ケンホウ
ケンホウ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1959年2月20日 |
死没 | 1976年7月[1] |
父 | ヒンドスタン |
母 | トキノタカラ |
母の父 | プリメロ |
生国 | 日本 北海道三石郡三石町 |
生産者 | 本桐牧場 |
馬主 | 長山善建 |
調教師 | 藤本冨良(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 14戦4勝 |
獲得賞金 | 822万2600円 |
勝ち鞍 | 桜花賞(1962年) カブトヤマ記念(1962年) |
ケンホウ(1959年2月20日 - 1976年7月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1962年の桜花賞を優勝。全兄に1961年の天皇賞(春)優勝馬ヤマニンモアーがいる。
馬齢は2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。
経歴[編集]
1961年(3歳)12月の中山でデビューし、藤本勝彦騎乗で人気に応えた。1962年(4歳)は1月のジュニヤーC(50万下)から始動し4着、千葉4歳特別(80万下)でトーストの4連勝を阻止して2勝目を挙げる。桜花賞を目指して西下し、前哨戦のオープンは4着であった。本番は6勝目を狙う尾形藤吉厩舎のトーストが1番人気に支持されたが、4番人気のケンホウが直線を内から抜け出してトーストを交わして優勝。関東に戻ると、山岡忞騎乗で1番人気に支持された優駿牝馬は14着と大敗。勝ったのは同厩オーハヤブサで、2番人気に支持されたトーストも19着で共倒れに終わり、その後は休養。秋は古山良司とのコンビでセントライト記念から始動し5着、クイーンステークス2着→東京牝馬特別3着を経て、カブトヤマ記念で桜花賞以来の重賞2勝目を挙げる。暮れの有馬記念は7着に終わったが、同年の活躍を評価され、啓衆社賞最優秀4歳牝馬を受賞。1963年(5歳)引退。
引退後[編集]
引退後は1964年に「健宝」の名で繁殖入りし、8頭の産駒を送り出した。1976年7月に死亡[1]。産駒に活躍馬はいないが、シンウルフ・ナリタハヤブサの祖母、リリーズブーケ(サファイヤステークス)[2]の曾祖母、ビッグウルフの5代母となった[1]。なおビッグウルフ以外の3頭はいずれも、ケンホウの牝馬産駒7頭のうち6頭を牧場に置くなどこの系統を重視していた下河辺牧場[3]の生産馬である。
競走成績[編集]
- 1961年(1戦1勝)
- 1962年(11戦3勝)
- 1着 - 桜花賞、カブトヤマ記念、千葉4歳特別
- 2着 - クイーンステークス
- 3着 - 東京牝馬特別
- 1963年(2戦0勝)
血統表[編集]
健宝(競走馬名ケンホウ)の血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ボワルセル系 | |||
父 *ヒンドスタン 1946 黒鹿毛 | 父の父 Bois Roussel1935 黒鹿毛 | Vatout | Prince Chimay | |
Vasthi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
父の母 Sonibai1939 黒鹿毛 | Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Udaipur | Blandford | |||
Uganda | ||||
母 トキノタカラ 1945 鹿毛 | *プリメロ 1931 鹿毛 | Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Athasi | Farasi | |||
Athgreany | ||||
母の母 スターカツプ1930 鹿毛 | *シアンモア | Buchan | ||
Orlass | ||||
フロリスト | ガロン | |||
第四フロリースカツプ | ||||
母系(F-No.) | フロリースカツプ系(FN:3-l) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Blandford 4×3 | [§ 3] | ||
出典 |
脚注[編集]
- ^ a b c 『優駿』1991年2月号、日本中央競馬会、163頁
- ^ リリーズブーケ|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 『優駿』1991年2月号、日本中央競馬会、162頁
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|健宝|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年7月2日閲覧。