2013年10月2日 (水) 11:16 (UTC)[返信]

洛中洛外図について[編集]

はじめまして、j8takagiと申します。 忠太さんがノートなどでたびたび有益なコメントされている洛中洛外図について、やや大胆な編集を加えました。 ノートでの議論なども拝見して、全体の構成を変えた方がよいと判断しました。 論点(今谷説への評価など)が整理され、さらに今後より詳細な説明が追記しやすくなっているとよいな、と思っています。 問題点などあればご連絡をお願いします。 --j8takagi会話2013年7月28日 (日) 13:53 (UTC)[返信]

編集内容を拝見しました。編集お疲れ様です。内容に特に異論はありません。 --忠太会話2013年9月26日 (木) 16:16 (UTC)[返信]

ノート:日本におけるDOCOMOMO150選[編集]

先日、ノート:日本におけるDOCOMOMO150選に意見を頂きまして、ありがとうございます。以前の議論と忠太さんの意見。さらに正式名称の原則を踏まえて、新たな名称案を出しました。改めて確認していただければありがたく思います。--Taisyo会話2014年3月22日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

Global account[編集]

Hi Chuta! As a Steward I'm involved in the upcoming unification of all accounts organized by the Wikimedia Foundation (see m:Single User Login finalisation announcement). By looking at your account, I realized that you don't have a global account yet. In order to secure your name, I recommend you to create such account on your own by submitting your password on Special:MergeAccount and unifying your local accounts. If you have any problems with doing that or further questions, please don't hesitate to contact me on my talk page. Cheers, DerHexer会話2015年1月18日 (日) 11:31 (UTC)[返信]

メモ[編集]

寝殿造の査読依頼のお願い[編集]

精力的に記事の編集をなされているようで頭が下がります。私など何年に一度かぐらいなので。今回寝殿造をリライトしました。査読依頼も出しましたので改善に向けてのご意見を、査読依頼にでもノート:寝殿造にでも頂ければと思います。ノート:武家造での忠太さんの「(誰が使い始めたのだろうか?)」との問いかけにも自分なりに答えたつもりではあります。ところで忠太さんの「忠太」とは伊東忠太からですか?--Ktmchi会話2017年6月20日 (火) 18:52 (UTC)[返信]

2017年版ソースエディター[編集]

何かのはずみで2017年版ソースエディターが勝手に起動して困ったことになった。ブラウザ(IE11)との相性が悪いのか、本文を修正しようとすると、修正前の文字と修正後の文字が重なり合って見え、乱視が悪化したのかと不安にかられた。ブラウザをEdgeに切り替えたら多少ましになったが、やはり使いにくい。あちこちいじっているうちに、ソースエディタは出なくなったが、今度は日本語変換がおかしくなった。 --Chuta会話2018年6月26日 (火) 14:43 (UTC)[返信]

2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します[編集]

こんにちは!

2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。

  • ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください
  • 候補者紹介
今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください

理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。

その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。

ご質問がございましたら、ファシリテーター選挙ボランティアまでお問い合わせください。

選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:02 (UTC)

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まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い[編集]

Chutaさん

こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。

2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

もしChutaさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。

ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるChutaさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。

投票いただくに際し、まず19名の候補者からChutaさんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。

投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。

ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、Chutaさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:12 (UTC)

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利用者ページのカテゴリについて[編集]

こんにちは。Chutaさんの利用者ページ「利用者:Chuta/sandbox」ですが、Category:江戸時代の歌舞伎役者など通常記事(標準名前空間)で使うことが想定されているカテゴリが複数、付与されています。そのため、カテゴリページにてChutaさんの利用者ページが表示されてしまっています。Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ編集の指針により、利用者ページには(書きかけの記事/下書き/Sandboxであっても)通常記事と同じカテゴリは付与しないことになっていますので、Wikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトを参考に利用者ページのカテゴリを<!---->で囲んでコメントアウトするなどの対処をお願いします。

1週間ほどお待ちしてもご対処いただけなければ、不躾ながらWikipedia:利用者ページ#他者による編集や削除依頼のガイドラインに従い利用者ページを他の利用者が直接修正させていただく場合もありますので、ご容赦ください。--Keruby会話2022年2月2日 (水) 19:11 (UTC)[返信]

田所裕美子[編集]

はじめまして、ねこの森には帰れないと申します。ビデオボーイの立項者です。

田所裕美子を編集・加筆して下さりありがとうございます。「1983年9月に創刊され、2号で撤退したという雑誌」は、どうやら「月刊ビデオボーイ」が正しいようです。「ビデオボーイ」とは全く別の雑誌です[1]。AV出演前ということでしたら「ビデオボーイ」では時間的前後関係がおかしなことになります。--ねこの森には帰れない会話2022年6月6日 (月) 12:08 (UTC)[返信]

はじめまして。出典の朝日ジャーナルを探しましたが、該当する箇所がなかったため、「ビデオボーイ」の記述を修正しました。ご了承ください。 --忠太会話2022年6月8日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

出典[編集]

  1. ^ 「AJ MEDIA GUIDE 情報誌・専門誌全100冊を読む」『朝日ジャーナル』第25巻第40号、朝日新聞社、1983年、114-116頁。 

井手薫 「第一高等学校を経って...」[編集]

こんにちは!忠太さんの貢献に感謝いたします。ひとつ質問がありますが、井手薫の部分で、「第一高等学校を経って」と編集されたのは、ソースなどがございませんでしょうか。また、その第一高等学校は東京の第一高等学校なのでしょうか、ご確認いただけますか。お手数をおかけしますが、お時間がある際にお知らせいただけると幸いです。どうもありがとうございます。--Ll1866会話2024年4月4日 (木) 06:54 (UTC)[返信]

「東京の旧制一高」とすればわかりやすいでしょうか。
国立国会図書館デジタルコレクションの『第一高等学校一覧』M35-36に3年生として名前が載っています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/812876/1/56
(56コマ左ページのちょうど中心付近にあり。岡田信一郎や笠原敏郎と同級、隣の組に本野精吾、倉田謙)
ただし、一高の卒業生名簿の類いには載っておらず「一高卒業」ではありません。--忠太会話2024年4月6日 (土) 02:02 (UTC)[返信]