1980年のロッテオリオンズ(1980ねんのロッテオリオンズ)では、1980年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督(背番号は、前年の68から、現役時代の8を縦に割った33に変更)の2年目のシーズンである。
前年4位で終了したチームは巨人から金銭トレードで張本勲を獲得し、打線を強化。張本の加入などで層が厚くなったチームは、前期は近鉄や日本ハムと優勝を争うが、5月後半の7連勝で頭一つリード。5月28日には張本が3000本安打を達成し、勢いに乗ったチームは前期を優勝。後期は南海を除く5球団による優勝争いが9月まで続き、阪急脱落後も近鉄・日本ハム・西武と最後まで争ったが結局3位。プレーオフでは西本幸雄監督率いる後期優勝の近鉄との対決となり、下馬評では互角と言われたが連覇に燃える近鉄の勢いに押されて3連敗、6年ぶりのパ・リーグ優勝はならなかった。打線はリー・レオンの兄弟や有藤道世に張本が加わり、後期には後の三冠王・落合博満が二塁の定位置を獲得するなど好調でチーム打率はリーグ2位。投手陣は仁科時成の17勝をはじめ奥江英幸、水谷則博が2桁勝利を記録し、抑えの倉持明もリーグ最多の18セーブを挙げ、チーム防御率もリーグ2位だった。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1980年パシフィック・リーグ順位変動 前期 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 前期成績 | 1位 | 南海 | -- | ロッテ | -- | ロッテ | -- | 2位 | ロッテ | 1.0 | 近鉄 | 2.0 | 近鉄 | 1.5 | 3位 | 阪急 | 1.5 | 日本ハム | 2.0 | 日本ハム | 4位 | 日本ハム | 3.0 | 阪急 | 3.5 | 阪急 | 6.5 | 5位 | 西武 | 4.5 | 南海 | 4.5 | 南海 | 7.0 | 6位 | 近鉄 | 5.0 | 西武 | 6.0 | 西武 | 7.5 | | 後期 順位 | 7月終了時 | 8月終了時 | 後期成績 | 1位 | 日本ハム | -- | 日本ハム | -- | 近鉄 | -- | 2位 | ロッテ | 0.5 | ロッテ | 0.5 | 日本ハム | 0.5 | 3位 | 西武 | 0.5 | 西武 | 2.0 | ロッテ | 2.0 | 4位 | 阪急 | 3.0 | 近鉄 | 3.0 | 西武 | 2.0 | 5位 | 近鉄 | 4.0 | 阪急 | 3.5 | 阪急 | 6.5 | 6位 | 南海 | 10.0 | 南海 | 15.0 | 南海 | 16.0 | |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ[編集]
1980年 パシフィック・リーグプレーオフ 日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月15日(水) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 4 - 1 | ロッテオリオンズ | 川崎球場 |
10月16日(木) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 4 - 2 | ロッテオリオンズ |
10月17日(金) | 移動日 |
10月18日(土) | 第3戦 | ロッテオリオンズ | 4 - 13 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
年間優勝:近鉄バファローズ |
オールスターゲーム1980[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
|
---|
監督 | |
---|
一軍コーチ | |
---|
二軍監督・コーチ | |
---|
投手 | |
---|
捕手 | |
---|
内野手 | |
---|
外野手 | |
---|
練習生 | |
---|
[6][7]
表彰選手[編集]
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
リー | 首位打者 | .358 | 初受賞 |
最多安打 | 175本 | 初受賞 |
ドラフト[編集]
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |