郡上八幡テレビ

郡上八幡テレビ(ぐじょうはちまんテレビ)は、1962年から1968年[1]にかけて岐阜県郡上郡八幡町(現:郡上市)に存在した、「郡上八幡テレビ共同聴視施設組合[2]」によるケーブルテレビ局。1963年[1]より、日本の有線テレビ放送施設として初めての自主放送を行なった。略称はGHK-TV[1][2]Gujyo-Hachiiman Kyodo Jyushin Kumiai Tele Visionの略)[3]

沿革[編集]

日本のテレビ放送は1953年に、VHF波による本放送が開始されて以後、着実に放送局の数を増やしたが、当時、親局送信所放送区域は主に県庁所在地とその周辺が中心で、中継局の設置については区域境界での混信を抑えるため限られたことから、山間部などでは地形の都合で放送波の伝播が期待できず、各戸がアンテナを建てても放送波を受信することが困難な地域が多数存在した。そこで自治体などによる同軸ケーブル等による難視聴解消のための共同受信施設としての有線テレビ放送施設を設置する試みが行われ、群馬県伊香保温泉で第1号が設置された(1955年に実験を開始し、1956年に実用化)[1]

「郡上八幡テレビ」は、同様の共同受信施設として1962年10月1日[1][2]に岐阜県八幡町で開局した。名古屋からの電波を洞泉寺山山頂に置かれたアンテナで受信して幹線ケーブルで市街地に送り、そこから加入者に分配するシステムだった[2]。開局直後、当時の施設組合長[2]が中心となって、この共同受信施設を利用した自主制作番組の放送を提案。中日新聞社東海電波監理局に協力を要請して承諾が得られた[1]。馬小屋だった建物を改装してスタジオとし、照明などは、印刷会社の経営者で、かつ町民劇団で舞台装置を製作した経験があった施設組合長が手作りした[2]

1963年7月13日より[2]試験放送を開始、同年9月2日19時30分より[1]第1回の自主放送「みんなで作る楽しい放送 八幡町民芸能大会[1]」と題する町民による演芸大会が生放送された。

自主放送では八幡町を含む郡上郡周辺地域における催事(祭礼、スポーツ大会、文化イベント等)の中継放送を行ったほか、中日新聞提供[2]によるニュース番組、趣味講座番組、学校や人物の紹介番組など地域密着型の番組編成を展開した[1]。また、CMの提供を受け付け、これも同局で制作された[1]

1964年9月20日にVHF波による郡上八幡中継局が開局して以降、各戸が直接テレビ電波を受信できる環境が整ったことから共同受信の加入者が減り、1965年10月以降は自主放送もほとんど行われなくなった[1]。1968年6月8日をもって共同受信組合は解散した[1]

その後、2004年に郡上市の運営による郡上ケーブルテレビが設立されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 日本のケーブルテレビ発展史 沿革I 連盟活動の軌跡 日本ケーブルテレビ連盟 - pp.19-21「郡上八幡の共聴施設で初の自主制作番組放送」を参照。
  2. ^ a b c d e f g h 山田晴通「町のテレビ局」郡上八幡テレビの素顔」 - 『CATV研究資料センター紀要』第5号(1988年)pp.15-22
  3. ^ 略称が同じ「GHK」だったラジオ局の旧・岐阜放送株式会社(ラジオ東海東海ラジオ放送の前身)とは無関係である。