ガンビア (軽巡洋艦)


「ガンビア」
艦歴
発注
起工 1938年7月24日
進水 1940年11月30日
就役 1942年2月21日
貸与 ニュージーランド海軍に貸与
(1943年9月22日 - 1946年3月27日)
退役 1960年12月
その後 1968年12月5日スクラップとして売却
除籍
性能諸元
排水量 基準:8,530トン、満載:10,450トン
全長 169.3 m (555.5 ft)
全幅 18.9 m (62 ft)
吃水 5.0 m (16.5 ft)
機関 アドミラリティ式重油専焼水管缶 4基
パーソンズ式ギアード・タービン 4基

4軸推進、72,500 shp

最大速力 33ノット(61 km/h)
航続距離 6,520海里/13ノット
乗員 730名
兵装 50口径6インチ3連装砲 4基
45口径4インチ連装砲 4基
ボフォース40mm連装対空機関砲 4基
20mm連装対空機関砲 6基
40口径2ポンド4連装ポムポム砲 3基
21インチ3連装魚雷発射管 2基
搭載機 スーパーマリン ウォーラス2機
(後に撤去)

ガンビア (HMS Gambia, 48/C48 HMNZS Gambia) はイギリス海軍およびニュージーランド海軍軽巡洋艦フィジー級

艦歴[編集]

1942年8月、航海する「ガンビア」(イギリス海軍公認写真家撮影)

スワン・ハンター社で建造。1938年7月24日起工。1940年11月30日進水。1942年2月21日竣工。東洋艦隊所属となる。1942年9月にマダガスカルマジュンガへの上陸作戦(ストリーム作戦)に参加したほか、インド洋での船団護衛などに従事。1943年6月、イギリスに戻る。

その後、損傷し戦列を離れた巡洋艦の代わりとしてニュージーランドに貸与された。

「ガンビア」はドイツ封鎖突破船捕捉作戦(ストーンウォール作戦)に投入される[1]。1943年12月12日にプリマスより出航し、3日後にHortaに到着[2]。それから軽巡洋艦「グラスゴー」と交代で哨戒を行った[2]。12月23日、アメリカ護衛空母「カード」搭載機が封鎖突破船と疑われる船を発見[2]。「ガンビア」と「グラスゴー」はアゾレス諸島北の哨戒線に着くよう命じられ、プリマスから軽巡洋艦「エンタープライズ」が出撃した[2]。問題の船は封鎖突破船「Osorno」で、航空攻撃を受けるもジロンド川にたどり着いている[3]。12月27日、サンダーランドが商船を発見[4]。それは封鎖突破船「Alsterufer」であった[5]。「エンタープライズ」、「グラスゴー」、「ガンビア」と軽巡洋艦「ペネロピ」が捕捉に向かったが、「Alsterufer」は航空攻撃を受けて沈んだ[6]。その後、12月28日に「グラスゴー」と「エンタープライズ」は「Alsterufer」護衛のため出撃していたドイツ海軍部隊と交戦した。「ガンビア」は軽巡洋艦「モーリシャス」とともにさらに3日哨戒を続け、1944年1月1日にプリマスに帰投した[7]

ニュージーランド海軍で(1944年5月18日)

「ガンビア」は1944年1月30日にプリマスより出航[7]スエズ運河を経由して2月19日にトリンコマリーに到着し、東洋艦隊の第4巡洋艦戦隊に編入された[7]。2月22日に空母「イラストリアス」、駆逐艦2隻と共にトリンコマリーより出航し、封鎖突破船捜索を行う(スルース作戦、Operation Sleuth)[7]。「ガンビア」は2月28日にフリーマントルへ向かった[8]。封鎖突破船は発見されなかった[9]。3月7日に「ガンビア」はフリーマントルより出航[9]。船団護衛を行い、10日後にコロンボに着いた[9]

3月下旬、ディプロマット作戦(空母「サラトガ」を中心とするアメリカ海軍部隊との会合および演習)に参加[9]。次いで4月にコックピット作戦サバン空襲)、5月にトランサム作戦スラバヤ空襲)に参加した[10]。6月10日に「ガンビア」を含む艦隊はベンガル湾へ出撃したが敵を見なかった[11]。その後、「ガンビア」はマドラスからコロンボへ艦隊航空隊の人員や物件を輸送した[11]。7月のクリムズン作戦(サバン攻撃)では25日に他の艦と共に艦砲射撃を行った[12]

10月16日、「ガンビア」はトリンコマリーより出航[13]。途中輸送船「General William Mitchell」、「General George M. Randall」と同道した後、メルボルンを経て11月24日にウェリントンに到着した[13]

1945年は太平洋艦隊所属で沖縄戦日本本土への攻撃に参加した。8月9日にはアメリカ海軍第34.8.1任務隊や軽巡洋艦「ニューファンドランド」などと共に釜石砲撃を実施した。

「ガンビア」は1960年に退役し、1968年12月5日に解体場所に到着した。

脚注[編集]

  1. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 352
  2. ^ a b c d The Royal New Zealand Navy, p. 353
  3. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Axis Blockade Runners of World War II, pp. 20, 137
  4. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 354
  5. ^ Axis Blockade Runners of World War II, p. 21
  6. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 354, Axis Blockade Runners of World War II, pp. 21-22
  7. ^ a b c d The Royal New Zealand Navy, p. 356
  8. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 356-357
  9. ^ a b c d The Royal New Zealand Navy, p. 357
  10. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 357-359
  11. ^ a b The Royal New Zealand Navy, p. 359
  12. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 359-360
  13. ^ a b The Royal New Zealand Navy, p. 361

参考文献[編集]

外部リンク[編集]