麻布永坂更科本店

麻布永坂更科本店
麻布永坂更科本店
(2016年2月4日撮影)
地図
麻布永坂更科本店付近
店舗概要
所在地 106-0046
東京都港区麻布十番一丁目2番7号
座標 北緯35度39分23.85秒 東経139度44分12.2秒 / 北緯35.6566250度 東経139.736722度 / 35.6566250; 139.736722 (麻布永坂更科本店)座標: 北緯35度39分23.85秒 東経139度44分12.2秒 / 北緯35.6566250度 東経139.736722度 / 35.6566250; 139.736722 (麻布永坂更科本店)
開業日 火曜 - 日曜日
閉業日 月曜日(祭日の場合は火曜日休み)
施設所有者 株式会社麻布永坂更科本店
施設管理者 代表取締役社長 馬場繁二
営業時間 午前11時 - 午後10時
駐車台数 0台
前身 新開亭
永坂更科製麺部新開亭
最寄駅 都営大江戸線麻布十番駅
都営大江戸線六本木駅
東京メトロ南北線麻布十番駅
東京メトロ日比谷線六本木駅
最寄IC 首都高速飯倉出入口芝公園出入口
外部リンク http://sarashina-honten.com/
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株式会社麻布永坂更科本店
種類 株式会社
本店所在地 日本の旗 日本
152-0022
東京都港区麻布十番一丁目2番7号
設立 1950年(昭和25年)10月5日
業種 小売業
法人番号 2010401001453 ウィキデータを編集
事業内容 麺類及び和洋食料理
加工及び販売
代表者 代表取締役社長 馬場繁二
資本金 1000万円(2015年12月2日現在)
発行済株式総数 20万株
主要株主 馬場繁二、馬場英津子
外部リンク http://sarashina-honten.com/
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麻布永坂更科本店(あざぶながさか さらしなほんてん)は、東京都港区麻布十番一丁目にある1950年昭和25年)創業のそば屋店舗

概要[編集]

「麻布永坂更科本店」の屋号は、江戸の麻布永坂町で、布屋太兵衛という人が、更科そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を開業したことによる。この布屋太兵衛の本名は堀井清右衛門といい、現在の「更科堀井」の初代である[1]

関東大震災昭和初期の国内外の恐慌等の影響を受け、1941年昭和16年)に廃業となった[1]。その後、料理屋の馬場繁太郎は、「永坂更科」の商標を取得し、1950年(昭和25年) 、麻布十番一の橋に蕎麦屋「麻布永坂更科本店」が設立された[1]。よって、更科堀井」一門とは別の経営である[1]

沿革[編集]

  • 1937年(昭和12年) - 港区内において、馬場繁太郎は弁当仕出し及び食堂「新開亭」を開業。
  • 1947年(昭和22年)6月 - 料理屋馬場繁太郎が、そば屋「永坂更科製麺部新開亭」を開業
  • 1948年(昭和23年) - 戦後の混乱のなか、麻布十番一の橋に料理屋馬場繁太郎が「麻布永坂更科本店」を開業。七代目堀井松之助と馬場繁太郎との間で、「永坂更科」の商号の使用に関して公正証書による契約を締結したことによる。その後、雅叙園に勤務していた七代目堀井松之助を雇用した[2]。(後に、店名に関し裁判になり、承諾書の存在により、「麻布永坂 更科本店」と、「永坂」と「更科」の間を離すことで和解した[3]。)
  • 1949年(昭和24年)10月19日 - 七代目堀井松之助、妻きん、麻布十番商店街の小林玩具店 小林勇(現・永坂更科布屋太兵衛の初代)、麻布十番商店街の組合長木村政吉により、合資会社「麻布永坂更科 総本店」設立。伝統の暖簾が再開された。(後に、八代目堀井良造は、「永坂更科」の店名商標登録が法人取得だったため、その後の厄介な問題を起こすこととなり、「大失敗でした」といった[1]
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月23日 - 東京法務局に「麻布永坂更科本店」の商標登録出願。
    • 10月5日 - 東京法務局日本橋出張所、昭和25年10月5日受付。
  • 1951年(昭和26年)5月17日 - 商標権の設定登録を受け、馬場繁太郎「株式会社麻布永坂更科本店」設立登記。
  • 1955年(昭和30年)1月14日 - 馬場繁太郎没。
  • 1956年(昭和31年) - 合資会社「永坂更科 総本店」設立、七代目堀井松之助、妻きんも出資したが、当初の約束で5年後に退社。
  • 1957年(昭和32年) - 商号侵害をめぐる調停事件において、「麻布永坂更科本店」馬場繁太郎社長と「麻布永坂更科 総本店」小林勇社長は、両店でともに同じ称号を使うことで調停を結んだ。
  • 1959年(昭和34年)11月14日 - 東京法務局、昭和24年11月14日受付、小林勇「株式会社永坂更科布屋太兵衛」設立登記。
  • 1960年(昭和35年) - 堀井良造(後の「更科堀井」八代目)は大学を卒業、合資会社「永坂更科布屋太兵衛」に入社。
  • 1961年(昭和36年)9月20日 - 人手不足のため「麻布永坂更科本店」の本店所在地での営業を休止
  • 1976年(昭和51年)5月11日 - 「永坂更科」の商号及び商標の差止等を求め民事一般調停の申立。
  • 1980年(昭和55年)6月 - 「麻布永坂更科本店」本店所在地にて開業
  • 1984年(昭和59年)
    • 5月30日 - 朝日新聞、『永坂更科商号争い そば店しにせ敗訴』 - 「永坂更科布屋太兵衛」の小林勇社長は、「麻布永坂更科本店」の馬場進社長を相手取り、類似商号の使用禁止を求めていた民事裁判で、東京地裁は「被告は、原告会社の前身(七代目堀井太兵衛)から商号の使用許可を得ている」として、原告側の請求を棄却し、原告の訴えを退けた[4][5][6]
  • 2016年(平成28年) - 馬場繁二「麻布永坂更科本店」として現在に至る。

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 岩崎信也著、『蕎麦屋の系図』、「更科の系図」、光文社、2011年7月20日、2016年2月20日閲覧
  2. ^ 『控訴を棄却する』、[1] (PDF) - 東京高等裁判所、商標権民事訴訟控訴審、昭和61年4月24日、2016年3月4日閲覧
  3. ^ 『「永坂更科」商号争い、そば店しにせ敗訴』、朝日新聞(夕刊)、1984年5月30日、(14)、2016年2月20日閲覧
  4. ^ 判決文 - 原告側の請求を棄却し、原告の訴えを退けた (PDF) - 2016年2月29日閲覧
  5. ^ 朝日新聞、『「永坂更科」商号争い、そば店しにせ敗訴』、1984年5月30日、(14)、2016年2月20日閲覧
  6. ^ 毎日新聞、『老舗ソバ屋の"のれん裁判"「永坂更科仲良く両店で」商号争いにケリ、東京地裁、使用差し止め退ける』 - 「老舗"永坂更科"が24年前に吸収合併された時点で老舗の商号はなくなった」などとして、老舗の流れをくむソバ店の商号使用差し止めを求める訴えを退ける判決を下した。2016年3月1日閲覧

参考文献[編集]

  • 新撰東京名所図会、『風俗画報』、第248号、麻布区の巻之一、「更科」、東陽堂、1902年(明治35年)3月31日、国立国会図書館蔵マイクロフィルム、2016年2月20日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]