仲谷昇

なかや のぼる
仲谷 昇
仲谷 昇
仲谷昇(1954年
本名 仲谷 昇流(読み同じ)
生年月日 (1929-05-04) 1929年5月4日
没年月日 (2006-11-16) 2006年11月16日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市芝区(現在の東京都港区
死没地 日本の旗 日本東京都港区
職業 俳優
ジャンル 舞台・テレビドラマ・映画など
活動内容 1953年:映画初出演
1963年:劇団雲結成
1975年:劇団雲退団、演劇集団 円結成
1981年 : 演劇集団 円代表就任
配偶者 岸田今日子
1954年 - 1978年
一般人
1980年 - 1997年
一般人
2002年 - 2006年
主な作品
テレビドラマ
天下御免
風と雲と虹と
草燃える
スパイダーマン
鬼平犯科帳
大戦隊ゴーグルファイブ
バラエティー番組など
カノッサの屈辱
 
受賞
第7回菊田一夫演劇賞
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仲谷 昇(なかや のぼる、1929年5月4日[1][2] - 2006年11月16日)は、日本俳優である。本名は仲谷 昇流なかや のぼる[1][2]

東京府[1]東京市芝区高輪(現:東京都港区)出身[2]中央大学法学部中退[1][2]文学座[1]劇団雲を経て[1]演劇集団 円に所属していた[1]

来歴[編集]

私立麻布中学を経て1949年(昭和24年)に中央大学法学部に入学するが、大学在学中に演劇活動にのめり込み大学を中退し、1950年(昭和25年)に文学座附属演劇研究所に入る[3]1951年(昭和26年)、座員に昇格[3]1953年(昭和28年)、『にごりえ』で映画に初出演し[4]中平康の監督映画『猟人日記』・『砂の上の植物群』では主演を務め以降、舞台、映画、テレビで貴重な存在として活躍を果たす。

1963年、劇団の体質への不満から芥川比呂志神山繁小池朝雄らと文学座を脱退し、福田恆存を中心とした劇団雲の結成に参加。1975年には芥川、神山、中村伸郎らと劇団雲から離れ、演劇集団 円を結成した。芥川亡き後、1981年からは同劇団代表および運営法人の代表取締役を務めた。

文学座以来行動を共にしていた女優の岸田今日子1954年に結婚、一女をもうけるも1978年に離婚。1980年に再婚したが、1997年に2度目の離婚。その後、2002年に3度目の結婚。

テレビドラマでは、教授・首相・組織の長などの地位の高い役を担当することが多く、仲谷自身も『キイハンター』などそうした役柄を楽しんで演じていたことを述べている[5]

一方、フジテレビの歴史バラエティー『カノッサの屈辱』では案内役「仲谷教授」でレギュラー出演した。また、1990年代前半には日本テレビのクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」の番組初期に放送されていたミステリークイズ「マジカルミステリー劇場」のミニドラマで、主人公の「中谷(なかたに)探偵」を演じた。

2006年11月16日7時22分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都港区の病院で死去[6]。77歳没。

人物[編集]

競馬好きで、競馬雑誌の連載を担当していたこともある。野球も好きで、文学座時代は野球部のエースで橋爪功は新人時代に鍛えられたという。プロ野球読売ジャイアンツのファンである。

ヘビースモーカーであり、1日100本煙草を吸っていたという。

出演[編集]

映画[編集]

砂の上の植物群』(1964年)

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、146頁。全国書誌番号:83045303 
  2. ^ a b c d “仲谷 昇(ナカヤ ノボル)とは - コトバンク”. (n.d.). https://kotobank.jp/word/%E4%BB%B2%E8%B0%B7%20%E6%98%87-1673154 2019年4月10日閲覧。 
  3. ^ a b 仲谷昇の演劇に対する飽くなきこだわり人生”. シネマズ. 松竹 (2016年4月10日). 2016年10月19日閲覧。
  4. ^ 仲谷 昇(ナカヤ ノボル)とは”. コトバンク. 2016年10月21日閲覧。
  5. ^ スーパー戦隊大全集 1988, p. 201, 「スーパー戦隊シリーズINTERVIEW CAST編」.
  6. ^ “個性派俳優の仲谷昇さんが死去”. asahi.com (朝日新聞社). (2006年11月18日). https://www.asahi.com/culture/stage/theater/NIK200611180007.html 2021年10月1日閲覧。 
  7. ^ 芸能学会(編)『芸能』1月号、芸能発行所、1986年1月、42頁。 
  8. ^ 『ACC CM年鑑'61/'62/'63』(全日本CM協議会編集、三彩社、1964年 173頁)
  9. ^ 全日本CM協議会 編『CM25年史』講談社、1978年1月15日、221 - 226頁。NDLJP:12025175/115 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]