1980年の横浜大洋ホエールズ(1980ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1980年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1980年の横浜大洋ホエールズは、土井淳監督の1年目のシーズンである。
1977年から指揮を執った別当薫前監督のフロント入りを受けて、大洋生え抜きの土井ヘッドコーチが監督に昇格したこの年、親会社の大洋漁業のバックアップで球団初の海外キャンプを行うなど20年ぶりの優勝が期待された。チームは6月まで勝ち越しこの年優勝の広島やヤクルトに次ぐ3位につけたものの、6月24日からの12連敗で一気に首位戦線から脱落。連敗脱出後は前年同様巨人や阪神との3位争いに終始したが、土井監督の1年目は59勝62敗9分と不本意な成績で優勝の広島と16ゲーム差の4位に終わった。投手陣は野村収と平松政次と斉藤明夫が2ケタ勝利を挙げたが、打線の援護で勝つ試合が多く防御率はやや高めで、チーム防御率はリーグ5位に終わった。打撃陣では4番の田代富雄が36本塁打を放ったほか、3番に入った基満男がチームトップ、そしてリーグ4位の.314を叩き出す活躍でチーム本塁打は3位とまずまずだったが、三振や併殺も多くチーム打率は前年の.266から.259へ若干低下した。大ベテランの松原誠は2000本安打を達成したがオフに古賀正明とのトレードで巨人へ移籍し、記者会見で「大洋で終えたかった」と悔し泣きした。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1980年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | ヤクルト | ヤクルト | 2.5 | ヤクルト | 5.0 | ヤクルト | 10.0 | ヤクルト | 8.5 | ヤクルト | 5.5 | ヤクルト | 6.5 |
3位 | 巨人 | 2.5 | 阪神 | 3.0 | 大洋 | 5.5 | 阪神 | 13.0 | 巨人 | 16.0 | 大洋 | 18.5 | 巨人 | 14.0 |
4位 | 大洋 | 3.0 | 大洋 | 3.5 | 阪神 | 8.5 | 大洋 | 14.0 | 阪神 | 17.5 | 巨人 | 19.0 | 大洋 | 16.0 |
5位 | 阪神 | 5.0 | 巨人 | 6.5 | 巨人 | 巨人 | 16.0 | 大洋 | 18.0 | 阪神 | 19.5 | 阪神 | 20.5 |
6位 | 中日 | 7.5 | 中日 | 11.5 | 中日 | 17.5 | 中日 | 22.0 | 中日 | 30.0 | 中日 | 30.5 | 中日 | 30.0 |
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オールスターゲーム1980[編集]
- 土井淳
- 野村収
- 平松政次
- 基満男
- 田代富雄(出場辞退)
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |