野間五造

野間五造

野間 五造(のま ごぞう、慶応4年3月10日[1]1868年4月2日) - 昭和21年(1946年2月18日[2])は、日本の衆議院議員憲政本党)。ジャーナリスト

経歴[編集]

岡山藩士野間隼太の長男として生まれる[3]岡山中学校を卒業後、同志社英学校などを経て、1887年(明治20年)に東京専門学校に入学した[1]1888年(明治21年)に英語科を卒業し[1]、翌年には邦語政治科を卒業した[3]1890年(明治23年)、『東京日日新聞』の記者となる[1]。翌年、に渡って広東同文館で中国語を学び、また『東京日日新聞』『東京新報』特派員として長江流域の哥老会反乱を報じた[1]1893年(明治26年)、沖縄県に渡って琉球新報社を興し、主筆となった[1]。翌年、日清戦争が勃発すると戦地通信員として渡清した[1]1895年(明治28年)より台湾に移り、台湾商工会や台湾紳商協会を興し、主幹を務めた[1]

1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第7回衆議院議員総選挙でも再選された。

その他、早稲田大学評議員を務め、憲法学を講じた[3]

著書[編集]

  • 『立法一元論 - 貴族院無用論(上・下)』(白揚社、1926-27年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『新選代議士列伝』p.235
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ a b c 『早稲田大学紳士録』pp.657-658

参考文献[編集]

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。