ベトナミゼーション
ベトナム (越南) | |
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ベトナミゼーション、ベトナマイゼーション(英語: Vietnamization)
- 通常は、制度や風習などをベトナムのようにする行為を指す。歴史的には18世紀のメコンデルタにおける南進の影響など。
- 外交政策では、ベトナム戦争の最中にリチャード・ニクソン米国大統領が計画した、ベトナムからの撤退戦略を指す。つまり米軍など外国の軍隊は手を引いて、戦争を北ベトナム対南ベトナム、ベトナム人どうしのものにするという意味合いである。この用法から転じて、後の時代に「アフガニスタンのベトナム化」、「イラクのベトナム化」という使い方がされる場合がある。本項目ではこれについて述べる。
制度や風習[編集]
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外交政策[編集]
テト攻勢を受けて勝利の可能性が絶たれた事を知ったアメリカ合衆国は、戦争を南ベトナムに押し付けて手を引こうとしていた。1968年にパリ和平会談が開かれたが、結論はここでは出なかった。1969年に就任したリチャード・ニクソン大統領は撤退を検討し始め、同年7月25日に「ニクソン・ドクトリン」を発表、今後は南ベトナム自身の努力によって防衛を行うように要求した。同年9月2日にホー・チ・ミン主席が死去した。1970年からその翌年にかけてアメリカはカンボジアやラオスに軍事侵攻し、戦況を更に悪化させた。1973年3月29日に撤退が完了し、アメリカ合衆国にとってのベトナム戦争はこれで終了した。1975年にサイゴンが陥落し、その翌年7月2日にベトナムは再統一された。