よしだよしこ

よしだよしこ
出生名 吉田佳子
生誕 (1954-03-05) 1954年3月5日(70歳)
出身地 日本の旗 日本東京都大田区
ジャンル フォークソング
職業 シンガーソングライター
ギタリスト
担当楽器
ギター
活動期間 1971年 -
レーベル エレックレコード
共同作業者 ピピ&コット
公式サイト 公式サイト

よしだ よしこ(本名:吉田佳子1954年3月5日 - )は、日本シンガーソングライターギタリスト

経歴[編集]

レコードデビュー[編集]

東京都大田区生まれ。1971年、高校在学中、すでに結成していた「ピピ&コット」の仲間とライブ活動を展開。門谷憲二泉谷しげるとともに立ち上げた音楽制作集団「サイクル・ギス」に古井戸、ピピ&コットの仲間とともに参加。泉谷のアルバムとシングルのバッキングバンドとして[1][2]ライブに参加し、ギタリストとしてのレコードデビューを飾る。

1972年、「ピピ&コット」(金谷厚、佐藤公彦、早川隆、板垣秀雄、沢彰記)のメンバーとしてエレックレコードよりデビュー。当時の女性アーティストとしては珍しく、主にリード・ギタリストとして活躍した。(後に、佐藤が脱退し、1973年丸山圭子が加入)

ソロ活動[編集]

1974年7月10日、ソロで、モンキーズへの楽曲提供者であるトミー・ボイスとボビー・ハート作詞・作曲の「歌のある限り」を訳詞し、自作の「路地裏の陽気な花」をB面としたシングル盤『歌のある限り/路地裏の陽気な花』をリリース。

1975年、ピピ&コット解散後、本格的にソロシンガーとして活動する。エレックレコードの主催する唄の市コンサートをはじめ、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸海援隊などのアーティストとともに活動[3]

1976年6月のエレックレコードの倒産後、レコード会社、事務所を移籍。「二人旅」「風」と2枚シングルをリリースするなどソロアーティストとして活動を続けながら、ピピ&コットを出てソロとして活動していた佐藤公彦のサポートギタリストもつとめる。同年、単身渡米。アメリカ各地を放浪。1年後、帰国。以後、音楽活動を停止[4]

1978年5月、大阪の野外コンサート「春一番」にひょっこり「吉田佳子」として、登場。音源もレコード化されている。

23年ぶりの復活[編集]

1999年、シンガーソングライターとしてのライヴ活動を23年ぶりに再開。同時にギタリストとして、水越けいこ、丸山圭子のサポートメンバーとしてステージをつとめる[5]

2005年、往年の全日本フォークジャンボリー(1969年 - 1971年まで3回開催)をリスペクトするアーティストたちと東京・青山のライブハウスに集まり、当時の楽曲を演奏するライブを開く。その音源は、「フォークジャンボリー[青山篇]」としてCD化されている[6]

2006年、大阪の野外コンサート「祝春一番2006」に28年ぶりに出演[7]

2009年、アメリカの女性シンガーソングライターRACHEL FAROとともに全国4ヶ所でライブツアーを行う。

CD/DVD[編集]

  • ここから(CD)
  • ア・シ・オ・ト(CD)
  • 虹の根っこ(DVD)
  • 地球に似た惑星にいるあなたに(CD/DVD)
  • 「She said NO!」フツウノコトバたち(CD)(2009年10月)
  • 忘れないということ(CD)(2011年11月)
  • 笑って唄って(CD)(2014年5月)
  • 3/4あたり(CD)(2015年11月)

エピソード[編集]

  • 1971年11月20日発売の泉谷しげるのデビューアルバム「泉谷しげる登場」(エレックレコード)で古井戸とバックをつとめる[8]1971年12月21日CBS Sonyからリリースされた泉谷のデビューシングル盤「帰り道/義務」のうち、「義務」のギターを金谷あつしとともに担当した。
  • 1996年、旧知の高田渡から「どうだい歌ってみないかい?」と誘われるが、応じることができなかった[5]
  • 佐藤公彦が1999年活動を再開したよしだのライブに参加。「捨ててはいけないよ大切なものを」を唄う[9]

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外部リンク[編集]