角福牟

角 福牟(ろく ふくむ、生没年不詳)は、百済官吏。官位は達卒。故国の滅亡に伴い倭国日本)へ亡命した。

記録[編集]

陰陽道に通じており、671年天智天皇10年1月)、許率母吉大尚とともに小山上の冠位を授与された、とある[1]大友皇子の学士であった両者とともに、皇子の補佐を期待されたものと思われるが、その後の動静は伝わっていない。『書紀』に「小山下を以て、余の達率等、五十余人に授く」とあるように[1]、当時の近江朝廷が百済系の官僚により固められていたことが窺われる。

一族に、701年大宝元年8月)に還俗し[2]724年神亀元年5月)に羽林連の氏姓を賜与された[3]觮(角・都能)兄麻呂がいる。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『日本書紀』巻第二十七、天智天皇10年正月是月条
  2. ^ 『続日本紀』巻第二、聖武天皇大宝元年8月2日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第九、聖武天皇神亀元年5月13日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]