五十嵐正 (建築家)

いがらし ただし

五十嵐 正
生誕 1912年明治45年)
北海道滝川町(現 滝川市)
死没 1981年(昭和56年)68歳
死因 急性心不全
国籍 日本の旗 日本
出身校 日本大学工学部(現 理工学部建築学科
職業 建築家
団体 五十嵐建築設計事務所
活動拠点 北海道帯広市
肩書き 建築家・設計技師
五十嵐太郎吉
親戚 五十嵐威暢(甥)
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五十嵐 正(いがらし ただし、1912年 - 1981年)は、日本の建築家北海道滝川町生まれ[1]デザイナー五十嵐威暢は甥に当たる。2005年、威暢の毎日デザイン賞(特別賞)決定により、その影響を与えた人物として、五十嵐正に注目した建築系編集者植田実(建築評論家)の手による取材が行われ、「Casa BRUTUS」(マガジンハウス)の雑誌記事と書籍の出版が行われた。

経歴[編集]

1912年明治45年)、北海道滝川町の実業家 五十嵐太郎吉の家庭に六男として生まれた[2]

明治学院大学文学部英文学科に進学するが、目指すものが違うと、その後日本大学工学部(現 理工学部建築学科 に再入学し建築家を志す。 1938年(昭和13年)、同校を卒業し、東京の木田建業に入社する。ほどなく札幌に転勤。

1944年(昭和19年)、召集されたが結核を患い除隊し、療養生活をおくる。戦後元の会社に復職した。

1950年(昭和25年)、木田建業を退社し、帯広市に「五十嵐建築設計事務所」を開設した。以降、帯広市を拠点に、数多くの建築作品を残す。

1981年(昭和56年)、急性心不全により逝去、68歳[1]

参考文献[編集]

  • 『建築家 五十嵐正 - 帯広に五百の建築をつくった』植田実:著、藤塚光政:写真、西田書店、2007年3月7日、ISBN 978-4888664547
  • Casa BRUTUS」(マガジンハウス2006年2月号 -「帯広で150軒の住宅を設計した建築家」
  • 「太郎吉蔵からの問い 都市は誰のものか?」インタビュー五十嵐威暢 聞き手:新堀学+倉方俊輔(2008年12月21日、イガラシアトリエにて)[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 植田実、藤塚光政:写真『建築家 五十嵐正 - 帯広に五百の建築をつくった』西田書店、2007年3月7日。ISBN 978-4888664547 
  2. ^ a b インタビュー五十嵐威暢 聞き手:新堀学+倉方俊輔LIXIL Corporation (2009年3月20日). “Renovation Interview005 太郎吉蔵からの問い 都市は誰のものか?”. Renovation Interview. LIXIL Corporation. 2020年2月23日閲覧。

外部リンク[編集]

  • telescoweb - テレスコウェブ telescoweb event | みんなでつくる建築・都市・デザイン情報
  • kanekokunihikojp -