ウクライナ系ユダヤ人の一覧

ウクライナ系ユダヤ人の一覧は、ウクライナ出身の著名ユダヤ人の一覧である(子孫も含む)。

歴史概要[編集]

ユダヤ人コミュニティはキエフ大公国(9世紀後期から13世紀中期)の時代から現代のウクライナ領に存在している[1][2]。その地域ではハシディズムからシオニズムに至るユダヤ人の重要な宗教的・文化的運動が起きた。彼らは繁栄した時期もあったが、その一方で迫害反ユダヤ差別を受けた。ウクライナ人民共和国(1917年-1920年)においてはウクライナ語ロシア語と共にイディッシュ語が国家の言語となった。その頃、ユダヤ人の民族同盟が創設され、コミュニティに自治権が付与された[3]。1917年から1920年の間、イディッシュ語はウクライナの通貨に使用された[4]第二次世界大戦前、ウクライナの都市人口の3分の1弱はユダヤ人で構成されていた[5]。ウクライナ系ユダヤ人には、それぞれ異なる特徴を持つ細分化された集団があった。そこにはアシュケナジム山岳ユダヤ人ブハラ・ユダヤ人クリミア・カライム人クリムチャク人グルジームが含まれる。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のウクライナにおいて多くのユダヤ人が虐殺された。戦後1959年のウクライナにおけるユダヤ人は84万人となり、1941年の人口から約70%減少した。冷戦期にさらに減少し、1989年には1959年の約半分となった。共産主義体制の崩壊とともに大半のユダヤ人はウクライナを離れ、多くはイスラエルへ移住(アリーヤー)した[6]。1990年代にイスラエルへ移住(アリーヤー)したウクライナ系ユダヤ人は約26万6,300人にのぼった[7]2001年ウクライナ国勢調査によると、10万6,600人のユダヤ人がウクライナに居住している[8]。欧州ユダヤ人会議(EJC)によると、2014年時点で36万人から40万人のユダヤ人が在留している[9]世界ユダヤ人会議によると、2014年時点におけるウクライナのユダヤ人コミュニティはヨーロッパで3番目、世界で5番目の規模である[10]

2013年から2014年にウクライナで起こった親欧州派市民によるユーロマイダン運動(親ロシア派政権への反対運動)に対してウクライナ・ユダヤ人委員会(Ukrainian Jewish Committee)のエドゥアルド・ドリンスキーは、極右勢力が容認される愛国主義的風潮がウクライナ社会に醸成されてユダヤ人排斥に発展することやホロコーストへの否定的政府見解などの懸念をニューヨーク・タイムズ紙上で表明した(彼はまたユダヤ人社会を擁護し、ユダヤ人もユーロマイダン運動に協力していることを付け加えた)[11]。ユーロマイダン運動以降、ウクライナ南部と東部は不安定化し、ドンバス戦争が勃発した[12]。ユーロマイダン運動が影響し、ウクライナからアリーヤーしたウクライナ系ユダヤ人は2014年の年初来4か月で前年比142%増加した[13]。2014年1月から4月にかけて800人以上がイスラエルに到着し、5月には200人以上が申し込みを済ませた[13]

2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻が開始した。侵攻から2日後の安息日に100人のユダヤ人がイスラエル移住に向けてベラルーシに避難した[14]。翌月の3月2日に、イスラエルのためのユダヤ機関(Jewish Agency for Israel)は、ポーランドルーマニアモルドヴァに避難した数百人のユダヤ人戦争難民が翌週にイスラエルへ向かうと報告した[15]。しかし避難民の苦難は続き、2023年にイスラエルとハマスの戦争が勃発した。

信仰・思想[編集]

思想家レフ・トロツキー

政治[編集]

ウクライナ首相ユーリヤ・ティモシェンコ

実業[編集]

ミハエル・コーガンタイトーを設立。(写真はタイトーステーション秋葉原店)

学術[編集]

ワクチン開発者ウォルデマール・ハフキン
レーニン賞天文学者ヨシフ・シクロフスキー
スタニスラフ・ウラムマンハッタン計画に参加。(写真はトリニティ実験
心理学者ジークムント・フロイト

文芸[編集]

スターリン賞作家イリヤ・エレンブルグ
レーニン勲章作家ペレツ・マルキシュ。(前列中央)

音楽[編集]

指揮者レナード・バーンスタイン
ピアニストウラディミール・ホロヴィッツ
音楽家セルジュ・ゲンスブール
歌手ミッシェル・ポルナレフ
歌手ボブ・ディラン

芸術・芸能[編集]

映画監督スティーヴン・スピルバーグ
ハリウッド女優ミラ・クニス

スポーツ[編集]

  • ヤナ・クロチコワ - 競泳選手。(シドニー五輪、アテネ五輪金メダリスト)
  • サーシャ・コーエン - スケート選手。ウクライナ移民のユダヤ系アメリカ人の娘。サーシャは本名アレクサンドラのウクライナ語の愛称。

その他[編集]

ホロコースト生還者サイモン・ヴィーゼンタール

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Серія "Між Львівською площею та Євбазом (сучасна площа Перемоги)" (Фото Києва ::: Фото Киева ::: Photo of Kiev ::: Pictures of Kyiv)” (2014年11月21日). 2014年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  2. ^ Kipiani, V. "Interesting Books": Jewish addresses of Kyiv. News Broadcasting Service (TSN). 6 April 2012
  3. ^ National policy of the Central Council in conditions of Ukrainian independence (January-April 1918). Electronic library of handbooks.
  4. ^ Money with Yiddish labels. Hadashot by Vaad of Ukraine. January of 2008
  5. ^ Jewish Urban Population: 1897”. Geschichteinchronologie.ch (2007年5月7日). 2013年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月16日閲覧。
  6. ^ Table 30. Immigrants from the USSR (former) by last republic of residence: 1990-2001”. Central Bureau of Statistics, State of Israel. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月16日閲覧。
  7. ^ Stephen Roth Institute; League, Bnai Brith Anti-defamation (英語). Anti-Semitism Worl Wide. Ramot Publishing.. p. 150. https://books.google.com/books?id=7Ds6X1j_qkgC&pg=PA150 
  8. ^ About number and composition population of UKRAINE by data All-Ukrainian population census'2001 data Archived 17 December 2011 at the Wayback Machine., ウクライナ国勢調査 (2001年)
  9. ^ Ukraine”. European Jewish Congress. 2022年5月10日閲覧。
  10. ^ Ukraine. World Jewish Congress.
  11. ^ Dolinsky, Eduard (2017年4月11日). “Opinion | What Ukraine’s Jews Fear”. 2024年1月3日閲覧。
  12. ^ “Ukraine crisis: Timeline”. BBC News. (2014年11月13日). https://www.bbc.com/news/world-middle-east-26248275 2022年5月10日閲覧。 
  13. ^ a b Ukrainian Jews immigrate to Israel amid growing unrest”. The Times of Israel (2014年5月4日). 2014年5月12日閲覧。
  14. ^ Rescuing 100 Jews in Ukraine on Shabbat”. aish.com (2022年3月3日). 2022年5月10日閲覧。
  15. ^ Gross, Judah Ari. “Hundreds of Jews fleeing Ukraine to arrive in Israel next week”. www.timesofisrael.com. 2022年5月10日閲覧。
  16. ^ “ラーム・エマニュエル 駐日アメリカ大使インタビュー「中露の強権は見過ごせない――私の使命感と家族の歴史」”. 中央公論.jp. (2022年9月21日). https://chuokoron.jp/international/121152_6.html