スティーヴ・ハウ (ギタリスト)

スティーヴ・ハウ
Steve Howe
スティーヴ・ハウとスパニッシュ・ラウド(2015年)
基本情報
出生名 Stephen James Howe
生誕 (1947-04-08) 1947年4月8日(77歳)
出身地 イングランドの旗ロンドン
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
スティール・ギター
マンドリン
シタール
リュート
ボーカル
活動期間 1964年 -
共同作業者 シンディキャッツ
トゥモロウ(ジ・イン・クラウド)
イエス
エイジア
GTR
アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ
公式サイト Guitar Rondo (Official)
著名使用楽器
ギブソン・ES-175
ギブソン・ES-335
フェンダー・テレキャスター・カスタム
リッケンバッカー
コーラル・エレクトリックシタール

スティーヴ・ハウSteve Howe 本名:Stephen James Howe、1947年4月8日 - )は、ロンドン出身のギタリスト1960年代から様々なプロジェクトに参加、特にイエスエイジアでの活動が有名である。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第69位だったが、2011年の改訂版では削除された。

経歴[編集]

演奏するスティーヴ・ハウ (1977年)

1964年シンディキャッツというビート・バンドでプロ・デビュー。彼等はシングルを幾つか発表した。

1965年キース・ウェストらとジ・イン・クラウドを結成。彼等は1967年トゥモロウと改名して、後にイギリスのサイケデリック・ロック界の大物となるトゥインクと活動して、サイケデリックなサウンドで注目を集めた。ハウはトゥモロウでアルバム1作の制作に関わった。また1967年7月に、音楽プロデューサーのマーク・ワーツ(Mark Wirtz)がウェストを起用して制作したシングルExpert from "A Teenage Opera”[1]の録音に参加してギターを弾いた[2][3]。このシングルはヨーロッパで人気を呼び、全英シングルチャートで最高位2位を記録した。現在ではロック・オペラ[注釈 1]の草分けの一つと認知されている。

その後はボダスト[注釈 2][4][5]P・P・アーノルドデラニー&ボニーのツアー・バンドなどを経て[6]1970年ピーター・バンクスの後任としてイエスに加入。アルバム『危機』や『海洋地形学の物語』などの代表作で披露した他の追随を許さない多彩なギター・サウンドと優れた作曲能力でバンドの躍進に大きく貢献し、プログレッシブ・ロックを代表するバンドの一つと称された1970年代の黄金期の一翼を担った。

1981年にイエスが活動を停止すると、1982年にスーパーグループエイジアを結成して大成功を収めた。イエスが1983年にギタリストのトレヴァー・ラビンを迎えて活動を再開すると、彼は1984年にエイジアを脱退して1988年にイエスの分家のアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウに参加。紆余曲折を経て1996年イエスに再加入し、2024年現在まで中心メンバーとして活動している。

1980年代には、短期間ではあったがスティーヴ・ハケットGTRを結成して活動したほか、イエスの同僚だったトレヴァー・ホーンが起こしたレーベル「ZTTレコーズ」の関連アーティストの作品やI.R.S.レコーズ[注釈 3]アニマル・ロジック[注釈 4]デビュー・アルバムへの客演、I.R.S.傘下のインストゥルメンタル専門レーベル「ノー・スピーク」シリーズへの参加など、さまざまなプロジェクトで精力的に活動した。1991年にはクイーンのアルバム『イニュエンドウ[注釈 5]より「イニュエンドウ(アルバムタイトルと同名の曲)」のレコーディングにフラメンコギターで参加している。

1970年代にバンド活動と並行してソロ活動も開始した[注釈 6]が、より精力的に取り組み始めたのは1990年代に入ってからである。2007年にはドラマーである長男ディラン・ハウ英語版[注釈 7]、ハモンド・オルガ二ストのロス・スタンリースティーヴ・ハウ・トリオを結成して、2008年にかけてヨーロッパをツアーした。また、キーボーディストの次男ヴァージル・ハウ英語版とディランをメンバーに加えたファミリー・バンド「スティーヴ・ハウ・レメディ」としても活動を行なった[注釈 8]

また、2006年にはエイジアのオリジナル・メンバーによる再結成に参加、精力的にライヴツアーを行いながら2008年4月に新作アルバム『フェニックス』を発表。2008年夏にはイエス久々の再始動となるアメリカ・ツアーを交え、エイジアとしても2013年に脱退するまで活動を継続していた。

2009年のイエスとエイジアの合同アメリカツアーでは、両バンド在籍者として全編の演奏を務めあげ、2010年はイエス、エイジア、スティーヴ・ハウ・トリオのツアーに参加して世界中を飛び回るなど、70歳を過ぎてなお精力的な活動を展開している。

奏法[編集]

ビーコン・シアターにて (2013年)

ハウは他のギタリストが弾くようなありふれたフレーズではない独自のものを弾くのを好んだ[6]。彼の流儀の特徴は、ロック・ミュージックにカントリージャズクラシックフラメンコ、トラッドなどの技法を溶け込ませる事である。

彼は何種類ものエレクトリック・ギターやアコースティック・ギターを用いるほか、エレクトリック・シタールペダル・スティールリュートマンドリンなど様々な種類の弦楽器を巧みに弾きこなす。ライブ演奏でも曲によっては1曲の中で異なる楽器に何度となく持ち替える。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • ビギニングス』 - Beginnings (1975年)
  • スティーヴ・ハウ・アルバム』 - The Steve Howe Album (1979年)
  • タービュランス』 - Turbulence (1991年)
  • 『グランド・スキーム・オブ・シングス』 - The Grand Scheme of Things (1993年) ※旧邦題『大いなる陰謀』
  • Not Necessarily Acoustic (1994年) ※ライブ・アルバム
  • Mothballs (1994年) ※シンディキャッツでのデビューから、イエス加入以前までのコンピレーション。
  • 『ホームブリュー1』 - Homebrew (1996年)
  • クォンタム・ギター』 - Quantum Guitar (1998年)
  • ライヴ・イン・アメリカ〜プリング・ストリングス』 - Pulling Strings (1999年) ※ライブ・アルバム、1994年録音
  • ポートレイツ・オブ・ボブ・ディラン』 - Portraits of Bob Dylan (1999年)
  • 『ホームブリュー2』 - Homebrew 2 (2000年)
  • Natural Timbre (2001年)
  • Skyline (2002年)
  • 『エレメンツ』 - Elements (2003年)
  • Spectrum (2005年)
  • Homebrew 3 (2005年)
  • Remedy Live (2005年) ※ライブ・アルバム
  • Motif Volume 1 (2008年)
  • Homebrew 4 (2010年)
  • 『コンプリート・オブ・ホームブリュー』 - Complete of Homebrew (2010年) ※『Homebrew』1から4までを収録。
  • 『タイム』 - Time (2011年)
  • Homebrew 5 (2013年)
  • 『アンソロジー』 - Anthology (2015年) ※ベスト・アルバム
  • Homebrew 6 (2016年)
  • Love Is (2020年)
  • Motif Volume 2 (2023年)

スティーヴ・ハウ・トリオ[編集]

  • The Haunted Melody (2008年)
  • Travelling (2010年)
  • 『ニュー・フロンティア』 - New Frontier (2019年) ※ビル・ブルーフォードが3曲で共作している

コラボレーション[編集]

  • ポール・スーティン & スティーヴ・ハウ『天使たちの詩』 - Seraphin (1988年)
  • ビリー・カーリー・ウィズ・ゲスト・スティーヴ・ハウ『トランスポーテイション』 - Transportation (1988年)
  • ポール・スーティン & スティーヴ・ハウ『青き世界の旅人』 - Voyagers (1995年)
  • スティーヴ・ハウ/マーティン・テイラー『マスターピース・ギターズ』 - Masterpiece Guitars (1996年)
  • オリヴァー・ウェイクマン The 3 Ages of Magick (2001年)

トゥモロウ[編集]

  • 『トゥモロウ』 - Tomorrow (1968年)
  • 『総天然色の夢』 - 50 Minute Technicolor Dream (1998年) ※1967年の未発表音源集。
  • サウンドトラック:マーク・ワーツ A Teenage Opera (1996年) ※1967年と1968年の音源。再編集され1996年にリリース。
  • 『パーマネント・ドリーム』 - Permanent Dream (2023年)

ボダスト[編集]

  • 『ジ・アーリー・イヤーズ』 - The Early Years : Steve Howe with Bodast (1990年) ※1969年のレコーディング当時は未発表。後にハウ自身がリミックスを施し、1981年に『The Bodast Tapes』としてチェリーレッドから発表したもののCD再発盤。

イエス[編集]

エイジア[編集]

GTR[編集]

  • GTR』 - GTR (1986年)
  • 『キング・ビスケット・ライヴ』 - King Biscuit Flower Hour (1997年)

アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ[編集]

セッション、ゲスト参加[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ワーツはドイツ出身でイングランドで活動していた音楽プロデューサー。彼は『ティーンエイジ・オペラ』(A Teenage Opera)という企画を発案して、自分がプロデュースしていたジ・イン・クラウド改めトゥモロウのウェストを起用して、同シングルを発表した。この企画は後続のシングルが不発であったので頓挫したが、1996年に全曲を収録したCDがワーツのプロデュースで発表された。ハウが参加したExpert from ”A Teenage Opera”もステレオ化されて収録された。
  2. ^ ボダストに在籍中、キース・エマーソンが在籍していたザ・ナイスから、デヴィッド・オリストの後任のギタリストに勧誘されたが辞退した。ハウに断られたエマーソンは、他を探す代わりにザ・ナイスをキーボード・トリオとして活動していくことにした。
  3. ^ スチュワート・コープランドの長兄で、ザ・ポリスのマネージャーを務めたマイルス・コープランド3世が経営したレーベルである。
  4. ^ スチュワート・コープランド(ドラムス)、スタンリー・クラーク(ベース・ギター)、デボラ・ホランド(ボーカル、作詞作曲)が結成したトリオ。
  5. ^ フレディ・マーキュリーが存命中の最後のオリジナル・アルバムである。
  6. ^ 初のソロ・アルバム『ビギニングス』は、メンバー全員がソロ・アルバムを制作するというイエスの企画の第一弾として、1975年に発表された。
  7. ^ ディランはビル・ブルーフォードにドラムスを学んだ。
  8. ^ ヴァージルはその後(2008年)に、ドラマーとしてリトル・バーリーのメンバーになったが、2017年に急逝した

出典[編集]

  1. ^ Discogs”. 2024年2月28日閲覧。
  2. ^ merurido.jp”. 2023年9月9日閲覧。
  3. ^ Howe (2020), p. 44.
  4. ^ Hanson (2014), p. 95.
  5. ^ Howe (2020), pp. 57–58.
  6. ^ a b Morse (1996), p. 3.

参考文献[編集]

  • Hanson, Martyn (2014). Hang on to a Dream: The Story of the Nice. London: Foruli Classics. ISBN 978-1-905792-61-0 
  • Howe, Steve (2020). All My Yesterdays. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-785581-79-3 
  • Morse, Tim (1996). Yesstories: Yes in Their Own Words. New York: St. Martin's Press. ISBN 0-312-14453-9 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]